第4話 お、から始まる女の子のアレは男のロマンなんですよ。
【一目惚れ】
朝、いつものようにユウキと百合ケ丘駅から高校までの国道を歩く。朝だからか交通量もかなり激しく、車の音が耳から離れることはなかった。
「ふぁ……」
噛み殺せなかったあくびを開放する。
「午前中で下校できるのも今日で終わりかぁ……」
ユウキが、少し気落ちしているのか、声のトーンを下げて言った。そう。1年生は入学してこれで3日目。今日は金曜だから、土日を挟んで月曜からはいよいよ本格的に授業が始まるのだ。だから、HRだけの半日授業は今日でしばらくの間見納めとなる。
「確かに、午後を全部言えで過ごせるのはでかいよな」
ここのところ毎日、家に帰ってはラノベやらギャルゲーやらと、自分の趣味のたびに午後の時間全てを割いていた。それができなくなると思うと、少しだけ寂しくなる。
「なぁ、ユウ……」
月曜からそんな自由時間も少なくなるんだよな、とユウキに言おうとした矢先、その彼が突然ぴたっ、と立ち止まったのを見て口が自然と閉じた。
「……どうした?」
「どストライク☆」
グッ、と親指を上に立てるユウキ。話が読めてこないので、何の話と尋ねてみたところ、
「前を見ろ、前を」
にしし、と無邪気に笑うユウキの言葉通り、俺は前の方を見た。見えてくるのは渋滞した何台もの車と、俺たちと同じ学校の制服を着て歩いている学生たち。
「前に学生たちが歩いてるだろ? そんで、1人で歩いてる女の子を見てみろって」
1人……と、あれか。ちょうど俺たちの前を歩いている女子高生が視界に入った。
「うおっ!?」
その女子高生、後ろ姿しか見えないが、とんでもない体つきをしておられた。ズキューン! という擬音が似合う抜群のスタイル。特にあの……お尻がいいな。ナイスバディの彼女のことをユウキは言っていたわけか。納得納得。
「……どう、思うよ?」
「……どストライク、だなっ!」
俺たち二人は、後ろ姿の顔も分からない女子高生に一目惚れをした。
【ストライク】
身長もすらっと伸びて良く、黒に少し茶の混ざったロングヘアーも可愛い。制服のブレザーも後ろからだけどよく似合っているし、丈の短いスカートなんて最高。あと少しで……くそっ、見えない。スカートを履いていても分かる、彼女のヒップは特にヤバい。どストライク! エクセレント! エキサイティング!
「しかも、俺たちの所の制服だぜ……!?」
「あぁ。あんな美少女がいたなんて知らなかった……」
後ろ姿だけで美少女と決めつけていいのかって? もちろんいいに決まってる! 俺が許す!
「これはきっと顔もいいだろうし……胸も」
ユウキが顎に手を当てて言った。
その言葉の後、俺はスリーサイズを頭の中で音速妄想。頭の中で、夢とあの子の胸が膨らむ。
「よし、追い抜いて顔を見てみよう!」
「そ、そうだなっ!」
たまたま見てしまったのだから仕方がない……よな? うん。仕方ない。
そうと決まれば、俺とユウキは小さな声で「せーの」と呟き、それと同時に走り出した。
【ストライク(2)】
ウエスト、エクセレント! 俺の中でボウリングのピンが一斉に倒れる。ストライク。
ヒップ、マキシマムエクセレント! 2度目のストライク。
ここまで来れば、自然と頭の中で想像が終わっている。ウエストもヒップも抜群であるなら、バスト、つまり胸の方も俺の夢のように大きく膨らんでいるに違いないのだ。
(さぁ、俺に3度目のストライクを見せてくれ!)
そして、俺たちの目に映し出された『それ』は、俺たちの左脳に化学変化を起こした。
頭に浮かんだ1つの景色。それは、どこかで見たことのある、起状の小さなどこまでも続く地表面。
関東地方の大部分を占める日本最大の平野(関 東 平 野)が、まさにその彼女の胸に現れたかのようだった。何も無いまっ平ら、つまり……その、胸部が消滅してしまったのかと疑うぐらいのぺったんこぶりであった。
「ユウキ……ストライク、だな」
「あぁ……見事に、ストライクだ」
立ち止まって、青い空を見上げ。
無愛想に、ぼそっと呟く。そして、最後に二人して声を揃えて、言った。
「スリーストライク、バッター……アウト」
その一死は、俺たちの無限の夢を一瞬にして奪っていき、やがて、消えた。
【担任教師】
朝の出来事は全て忘れるとして、始まったHR。今日は月曜から始まるそれぞれの授業についてのオリエンテーションだ。
さっきの女の子――顔を見ていなかったからどこのクラスなのか、そもそも何年生なのかも分からなかったな。名前も当然知らないし。
「んぁー、聞け、お前ら」
聞くだけでどどっ、とずっこけてしまいそうな怠そうな声に耳を傾ける。この声の主は俺たちクラスの担任教師、関 智一。この3日間で大抵のクラスメートの男子は彼のことを「関さん」と呼んでいる。
まるでやる気が感じられないと言うのか、湧き出ているオーラが死んでいると言うか、よく教師になれたなと思うぐらいのだらけっぷりだった。
「ニート時代は最高だった……」
関さんの自己紹介の時に聞いたその言葉を、今も俺たちは忘れることができない。何で教師やってんだこの人。
「今日のHRは朝礼で話した通り授業のオリエンテーションをやるぞー。皆には……あー、今日までに書いてもらう重要なプリントを配るから各自記入して……」
突然、関さんのだらだらと動いていた口が完全に止まった。それで、数秒体がフリーズする。
「せ、関さん?」
前の方の男子生徒が心配して関さんに声をかける。
「――プリント、職員室に忘れてきたわ……」
「またですか……」
前もプリント職員室に置き忘れて俺たちを放ったらかしにしたもんなぁ。
「取りにいかなきゃなぁ……」
「いかなきゃダメですねぇ」
「……あー」
だらけきった「ニートの鏡」(一応教師)の教師の気だるそうな声。
「めんどくせぇから記入は月曜日でいっか」
「いやよくねーよ!」
ひとりの男子生徒が席を立ってシャウトする。
そして、「えー」と嫌な顔をする関さん。
「だって……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「いや早く言えよ!」
「いや、ほら。大丈夫だよ。プリント記入なんてしなくたって何とかなるさ」
「今日までの重要なプリントだって言ったよね!?」
とことんダメだこの人。
【公開処刑】
半日が終わり、ユウキと歩く帰り道。今日が最後の半日授業だ。このあと、家に帰ってから何をするなどというたわいもない日常会話をしながら足を駅まで進めていく。
「それにしても朝のアレは酷かったよな……」
「あぁ、ホントだよ……」
嫌な、事件だったね……。
何かナイスバディに(笑)をつけてしまいたくなるぺったんこな胸だった。思い出すだけでついつい声のトーンが上がっていく。
俺たちの頭の中に関東平野を思い浮かばせるぐらいの驚異的、いや、幽異的な小ささ。
「ホント、すごかったよ」
「俺は断然巨乳派だからな。あれで巨乳だったらマジで告白してたよ、俺。多分あのあとメールアドレス交換して下さい、って頼みに行くね」
「そうだよなー……」
俺でも迷わず告白する美しさだっただけに、非常に惜しい。
そんな俺は、こう高々に宣言する。
「やっぱり貧乳よりは巨乳の方がいい「ふんっ!」」
「えっ!?」
言葉が遮られた、と頭の中で思っていた時、既に俺は空中を舞っており、尻にじんじんと痛みを感じた。
もしかして俺、誰かに蹴られた……?
言葉の途中、どうやら俺は突然近づいてきた何者かに蹴り飛ばされたらしい。そこまで脳が処理し終えた途端に、痛かった尻に尻餅をついて更なるダメージ。
「ぐ、ぐおおおおお……」
うめき声を上げた。
「だ、大丈夫かっ!?」
ユウキが倒れ込んだ俺に駆け寄ってくる。2メートルは吹き飛んだな……。ここ国道なのに遠慮の無い奴も居たものだ。
「あ、あぁ……何とか……な」
よろよろと立ち上がる。それにしても凄い蹴りだった。我ながら感心してしまう威力だ。これは何としても犯人の顔を見て謝罪してもらうしか……
「……え」
「……ちょ」
もし俺を最初から狙って蹴り飛ばしたとすれば、犯人はすぐに俺に顔を見られたくまいと逃げるはずだ。現に俺が犯人ならその手段を取る。
しかし、俺の見た光景はそんな思いを全て打ち砕くものだった。
俺たちの近くに立っていた、一人の女の子。それは高校生で、俺たちの高校の制服とスカートを着こなしている。
髪はロングで、黒に少し茶を混ぜた色。顔は初めて見たが、100人中の少なくとも9割は彼女のことを「美少女」と言うだろう。
「あ、あなたは……」
そしてその美少女に、俺たち二人は見覚えがあった。当たり前だ。何故なら――俺たちが朝見た、あの問題の女の子だから。
彼女の本当にあるのかという胸を見れば分かる。やっぱり顔も可愛かったんだな……って、今はそんな関心している場合じゃない!
彼女はずんずんと俺に近づいてきて、遠慮もなく俺の胸ぐらを掴んできた。ちょっ、この子力強ッ!
「……」
そして。
「ぐ、ぐえっ」
胸ぐらを掴まれただけでは終わらず、そのまま持ち上げられた。首を締められて上手く息ができない。
「んおっ!?」
そのまま俺の中で十の数を数え終わった時、そのまま地面に放り出された。また尻餅をつく。
「……」
恐る恐る彼女の顔を見てみると、彼女の顔は真っ赤に染まっていた。照れているわけでもなく、怒りに満ちたその表情を見ると、だらだらと嫌な汗が出てくる。
【柏木 鈴】
「アンタ」
「えっ」
「アンタよ、アンタ!」
びしっ、と俺を貫通するんじゃないかっていう勢いで指を差す彼女。
「アンタ、私が目の前に居るにも関わらず――『貧乳』という言葉を口にしたわね……」
こ、怖ッ! ゴゴゴゴ……という効果音が聞こえてきそう。
「や、やっぱり気にしてたんですね……」
「き、気にしてないわよっ! 私、そ、そんなに胸小さくないし!」
いやいや小さいって! ウエスト、ヒップまで完璧で、胸だけが小さいと、その小さいのだけが目立っちゃうし。
「――って、アンタどこかで見たことあると思ったら……私と同じクラスの」
「えっ」
初耳だ。こんな子同じクラスに居たっけ? と首を傾げると、
「自己紹介でも聞いたでしょ!? 柏木 鈴よ、柏木 鈴!」
「……」
頭の中を整理する。
「もしかして!」
「思い出してくれたかしら」
そうだ、完全に思い出したぞ!
「――あの胸の小さい子か!?」
「……ふんっ!」
「――ふぼっ!?」
と、正直にそう言ったら思い切り顔面を殴られました。
「んぎゃあああああああああ! 顔がああああああ!」
お巡りさん助けて下さい! ここに人の顔面をグーで躊躇なく殴る女の子がいます!
とにかく、思い出した。うちのクラスのやけに胸が小さい子と顔が一致する。そうか、ナイスバディだと朝思っていた彼女がうちのクラスの胸の小さな柏木さんだったのか。
朝は後ろ姿と胸にしか目が行かず、ちゃんと顔を確認していなかったから今気づくまで誰だと思ってたよ。
「そ、そっかぁ……」
ガタガタと震えた声でユウキが何かに気づいたのか、なるほどーと言わんばかりにぽん、と手を打つ。
「お前たち、友達だったのか」
「ごめんユウキ。俺、初対面で人を蹴り飛ばしてくる人を友達だとは思わないよ」
【覚えていた名前】
「……アンタ、顔は分かるけど名前までは覚えてなかったわ」
「柏木さんも俺のこと覚えてないんじゃないか!」
それじゃ人のこと言えないよ!
「コイツの名前、片瀬 文也って言うんだけど」
ユウキが俺の名前を彼女に告げる。
すると彼女は、ようやく俺を思い出してくれたようで、あぁ! と目を見開いて声を上げた。
「思い出してくれたみたいだね」
「ええ。思い出したわ! そういえばその名前聞いたことあるもの!」
そりゃ自己紹介で名前言ったからなぁ……
「あの男同士で付き合ってるって噂になってる片瀬くんよね!」
「柏木さん。その話ちょっと詳しく聞きたいんだけど」
【追求】
「そ、その噂、どこで聞いたのかなぁ?」
「どこ、って……」
うーんと唸って腕を交差させ、噂の原点を探る柏木さん。
「――同じクラスの女子たちから聞いたのよね。片瀬くんは男子と付き合ってるって」
「デマ情報を流すのはいけないことだって習わなかったのかな、その女子たちは」
そんなこと一般常識じゃないか。
柏木さんの話は続いた。
「少なくとも男子からではないわね。多分、うちのクラスの女子から流れたものだと思うんだけど……」
「まったく誰なんだよ……。デマ情報なんか流した奴は!」
「くしゅん!」
一人で帰っていた三樹 華織は、大きくくしゃみをした。
「風邪……引いたのかな」
それとも誰かが私の噂でもしているのかなぁ。
そんなことを思いつつ、文也と祐樹が抱き合うシーンの妄想を再開するのであった。
【コンプレックス】
「それにしても柏木さん、胸のこと気にしてたんだね」
「そ、そりゃするわよ! 別に小さくないけどっ!」
さりげなくそれって自分の胸が小さいことを殊更強調しているような気がする。
「ふーん……」
「で、でも」
柏木さんの顔が下の方に傾いた。
「やっぱり男子のみんなは……胸、大きい方がいいの……?」
しょんぼりとする柏木さん。
俺は貧乳か巨乳のどちらが好みかと聞かれれば、どちらかと言えば巨乳の方をとる。
……でも。
「――別に胸の大きさとか関係ないと思うな、俺」
「……えっ」
「確かに柏木さんの胸が小さいことはびっくりしたよ。スタイルいいのに何で胸だけ、って思った。でも、胸の大きさだけが人間を評価する訳でもないし、俺ならそんなこと気にしないと思う」
だろ? とユウキにアイコンタクトを送る。気づいたユウキは、ああ、と同意して頷いた。
「じゃ、じゃあ……」
ぼそっ、と先程までの威勢を失った小さな彼女の声。さっきは蹴られたり殴られたりして男っぽい所が強かった柏木さんだけど、やっぱり女の子なんだな、って思った。
「柏木さん可愛いんだし、もっと自信持っていいと思う」
彼女を励ませ。
女の子を悲しませるような男にはなっちゃいけない、と小さい頃から父に教わってきた俺の脳が即席に命令してきた言葉だった。
それに、嘘を言っているわけではなかった。胸の大きさは勿論大きい方が好みだけど、将来彼女として付き合うんだったら、俺は顔とかスタイルとかよりも性格の優しい子を選ぶ。
見た目だけじゃ人は図れないんだ。テストの成績だけで人を判断できないのと同じことで。
「そんなことだから、それじゃあね。柏木さん」
「お、おい!」
たったっ、と駆け足で駅へと向かう俺を慌てて追いかけるユウキ。
【恋する乙女】
「あっ、ちょっと……」
文也を引き止めようと声を出した時、彼はもう、遠くへ走って行ってしまっていた。
今までたくさんの男子に告白などされてきて沢山話してきた鈴だったが、彼、片瀬文也と交わした会話は、今までの男子たちとの会話とは違っていた。
こう、胸がバクバクと音を立てて……すごく、ドキドキする。
「片瀬……文也、か」
息が荒くなる。疲れても居ないのに、はっ、はっ、と長いこと息が続かない。
締め付けられる胸。
『胸の大きさだけで人は評価できない』
彼のその言葉に、きゅんと来た。
そうか。そうだったんだ。
人を好きになるって――こういう時のことを言うんだ。
高校1年生の女子高生、柏木 鈴の初恋は、意外な形でやって来た。
【照れくさい?】
「お、おい待てよっ!」
「……」
ユウキの声を聞いてぴたっ、と立ち止まる俺。
「……お前があんなこと言うとは思わなかったよ」
「――ああ。俺も思わなかった」
ぎゅっ、と通学カバンの持ち手を力強く握る。
「ってことは、照れくさくなって早々に柏木さんから立ち去ってきたわけか」
「……それもあるかもしれないけどね」
「?」
「す、す、すごい、こここ、怖かった……!」
恐怖のあまりガクガクと震える足。止まらない冷や汗。溢れ出る涙。
「あー……」
なるほど、と妙に納得してしまったユウキであった。
柏木 鈴の恋が実るのは、まだまだずっと先のようだ。
【登場人物紹介】
柏木 鈴
黒に茶を混じらせたロングヘアーが似合う美少女。スタイルが抜群だが、唯一小さな胸にコンプレックスを感じている。思春期真っただ中の恋する乙女。力が強く、初恋の相手である文也は彼女に対して恐怖心を抱いている。