第1話 こんな形でスタートしたっていいじゃない?
【理想的な……】
俺、片瀬 文也の高校生活は最高の形で幕を開けた。
「――――では、満場一致で我が1年B組の学級委員はフミヤに決定だ!」
俺が高校に入学して所属することとなった1年B組の担任教師が、高々に宣言した。その声に続いて、
「おおおおおおお!」
という歓喜の声がクラスのそこら中で沸き起こる。
よせやい……照れるじゃねぇか……と言わんばかりに、俺はへへっ、と鼻をすすった。今日から俺が学級委員で、このB組をまとめあげて行くのだ。こんなに素晴らしい役目を与えられた俺は幸せだ!
「フミヤ、前に出て一言」
にやり、と無邪気に笑う担任教師。
一言、と言うことはつまり決意表明だな。それも春休みのうちに考えていた俺は、「はい」と否定することなく席を立ち上がり、そのまま真っ直ぐ、教壇へ進んでいく。
「――――ってことで、学級委員に任命されたフミヤです! よろしくお願いします!」
「きゃああああああああっ!」
「ふっみや! ふっみや!」
待て待て、これじゃ何かの危ない宗教の様じゃないか。
でも、こういうのってやっぱり照れくさいな。そんな自分が誇らしい。ただ、誇らしいとは思うが、同時に緊張感が俺の体中を襲っていた。
これから……俺がこのクラスを引っ張るリーダーになる。自分がその役目を無事に果たせるのか不安で不安でたまらない。
でもこのクラスの皆が選んでくれたのだから、精一杯努力していこう! と、緊張感を吹き飛ばす。
「ふっみや! ふっみや! ふっみや!」
「ふっみや! ふっみや! ふっみや!」
俺を呼ぶ声がする。
その声は段々と大きくなっていく。これが、これが俺の理想としていた高校生活なんだ。最高のスタートを切れたんだ。
……という、夢を見たんだ……
【これが現実】
お気の毒ですが、あなたの青春の書は消えてしまいました……。
そんなことを伝えるかのように、五月蝿く鳴り響く目覚まし時計を聞いて、俺が目を覚ます。
「ん……」
ジリリリリリリ!
それにしても、目覚まし時計が出す音と言うものは、どうしてこんなにも耳障りに聞こえてしまうのだろう。目覚まし時計をまじまじと見つめると、人の目を覚まさせるのを仕事とする目覚まし時計だから仕方がないじゃないか! と時計が反論しているように聞こえた。
たまには有給休暇でも取ってはいかがだろうか、と思いながら目覚ましのスイッチを止める。
「失望したッ!」
まだ寝ぼけて意識がはっきりとしない俺が見下す様に目覚まし時計|(享年0ヶ月と1日)の解雇を言い渡す。
高校入学を機に一人暮らしをすることになった俺は、相棒を探そうとデパートでこの目覚まし時計を選んだのだ。
「よろしくな、相棒」とまで言ってしまった俺に謝れ。相棒に「パートナー」とルビを振ってもいいぐらいのノリだったんだぞ。
俺の理想をそのまま映し出した夢は終わり、こうした現実が戻ってくると本当に辛い。ずっと布団を被っていたくなる。こうしてニートが生まれるんだな、とつくづく思う。
しかし、現実に戻ってきたとしても、俺の高校生活はもう終わってしまったのではない。むしろ、これから始まるのだ。
勢いよく起き上がり、ベッドの隣の小さなクロゼットの上に置かれている目覚まし時計を見る。そして、今日限りで役目を終えた目覚まし時計を手に持って、確か入学式は8時15分からだったなぁ、と思ぼんやりとした記憶を辿りながら、時刻を確認する。
昨日早起きをしようと6時45分に目覚ましが鳴るようにセットしたから……。ちょっと寝過ごしたと踏んで、今は6時50分くらいだろうか。
かちっ、かちっ、とアナログらしい針の動く音を出す目覚まし時計。こういう感じで人を起こしてくれれば俺も万々歳なのに。
そして、問題の時刻であったが、やはり50分を差していた。
7時50分
1時間後の50分……だけどなっ!
「ちく……しょう……」
ベッドの上で「orz」のようなポーズを取る俺、超惨め。
やってしまった……。目覚ましを、1時間遅くセットしてしまった。すぐの俺の頭の中で演算が始まる。
この家から学校までは電車を使って30分はかかる。仮に今からここを出ても、到着するのは8時20分。まだギリギリセーフで間に合うかもしれない。
しかし……。そこで、本やゲームなどが乱雑に散らかっている部屋に置かれたまだ使われていない新品の通学カバンが視界に入る。
支度は――――当然、してないよな……うん。
俺は瞬間移動ができる能力者でも、空を飛べる超人間でもない。出発するのが5分遅れれば、当然到着するのはそれに比例して5分遅れる。
別れを告げなければならない。そうするしか無かった俺は、ベッドの上で立ち上がり、敬礼。
――――さようなら、俺の理想の高校生活……。
現実は、とことん残酷だった。
【幻想殺し】
結局もう遅刻することからは逃げられないので、とことこ、決してゆっくりではないが、早くもない小走りで学校へ向かうことに。初日から遅刻するのもラノベの主人公っぽくて良くね? ……カッコ悪いな、俺。
「はぁ……」
昨日コンビニで購入した菓子パンを食べながら、空を見上げる。空はパソコンのペイント機能で水色を塗りつぶしたかのように綺麗で純粋な水色を保っていた。雲一つ無い快晴というのは、まさにこのことを言うんだろうか。
空は青いが、俺の青春は「青い春」と呼ぶべきモノでは無くなってしまった。
こうなると、ラノベ的な展開でも起きないかな、と思ってしまう。空から女の子が降ってきて俺の家に居候するとか、妹に愛されるとか。
妹、いねぇけどな!
すぐ先に見えるのは十字路だった。漫画ではパンを口にくわえた女の子が「遅刻遅刻!」と声を上げながら走っていて、角で俺のような男子学生とぶつかるんだよな。
最初はお互い「ごめんなさい」で終わる話なのだが、学校で二人が同じクラスに。そのまま恋に発展し、二人が結ばれるラブコメディー。
……そんなこと起きねえかな。朝の占いとかで「今日は角で女の子とぶるかるカモ☆」とか言ってくれれば期待が持てたんだけどな。
そんなわけで、俺は過度な期待を持たずにそのまま十字路を通り過ぎようとした訳だ。
どうやら、純粋な心の持ち主に神様は必ず微笑んでくれるらしい。
数秒後、俺は十字路の真ん中で尻餅をついて転んでいた。
あ、ありのまま今起きたことを話すぜ!? そうだなぁ、その時の擬音は「ドンッ!」だろうか。とにかく俺は誰か走ってきた人とぶつかってしまった。そしてそのままお互いは尻餅をついて、今のように転んでしまったのだ。
「……ってぇ」
思わず声を上げる痛さだ。相手は相当焦っていたのか、ほとんど全力疾走だった。だから、当然ぶつかる時の衝撃は大きい。
でも、だ。今はそんな痛みも軽く吹き飛んでしまう出来事が起きている。角でぶつかったんだ! きっとこれは遅刻する女の子とぶつかったに違いない!
「ありがとう……神様……」
ぼそっ、と小さな声で神に感謝の言葉を捧げる。暇を持て余した神様の「遊び」が俺の元にやって来たらしい。
ところで、ぶつかった女の子は誰だろう? いやいや、ぶつかったなら相手を見てるはずだろ、という苦情は受け付けません。なぜなら俺は、ぶつかった瞬間思わず目を瞑ってしまい、今もその目を閉ざしたままだからだ。左目が疼くなんていう邪気眼発動というわけでもないから安心してくれ。
目を開けた時、そこに女の子が居れば、そのときの喜びは、何十倍も膨れ上がらないか?
「っ……」
小さな声が聞こえた。やはりぶつかったのは俺の妄想じゃない! この現実で巻き起こったことなんだ!
「お前被害妄想が酷いよな」なんて言っていた中学の友達にこの状況を見せてやりたい。
女の子だと期待して目を閉じ、はぁはぁと息を荒ぶらせているこの俺をな!
……通報されるんじゃね?
ぶつかった女の子……ツインテール? 文学少女? もしかしてツンデレ? 数秒で俺の頭の中に色々な「女の子」が思い浮かぶ。数学ではこういう計算を習いたいものだ。
実際はツインテールの女の子あたりが妥当だろうか。うん、とにかく女の子とぶつかるのがいい! 全力疾走で走ってきたんだ。今日から新学期の学校がほとんどだから、きっと遅刻すると思って焦っていたんだろうな。可愛いなオイ。
さぁ、いよいよ目を開けるぜ……! ツインテールの女の子、カモーン!
刮目せよ! ←使ってみたかった言葉ランキング第3位|(フミヤ独断)
「痛ってぇな……どこ見て走ってんだよ……」
低い声が聞こえた。
俺に気づいた。
「って、フミヤじゃねぇか! 奇遇だな!」
俺とぶつかったその相手は、「ツインテールの女の子」ではなく、「フェア●ーテイル好きの男の子」だった。
そして思う。
「目……開けるんじゃなかった……」
【小島 祐樹】
これまでのあらすじ。
目覚まし時計を解雇処分、十字路で人(男)とぶつかるシチュエーションに遭遇。
その男、小島祐樹。俺が幼稚園の頃に知り合った幼馴染……というか腐れ縁。
「いっやー! ホント奇遇だよな!」
「奇妙な偶然」を略して「奇遇」だということを信じたい。世にも奇妙なことを紹介する某テレビ番組に応募してやりたい気分だ。
「何でお前がここに……」
「何でって……学校に行こうと思いましてね」
見りゃ分かるわ。俺の質問に当たり前の答えを返したユウキは、通学カバンも制服も俺と全く同じ。つまりコイツと同じ高校ってわけだ。
まぁ、別にコイツ自体嫌いというわけでもない。同じ高校に友達が最初から居るのも助かるし。
「で、お前は寝坊か?」
ユウキを見ると、髪はボサボサ、寝癖が死ぬほど目立っている。遅刻する俺の前に居る訳だから、簡単に推測できることだった。
「ああ。つい夜更ししちゃってさ。夜ってどうしても活動したくなるじゃん?」
コイツについてとりあえず説明しておこう。
小島祐樹。
黒に少しだけ茶色が混ざったような髪色に、男子高校生のテンプレートの短髪。別にパーマとかもかけていないし、ワックスとかを使っているところも見たことがない、オシャレとは無縁な野郎である。今の髪型はボサボサで、特に寝癖が酷い。どんな寝方をしたらこんな癖のある髪になるんだよ。
俺と腐れ縁のこの青年、ユウキは俺の近所に住んでいる。だから小学生の頃は毎日遊んでいたし、昨日までの春休みも、中々の頻度でコイツと会っていた。
性格については話せば長くなるので簡潔に説明するとしよう。
「何で夜更ししたんだよ。入学式前日ぐらいは早く寝ろよな」
「いやーそれがさ」
真面目。俺がユウキの性格をそう答えれば、夜更しした理由は課題テストの勉強をしていた、とか高校で習う授業の予習をしていた、とかそういうことが思い浮かぶかもしれない。
ユウキはこほん、と咳払いをして間を置く。
真面目と言うよりは不真面目、むしろ腐真面目なユウキ。だとすれば、憂かれて眠れなかった、というのが妥当な理由だろう。ただ、コイツの憂かれて眠れなかった理由は、他の人とは一味違う。
「ギャルゲーで今まで行けなかった特殊ルートに入ってさ! テンション上がったら眠れなかった!」
と、言うことで解説しよう。
小島祐樹と言う人物の性格、
「大変頭のよろしくない変態」。
略して、「大変態」。
【カウンター】
理想は夢に消える、遅刻する、腐れ縁の男と道角でぶつかる。財布を落として愉快な某主婦もびっくりするぐらいの出来事の連続だな。我ながら感心するわ。
「でもさー、今日から俺たち高校生なんだよな!」
「早くも帰りたくなったけどな……」
朝からこんなどうでもいい出来事の連続に、思わず大きなため息が出る。
「何で? 高校生って面白そうじゃん?」
高校生は確かに面白そうだ。中学の頃出来なかった電車での通学とかにも憧れていたし。改札でぴっ、とIC機能が搭載された定期をかざすのも高校生っぽくてワクワクしていた。文化祭も中学の頃とはまた違ったことができると聞いているし、まさに楽しみなことだらけ。
小学校の時は鉛筆しか使うことが許されていなくて、シャープペンに憧れた小学時代が懐かしい。
「そういうわけじゃねぇんだよ。ホラ、見ろよ」
「ん?」
何も状況が飲み込めていないユウキに、携帯の液晶画面を見せつける。待受は某アニメのヒロイン。うるせぇな。ラノベとかそういうの好きな主人公ですよバカヤロー。
「うほっ、相変わらず凛ちゃんは可愛いな! 朝からいいものを見せて貰ったぜ!」
「ちげぇよ! 時間だよ、時間!」
ただ可愛いことは否定しない。俺が2次元の世界に行けるなら迷わずこの凛を嫁にする。時間? と首をかしげたユウキは、言われた通りに時間を確認する。
「8時10分だな」
「そう! つまり遅刻なんだよ!」
「……」
あ、ユウキがフリーズした。フリーズって言うと冷静なツンデレって萌えるよな。「お前Mなんじゃねぇの?」って言ってた中学の頃の友達に「違ぇよ」って言い返せないかもしれない。
「……」
「現実に気づいたか……」
すっかり黙り込んでしまった俺の幼馴染。
「……ははっ」
「え?」
「――――だーっはっはっはっはっはっ!」
その沈黙をぶち壊すかのように、と言うかコイツ自身が壊れたのか? とにかく突然大声で笑い始めた。
「な、何笑ってんだよ?」
不気味に思った俺がユウキに笑った理由を尋ねる。
「お前、高校生の入学式当日に遅刻とかマジ乙ですわ!」
「m9(^Д^)」の顔文字を想像させるポーズを取るユウキ。「w」がついたような笑い方をするユウキに、イラッと怒りがこみ上げてくる。
「……マジで遅刻とか……ッ! は、腹痛ぇ……!」
しかもツボってるし。
「お前の高校生活、ご愁傷さまでございました」
「……」
そんなユウキをジト目で見た俺は、その重い口を開く。
「その言葉、凄い勢いで跳ね返すわ」
そのあとユウキも遅刻していたことを知るまで、そんなに時間はかからなかった。
【電車でGO!】
「まさか……遅刻なんて……」
俺たちの家からの最寄駅に到着した。これから電車に乗って高校へと向かうわけだが……。ちらっ、と隣で千鳥足でふらふらと歩く幼馴染を視界に捉える。
顔に両手を当ててテンションがマイナスにでも到達してるんじゃないか、と思わせる落ち込みっぷりを見せるユウキ。
「いや、俺と同じ高校なんだし当たり前だろ……」
「高校生ってのはな……初日が大事なんだよ……」
貴重な初日を俺たち二人は失ってしまったわけだ。
「じゃ、じゃあせめて今からでも急ごうぜ!? 入学式は出れなくてもHRには間に合いたいだろ!?」
「そ、そうだな……」
真夜中に特殊ルート攻略に勤しんでいたユウキ。入学式にも出れず、話を聞けば、そのルートのツンデレのヒロインも、いつまでも主人公にデレなかったそうだ。
入学式が終わったあとは自分たちのクラスに移動し、それぞれのクラスでHRが行われる。HRっていう響きも高校からで、どんなことをするのか今から楽しみだ。
真新しいICカードを手に改札へ。ぴっ、とかざすだけで入場ゲートが開く。
「おおっ……」
思わずそんな声を上げてしまった。
『まもなく一番線から急行電車が発車いたします! ご注意下さい!』
ホームから聞こえる駅員のアナウンス。って、やべえ!
「お、おいユウキ! 急ぐぞ!」
言葉をかけても返事は返ってこない。
――――って、もう先に居るし!
「お前、抜け駆けすんなよ!」
「うるせぇ! 乗れなきゃヤバいだろうが! 早くしろ!」
何で俺命令されてるんだよ……
目覚ましをセットする時間を間違えて寝坊した俺と、ギャルゲーを夜遅くまでやって寝坊したユウキとを比べれば、明らかに俺の方が命令できる立場だろ。
「ったく……!」
でも、そんなことを言っている場合ではない。今は少しでも早く学校に着くことが重要なんだ。駆け足でホームへと続く階段を駆け上がる。
「こっちだ!」
ユウキの誘導通り、ホームに停車している電車に乗り込む。
間一髪、俺たちが乗車してからすぐにぷしゅーっ、という音と共に電車のドアが閉まる。
「ま、ま……」
「間に合ったぁあ……」
ひとまずほっ、と息をつく。いや全然間に合ってないんだけどな。
ホームには2台の電車が止まっていた。片方は各駅停車、そしてもう片方は今俺たちがギリギリで乗り込んだ急行電車。
電車内は、混んでいるわけではないが、席はどこも空いていない状況で、仕方なく革つりに掴まることに。
「しかも急行だぞ! 急いで行くことに定評のある!」
「そ、そうだな」
「俺がとっさに判断して乗ったんだしな。俺に感謝しろよっ!」
俺たち高校の最寄駅は、小田急線内の駅「百合ケ丘」駅。百合……。
『ご乗車ありがとうございます』
車掌さんのアナウンスがガタン、ガタンという音と一緒に聞こえてくる。ガタガタと電車に揺られながらその放送を耳に入れる。
『この電車は急行の小田原行きです』
幸い、百合ケ丘の駅は俺たちの乗った駅からはたった数駅しかない。急行ということもあるし、あっという間に着くだろう。
これは今回、ユウキにお礼を言っておく必要があるな。
「ありが……」
『百合ケ丘駅には停車しませんので、ご注意下さい』
「……」
「……」
百合ケ丘駅通過のお知らせ。
「……」
「……」
俺たち高校生活、終了のお知らせ。
ガタンゴトンという音と、アナウンスの声が、やけに耳障りだったことを、俺は今もまだ覚えている。
『登場人物紹介』
片瀬文也
主人公。ラノベとかアニメとか好きな普通の男子高校生。
小島祐樹
フミヤとは腐れ縁。「大変態」の称号を持つ。