異世界から帰還した超越者
S県所沢市の、とある高校の教室。
席に座る俺を、数名の生徒が囲んでいた。
「海野くーん。十日も休んで寂しかったじゃないかー」
「……お前は、えっと。あぁ、ここまで出てきてるんだけど」
俺は右手を開いて喉仏のあたりを触る。
「ハハハ、ウケる。虐められ過ぎたショックで記憶なくなっちゃった?」
ああ、思い出した。こいつは迫田だ。
十年前、毎週のように俺からカツアゲして、渡した金が少ない時には、取り巻きたち数人で、俺を殴る蹴るしていたヤンキーの迫田。昔はあんなに怖い存在だったのに。
「なんだ、ただの子供じゃないか。鬱陶しいよ、ザコ田」
「てめぇ! 休んでる間に俺への敬意がなくなっちまったな!」
ツンツンとガチガチにセットした迫田の髪が、更に怒髪天を衝くようだ。クラス中の注目が俺と迫田に集まる中、迫田が右の拳を握り振りかぶって叫ぶ。
「ぶっ飛べ! オラァ」
薄らダサい叫び声が教室に響いた瞬間、「お前ら、席に座れー。朝礼始めるぞー」という声とともに教室のドアが開いた。
ナイスタイミングだ、担任の……えっと、中野先生。
後頭部の左に殺気混じりの視線を感じる。視線の主は、窓際の最後列の席に座る迫田だ。非常に心地が悪い。異世界で戦いの日々に身を投じていた、この十年で殺気に敏感になっちゃったもんな。
異世界転移は俺が高校二年生の時に起こった。
毎日のようにからかわれ、殴られ、金を取られていた。その日も俺は虐められた悔しさに唇を噛み締めながら一人、下校していたんだ。
弱い自分への怒りが頂点に達した瞬間、体が光の球体に包まれた。次に眼に映ったのはファンタジーな異世界だった。子供の頃からいじめられっ子だった俺が、現実逃避で妄想していた物語に出てくるような世界観。
異世界転移をして、正直、嬉しかったな。俺を虐めるヤンキーグループに会わなくていいし、かっこいい剣や魔法も在る世界。絶望していた人生の中に光が差したと思った。
勇者召喚で選ばれた俺には、期待していたチート能力は無く、最低レベルのマナ量を携えての異世界生活は地獄そのものだった。それは現実世界に居たときの比ではない。
自分の人生を呪ったよ。
毎日、死と隣り合わせの冒険だった。実際、魔獣や魔人との戦いで心臓が止まったこともある。
血の滲むような努力と、血を流し続ける戦いの十年間を異世界で過ごした俺は、いつしか天下無双の魔法剣士へと成長し、見事、魔人の軍勢を滅ぼした。
英雄扱いされるのは気持ちよかったな。国王ですら俺に頭を垂れる存在になり、異世界で幸せに暮らそうとしていた。そんな時、俺を召喚した神官が「元の世界に戻れる」なんて言い出しやがった。
現実世界に未練なんて……あったんだ。
あいつの存在だ。
で、後ろ髪を引かれながら現実世界に転移し戻ってきたというわけだ。
十年経ったあいつは、どんな大人になっているんだろう。会ったら一言目に何を言おう。胸が弾む気持ちでの帰還。
そしたらどうだろう。十年間も異世界に居たのに、こちらの世界では俺が異世界に転移した日から、まだ十日しか経っていなかったのだ。
見た目は高校生、頭脳はアラサー。〝真実はいつも一つ〟状態である。
そして驚くべきは、弱体化はしたものの、なんと異世界に居たときと同様に魔法やスキルが使えるだ。ただ、現世界には〝マナという概念〟が無いため、生命エネルギーをマナに変換する必要があった。
と、細かいことは置いておいて。俺に関しては、言わば天下無双の異世界帰りなのだ。そんな超越者の俺が、迫田を相手にビビるわけがない。
放課後、下校しようと駐輪場へ行くと案の定、迫田と数名の取り巻きが待ち伏せていた。
「うーみーのーくーん。朝は舐め腐った態度を取ってくれたなぁ」
モブは大人しく「所沢市へようこそ、所沢市へようこそ」とうろちょろ歩いていればいいものを。
「ザコ田、一度しか警告しないぞ。俺に構うな」
「ああ? なんだとてめぇ、殺されてぇのか?」
「大事なことだからもう一度言うぞ、俺に構うな!」
「同じセリフしか言えねぇのか? ドラクエの村人かよ! 死ね」
迫田が右の拳を振りかぶる。
――【マナ変換】そして【身体強化】
ゴンッと迫田の拳が俺の顔面にクリーンヒットする。
「い……いってぇぇぇ」
叫び声を上げながら拳を押さえているのは迫田だった。
身体強化により、今の俺の体はコンクリートくらいの硬さがあるのだから当たり前だ。かわいそうに、拳の中手骨は二本ほど折れただろうな。
「お前らにはよく殴られたよな。十年分の利子をつけて返済するよ」
身体強化による岩のような俺の拳が、次々と迫田と取り巻きたちの脇腹にめり込む。痛みと苦痛で胃酸を吐き散らかしながら悶絶する迫田たち。こいつらに虐められていたときは、いつか仕返しをする妄想をしていた。しかし、実際そうなってみると。
達成感も何も感じないな。これが無敵の超越者の孤独というものか。
「凪君! 大丈夫!?」
背後から聞こえるこの声。間違いない、あいつだ。
「廊下で迫田君たちが、凪君のことを待ち伏せするとか話しているが聞こえて。私、心配で」
「美波……ちゃん?」
「うん。、凪君の幼馴染の美波ちゃんだよ。どうしたのそんな泣きそうな顔して」
体が勝手に動いた。
俺は、美波ちゃんを抱きしめていた。
美波ちゃんの匂いが香りが鼻をくすぐると、小さい頃の記憶が鮮明に蘇る。
家が隣の美波ちゃん。小さい頃、結婚の約束をした美波ちゃん。
幼稚園から高校までずっと、いじめられっ子だった俺をいつも庇って助けてくれた美波ちゃん。
異世界から帰還したのも、美波ちゃんに会うためだった。
「ちょ、ちょ、ちょっと! どうしたの凪君。恥ずかしいよ」
「あ、ごめん。つい」
慌てて美波ちゃんを腕から解放し、目を逸らす。急に恥ずかしくなってきてしまった。顔面に炎属性の魔法を食らったような熱さを感じた。
「今日ね、私、部活ないんだ。久しぶりに一緒に帰ろ!」
「う、うん」
「う、うん」だって? 十七歳の女子高生を相手に、なにキョドってるんだよ俺。中身はアラサーだぞ。というか、さっき抱きついたの犯罪にならないか? いや、俺も体は十七歳だ。大丈夫だ。大丈夫だ。
「あはは、それ! そのオドオドしてる感じ。いつもの凪君だ」
「からかうなって」
「だって、さっき迫田君たちと喧嘩してた凪君、ちょっと怖かったから。ってか凪君、なんであんなに強いの?」
「ふふふ、十年分の修業の成果だ」
「出た! 中二病発言! それでこそ凪君」
実に幸せだ。富、名声、力。 この世のすべてを手に入れた俺が、すべてを異世界に置いてきてでも会いたかった美波ちゃんが目の前にいる。
世はまさに、大恋愛時代だ!
幸福感が頂点に達した瞬間、体が光の球体に包まれた。
この感覚、まさか……転移か? せっかく美波ちゃんに会えたというのに、また異世界に転移してしまうのか。
この光からは逃げられない。なんて無慈悲な世の中なんだろう。
「凪君!」
完全に光りに包まれ何も見えなくなる最後の瞬間。
手を伸ばしながら俺に駆け寄る美波ちゃんの姿が見えた気がした。
――――――
――――
――
徐々に視力が戻る感覚。転移が完了したのか。
そっと目を開けると、平原が広がっていた。この大自然、明らかに俺がいた現世界ではない。また、一人で異世界に来てしまった絶望感に苛まれる。
「ねぇ、凪くん。ここ、どこ……だろ?」
「わっ、美波ちゃん! なんで居るのー!」
こうして異世界から帰還した俺は、再び異世界へと転移したのである。
今度は、愛しい美波ちゃんと一緒に。
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ナトランティスという世界観で冒険する物語。
頑張って執筆&投稿いたします。
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