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012.一片に綴るひかり

 次の日、アスヴァルとフィロメナは馬車で治癒師の元に向かっていた。

 治癒師たちは特定の土地に定住せず、その力を生かすために世界各地を巡り、その土地の人々を癒しながら旅をしている者がほとんどだ。しかし、稀に一定期間その土地に拠点を築き、周辺の者たちの傷や病を癒すものがいる。今回、クローハイトが情報を入手してくれた治癒師は後者だった。

 馬車に揺られながら、フィロメナは相変わらず不安で口を閉ざしている。アスヴァルもそれに気付いているため、あえて話しかけることはなかった。


「ついたようだ」


 アスヴァルはそう言うと、先に馬車から出てフィロメナの手を取り、フィロメナが馬車から降りるのを手伝った。地面に立つと、優しい風が頬を撫でる。今日はかなり気温が高く、春が近づいているのを感じさせた。

 この土地はアスヴァルの領地の中心部から離れている分、そこに比べると補修が遅れているのか若干石畳が荒れているため、割れた石畳の隙間などに先端が挟まっては危険だからとアスヴァルはフィロメナの白杖を預かって馬車内に置いた。そして、フィロメナの手は自らの腕に掴まらせる。腕に掴まるフィロメナの手が小さく震えていたが、アスヴァルはあえて気付かないふりをした。


 しばらく歩くと、何人かの子どもの声が聞こえてきた。アスヴァルは「止まるよ」とフィロメナに声をかけてから足を止めると、頭を下げる。


「わたしはアスヴァル・バルジミール。彼女の──フィロメナ・ベッサリオンの目の治療をしていただきたく伺いました」


 フィロメナも慌てて膝を折り、会釈する。

 そうすると、思っていたよりも若い声で「わかりました。うかがいましょう」という女性の声がした。


「みんな、ありがとう。また後で来てください」


 治癒師が子どもたちに声をかけると、元気よく返事をしてから子どもたちがその場から走り去る足音が聞こえる。


「子どもたちには、治療に使う草花を集める手伝いをしてもらっているんです。さあ、家の中へどうぞ。入口が狭いのでお気をつけて」


 治癒師はアスヴァルとフィロメナにそう促すと、家の扉を開けた。扉はかなり大きく軋みながら開く。アスヴァルが先に家の中に入り、家の中からフィロメナの手を引いて導いた。歩くと、床も軽く軋んでいる。


「村の人々のご厚意で、古い空き家を借りました。これくらいのほうが落ち着くんです」


 ふふ、と笑いながら治癒師がそう言った。優しげな声と話し方に、フィロメナはわずかに不安がやわらぐのを感じる。


「バルジミール様はそちらへどうぞ。あなたはこちらへ」


 治癒師がそっとフィロメナの手を取って、近くの椅子に座らせる。アスヴァルは少し離れた位置にある椅子に座るよう指示された。


「さあ、あなた自身の口で、あなたの名前を教えてください」

「はい。フィロメナ・ベッサリオンです。よろしくお願いいたします」


 フィロメナは緊張を隠し切れないままにそう答える。治癒師は頷いてから続けた。


「ひとつ断っておきますが、私の治癒魔術は高名な治癒師のように偉大なものではありません。私の治癒魔術は、本人の回復力を増幅させ、魂の傷を癒して身体の傷や病を癒すものです。ですので、必ず治るという保証もありません……。それでも、よろしいですか?」

「……。」

「……構いません」


 フィロメナは押し黙ったままであったので、仕方なくアスヴァルが代わりに答えた。彼女が問いに答えなかったことに少々心配になりながらも、不安と緊張のせいだろうとアスヴァルは結論づける


「それでは、フィロメナさんには寝台に横になっていただきます。その人の傷や病の状況により、一時間か──もっとかかる可能性もありますので、ご了承くださいね」

「さあ、フィロメナ」


 アスヴァルに促され、フィロメナは不安そうな顔をしたまま治癒師の用意した寝台にゆっくりと横になる。

 一体治癒師はどのような魔術で治療をするのだろうか、と好奇心と不安が入り混じった気持ちでフィロメナの胸はどきどきと大きく高鳴った。

 治癒師は不思議な韻律(いんりつ)のまじないを言祝(ことほ)ぎながら、様々ないい香りのする薬草や花をそっと横たわったフィロメナの周囲に添えていく。そして、フィロメナの瞼にごく少量の香油を指で塗り、更に長い間まじないを唱えた。あたりにあたたかい光が満ちて、フィロメナの全身を包む。治癒師は、まじないを唱えながら他にも塩をフィロメナの手に塗り込んだり、その手に天然石の結晶を握らせたりと、儀式を進行していく。


 どれほどそうしていたのか──ふと、治癒師のまじないが止み、アスヴァルは治療が終わったのかと顔を上げた。治癒師は横になったフィロメナの顔を、何とも言えない表情で見つめていた。

 その表情から、あまりいい予感はしていなかったが、アスヴァルは治癒師の言葉を素直に待つ。


「フィロメナさん、あなたは何を恐れているのですか?」


 治癒師の言葉に、アスヴァルは首を傾げた。目が見えるようになることは、てっきり彼女の悲願でもあると思っていたのでその言葉を不思議に感じる。フィロメナは一体、何を恐れているというのだろうか。


「……今日は、ここまでにしましょう。もし、フィロメナさんが目を本当に治したいと思ったなら……また明日もいらしてください」


 治癒師はフィロメナが起き上がるのを手伝いながら、そう言った。フィロメナは小さく「ありがとうございます」と礼を言い、寝台から起き上がる。アスヴァルはすぐにフィロメナに近寄り、その手を取った。


「疲れただろう。帰って少し休もう」


 アスヴァルは深くは聞かず、優しくそう言って、俯いたまま押し黙ったフィロメナを連れ立って治癒師の家を後にした。帰りの馬車でも、フィロメナは黙ったままであった。


 ***


 城に帰り、この二か月の間フィロメナが滞在している部屋に彼女を送り届けたアスヴァルは、すぐに立ち去るか迷ったが、浮かない顔をしているフィロメナがどうしても気になり、「少し話さないか?」と提案した。フィロメナは小さく「はい」と返事したので、アスヴァルは少しほっとする。


「今日は天気がいいから、少し庭に行かないか」

「はい、そういたします」


 浮かない顔をしたままのフィロメナの手を取ったまま、アスヴァルは彼女の歩幅にあわせたまま庭におりて日当たりのいい場所のベンチに行き、そこに二人で腰かけた。あたたかな日の光でフィロメナの亜麻色の髪が煌めき、アスヴァルはその光景が美しいと思った。けれど、フィロメナは暗い表情のままである。


「先ほど、治癒師が言っていたことだが……」


 しばらくの沈黙ののち、アスヴァルが話を切り出した。ややあって、フィロメナはぽつりと話し始める。


「……アスヴァル様。アスヴァル様に良くして頂いた身でこんなことを言うなんておこがましいのですが、私はこの目に光が戻るのが怖いのです」


 膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめ、フィロメナは続ける。


「私は……今まで、優しい人たちの中で安寧に生きてきました。けれど、信頼していたイグナティオス様があのようになって……自分がどれほど世間知らずであったか、皆から守られてきたかを思い知りました。私が安寧の世界に生きられたのは、私を傷つけまいとする周囲の優しさと真心によるおかげだったのです。そんな簡単なことすら、私は知りませんでした……」


 俯いたフィロメナの目から涙が零れ落ちて、握りしめた手の甲に滴る。アスヴァルは静かにハンカチを取り出して、フィロメナの手に握らせた。


「……ありがとうございます。アスヴァル様の親切にも、甘えてばかりですね。目が見えないおかげで、私はいくつも嫌なものを見ないで生きてこられたことを知りました。もし、目が見えるようになったら……、……怖いのです、たくさんのものを見ることが。私は、この一件でたくさん傷つきました。わがままなことはわかっています。馬鹿なことはわかっています。けれど、これ以上傷つくことが怖いのです……」


 フィロメナは後から後から溢れる涙を拭いながら、小さく「ごめんなさい」と呟いた。

 アスヴァルはしばらく何かを考えていたようだったが、しばらくしてから「……もう、十数年前のことになるが」と話を切り出した。


「僕はかつて病を得て、顔が醜く崩れ、喉が潰れて化け物のようになっていた」


 思いもよらないアスヴァルの告白にフィロメナは驚いて、はっと息を呑んだ。アスヴァルはそんなフィロメナの様子も気に留めず、独り言のように話を続ける。


「周囲の態度の変わりようは酷いものだった。以前、少しだけ触れたかもしれないが……そのときに、僕はたいそう人間不信になってしまってね。この世の人間すべてを呪った」


 以前、ルイーズが話していたアスヴァルの容姿を思い出しながら、フィロメナはアスヴァル様にそんな過去があっただなんて、と衝撃を受けた。

 けれど、確かにアスヴァルは言っていた。


 ──ぼくは思春期に強烈な人間不信に陥ったせいで、他者を拒む力を希った。その結果、拒絶的な防御魔術が発現したんだ──……


 アスヴァルは自嘲気味に笑ってから、続けた。


「ある日、年の離れた弟の誕生パーティーがあってね。僕は招待客の目に触れないよう、屋敷の奥深くに閉じこもっていたんだが、何人かの子どもが館内を探検していたときに、僕がいる部屋に辿り着いてしまったんだ。その上、うっかりやの召使が部屋の鍵を閉め忘れていたせいで──子どもたちは化け物を見つけてしまった」

「アスヴァル様……お辛い話であれば……」

「いや、きみに聞いてほしいんだ」


 アスヴァルがどんな意図でこの話をしているのかいまいち測りかねていたフィロメナであったが、アスヴァルの声色からまだこの話はアスヴァルにとって心の傷になっていることは明白であった。そのため、やんわりと辞めるように進言したつもりであったが、アスヴァルはそれを制する。


「案の定、子どもたちは化け物がいると泣き叫びながら逃げ出したよ。たった一人を除いてね」

「あ……」


 そこまで言われて、ふと、フィロメナの記憶の断片が呼び覚まされる。

 かなり前のことなのではっきりとは覚えていないが、たしかにそんなことがあったような気がする。昏く、悲しい目で自分を見つめる人の姿が瞼の裏に思い起こされた。


「逃げ出さなかった子どもは、きみだったんだよ、フィロメナ」


 フィロメナとアスヴァルの間に、心地の良い風が吹き抜ける。小鳥たちも、冬とは思えないほどのあたたかな陽ざしの中で楽しげに囀っていた。風にそよぐ草や木が擦れ合って、かさかさと耳障りのいい音を立てている。


「幼いきみは、醜い化け物にも怯まずに近付いてきて、そのお顔どうしたの、痛いの、と聞いたんだ。僕は病気になっていることをきみに告げた。病気と聞くと、伝染るんじゃないかと怯える人間も多かったが、きみは迷わず僕の手をとって、お兄さんの病気が早くよくなるようにおまじないをかけてあげるね、と無邪気に言った」


 アスヴァルは、フィロメナの手を取って、そっと握った。


「きみも、こうして僕の手を取って言ったんだ。はやくよくなりますように、と」

「私……アスヴァル様のこと、以前から知っていたのですね……アスヴァル様も、私のことをご存じでいてくださったのですね……」


 ああ、と頷きながら、アスヴァルはもう片方の手でフィロメナの涙を拭った。


「僕にとって、きみが施してくれた“おまじない”が光だった。きみのおかげで、僕は失意の底から立ち上がることが出来たんだ。きみのおまじないが僕の心を癒し、いつしか僕の崩れた顔と喉は自然と元通りになった。治癒師と同じ魔術を──幼いきみは知らず知らずのうちに、僕にかけてくれたんだ」


 フィロメナの目からは、先ほどの悲しい涙とは違う、あたたかい涙が溢れていた。それを優しく拭ってから、アスヴァルはそっとフィロメナの頬を手で包み込む。


「もし、目が見えるようになったきみに困難が降りかかるのなら、僕がそれを打ち払う。安心しなさい、きみをもう悲しませたりはしないから。今度は僕がきみの光になりたい。きみの心を癒したいんだ」


 どちらからともなく、二人は自然に身を寄せ合っていた。優しく自分を抱きしめるアスヴァルの胸に、フィロメナは顔を寄せる。アスヴァルの鼓動が聞こえて、フィロメナはなんだか酷く安心した。アスヴァルはフィロメナを抱きしめたまま、「ようやく、きみを抱きしめることが出来た」と囁いた。


 しばらくそうしていた二人だったが、フィロメナが何か話したそうにしたので、アスヴァルは名残惜しそうにフィロメナを解放する。

 フィロメナはアスヴァルにまっすぐ向き直ると、姿勢を正した。


「アスヴァル様、私、目が見えるようになりたいです。あなたと、この世界の色々なものが見てみたい……」


 アスヴァルはそれに応じるように、もう一度フィロメナを抱き寄せた。


「……アスヴァル様、いい匂いがします」

「今日は、香水をつけていないよ」

「違います、香水の匂いじゃありません。アスヴァル様の優しい匂いです……」


 フィロメナは甘えるようにアスヴァルの胸に顔を寄せたので、アスヴァルも愛おしげに彼女をしっかりと抱きしめた。


 ***


 次の日、今度はフィロメナの強い意志で再度治癒師の元に訪れた二人だったが、フィロメナの明らかな心の変化に気付いた治癒師は安心したように微笑んだ。


「フィロメナさん、今日は心が閉じられていません。もう、心は決まったようですね」


 アスヴァルの腕に掴まるのではなく、アスヴァルの隣でしっかり手をつないだまま──フィロメナは頷いた。


「さあ、昨日と同じように寝台に横になってください」


 再び、まじないを言祝く治癒師の声がフィロメナの心に沁みわたる。

 昨日は心を深く閉ざしていたせいで治癒師のまじないを拒絶してしまっていたのに、アスヴァルのおかげで心を解放出来たことによりフィロメナはおどろくほどすんなりとその言祝ぎに浸っていた。そして、やがて身体の底から不思議なあたたかさが湧き上がってくるような感覚に包まれる。


 ──今度は僕がきみの光になりたい。きみの心を癒したいんだ──…


 アスヴァルの言葉を何度も反芻させながら、フィロメナは心を奮い立たせる。


 ──大丈夫、もう、何も怖くない。


「さあ、フィロメナさん。起き上がってください」


 治癒師に呼びかけられ、フィロメナは上体を起こした。

 すでに、瞼を通して光が見える気がした。

 もう長いこと何かを見たことがないので、これは本当に外の光なのか不安だったが、明らかに普段とは視界が違う。そんな中、アスヴァルが近付く足音が聞こえたので、フィロメナの手は更に緊張で強張った。


「ゆっくり目を開けてください。最初は目が眩んでしまうかもしれないので、ゆっくり」

「はい……」


 治癒師にそう指示され、フィロメナは恐る恐る目を薄く開いた。

 一瞬、強烈な光の中に放り出されたのかと錯覚するほどのまばゆい光が視界を占領したので、フィロメナは驚いてまた固く目を瞑ってしまった。しかし、ここで怖がっていてはいけないと勇気を奮い立たせ、再度薄く目を開く。先ほどよりは光の量が少なくなっていたように思えたので、更に目を開いた。


 ぼんやりと、自分の目の前に誰かが跪いているのが見えた。


 段々と視界が明瞭になってくるにつれて、白いブーツが見える。

 フィロメナは視線を上げるのが少し恐ろしかった。戸惑っているフィロメナの様子を見て、アスヴァルはそっとフィロメナの手を取った。まだ視界はぼんやりとしていたが、すらりとした指が、自分の手を包み込むのが見えた。フィロメナは意を決して、ゆっくりと顔を上げた。


 息を呑むような、美しい人がそこにいた。


 切れ長の美しい瞳が、自分を見つめている。ぱちぱちと何度かまばたきをするフィロメナを見て、アスヴァルはその端正な唇をふっとゆるめた。


「フィロメナ、きみの美しいヘーゼルの瞳をもう一度見ることができてよかったよ」


 そう言って、アスヴァルは笑う。

 その瞬間、フィロメナの目からはとめどなく涙が溢れだした。


「アスヴァル様の瞳は綺麗な夜空のようで、噂に違わぬ美しさですね」


 涙を拭いながら、フィロメナもそう言って笑った。


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