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011.いつか夢に見たように儚く

 適正審査が開始してからあっという間に二か月が経過し、いよいよ最終審査の日がやってきた。この日から三日間、宮廷から派遣された審査官によってフィロメナの手腕と適正が審査され、カテリーナとリズベットからの評価を総合的に評価して判定が下る。

 カテリーナとリズベットは、友人であることを抜きにして公平に審査を行ってきた。それでも、フィロメナの成績が良好であることは揺るがぬ事実であった。


「あとは落ち着いてやるといい」


 朝、一緒に食事をとりながらアスヴァルがそう声をかけてくれたので、フィロメナは嬉しい気持ちで「はい、ありがとうございます」と応える。本来であれば、遅くまで夜会を楽しむ貴族たちは昼近くまで睡眠をとり、朝食と言いながらも昼食のような時間に食事をとるのだが、この国の辺境伯はその職の性質上、基本的に夜会へ出席する習慣はない。そのため、毎日規則正しい生活を送っているのだ。フィロメナは元々、夜会に参加しないため早朝に起きる習慣が身についていたから、生活習慣を同じくするアスヴァルとともに朝食をとれることは密かな喜びでもあった。


 この二か月、審査課題は大変だったけれど予想外のところで自分自身の成長に大いに貢献することとなったし、今まで知らなかったたくさんのことを知ることが出来た。もっと、この生活を──他の誰でもない、アスヴァルの側で続けたいと、強く思う。フィロメナは深呼吸をして、審査官の訪れを待った。


 午前も終わりに近づいた頃、ようやく中央からの馬車が到着したので、アスヴァルとフィロメナ、それにカテリーナとリズベットが迎える。馬車から大仰に降りてきた人物を見たリズベットが、小さく「え!?」と声を上げるのが聞こえた。


「……こんなところまでようこそ、ディディエ伯爵」

「まったくだ」


 アスヴァルが呼んだ名前を聞き、フィロメナは驚きのあまり白杖を取り落としてしまった。慌ててそれを拾うと、ふん、とそれを鼻で嗤う声が聞こえる。


「早速審査を始めるか。ベッサリオン家のフィロメナ、まずは一番簡単なものから見てやろう。刺繍からだ」


 まだ室内に入ってもいないのに、城に向かって早足で歩きながらそう吐き捨てる。あまりにも礼を失した行動に、カテリーナとリズベットはついむっとしたが、アスヴァルはいつもの冷静な表情のままだ。ディディエ伯爵の歩く速度が速いので、追いつくのに精いっぱいだったフィロメナの手をアスヴァルは自然なふるまいで自らの腕に絡めさせた。フィロメナには、アスヴァルのそのさりげない優しさが何より嬉しかった。


 応接間に用意された刺繍道具を手に取り、フィロメナは慣れた手つきで指先でなぞってそれを準備してゆく。手本となる刺繍を指でなぞり、目印となる位置にあらかじめ仮縫いを行い、それから本格的に刺繍を施していくのだ。確かに、他の人と比べると作業スピードは遅いかもしれないが、その丁寧さはやはりさすがのものであった。


 二時間ほど経ち、刺繍の一部が完成し始めた頃、ディディエ伯爵が「途中経過を見てやろう」と半ば奪い取るようにフィロメナの手元から刺繍枠を持っていく。そして、フィロメナの刺繍をじろりと見るなり、再び嘲った。


「たった一色で、つまらない刺繍だな。それに、時間がかかりすぎている。あまり適正があるとは思えないが、まあいいだろう」


 刺繍枠を投げ捨てるようにしてフィロメナに返すディディエ伯爵の態度に、カテリーナとリズベットは不快感を露わにしていたが、当のフィロメナは素直に「申し訳ございません」と頭を下げた。フィロメナは自分の夢のためにも、こんな些末なことで腹を立てている場合ではなかったのだ。


 ***


 休憩がてら、遅めの昼食を取りながら、リズベットは憤慨した様子で「それにしても酷い!」と声を荒げた。


「絶対絶対、娘の件があったから嫌がらせしてるんだわ。そもそも、あの人が審査官をするなんておかしい。きっと、何か裏工作をしたんだわ。抗議してやりたい!」

「でも、私情を挟んだ評価は傍から見てもおかしい点がたくさん出るはずです。今は、そんな理不尽なことがないよう祈るだけです……」


 カテリーナはリズベットを嗜めるが、それでもリズベットの怒りはおさまらないようで、むすっとした表情のままはちみつ入りのホットミルクを飲んでいた。

 アスヴァルはこの地の領主としてディディエ伯爵をもてなしているため、ディディエ伯爵とともに別室で昼食を取っているが、フィロメナをはじめ女性陣は別室で食事をとっていたのである。


「でも、フィロメナはすっごく頑張ってるから大丈夫!今までの努力は絶対にあなたを裏切らないから、自信を持って!」


 この二か月で、三人の距離はかなり近しくなっていた。同年代の友人がいないフィロメナにとって、二人の存在はとてもありがたい。リズベットの激励に、フィロメナもしっかりと頷く。


「私は出来ることをやるだけです。お二人に教えていただいたことも、きっと生かせるように頑張ります」

「はい、心から応援していますね」


 カテリーナもそう言って上品に微笑んだ。


 ***


 刺繍の続きは明日に引き継がれたため、次は手紙の整理と代筆である。いつものように、手紙の束を受け取ったフィロメナがカテリーナに代読を頼んだ、そのときだった。


「何をしている!?審査に他人の手を借りるなど言語道断。評価に値しない!審査は終わりだ。ベッサリオン家のフィロメナ、おまえは不適格だ」


 突然、ディディエ伯爵が唸るように声を荒げたので、フィロメナとカテリーナは驚いて一瞬硬直してしまったが、すぐさまカテリーナが抗議の声を上げる。


「お待ちください!フィロメナ様は目がお見えになりません。そのことに対する配慮があって然るべきではありませんか」

「視覚に異常があって、どうやって辺境伯の妻としての仕事を遂行するのだ?この女はこれ以上審査を受けるに値しない。何故なら、目が見えない──その時点で辺境伯の妻として不適格だからだ」


 ディディエ伯爵は吐き捨てるように言い放ち、カテリーナの抗議にも耳を貸さなかった。

 一方、フィロメナの胸には不安が広がっていく。視力を失ったことで、自分の未来への道も閉ざされてしまったのではないか──そう思うと、足先がひどく冷たく感じられた。このまま夢を諦めるしかないのか。深い失意が彼女を押しつぶそうとする。


「フィロメナは、充分辺境伯の妻としての素質を備えています。目が見えないというだけで不適格だなんておかしいですわ。ディディエ伯爵、フィロメナに何か私怨でもおありなのですか?私は断固抗議いたします」


 リズベットも負けじとディディエ伯爵に抗議するが、その言葉はディディエ伯爵の逆鱗に触れたようで、ディディエ伯爵はリズベットに向かって吠えた。


「口が過ぎるぞ、アビジアーナの妻、リズベット!私が娘の私怨でベッサリオンを不適格にしたとでも?いくら辺境伯の妻でも、この私を愚弄すると許さんぞ」

「フィロメナを最初に愚弄したのはあなたではありませんか!」


 リズベットは一番の小柄ながら、案外気が強いらしい。その剣幕にディディエ伯爵も若干面食らっていた。

 そんな二人の横で、フィロメナは強く拳を握りしめる。フィロメナももう二度と、自分の夢を手放したくはなかったのだ。


「私は……」


 それなのに、カテリーナやリズベットのようにうまく言葉が出て来なくて、フィロメナは歯噛みしてくやしさを滲ませる。そんなフィロメナの様子を見て、ディディエ伯爵は嘲るような態度をより露わにした。


「何か異議があるのであれば自分で言えばいいものを、お友達に代弁してもらうしか能がないだなんて、ますます辺境伯の妻として不適格だな」


 勝ち誇ったようなディディエ伯爵に、フィロメナは唇を噛んだ。だが、「失礼」という声とともにアスヴァルが入室してきたことによって、その空気は一変する。


「バルジミール辺境伯、ノックもせずに入室するなんて失礼ではないか!?」


 威嚇するようなディディエ伯爵の声にも全く怯まず、アスヴァルはディディエ伯爵の目の前に歩を進めると、その迫力に一瞬たじろいだディディエ伯爵に向かって「最終審査に(かか)る実施要綱を改めて拝見したい」と静かに言った。


「実施要綱……だと?」

「本来であれば審査前に説明があるかと思いますが、ありませんでしたね。ですので、改めて拝見したいと言っている」


 アスヴァルは深みのある声でディディエ伯爵を威圧するかのようにそう言った。その迫力に押され、ディディエ伯爵は要綱が記載されている書状を忌々しげに侍従から引ったくり、アスヴァルに押し付ける。アスヴァルは平静なままでその要綱に一通り目を通して、「この要綱には障害を持つ者が審査を受ける場合の規定をされていませんね」と淡々と言った。


「あ……当たり前だ!前例がない!」

「前例がなくとも現にそうなっているのだからこの要綱は不十分です。どこまでの補助が認められるのか正式に規定されてから結論を下すべきでしょう」

「そんなものは認めん!」

「認めるか認めないかを決めるのはあなたではなく、国王陛下です。ご自身の立場をいささか勘違いされておられるようだ。さて、わたしはただちに中央に上申することにします。要綱の改定に時間がかかれば、審査の再開には早くても二週間はかかるでしょうね。また二週間後にいらしてください。今度こそ、中央の審査官としての責務を果たしてくださることを期待しています」


 アスヴァルは怒りで赤を通り越して青くなっているディディエ伯爵に「では」と慇懃(いんぎん)に会釈してから、まだ戸惑っている様子のフィロメナを連れてそこから退室した。カテリーナとリズベットはお互いに顔を見合わせたあと、とびきりの笑顔でディディエ伯爵に「それでは、二週間後までごきげんよう」と会釈をしたのだった。


 ***


「アスヴァル様、先ほどはありがとうございました」


 怒り心頭のディディエ伯爵が中央にとんぼ返りしてしばらくしてから、フィロメナはアスヴァルの元を訪れていた。書類を繰る音が止み、「一緒に少し休憩しようか」とアスヴァルが提案したので、フィロメナは喜びのあまりこくこくと必死に頷いた。


 椅子を立つ音がして、アスヴァルがこちらに近づいてくる足音がする。失礼、と声をかけてからアスヴァルはフィロメナの手を取って、ソファに誘導しそこに座らせる。アスヴァルは侍従に指示をして、二人分のアフタヌーンティーを準備させた。

 しばらくおしゃべりをしつつ、ティータイムを楽しんでいた二人だったが、アスヴァルはぽつりと切り出した。


「フィロメナ、気を悪くしないで聞いてほしい話がある」


 ダージリンの品の良い香りを楽しんでいたフィロメナだったが、アスヴァルの真剣な声にカップを置き、膝の上に両手を重ねて置いて姿勢を正し、傾聴の姿勢を取る。その姿を見てから、アスヴァルは重い口を開いた。


「クローハイトから、近くに治癒師が来ているという情報をもらった。もし、きみが辺境伯の妻の座に就いたとして──その立場を以てやりたいことがあるなら、その目を治療する価値があると、ぼくは思っている」


 フィロメナは思いがけない話題に少しだけきょとんとした。気を悪くしないで、という前置きから、もっと悪い話題かと思ってしまっていたので、若干拍子抜けだった。


「目が見えないきみを否定しているわけではないことをわかってほしい」

「そんなこと、思いません。アスヴァル様はいつだってありのままの私を受け入れてくださっていましたから」


 フィロメナは微笑みを浮かべて、アスヴァルにそう言った。それなら、とアスヴァルは話を戻す。


「ここからさほど遠くない場所だ。もし、きみさえよければ、明日にでも訪問したいと思うがどうだろうか」

「はい、承知いたしました」


 そう答えながら、フィロメナの心の中はぐるぐると複雑な感情が渦巻いていた。もしかしたら、目が見えるようになるかもしれない。期待と不安が入りまじり、フィロメナは少しだけ身震いをした。


 夜、ベッドに入ってからもなかなか寝付けなかった。

 横になったまま薄く目を開けて顔の前に左手をかざすが、もちろん何も見えない。たった10年と少し前までは目が見えていたのに、人生の半分以上を漆黒の闇の中で暮らしていたフィロメナにとって、目が見えるという感覚はもはや忘れかけていたものだった。

 その感覚を、もう一度取り戻せるかもしれない。

 フィロメナはしばらく顔の前に手をかざしたままでいたが、やがて掛布を頭の先までかぶって無理矢理眠りの世界に入る努力をするのだった。


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