表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

第五章 誰が為のやり直し

わずか2日間で2カ国を滅ぼした男、レオの存在は世界を震撼させた。各国のメディアは彼を「史上最悪の犯罪者」として非難し、世論は連日彼への恐怖と怒りで沸き立っていた。かつては格闘大会のスターとして世界中から愛された彼も、今では誰もが避ける存在となっていた。


C国も例外ではない。国際的な格闘大会「バトルグランプリ」を主催していたグローバル企業を抱える彼らは、レオの力を恐れ、入国を断る旨を遠回しに伝えた。その理由は明確だった。彼が滞在すれば、その国が次の戦場になる可能性が高いからだ。レオに逆らい標的にされるリスクもあったが、レオはこれまで美味い酒や料理で散々もてなしてくれたC国を滅ぼそうとは思わなかった。


4月4日の現在、レオは趣味で買い取った離島の別荘に身を隠していた。周囲を遮るもののない広大な海と、どこまでも澄み渡る青空が広がっている。まるで、世界の動乱など無かったかのような一時の平穏。しかし、嵐の前の静けさであるということはレオが一番分かっていた。


静寂の中、彼は手に入れたばかりのコーヒーを片手にベランダに座り、穏やかな波音を聞きながら空を見上げていた。周りには数人の使用人兼彼女が居る。いや、身の回りの世話をしてくれる彼女もいるし、使用人だったが後に彼女になった人も居るが、この際どっちでも良い。レオを恐れた使用人達は軒並み祖国に帰した。


「お前らも、実家に帰りたくなったらいつでも言え。こんな大犯罪者と居たらロクな死に方をせんぞ。」


「何を言っているんですかレオ様、怒りますよ。」


「そうです、私達は自分の意思でここに残りました。レオ様が居る場所が、私の実家です。」


「そもそも行くあてもない私を拾い、育て、愛してくれたのはレオ様ではありませんか!今こそそのご恩を返す時だと思っています!」


その言葉に、レオは数十年ぶりに目頭が熱くなった。


「ふん、勝手にしろ。」


わざとぶっきらぼうな返事をして照れ隠しをするレオ。

命を賭けた死闘とは違う高揚感を悟られたくなくて、レオは手を払う仕草をして彼女らを部屋から追い出した。彼女らはお互い目を合わせ、そしてクスッと笑って部屋から去って行った。

現在島に残っているのは、レオのことを心底信頼している人達だけだ。


しかし、その空っぽさは拭えない。この島以外に、もはやレオの居場所はなかった。かつて所有していた世界中の別荘は、次々と差し押さえられ、反レオ派の暴徒に破壊される始末だ。人々の恐怖と怒りは、もはや彼の資産にも容赦しなかった。だが彼もそれを予期していた。そんなこと、いつ起きてもおかしくない事態だったのだ。


レオは準備をしていた。これまで世界各国に散らばっていた無人機やアンドロイド、武装ドローンのほぼ全てを、あらかじめこの離島へと集結させていた。島の倉庫には山積みになった補給物資、エネルギーセル、最新鋭の兵器群そのすべてが、彼の残された戦力の集大成だった。


ベランダから見える風景の中、数機の大型ドローンが物資を運ぶ姿が見えた。島内では数十体のアンドロイドが整然と動き、倉庫の物資を整理している。


島の静けさが、彼の中の空虚さを際立たせる。誰も彼を迎え入れる場所はない。かつて彼を称賛した観客の声も、今や怒りと恐怖に変わっている。


「結局タイムリープ能力者も見つからず、振り上げたこぶしは無関係な第三者を殴った。俺は一体、何のために戦ったんだろうな。」


レオは空を見上げた。風が穏やかに吹き抜け、鳥たちが群れをなして飛んでいく。彼がその鳥の群れを眺める眼差しは、どこか遠い未来を見据えているようだった。


離島の居間に置かれた大きなテレビスクリーンが、静かな室内に悲痛な報道を映し出していた。画面にはA国とB国の街並みが映されている。かつては先進的なビルが立ち並び、人々が活気に溢れていたA国。緑豊かな風景の中で、人々が自然と共に暮らしていたB国。だが今、その風景は見る影もない。


爆撃で焼け焦げた建物、瓦礫の山に埋もれた道路、命を失った人々を覆う布。それらを背景に、泣き叫ぶ遺族や逃げ惑う住民たちの姿が繰り返し映し出される。報道は、A国とB国の主要都市が隣国による侵略戦争の標的となり、壊滅的な被害を受けていることを伝えていた。


『かつてのA国は、科学技術の先進国として知られていましたが、その技術が今は焼け跡に埋もれています。一方、自然豊かで魔術文化が息づくB国は、かつての美しい景観をすっかり失い、戦火に飲まれました。2カ国が滅びた原因、それは、1人の男による暴虐です。』


レオの名が画面に映る。彼がA国とB国の政府中枢を襲撃する映像や、戦場の様子を撮影した映像が繰り返し流され、解説者たちが彼の責任について激しく議論を繰り広げている。


「諸悪の根源はあいつだ!」

「世界の平和を脅かした存在!」

「どんな理由があろうと許されない!」


その一言一言が、テレビを見つめるレオの心に鋭い針のように突き刺さる。彼はソファに腰掛けながら、無言で画面を見つめていた。表情には動揺の色はないが、わずかに握りしめた拳が、彼の内心の苦悩を物語っている。


C国はレオにミサイル攻撃から守ってもらっている。しかし、C国は決してそのことを公表しなかった。そもそも標的はレオだったうえに、ここでレオの肩を持つとC国も非難の的にされるからだ。


レオはそれらを全て理解しているし、いちいち目くじらを立てない。


「他の番組に変えてもよろしくでしょうか?」


後ろから控えめな声が聞こえた。使用人兼彼女のサラの1人が、レオの視線を気遣うように尋ねる。


「ああ、頼む。」


レオは低く静かな声で答えた。サラは判断を保留したまま、リモコンを手に取ってチャンネルを変える。次の番組でも、話題はやはり同じだった。隣国の侵略、焦土と化すA国とB国、そしてその原因として名指しされるレオ。


「ふん、結局どこも変わらないな。」


「…コーヒーのおかわりお待ちしますね。」


レオはため息をつき、ソファに深くもたれかかる。サラは申し訳なさそうにリモコンを置くと、静かに部屋を後にしようとした。


「待て。」


レオはサラを呼び止める。


「今日は、もう働かなくて良い。代わりに、ここにいろ。」


「レオ様…。」


彼の視線は、ニュース画面の中で泣き叫ぶB国の人々に戻る。誰かが瓦礫の下から助けを求めているのだろう。だが、その声は放送を通じて届くこともなく、ただの無音の映像として流れている。


「飯の美味い国だった。」


ポツリと呟くその声には、明らかな後悔が滲んでいた。かつて、B国の田舎町で食べた地元料理、そして昨日食べたカフェでのバターと粒マスタードの匂いが混じった卵サンドを思い出す。素朴な味付けだが、心の底から温かい気持ちになれたあの味。あの土地の美しさ、あの人々の笑顔、それがすべて失われた今、彼の胸には重苦しい何かがのしかかる。


「結局、俺は救いじゃなく、破壊をもたらしただけか。」


彼は1人呟きながら、映像を見続けるしかなかった。その時、テーブルに置いたレオの手のひらを温かい感触が包んだ。


「レオ様は私達を救いました、そして、これからも救い続けます。ですよね?」


レオの手を握りながら、まっすぐな瞳でサラはこちらを覗き込んでいる。


「ありがとう。そうだな、俺は犯罪者ではなく、お前らの英雄であり続けるぞ、これからも。」


そうして、静かに4月4日が過ぎて行った。だが、この静けさは、すぐに終わりを告げると言うことをこの時のレオは知らなかった。


—-


薄いカーテン越しに差し込む柔らかな日差しが、寝室を淡いオレンジ色に染めている。鳥のさえずりと波の音が心地よく響き渡り、外の景色は平和そのものだった。


その中で突然、静寂を破る声が響く。


『レオ様、おはようございます。4月4日、朝8時です。』


新たな命令を一切聞かない『世界』が、いつも通りモーニングコールを告げた。だが、今日のそれには微妙な違和感があった。


「またか。」


レオは半ば予想していたように、顔を覆った手の間から窓を見やる。昨日と同じ景色。同じ時間。同じ日付、4月4日。B国を滅ぼした翌日に時間が巻き戻ったのだ。昨日のサラとのやりとりも、全てレオの頭の中にしか残っていない。


ベッドから重い体を起こす。これで何度目のタイムリープだろうか。昨日のニュース映像が脳裏をよぎる。あの内容がまた一日中流れるのか。戦争、瓦礫、泣き叫ぶ人々。


「なぜ今回はタイムリープした?一日中俺の島で過ごしたらループした。戦争をしていた2日間はそのまま日付が進んだと言うのに。」


洗面台に向かいながら、レオはとある仮説を立て、静かに笑った。


「まさか、人を殺した場合のみ、ご褒美で1日時間が進むとでも言うのか? この仮説が正しいなら、つくづく意地が悪いな、この能力者は。」


鏡の中の自分が冷たい目で見返してくる。その瞳にはかつて戦いに飢えていた頃の高揚感が微かに残っていた。


「人を殺せば社会的信用が落ちるが時間は進む。敵が増え自然に死体も増える。俺を利用して間接的に人間を間引きたいのか?」


レオには2つ選択肢がある。4月4日という仮初の平和な日々を無限に繰り返すか、死闘を続けて時間を進めるかという残酷な選択肢。


「たしかに、戦いは楽しかった。死を実感できる時間は、退屈な日常よりも濃密だ。だが、なぜ俺は満たされていない?」


声に出して言葉を紡ぐたび、胸の奥に渦巻く感情が形を帯びていく。


レオはダイニングに移動し、使用人らを呼びコーヒーを淹れてもらう。濃い香りが部屋に漂う中、テレビのスイッチを入れると、昨日と同じニュースが繰り返されていた。A国とB国が戦火に包まれる様子、焦土と化した街並み。誰もが「レオが諸悪の根源だ」と非難する内容だ。


コーヒーカップを口元に運びながら、レオは画面越しに自分の行為を見つめる。


「俺が手を下したのは政府と軍だけだ。それでも、無関係な一般人が死んでいく、それは非常に気分が良くない。」


彼はコーヒーを飲み干し、窓の外を見る。美しい海が広がり、水平線には雲がぽつりと浮かぶ。どこにも争いの痕跡はない。しかし、それがかえって胸を締め付けた。


「どうせ連中は来る。」


レオは呟く。各国の軍事連合が、いずれこの島を攻撃してくるのは目に見えている。だが、その迎撃をしたところで何が残る? この力を持ちながら、勝利の先に待つものは何だ?


「世界中を焦土にして、人類を原始時代の暮らしに戻すか?」


自分自身に問いかける声は、皮肉めいていた。そんな未来に何の価値がある? それが本当に自分の幸せなのか?


レオはソファに座り、頭を天井に預けた。


「平和か、戦いか。選択肢が二つしかないとはな。しかもそのどちらをとっても俺の心は空っぽのまま。常人の10倍生きても、幸せが何なのか未だに分からないとは、皮肉なもんだ。」


目を閉じると、昨日の戦場の記憶が鮮やかに蘇る。斬り裂いた敵、砕けた大地、響き渡る絶叫。そこには確かに生の実感があった。だが、そこに幸福はなかった。


安定した生活基盤があってこそ、日常に戻れるという安心感があってこそ、戦いに集中できるということか。


そもそも、【想像と創造】の能力が使えない状況でタイムリープが続くとレオの体はどうなる?22歳の肉体のまま衰えないのだろうか。それとも、老いていくのだろうか。

今までの記憶だけ引き継いでタイムリープするなら、脳細胞だけは増えているのだろうか。このまま何百年分も「今日」を繰り返せば脳の容量が足りなくならないだろうか。

そもそも、能力で老化を止めたのに汗をかいたり垢が出たり新陳代謝が起こるのはなぜだろうか。


自分の能力と他者のタイムリープ能力が複雑に混ざり合ってしまうと、今後どんな結果をもたらすのかまるで分からない。だが、一つだけ確実に言えることは、このまま受け身で居るのは悪手ということだ。


外では波の音が変わらず穏やかに響いている。その平和な音に包まれながら、レオの胸中には新たな決意が芽生え始めていた。


「まずは平和を取り戻す。その後タイムリープの能力者を突き止める。この目標は変わらない。」


—-


C国の首都は不穏な静けさに包まれていた。緊張感が漂う理由は格闘大会優勝者が世界的テロリストになったことだけではない。


街中の大型スクリーンに映し出されるニュース映像。銀行の中に立てこもる武装した強盗団、そして恐怖に震える人たちの姿がリアルタイムで報じられている。警察の特殊部隊が現場を取り囲んでいるものの、手詰まり感が漂っていた。


そのとき、パワードスーツを纏い、大型ドローンの背に乗り、影のように静かに C国の国境を越えた男がいた。レオだった。


無言で進む彼の目には一切の迷いがなく、目的地はすでに定まっていた。夜の街を縫うように歩き、やがて銀行の裏手にたどり着く。レオは薄暗い非常口のドアを開け、音もなく中へ潜入した。中は物音ひとつなく、強盗たちの気配だけが漂っている。


強盗団のリーダーは手に銃を持ち、指を引き金にかけたまま苛立っていた。


「早くしろ、時間がねえんだ!」


叫び声が響き、人質たちのすすり泣きがかすかに混じる。


「世界は今レオを警戒して他の犯罪に対応する余力が無くなっている。しかも今ならどんな悪事をしてもレオのせいにできる。ヘヘッ、いいかよく聞けお前ら、俺らはレオの命令で金を奪いに来た!」


その背後、暗がりの中から一歩、また一歩と近づいてくるレオ。靴音さえ立てないその動きに、誰も気づく者はいない。


突然、リーダーの背後に影が映った次の瞬間、リーダーの首が宙を舞う。音もなく振り抜かれたレオの剣が、血のしぶきを描きながら彼の命を奪っていた。


「な、なんだ!」


他の強盗達が振り返る間もなく、レオは

刃を一閃し、正確無比な動きで次々と強盗たちを倒していった。反撃のために銃を構えた者も、レオの剣速の前では何もできず地に伏していく。

数分もしないうちに、銀行の中は沈黙に包まれた。


「俺がお前らに命令?馬鹿を言うな。金など腐るほど持っているのに、どうしてそんなことをする必要がある。」


レオは血のついた剣を淡々と拭き、人質たちに一瞥をくれた。


「何を見ている、解放したんだからさっさと逃げろ。」


短く言い残すと、彼はその場を後にした。


1時間後、C国ではこの事件がわずかに報じられていた。

だが、強盗団を壊滅させた英雄の姿についてはどのニュースでも触れられていない。


「不法入国したテロリストのレオがC国を次の標的にした可能性がある。」


と語られるばかりだった。

レオはそのニュースを島の別荘で目にしながら、静かに口元を歪めた。


「まあ良いさ。死んでも良い奴と思ったやつを斬っただけの話だ。」


そう独り言を呟きながら、彼は剣を手入れし始めた。

信頼回復への道は遠い。しかし、その第一歩は確かに彼自身の手で刻まれていた。


—-


4月5日、『世界』のモーニングコールで目が覚めたレオは、人を殺すことが翌日を迎えるトリガーだとほぼ確信を得た。


レオは静かに椅子に座り、温かいコーヒーを使用人兼彼女のサラ達と談笑しながら飲み干していた。

薄く曇った窓ガラス越しに見えるのは、穏やかな青い海。しかし、その水平線の向こうに異変が現れたのは、朝食を終えた直後のことだった。


「水平線が…黒く...染まっている?」


視界に広がるのは、連なる無数の戦艦、空を舞う戦闘機、そして点のように小さく見える魔法使いや飛竜の背に乗った騎士達。白く輝く空母の甲板では、次々と戦闘機が飛び立っているのがはっきりと見える。水平線が戦艦と兵器で埋め尽くされ、海そのものが金属で覆われたかのようだった。


「た、大変です、レオ様!」


テレビのニュース番組をつけた使用人兼彼女のサラは叫ぶ。画面には、「世界が結託しレオ討伐軍編成!」と報道されている。


レオは立ち上がり、窓に近づく。その眼光が徐々に鋭さを増していく。


「なるほどな。」


その光景を見て、彼は理解した。世界はついに行動を起こしたのだと。


別荘の屋上に上がると、風が強く吹き抜け、レオの服の裾を揺らす。海を見下ろす展望台からは、さらに詳細な光景が見て取れた。最前列に並ぶ戦艦の砲台が、こちらに狙いを定めているのが分かる。戦闘機は一定の高度を保ちながら、円を描くように旋回している。


空には魔法使いたちの編隊が浮かび、青空を覆う黒い影となっていた。その数、およそ数百万。彼らの纏う魔力の輝きが遠目にも見えるほどだった。高度を下げながら、時折放たれる小規模な魔法の閃光が、戦いの予兆を告げているようだった。 おそらくあと30分もすれば彼らの射程範囲にこの島は入るだろう。


「随分と用意周到だな。これだけの規模の艦隊、よくもまあ短時間で集められたな。」


レオは屋上の手すりに手をつき、苦笑する。その表情には焦りも恐怖もなかった。


手元のタブレットに目を移すと、島内に配置されたドローンやアンドロイドたちの映像が次々と送られてくる。わずか数千台のドローン、数百体のアンドロイド、そして砲門。この小さな島で集結させた限られた戦力だった。それをもって、この膨大な連合艦隊と対峙しなければならない。


タブレット越しに、ドローンが水平線上の艦隊に近づく映像を映し出す。戦艦一隻だけでも島を壊滅させられるほどの火力を持っている。その数が数百、誰が見ても圧倒的な戦力差だと分かる。


「まあ、戦いってのは常にそうだ。スポーツのように対等な状態から始まる戦の方が少ない。今まで俺と戦うやつらはこんな気持ちだったのかもしれんな。」


レオは鼻を鳴らして、再び海を見渡した。


『残存戦力、島内のアンドロイドによる迎撃準備、ドローン攻撃体制、全てのチェック完了しました。 』


スマートコンタクトレンズ内のAIがパワードスーツに内蔵されたナノデバイスを通じて冷静に報告する。


レオは目を閉じた。彼の中には、この状況をどう受け止めるべきか、答えがまだ定まらない感情が渦巻いていた。自分が過去2日間で招いた破壊の結果、そして今、世界が総力を挙げて自分1人を潰しにきている現実。


「この島は2時間もあれば車で一周できる程度の広さだ。」


レオは呟いた。島の周囲に張り巡らされた防衛線は、敵の物量の前にはあまりに脆弱だ。まともに迎え撃つだけでは、この戦力差を覆せるはずがない。


だが、レオは決して後退するつもりはなかった。


「さて...準備を始めるか。」


手すりを離し、屋上から階下へと降りていくレオの背中に、朝日が力強く差し込んでいた。戦いの火蓋が切られるのは時間の問題だったが、彼の足取りには迷いの色はなかった。


レオは硬い声で言い放った。


「ここは危険だ。お前らは祖国に帰れ。」


彼の視線は真っ直ぐ前を向き、水平線の向こうに広がる敵艦隊に注がれている。その瞳には揺るぎない決意と孤独の色が滲んでいた。


しかし、彼の背後に立つサラや他の女性達はその言葉を拒絶した。彼の使用人であり、共に戦いの日々を過ごした絆深き仲間であり、そしてレオに心を寄せる者たちでもあった。


「嫌です、最後まで一緒に居ます。」


サラがきっぱりと口にすると、他の女性たちも一斉に頷いた。その瞳には恐怖を押し殺し、彼と共に運命を分かち合う覚悟が宿っている。


レオは振り返りもせずに続けた。


「生きて迎えに行くから、大人しく待っていろ。邪魔だ。背後が気になっていたら存分に戦えん。それとも、お前らは俺が最強であることを信じられないか?」


その声は、優しさを隠そうとするかのように冷たく響いた。だが、彼女たちはその言葉の裏に込められた想いを理解していた。


「分かりました。レオ様、ご武運を。」


「絶対に迎えに来てくださいね。」


サラが静かに告げると、他の女性達も小さく頭を下げ、彼の背中に祈りを捧げた。涙をこらえた表情で、大型ドローンの背や自動運転のヘリに次々と乗り込む。


ドローンが低い唸り声をあげて浮上すると、彼女たちは最後の別れの視線をレオに向けた。

空に舞い上がる瞬間、レオの姿がどんどん小さくなっていく。それでも、彼女たちはその姿を目に焼き付けるように見つめ続けた。


レオは動かない。ただ、振り返らずにその場に立ち尽くしていた。風が砂を巻き上げ、彼のマントの裾を大きく揺らす。


ドローンが上空で旋回し、散り散りに進路を分けていく。その中には、一瞬でも彼のもとに戻りたいという衝動を抑えられない者もいた。しかし、彼の言葉がその衝動を打ち消していた。


「邪魔だ。背後が気になっていたら存分に戦えん。」


それは冷酷な言葉のように聞こえたが、彼女たちにとっては愛情の形だった。彼女たちの胸にその想いが深く刻まれていた。


やがてドローンが空の点となり、完全に見えなくなると、レオはようやく目を閉じ、深く息を吐いた。


「さあ、この俺を倒してみろ。世界よ。」


その一言は、誰にも聞かれることのない呟きだった。


再び目を開けると、水平線に広がる敵艦隊の光景が彼を待っていた。彼は無言で歩き始める。肩にかかるのは、ただ1人で立ち向かうという重い宿命だった。


広がる水平線の彼方から、戦闘機の編隊、飛竜にまたがった騎士達、箒に跨った魔法使いの群勢、そして巨大な空母が迫る。空は轟音と魔力で満たされ、海は艦隊の影で黒く塗りつぶされている。この圧倒的な火力を前にして、レオは静かに呼吸を整える。


「さて、どこから崩してやるか…」


ドローンの背に乗ったレオが急上昇。視界に入りきらないほどの敵の数を見渡しながら、一瞬で作戦を立てる。数十キロの距離を詰めるため、ドローンの速度を限界まで上げた。とても防衛線を貼れる状態ではない。勝つためには、敵の中枢を早々に叩き、戦意を失わせる必要がある。長期戦ではなく、短期戦。受け身ではなく、先制攻撃。


レオを乗せたドローンは空気と海面を切り裂きながら連合艦隊の最前線に激突した。


空気の壁を突き破る音が響き、連合軍の一部が彼の接近に気付くが、その頃にはもう遅い。


シャン、ドボンッ!


静かで冷たい金属音が海上に響き渡った時、レオが通り過ぎた範囲内の飛竜、魔法使い、戦闘機は体が二つになっていた。


そのまま次々と海面に落下し、巨大な水柱がそそり立った時、連合軍に大音量の放送が流れた。


「なっ!?もうレオが仕掛けて来たぞ!総員戦闘態勢を取れ!」


「気づくのが遅すぎる、所詮は烏合の衆か。」


空母の巨大な甲板に着地したレオは、銃を持った戦闘員達の銃撃を全て右手の剣で弾き返す。精確に打ち返された銃弾は周囲の兵隊の眉間や鳩尾や心臓部に突き刺さり、あっという間に敵軍を混乱と恐怖に陥れた、


空いた左手で素早く手のひらサイズのハッキングデバイスを起動し空母や戦闘機の制御システムに侵入、指揮系統を奪う。空母に侵入してからここまでわずか10秒。


(まずはA国との戦いと同様に、適当に同士打ちをさせて敵戦力を削ぐのが最善か。飛竜や魔法使いはAIでコントロールができん。奪った戦闘機類で人と竜を堕とし、残った機械類はその後ゆっくり潰していけば良い。)


数多の戦闘経験を持つレオの脳は最も効率的な集団戦闘の方法を導き出した。とはいえ、油断は禁物だ。能力が使えないうえに、B国の精鋭達にやられかけたレオにとっては、B国よりも大規模な世界の連合軍は舐めて勝てる相手では無い。途方も無い戦力を相手にするのだから、少しでも体力を温存した戦い方をしなければ。


能力を使えれば、相手の全力を引き出したうえで倒すといういつもの横綱相撲ができるのだが、背に腹は変えられない。


スマートコンタクトレンズを通して、レオの視界に戦闘機や空母の情報が次々と送られてくる。どうやら、海中にも核兵器を搭載した潜水艦がいるようだが、それらも手中に収めた。


「チッ、この範囲までしか力が及ばないのか。」


レオの半径1キロ以内にある機器類はすべてレオの思いのままだ。レオの世界中の別荘にある通信機器類が壊されていなければ、ハッキング能力をもっと向上させられたはずだが、今はそれを嘆いても仕方あるまい。


連合軍の戦線は水平線を覆い尽くすほど、少なくとも100キロメートルは広がっている。つまり、レオが半径1キロ圏内を支配したところで、戦況に及ぼす影響は雀の涙程度なのかもしれない。だが、レオが移動するたびに支配領域は変わる。彼の作戦は敵対する全ての生き物の殲滅と機械類の掌握、この方針に変わりはない。


レオの意思を汲み取った空母の主砲は、本来空母の味方であるはずの騎士を乗せた飛竜や魔法使い達に向けられる。レオは少し口角を上げた。


「爆ぜろ。」


ドッゴッォ!


轟音と共に砲撃が始まる。飛竜や魔法使いは虫除けスプレーを浴びた蚊のように撃ち落とされる…はずだった。


飛竜達には傷一つついておらず、気づいたらレオは空母から空中に投げ出されていた。


「な…んだと!」


目まぐるしく回る空中で姿勢を制御し、ドローンの足を掴んだレオの視界には変わり果てた空母が映っていた。空母はまるで板チョコにチョップをしたかのように真ん中から大きくへし折られていた。大口を開いたワニのような外見に変わり果てた空母は、ゆっくりと海に飲み込まれ始めている。シーソーで子どもの反対側に大人が座った時のように、空母の甲板にいたレオは大きく弾き飛ばされたのだ。


空を舞うレオに向かってくる飛竜騎士と魔法使い達を空中で難なく斬り伏せながら、彼は顔をしかめた。


「まさかこいつら、俺を倒せるなら味方をいくら犠牲にしても良いと思っているのか?」


その直後、とんでもない爆音とともに、レオの乗っている空母が真っ二つに割れた。空母は連合艦隊の攻撃の余韻を残しながらゆっくりと傾いていく。爆炎と黒煙が甲板を覆い、切断面からは無数の火花と油の混じった蒸気が噴き出していた。


切断された船体が鉄骨の軋む音を響かせながら、静かに海底へと向かっていく。切断面には、細かな配線やパイプが千切れたまま剥き出しになり、それらが波に揺られながら水中へ引き込まれていく。


どうやら、レオがハッキングに成功した瞬間、彼が手中に収めた空母ごと連合軍が攻撃してきたらしい。空母に乗っていたクルー達は当然無事では済まないだろう。


周囲の海水には油が広がり、その上に炎が薄く揺らめく。水面に漂う無数の残骸や浮遊物が、破壊の壮絶さを物語っていた。


レオを倒せるなら、いくらでも犠牲を払う。その覚悟が連合軍から伝わってきた。


「完全にイカれている!いいぞ、そう来なくては!俺と戦うにふさわしい相手だ!」


ルール無用の何でもありな殺し合い、ミスったら終わりの一発勝負。最高じゃないか、そう思ったレオは逆境にもかかわらず楽しそうに笑った。


レオは飛竜の翼を切り裂き、魔法使いの杖を腕ごと叩き折りながら空を舞う。


一見優勢に見えるレオの視界に、自らの島が爆炎に包まれる光景が映った。連合軍の艦隊から発射されたミサイルが、島の中心部にある電波塔に命中し、崩壊する瞬間がスローモーションのように見える。


電波塔だけでなく、予備のパワードスーツやAI制御システムを格納していた施設が次々と火炎と煙に飲み込まれていく。食糧庫も同様で、何週間も耐えるつもりだった補給物資が一瞬にして灰と化した。この状況は、長期戦での勝機が更に薄くなったことを示している。


レオの視界に、スマートコンタクトレンズが映し出す赤い警告ウィンドウが浮かび上がった。


『現在の島内の破損率は75%です。補給施設、電波塔、食糧庫が完全に機能を喪失しました。』


冷徹な機械音声が、島の状況を無感情に報告する。視界の隅には、島の俯瞰図とともに、破壊されたエリアが赤く点滅しているのが見えた。


「たった数分で75%の損失か....。」


コンタクトレンズの情報は無慈悲なほど正確だった。赤い点滅が島全体に広がり、守りの要であった全ての施設が無力化されていく様子を如実に示していた。電波塔の補助が無くなった今、敵の空母や戦闘機を乗っ取る力も弱体化した。今着ているパワードスーツとスマートコンタクトレンズの演算機能では、これ以上のハッキングはほぼ無意味だろう。仮に乗っ取れたとしても、それまでには数時間、いや数日がかかるうえに、敵はトカゲの尻尾切りに一切の躊躇が無い。レオは攻撃と防御の手段、さらに精神でさえも削ぎ落とされていく。


「貴様ら、この借りは高くつくぞ…!」


レオは歯を食いしばり、拳を握りしめた。

自分の背後、守るべき拠点が無慈悲に攻撃される様子を目の当たりにしながらも、今の彼にはそれを止める力が無かった。連合軍の戦力を前に、戦線を抜けて島を守る余裕など微塵も残されていない。


不幸中の幸いは、彼女達をあらかじめ避難させておいたことだろう。だが、レオが帰る場所を失ったことに変わりは無い。


炎に包まれた島は、夜空に赤々と輝き、その光景は地獄そのものだった。煙の合間から立ち上る火柱が、まるで失われた思い出を嘲笑うかのように揺らめいている。


あのリビングやプールで彼女達と笑い合った記憶、静かな海辺で語り合った夜、すべてがこの炎に包まれていく。まるで彼の心の一部をえぐり取られるような痛みが、胸の奥深くで爆発していた。


レオの拳は震えていた。それが怒りか悲しみか、もはや自分でもわからない。ただーつ確かなのは、こんな感情を抱いたのは、何十年ぶり、いや、何百年ぶりだということだった。


彼の低く押し殺した声が、次第に怒りの咆哮へと変わっていく。


「地獄を見る覚悟はしているんだろうな?」


次の瞬間、彼はドローンのアクセルを全開にした。瞬く間に加速したドローンは音の壁を切り裂きながら戦場の中心へと突っ込んでいく。


空中では飛竜や魔法使いが行き交い、地上では艦隊が島を包囲して砲撃を続けている。そのすべてがレオの視界に捉えられ、彼の意識は冷静に戦況を分析しつつも、激情に突き動かされていた。


一振りの剣が閃き、空を飛ぶ魔法使いが次々と斬り落とされていく。飛竜の火炎をかわし、逆にその首を叩き落とす。一撃一撃が正確無比で、容赦の欠片もなかった。


「貴様ら全員、あの世で後悔しろ!」


レオの叫びは戦場全体に轟き、彼の周囲を修羅の如き殺気が包み込んでいた。


——


戦闘、いや戦争から約4時間が経過し、その間レオは数えきれないくらいの敵を斬り伏せた。雨粒が水たまりに落ちるかの如く、海に飛竜や人や戦闘機が落下していく。だが、際限なく敵は湧いてくる。数百万もの連合軍の戦力は1%ほど減らすことができた。だがその代わりに、レオは補給路や退路を絶たれ、四面楚歌に陥っている。レオ側の残存勢力は本人を除いてほぼ0%。これではどちらが相手を追い詰めているのか分からない。


加えて、ノンストップで命のやり取りを続けるのは、いくら世界最強の戦士でも骨が折れる。


「そういえば、400年くらい前に無限再生する蛇と戦ったことがあったな…。数日前も不死の能力者モルディカイをバトルグランプリで倒した…。あれは、どうやって勝ったんだったか…。そうか、【想像と創造】を使って…いや、今は使えないんだったな。」


手足が痺れ、意識が朦朧とし始めた。関係ないことが頭の片隅にチラつき出した。


その瞬間、レオの体に更なる異変が起きた。


体が急に重く、そして視界が暗くなる。まるで空気そのものが鉛に変わったかのように息苦しい。乗っていたドローンも同様に糸が切れた操り人形のように制御を失い、海に向かって落下し始めている。


「なんだ…?」


レオは周囲を見回すが、すぐに異変の原因に気付く。ヘルメット内のディスプレイが真っ暗になり、スマートコンタクトレンズが無反応になっている。パワードスーツの動力系も停止し、ただの鉄の塊となった。全身にのしかかるスーツの重さが、筋肉にじわじわと負担をかけてくる。


そして、連合軍の空母や戦闘機は後方に待機して、箒に乗った魔法使いと飛竜に乗った騎士達がレオの前に立ちはだかっていることに気づいた。


「なるほどな、電子機器操作の能力者か…!」


おそらくレオの周囲の空間ごと何者かが手を加えているのだろう。仲間同士で邪魔をしないように、能力者がレオの妨害をしている時は精密機器を扱う兵士が後衛に、そして魔法や近接戦闘担当が前衛になったようだ。


冷静に状況を把握しつつも、内心の焦りを感じていた。パワードスーツのサポートがない今、スーツの重量がそのまま彼の動きを制限している。真綿で首を絞められるように、少しずつ、包囲網がレオの逃げ道を塞いでいく。


どちらにせよ、数秒後にはドローンごと海に落ちてしまう。飛ばなくなった鉄の塊の下部に付属したカニのような足を無造作に掴み、近くにいた魔法使いに対してハンマーの如く横薙ぎに振り抜いた。あまりに素早い攻撃によって、魔法使いがさっきまで飛んでいた空中には、だるま落としのように箒とそれを掴んだ両手首だけが取り残されて浮いていた。両手首から噴水のように血が溢れ、推力を失った箒やがてゆっくりと海面に落下していくだろう。


レオは箒を足場にしてドローンを振り回して魔法使いや飛竜を吹き飛ばし、新たな足場を作る。この繰り返しで敵の数を減らしながら戦場を移動していた。さながら、全走力ダッシュをしながらチェスを行っているような神業を、レオは難なくやってみせる。このまま電子機器操作の能力者の射程範囲外に逃げるか、しらみつぶしで探しても良い。


あまりの絶技を見た魔法使いや騎士達の大半は怖気づいている。一対数百万の戦力差なのに数時間戦い続けたうえで獅子奮迅の大立ち回りを見せつけられれば、彼らが士気を保てる訳がない。


(想定よりも早く、奴らの降伏でケリがつきそうか。)


そう思った刹那、視界を埋め尽くした飛竜達の翼が破れ、鋭い弾丸がレオの左肩を貫いた。鈍い痛みが神経を駆け巡り、血が噴き出す感覚がレオを現実に引き戻した。


「ぐぅ…!!」


遠くに目を凝らせば、飛竜の背にまたがる狙撃手がいた。狙撃手の射線に居た飛竜は完全な捨て駒で、翼を目隠しにして虎視眈々と機会を窺っていたのだ。翼に穴が空きうまく飛べなくなった飛竜は背中に騎士を乗せたまま錐揉み状態で海に落下していく。


(俺は馬鹿か!こいつら、味方を傷つけることは厭わないということを忘れていた!)


その狙いは完璧で、空を駆け回るレオの動きさえ予測していた。次の箒を足場にするため、空中を飛んだ一瞬を狙われたのだ。


歯を食いしばり、後ろにのけぞった体を引き上げなんとか箒に着地する。


「まずは電子機器操作の能力者より、あのスナイパーを倒さなけ」


レオが呟きながら正面を向いた瞬間、視界いっぱいに真っ黒なトゲつき金棒が迫っていた。


視界の一角にチラリと映ったのは、一際大型の飛竜が背負う巨漢の騎士。彼は直径1メートルほどの金棒を今この瞬間レオの顔面にフルスイングしているところだった。


(これは、マズい!!)


レオは即座に右腕を盾代わりにして金棒を受け止める。


ミシミシッ!!


しかし、その衝撃は想像以上だった。全身が軋む不快な音が脳に警鐘を鳴らす。


レオは一瞬、胴体が無くなったように感じた。金棒の勢いに耐えきれず、気がつけば真横に吹き飛ばされていた。空気を切り裂きながら、水切りの小石のように軽快に海面を滑り、数百メートル離れた空母の正面底部に激突した。


だが、空母の巨体に到達した瞬間、レオは全身の筋力を使い、回転するようにして空母に衝撃を逃した。行き場を失ったエネルギーが空母の底部に大きなひび割れを作る。分厚い空母の装甲はまるで障子のように容易く破れ、お風呂の栓を抜いたかの如く大量の海水が吸い込まれ始めていた。


レオは先ほど作った穴から空母に侵入し、四つん這いになって倒れ込んだ。


「ガハッ!」


吹っ飛ばされながらも可能な限り受け身を取り、威力を空母に受け流した。しかし、完全に衝撃を受け流すことはできず、レオは吐血した。口いっぱいにトマトジュースを含んでいたかのような大量の血が空母の汗臭い艦内を鉄錆臭く塗り替えていく。だが、その足元には既に海水が忍び寄ってきている。錆の臭いはすぐに塩の臭い塗り替えられるだろう。


「ここに長居すると、この空母ごとやつらは沈めに来る。早く脱出せねば。そのために、まずは移動手段の確保、だが電子機器は能力者によって妨害される。なら、救命ボートで漕ぎながら戦うか?」


ズキンッ!


左肩全体にはじんじんとした熱い痛みが広がり、使い物にならないという感覚が襲ってきた。


金棒を受け止めた右腕のパワードスーツは6割以上が砕け散り、引き締まったレオの右腕が露出していた。だが、打撲で青あざができ、海水で体温を奪われた現状では、美しい右腕はかつてほどの輝きを発していなかった。


左肩の負傷と相まって、両腕の自由が奪われつつあることを悟る。剣を握る指先にカを込めようとするが、痛みがそれを拒む。


右腕の鈍い痛みと左肩の傷が、呼吸をするたびに体全体を苦しめていた。


確実に、近づいている。


実質不老不死で、最強の、いや、かつて最強だった男に、死神の足音が迫る。


心臓が早鐘を打って、指先が震えている。だがこれは数時間前に感じていた強者との戦いによる愉悦ではない。


忘れていた生物として当然の本能、すなわち恐怖だ。


数日前まで、生きる意味なんてない、いつ死んでも良い、俺を殺せるやつなんていない。そう思っていた自分をぶん殴りたい。


「俺は、生きたい。まだ死にたくない。」


レオは、痺れた右手で剣の柄を握り直した。


空母の甲板に立ったレオは、自分が巨大な影の下にいることに気づいた。見上げると、大型の飛竜が風を切り、甲板上に急降下してきている。さらに、飛竜の背には先程レオを吹っ飛ばした巨漢の金棒使いが乗っている。


「くたばれ、死に損ない!」


巨漢はレオを見下ろし、腕力に自由落下の勢いを加えた金棒を一気に振り下ろした。


その瞬間、空母全体が悲鳴を上げたように軋む。金棒が甲板を捉えたその場所から蜘蛛の巣状の亀裂が走り、凍った水たまりを踏み抜いたかのように甲板が崩壊する。


レオはわずかに体を反らし、一撃を紙一重で回避した。その勢いで巨漢の懐に踏み込み、両腕の痛みを無視して剣を振り抜く。


剣先が巨漢の首筋を一閃し、血が噴き出した。巨漢は声を発する間もなく、崩れ落ちる。飛竜が動揺して甲板から飛び立とうとするが、レオはすかさずその背に飛び乗った。


「今すぐ死ぬか、俺に従うか選べ。」


レオが冷酷な声で命じると、飛竜は住えたように一瞬硬直する。その後、恐怖に屈したように翼を広げ、空高く飛翔し始めた。

高空に舞い上がり、一瞬の静寂が訪れる。大型の飛竜を確保できたのは僥倖だった。戦闘機や他の飛竜が追いつけない高度まで行って、一度態勢を整えよう。


しかし、レオの意識に異変が起きる。脳内に不快なノイズが響き、頭を締め付けられるような痛みに襲われた。彼は左手で飛竜の手綱を掴みながら、右手でこめかみを強く押さえる。


「くそっ......これは.....精神操作か?」


頭が割れそうな感覚の中、視界が霞み、思考にモヤがかかったように意識が薄れていく。飛竜の飛行も不安定になり、レオは息を荒げながら耐えようとする。飛竜も脳の神経回路をいじられたのか、泡を吹きながら白目を剥いて落下し始めている。


「電子機器操作をした上で精神操作系能力者を使うか、用意周到じゃないか…。」


レオは大型飛竜とともに急速に高度を失い、空から落下していく。風が鋭い刃のように彼の頬を切り裂き、耳元で轟音が鳴り響く。朦朧とする意識の中、彼は必死に周囲を見回すが、視界は揺れ、焦点は定まらない。


飛竜の翼は力なく垂れ下がり、その巨体がレオをさらに海へと引き寄せる。レオは本能的に次の行動を模索する。海面に落ちれば、より体の自由は奪われる。海面に浮かんだレオは敵の一方的な追撃により、ただのサンドバッグと化す未来が待っている。


周囲を見渡すも、足場になるものは見当たらない。飛竜や魔法使い、戦闘機たちは、レオが空中での足場に利用されないよう距離を取っていた。電子機器や精神操作能力の巻き添えを喰らわないためという理由もあるのだろう。


彼らは、レオの落下を数百メートル先からじっと見守る。全員が目をギラギラと光らせ、彼が海面へと落ちていく瞬間を待っている。


その光景はまるで、シャチが海岸でペンギンやアザラシを追い詰め、あえて海に飛び込ませる機会を窺うような狡猾さだった。


飛竜は低空を旋回し、魔法使いは箒に乗り、戦闘機はエンジン音を低く響かせながらレオを取り囲んでいるが、誰1人として接近しようとはしない。むしろ、その沈黙は恐怖と警戒を物語っていた。


レオの脳裏には、自分を取り囲む敵の顔が

ぼんやりと浮かんでは消える。彼らの動きには確信があった。


足場はない。空中には支えるものも、掴むものも何もない。だが、ここで海に叩きつけられるわけにはいかない。


「ウォォォ!」


レオは落下中の極限状態で剣を振り上げた。その動作はまるで舞踏のように滑らかで美しく、だが確実に力強い。鋭く振り抜かれた剣からは、見えない斬撃の衝撃波が放たれ、空気を震わせながら轟音を響かせた。その瞬間、跨っていた大型飛竜の巨体が真っ二つどころか細切れになり、まるで紙片のように宙を舞った。


飛竜の残骸が宙に漂う。その磯片は、レオにとってただの散らばる肉片ではなく、次の行動を取るための一時的な足場だった。


彼は鮮やかな動きで残骸に着地し、次の瞬間、さらに別の破片に飛び移る。その動きは力任せではなく、計算し尽くされた優雅さを備えていた。その姿はまるで巨大な空中ステージで1人踊る演者のようだった。


「あと少し......!」


彼は飛竜の残骸を利用し、敵機に向かって一直線に移動する。その標的は、数百メートル先を飛ぶ戦闘機。残骸を蹴り飛ばし加速すると、一瞬で戦闘機の翼に着地した。足元で金属の翼が軋む音が響く。

パイロットは突然の侵入者に気づき、驚愕の表情を浮かべる。レオはためらうことなく剣を構え、戦闘機のコックピットに向かって一気に突き下ろす。その一撃で強化ガラスはあっけなく砕け散り、レオはコックピット内へと手を伸ばす。


「.......っ!?」


パイロットは反射的に操縦桿を握り直すが、その震える手の元に冷たく鋭い剣先が突きつけられる。レオの瞳がパイロットの目を射抜き、冷酷に口を開いた。


「このままだと俺ごとお前も連合軍に狙われるな。」


剣先がわずかに元を掠めるたび、パイロットの表情は青ざめていく。全身の震えが抑えられず、口を開くが言葉にならない。


レオは剣を少し引き、冷ややかな笑みを浮かべながら続けた。「生きたいならせいぜい避けろ。」

パイロットは依えたまま頷き、戦闘機の操縦桿を握り直した。その視線には恐怖と焦りが混じり、機体は即座に軌道を変え、味方の攻撃が飛び交う危険地帯から脱出しようとする。レオはその動きを見て満足げに剣を下ろし、戦闘機の上で次の一手を考えながら周囲の敵を睨みつけた。


コックピットの無線から突然響く耳障りな声。それは、不快で下品な笑い声とともにレオに向けた挑発を含んでいた。


『レオぉ!案外しぶといなぁ!そろそろ投降したらどうだ!?まあ投降しても死刑確定だがなぁ!ヒャヒャヒャ!!』


その声は、敵軍の中でも特に嫌悪感を抱かせる男のものだった。レオは眉をひそめ、コックピットの中で冷静を保とうとする。


『お前は凄腕のスナイパーと、電子機器操作能力と、精神操作能力、少なくともこの三つを突破しなきゃならねぇ!今のお前にできるかなぁ!?』


声は続き、まるで死神が勝利を確信して囁いているかのようだった。パイロットは無線の声に怯えながらも、目の前のレオの剣を見て動けずにいる。


だがレオはその挑発を無視し、短い思考の中で計算を巡らせた。今、この飛行機が動いているという事実――それこそが最大の手がかりだった。


(今、俺が脅しているこのパイロットが機体を操れるということは、電子機器操作能力の範囲外に出た証拠だ。問題は精神操作だが、発動にはタイムラグがある。意識が完全に奪われる前に先ほどのように距離を稼げば……なんとかなる。敵のスナイパーは、数を減らせばいずれ狙う機会が生まれる。)


『ヒャヒャヒャ!俺らはなぁ、レオ、お前にずっと復讐したかったんだよぉ!』


戦闘機のコックピット内に突然「自爆開始」の赤い文字が点滅する。


「ヒッ、嫌だ!死にたくない!」


パイロットの悲痛な叫びがコックピット内に響いた。


その瞬間、レオは即座に機体を蹴り飛び、空中に跳び出した。背後で爆音が轟き、戦闘機は火花と共に木っ端微塵に吹き飛んだ。


レオは空中で身をひねり、振り向きもせずに遠くの空母へと飛び込む。甲板に軽やかに着地すると、火花が舞い散る爆炎を背負い、鋭い目で周囲を見渡した。


そこで彼の視線を奪ったのは、1人の男だった。


甲板の中央に立つその男は、顔立ちが驚くほど整っていた。鋭い眼光と高く整った鼻筋、そして黒いコートが海風になびいている。その手には、レオのものに酷似した形状の剣が握られていた。


男は冷ややかな笑みを浮かべながら一歩踏み出し、低い声で言った。


「俺が誰かわかるか、レオ。」


レオは剣を軽く肩に担ぎ、鼻で笑うように応じた。


「知るか。恨まれる心当たりがありすぎて、いちいち覚えてない。」


だが、その声とは裏腹に、目の奥で何かが引っかかったような感覚があった。この男、どこかで見たことがある。そう思った瞬間、その顔が記憶のどこかに繋がった。


短く髪を刈り上げた男の顔立ちは、長い髪で隠れたレオ自身と驚くほど似ていたのだ。


「やっと気づいたか?」


男は冷たく笑みを浮かべ、剣をゆっくりと構えた。


「俺の名は、ゲロ・クリエイション。俺はお前の息子だよ。」


その言葉にレオは一瞬動きを止めた。


「やはりか。」


だが、ゲロは追撃するように言葉を叩きつけた。


「20年前、お前が後先考えずに作りまくった、面倒も見ずに捨てた子どもの1人だ!」


その瞬間、ゲロの眼光が鋭く光り、地を蹴った。その踏み込みは異常なまでに速く、甲板の金属が裂ける音が響き渡る。


「オラァ!」


怒りに満ちた声と共に放たれた斬撃は、空気を切り裂きながらレオへと迫る。


レオは剣を水平に構え、一瞬の判断で受け流そうとする。だが、ゲロの一撃は予想以上に重く、速い。剣が衝突するたびに火花が飛び散った。その衝撃が波紋のように全身を駆け抜け、レオはわずかに後退する。


(こいつ、これまで戦って来た剣士の中でも、群を抜いて強い。)


ゲロは再び距離を詰めると、切り返しの斬撃を放ち、レオの動きを封じようと攻め立てた。レオはゲロの斬撃を受け流し、その勢いを利用してゲロの左足首に下段蹴りを放った。だが、ゲロはひらりと跳んで蹴りをかわすと、空中で回し蹴りをはなってきた。左手の甲で受け流し、距離を取るレオ。スナイパーに撃ち抜かれた左肩が熱湯に浸しているように熱を帯びている。


「剣術だけじゃなく、体術も相当な腕前だな。」


「そりゃどうも、なんせ俺は【最強】の遺伝子を受け継いでいるからな。」


甲板の上で二人の太刀が交差し、轟音と火花が戦場の騒音に紛れながら響き渡る。


空母の甲板が二人の戦いで徐々に裂け始める中、ゲロの顔には終始憎悪の色が浮かんでいた。


「俺はずっとお前に復讐する日を夢見ていた!」


ゲロは剣を振り上げながら叫んだ。


「俺の母は、俺が10歳の時に自ら命を絶った!レオ、お前から十分すぎる資金援助があったにも関わらず、だ!わかるか、これの意味が!!」


ゲロの声は苦痛と怒りに満ちていた。剣を振り下ろす度にその思いが火花となり散り、甲板に衝撃音を響かせる。


「俺が物心つく前から、母は毎日レオの魅力をずっと聞かせてきた!レオがくれたペンダントを後生大事に身に付けていた!母は、あの人と会えないなら生きてる意味が無いと次第にヒステリーを起こすようになった!」


「…それで?」


「レオ、なぜ母の側にいてやらなかった、この人でなし!あの人は金じゃなくお前からの愛が欲しかったと言うのに!」


「お前の母と最初に会った時から、俺は【資金援助はするが子育てはしない、それでもいいなら好きに産め】と言ってある。その結末はお前の母が選んだ道だ。」


「この、クソ野郎!!」


レオは剣で受け止めながらも、ゲロの剣の重さと速さに驚きを隠せなかった。振り抜かれる一撃一撃は鋭く、重く、そして完璧な殺意を伴っていた。


レオは剣を振るいながら、自分が100歳を超えて到達した技術を思い出し、目の前の若者の腕前に嫉妬に似た感情すら覚えた。


「まだ20歳でこの強さ。まさかこいつ、剣の才能は俺より上なのか.....?」


レオは一瞬、自分の胸の内で呟いた。


「才能?違うな、これは俺の怒りと恨みの蓄積だ!母さんから、レオみたいに強くなりなさいと言われた、その言葉をひたむきに守ってきたんだっ!皮肉だな、お前を打ち取る相手は、お前に憧れた人が作り出したこの俺だ!」


ゲロの激しい剣撃で弾き飛ばされた一瞬、唐突に頭痛と視界の点滅が始まる。


「これは、例の精神操作か!?まずい、この剣士と戦いながらでは脱出する隙が無い!」


景色が灰色に代わり、悪夢を見ているかのようにグニャグニャに歪曲していく。


だが、次の瞬間には視界がクリアになり、目と鼻の先にゲロの刃が迫っていた。


「戦闘中によそ見なんて余裕だな、クソ親父!!」


「ぐぅっ!」


レオは思いっきり体を後ろに逸らしなんとか斬撃を避けた。だが、左頬から耳の付け根にかけてぱっくりと皮膚が斬られ血が流れている。


「剣士と距離が離れた瞬間に精神操作、剣士が巻き込まれる距離に入ったら精神操作を解除。厄介なコンビネーションだな。」


加えて、電子機器操作の妨害によってパワードスーツやスマートコンタクトレンズは未だに一切反応しない。


「いわゆる四面楚歌ってやつだな。」


すると、ゲロの胸元にあるピンマイクから甲高い笑い声が響き渡った。


『ヒャヒャヒャ!想像以上の強さと腐れっぷりだな、レオォ!なぁ、ゲロは強いだろ?』


ピンマイクからの声にゲロは顔をしかめる。


「おい、うるさいぞヘド。お前は俺のサポートに徹するんじゃなかったのか。」


『おっと、大事な親子喧嘩に水を差して悪いなぁ、ゲロ!けどこの戦争は俺にとっても家族の喧嘩なんだ、混ぜてくれよぉ!なあ、おじいちゃん!』


「なに?」


『俺はヘド・クリエイション!レオ、お前は俺の祖父に該当する人間だ!』


その声に一瞬、レオの目が細まり、剣を振りながら眉をひそめる。


「.....まあ、当然そんなケースもあるだろうな。こんな下品な笑い方の孫がいるのは非常に残念だが。」


ヘドの不快なハイトーンボイスが響き続ける。


『50年前にその辺の女とあんたが作った子ども、それが俺の親父だよ!レオの優秀な遺伝子のおかげで、俺らは特殊な才能や能力を持つことができた。なあ、どうだ?気まぐれで作った自分の遺伝子に追い詰められる気分はよぉ!ヒャヒャヒャ!』


ゲロはヘドとの会話に嫌気が差したのか、レオに向き直り剣を構える。


『あと、電子機器操作の能力者は俺だぁ。

精神操作の能力者と一緒に隠れてお前を見てるぜぇ!』


空母の甲板での激しい戦闘が続く中、突然銃声が響き渡った。スナイパーの一撃がレオの右足首を狙い、数センチ横の甲板に穴を開けていた。


「この極限下で狙撃は、厄介だな。」


レオはゲロの攻撃をいなして、死角から迫る更なる凶弾から身をよじって避けた。しかし、その避けて体勢が崩れた刹那の隙をゲロは見逃さなかった。


すぐに立ち上がったレオの眼前に、ゲロの剣が再び迫る。レオは自身の剣で受け止めるが、その剣に押され、甲板に片膝を着く。スナイパーに撃ち抜かれた左肩から噴水のように血が溢れる。左手に、力が入らない。


ほぼ右手だけでゲロの体重が乗った一撃を支えるが、レオの両刃が左肩から胸かけてに食い込み、パワードスーツがギシギシと悲鳴をあげ始める。ゲロのあまりの圧力に空母の甲板、いや、近くの海一帯が大きな振動を発していた。


(このままだと、地面に叩きつけられ肩の骨を砕かれる!いや、この膠着状態をスナイパーが放っておくはずがない!まずい、まずい、まずい!)


その時、ゲロの声が無線を通してレオの耳に届く。


『ヒャヒャヒャ、あのスナイパーもお前の親族のザコ・クリエイションだ。100年前、お前が墓を作って弔った女のひ孫だってさ。

お前が世界的なテロリストになったせいで仕事も家族も失ったとよ!


今から俺らは最強のテロリストを倒すって肩書きをもらう、その栄光をお前からの遺産相続とさせてもらうぜぇ!!』


レオの頭に衝撃が走る。強く噛み締めた下唇から血が垂れてきた。鍔迫り合いの中、レオはしばしの沈黙の後口を開く。


「さっきから、好き放題言いやがって。」


レオの内側からメラメラと際限なく怒りが湧いて来る。先程までゲロの剣圧に押され、片膝をついたうえで地面に着きそうなくらい背中をそらしてて耐えていたのに、ジリジリとレオが押し返し、上半身が立ち上がる。


「こいつ、どこにそんな力が残っていた!さっさとくたばれ、馬鹿親父!」


「お前ら、散々レオの名からメリットを受けていたんだろう?都合が悪くなったら悪者扱い、俺らはレオとは関係ない。むしろ被害者気取りか?我が遺伝子を受け継ぎながら、軟弱者しかいなくていささかガッカリだ。」


レオが力強く目を見開く。


『ヒィッ!』


レオの体温が一気に上がる。モニター越しに状況を把握していたヘドの悲鳴がピンマイクを通じて聞こえてきた。レオを中心に高温の台風が発生したと錯覚してしまうぐらいの殺気を放っている。


「しかも、ヘドだの、ゲロだの、3人目の名前はザコだと?お前らの名付け親は頭がどうかしてるんじゃないのか?揃いも揃って、レオ・クリエイションを汚すような名前をつけやがって!俺に復讐する、許さない?それはこっちのセリフだ!下等な分際で俺の親族を語る不良品は、まとめて処分してやる!」


レオは立ち上がり、ゲロを鍔迫り合いで甲板の壁に押し付けた。レオの右太ももにスナイパーの銃弾が迫る、だが、レオは鍔迫り合いの力加減を少し変え、まるで社交ダンスをゲロと踊っているかのように、あまりにも軽やかな動きで一瞬でゲロと位置を変えた。ゲロは抵抗なく回転扉を通過するように、先程までレオがいた場所に立ち尽くしていた。


その一瞬、バチュンと、肉が破裂する音が響いた。


「ぐうっぁ!!」


ゲロの左太ももを銃弾が貫通し、ゲロはその場で左脚を抑えて倒れ込んだ。


「スナイパーの攻撃する角度、タイミング、パターンは、もう既にある程度予測がつく。俺のせいで家庭と職を失ったと言ったか?いざという時に助けてくれないなら、所詮その程度の関係しか築くことができなかったお前の落ち度だろ。」


レオはゲロの首を素早く刎ねようとした。だが、レオの頭に鋭い痛みが走る。意識が一瞬遠のき、彼の体が自然に震え始める。ゲロが戦闘継続不可とみて、ゲロごと精神操作攻撃を仕掛けてきた。


意識がゆっくりと薄れていくのを感じながらも、レオは必死にその痛みと戦う。


「ひ孫…ザコ・クリエイションと言ったか?引きこもりのスナイパーに良いことを教えてやろう。俺は世界中を敵に回しても俺と共に最期を遂げる覚悟の家族が居た。お前はどうだ?」


『…!!』


どこか遠くで、スナイパーが悔しそうに歯軋りする音が聞こえた…気がした。


剣士ゲロを戦闘不能にした。だが、戦況は依然として絶望的だった。


甲板の上には、魔法使いが放つ輝く魔法の軌跡と、飛竜にまたがった騎士たちが空を覆うように旋回する影が交錯していた。数秒もすれば戦闘機のミサイルやレーザーも含めた圧倒的な物量の弾幕で空母は破壊されるだろう。そうなったら、残機一機で精神•電子機器操作のターゲットから外れながら空中で敵を斬り裂き続けるというクソゲーの再開だ。


圧倒的な数と火力が、レオの視界に立ちはだかる不屈の壁となる。しかし、レオの表情に恐れは一切なく、むしろ冷たい微笑が浮かんでい

た。


「ふん、貴様ら根こそぎ駆除してやる......だがな、それは今じゃない。」


その言葉には、自信と計算された冷静さが漂っていた。剣を振り払い、立ち上がったレオは、まるでこの場のすべてを支配するかのような威圧感を漂わせている。


「認めてやる。お前らは充分、俺の脅威だ。このままでは敗色濃厚。縛りプレイではなく、全力を賭してなおここまで追い詰められたのは870年生きて初めての経験だ。」


彼は静かに続ける。


「だから、やり直す。今日の朝から。お前らの体勢が整うまでにこちらから奇襲してやろう。」


周囲の魔法使いや騎士たちが一瞬動きを止め、不安げな視線を送り合った。目の前の男の声には何か計り知れない重みがあった。そんな空気を無視するように、レオは自分自身に向かってつぶやいた。


「おい、『世界』。俺にタイムリープの能力をかけた奴を教えろ。」


何度も口にした言葉、なんでも世界が思うがままだった、そんなレオの常識を覆すきっかけになった言葉。


レオは、【能力を使うと強制的にタイムリープする能力】がかけられているにも関わらず、【想像と創造】を使用した。


その言葉とともに、周囲の空気が変わる。

どこからともなく微かな震動が漂い、時間そのものが歪むような錯覚を引き起こす。


レオの瞳は鋭く光を放ち、目の前の現実を見据えながら、体全体が不思議なエネルギーで包まれた。


このカ、彼が目的不明で何者かに仕掛けられた能カであるタイムリープ。その感覚は、使うたびに彼の体に不快な違和感をもたらしたが、今の状況ではその力こそが鍵だった。


レオは低く笑った。


「タイムリープ能力者も、まさか俺がセーブポイント代わりに使うとは思わなかっただろうな。俺を精神的に追い詰めるつもりが、千載一遇のチャンスを失った訳だ。


そうだ、これで勝てる。俺が負けるわけがない。何度でも勝てるまでやり直して、お前らを叩き潰してやる。これが俺の、全力だ!」


彼の心は冷静だった。周囲の敵の戦力、配置、能力、そして彼らの小さな隙、すべてが彼の記憶の中に刻まれていた。それをもとに次の戦路を練ることができるのだ。


「敵の戦力、能力、弱点.....全部丸裸だ。

繰り返していけば、連合軍なんざ能力を使わなくても肉体一つで潰せる。」


その瞬間、光が彼を包み込み、眩い関光とともに空母の甲板から彼の姿が消える。


次に目を覚ますのは、同じ日の朝。敵の策路が整う前、彼が再び優位に立てる時だった。

レオは歪み虹色に変わりゆく空間の中で静かに笑った。


「今度はどう料理してやるかな。」


レオがタイムリープの能力を発動しようとした瞬間、視界がふっと歪み始めた。


たくさんの魔法弾や飛竜の火炎ブレス、戦闘機のミサイルが迫るが、景色がスローモーションになっていく。


周囲の色が褪せ、甲板での戦闘音や魔法の閃光が遠ざかっていく感覚。いつものタイムリープが発動する合図だ。


だが、不意に異変が起こる。


「あら。」


どこか軽快で、しかし底知れぬ圧を感じさせる若い女性の声が脳内に響いた。その声は甲板に立つ者たちから発せられたものではない。空から降り注ぐように響き、頭蓋の内側を揺さぶるようだった。


「そんな使い方しちゃダメじゃないの。それはズルじゃない、最強さん?」


声が終わると同時に、レオの視界は完全に染みるような真っ白に覆われた。タイムリープに特有の感覚が、今回だけは違う。意識が未来でも過去でもなく、どこにも繋がらない虚無へと吸い込まれていく感覚。


「何だ……?」


レオは瞬間的にその声の主を探そうと意識を研ぎ澄ませるが、頭の中で声だけが反響するばかりで手がかりが一切掴めない。足元が崩れ落ちるような不安定さを感じ、まとわりつく冷たい空気が意識を阻害していく。


やがて、レオは周囲の形が戻り始めるのを感じた。だが、そこにあったのは今朝の光景ではなく、タイムリープ発動前の甲板の景色そのものだった。目の前いっぱいには、隙間が無いほど連合軍の攻撃が敷き詰められ、灰色の景色のまま動画の一時停止のように静止している。


「戻ってない……だと?」


レオの額に冷たい汗が浮かぶ。相手の能力が発動しなかったことなど、一度もない。それなのに。


上空から降り注ぐかのような声が再び響いた。


「ねえ、レオ。そんなに何度も繰り返して、勝った気になって楽しい?私としてはつまらないのよねぇ。だってあなた、最強なんでしょ?この状況をなんとかしてみてよ。」


その声には、冷たい嘲笑と、歪んだ楽しみが混じっていた。それは敵意というより、まるでレオの反応を観察して楽しむかのようだった。


そして、視界いっぱいに広がり停止していた攻撃の嵐が動画を再生するかのように轟音と共に動き始める。


ゴォッ!


被弾のショックで意識を失ったゲロごと、空母は無惨に砕け散る。まるでクッキーを思いっきり踏みつけたかのように、鋼鉄製の空母は跡形もなく塵となって、海に飲み込まれていった。


レオは魔法使いや戦闘機を足場にして別の空母の甲板に着地する。


レオは空を見上げて、目が鋭く細めた。


「お前は……一体誰だ?」


返答はなかった。ただ、頭の中で声の余韻がいつまでも消えずに響き続けていた。その声の主は、この状況を支配している者であることを、何よりもはっきりと示していた。


レオは静かに剣を握り直す。誰かがこのタイムリープの力を管理している。いや、操っているのだ。その相手に辿り着かなければ、レオの「世界」は繰り返されるどころか、ここで終わるかもしれない。そんな予感が胸をよぎった。


甲板の中央部に、突如黒い空間が現れゆっくりと捩れ始めた。音もなく渦を巻くその中心は、まるで異次元への入り口のようだ。甲板の激しい戦闘や爆風が嘘のように、周囲の時間が静止したかのごとく静まり返る。そして、捩れた空間の中央から、試着室のカーテンを優雅に開けるような仕草で1人の女性が現れた。


彼女は妖艶な微笑みを浮かべ、全身を包む艶やかな黒いドレスが光を吸い込むように暗い輝きを放っている。そして、優雅なドレスとは不釣り合いなほど、禍々しく巨大な鎌を肩にかけている。まるで、命を刈り取るような形をしている、そんな印象を受けた。


しなやかな肢体を持つその若い女性は、肩まで届く艶やかな黒髪を揺らしながら軽く首を傾げた。


「やっと、私の出番ね。」


ヒュオッ


風を斬り裂く音が女性に迫る。


「...あら?」


女が何か言い終わる前にレオは踏み込み、女の喉笛を目掛けて剣を一閃していた。


しかし、手応えはない。空を斬る音が衝撃波となって周囲の海面ごと空母を揺らした。女は一歩後ろに下がり、レオの攻撃をひらりと回避している。


「やだ。レオは積極的に女性を傷つける人では無かったと思うのに。しかも、自己紹介も終わってないのに不意打ちだなんて。とても最強を名乗る人のやり方とは思えなくてよ?」


彼女の声は甘く響くベルのようでありながら、その底には冷たい氷刃を思わせる鋭さがあった。


「あいにく、後ろがつかえているんだ。さっさとご退場願おうか。」


今の身のこなしで分かった。この女、相当な手練れだ。おそらく先ほどレオと互角の戦いを繰り広げた剣士、ゲロ•クリエイションと同じかそれ以上。


「私の能力を治癒代わりに使うってことは、それだけあなたが追い詰められた、ってことかしら?」


レオの視線が鋭く彼女を貫いた。これまで数えきれないほどの敵を見てきたが、この女には何か異質なものを感じる。それは、全てを見透かして楽しむような冷ややかさだった。


「俺がお前を観客席からステージ上に引きずり出した 、そんな解釈もできるだろ。」


「あら、そうね。けど、女性が楽しくお話ししている最中に水を差すなんてあなた無粋ね。」


「水を差されるのは嫌いか?なら代わりに俺の愛剣を深く深く刺してやろう。」


女性は一歩踏み出し、優雅に甲板の先端へ進む。


「ふふ。それは楽しみ。」


振り返り微笑みを浮かべながら自己紹介を始めた。


「紹介が遅れたわね。はじめまして。私はエリス・リフレイン。あなたのこと、ずーっと観てたわよ。」


「貴様が……タイムリープを俺に仕掛けたやつか。」


レオが剣を握り直し、怒りを帯びた声で問いかけると、エリスは楽しげにクスクスと笑った。その目はレオを値踏みするかのように輝き、黒いドレスが風もないのに揺れている。


「ええ、そうよ。」


エリスは胸に手を当てる仕草をし、心から愛おしむような目を向けた。


「あなたの戦い方、本当に素敵だったわ。どれだけ追い詰められても抗うその姿。私、夢中になっちゃった。」


その言葉には純粋な感嘆が混じっていたが、同時に底知れぬ悪意も滲んでいる。


「だがなぜだ?」


レオが一歩前に出る。


「目的は何だ?遊びか?それとも復讐か?」


「さあ、それはどうかしら。」


エリスは肩をすくめ、また楽しげに微笑む。


「でもね、レオ。あなたに言えることが一つだけあるわ。」


彼女の声が少しだけ低くなり、空間そのものが震えるような重みが加わった。


「このゲームを終わらせるのは、私の気分次第ってこと。」


その瞬間、エリスの周囲に黒い霧が立ち込め、時間が再び動き出した。レオの周囲から魔術師たちの詠唱や飛竜の鳴き声が再び押し寄せてくる。だがレオは、その中でエリスの笑顔をじっと睨みつけていた。


「なら、俺はその気分をぶち壊す。」


レオの声には揺るぎない決意が宿っていた。

エリスは微笑みながら、そっと手を振る。


「試してみて?最強さん。」


そしてデスサイズを背負った彼女の姿は黒い霧とともに消えた。しかし、その不穏な笑みだけがレオの脳裏に焼き付いていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ