第三章 繰り返す幸福
枕元に置かれた時計を見ると、時刻は昨日と同じ時間だ。苛立ちを覚えながらも冷静に状況を確認するため、ベッドの上でゆっくりと体を起こす。隣を見ると、やはり昨日の朝と同じように、酒臭い女が浅い寝息を立てている。
「どうなっている……?何者かから攻撃を受けているのか?」
頭の中で『世界』に問いかけた。
『いいえ、能力による危害は加えられていません。その場合、あらゆる脅威からレオ様を守るというルールが発動するはずです。』
『世界』の返答はいつも通り冷静だが、そこに安心感を覚える余裕などなかった。
「超高精度な予知夢を見たということか? いや、それにしては説明がつかない。あまりにも感覚がリアル過ぎた。」
その後、混乱するレオをよそにスケジュールは淡々と進んでいく。祝勝会のメニュー、別荘に訪れた美女たちの名前や顔、提供されたフルーツの種類や味は、どれも細部に至るまで昨日と完全に一致していた。これは偶然な訳がない。超高精度な予知夢を見たとしても、レオが意識的に能力を発動した記憶はない。
薄暗い照明が高級なリビングルームを優しく包む。別荘の広い窓からは青く染まったプールが見え、その向こうに海が夕焼けを反射して静かに輝いている。だが、その美しい景色も、ソファに深く腰を下ろしたレオの苛立った表情を和らげることはなかった。
レオは顎に手を当て、足を組んだまま沈黙している。その顔には不機嫌さがはっきりと表れており、部屋にいる美女達は、互いに顔を見合わせながらも彼の顔色を窺うばかりだ。
「……レオ様、お飲み物はいかがですか?」
美女のうちの1人であるサラが恐る恐る尋ねる。彼女の声は柔らかく、手に持つグラスはレオの好みに合わせて準備されたものだ。
「要らん。」
短く返されたその言葉に、彼女は軽く怯えた様子を見せたが、それ以上は何も言わずに引き下がった。
別の美女が音楽をかけようと提案し、また別の美女がダンスを披露しようとする。だが、どれもレオの反応を引き出すには至らない。彼の目はどこか虚ろで、まるでここにいないかのようだった。
時間だけがじりじりと過ぎていく。気まずい空気の中、ようやくレオがソファから立ち上がった。
「……夕食にしよう。」
その一言に美女達は目を輝かせ、空気が一気に変わった。彼女達は次々にレオのもとへ駆け寄り、その腕を取ったり、柔らかな声で囁いたりする。
広いプールサイドではなく、今度はベッドルームでの宴だ。
豪奢なシャンデリアの下、巨大なベッドの上で彼女たちと戯れるレオ。笑い声や甘い声が部屋を満たし、シルクのシーツが乱れ、まるで絵画のように艶やかな光景が広がる。
レオもその中で一時的に現実を忘れ、彼女たちの柔らかい肌に触れ、髪を撫でながら酔ったように笑みを浮かべた。欲望に身を任せ、満たされたように見える瞬間。
すべてが静まった頃、レオは巨大なベッドの中央に横たわっていた。周囲には寝息を立てる美女達が並んでいる。シーツをほんの少し引き寄せ、彼女達が寒くないようにかけ直した後、天井をじっと見つめた。
「こんな日々も……後二、三日したら飽きる。この前思った通りになったな。」
彼の呟きは、誰にも届くことなく闇に消えた。
「こんな幸せがいつまでも毎日続けば良い。」
昨日そうやって自分に言い聞かせた言葉通りの生活。しかし、レオの心は幸せとは程遠い状態になっていた。
「明日は、明日こそは、今日じゃなく明日がやって来るよな?」
その声に『世界』が反応する。
『レオ様、今日は珍しく精神が優れないようです。早めの就寝を推奨します。また、先ほどの発言は理解に苦しみます。後二時間もすれば日付が変わり、明日は今日になりますよ。』
『世界』の声に安心したレオは口角を少しあげ、瞼を閉じた。徐々に眠気に飲み込まれるように、意識が遠ざかっていく。
意識が途切れる直前、心なしか視界が不自然にぐにゃりと歪んだ気がした。
翌朝、レオは『世界』の声で目が覚めた。
『レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。』
天井を見てすぐに分かった、別荘ではなくここは超高級ホテルだ。念の為日付を確認したが、大会優勝の翌日のままだ。つまり、三度目の『今日』がやってきた。
苛立ちを押さえつけながらも、隣に居る女の寝顔に目をやる。どんなに美しい顔でも、漂う酒の匂いと安らかすぎる寝息は気に障る。
「……いい加減うんざりだ。」
手を軽く振り上げ、命じた。
「その女をそいつの家に転送しろ。」
瞬間、女はふっとベッドから消える。残ったのは乱れたシーツとわずかな体温の痕跡だけだ。
その場に座ったまま、レオは息を吐く。苛立ちは少しだけ収まったが、根本的な問題は何一つ解決していない。
「誰かが俺を弄んでいるのか……?」
手元に置いていたグラスを掴み、部屋の窓際へと歩み寄る。外は昨日見た『今日』と同じ朝焼けだ。変わらない景色が、余計に神経を逆撫でする。
グラスの中身を一息で飲み干すと、レオは深く息を吐き、冷静さを取り戻そうとした。
「このループを終わらせる……何が原因であれ、俺をこんな茶番に付き合わせたことを後悔させてやる。」
再び、鋭い視線がその瞳に宿った。
眉間にしわを寄せたレオの内心には苛立ちが渦巻いていた。
レオは深く息を吸い、額に手を当てた。考えを巡らせる中、ふと昨日の自分の行動を思い出す。確か、何かが不自然だと気づき、『世界』に質問したのだ。
「『世界』、教えろ。誰かが俺に能力をかけているか?」
『それはー』
『世界』からの答えが返ってくるより早く、その瞬間、レオの視界がぐにゃりと歪んだ。全ての色が溶け合い、音が遠ざかり、意識が崩れ落ちるようにして消えた。そして。
今、再び目が覚めた。
『世界』の声が耳元に響く。
『レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。』
「確定だ……。」
レオは冷静さを取り戻しながら立ち上がり、ベッドサイドに置かれたグラスの水を一気に飲み干した。
再び試すべく、彼は声に出して命令した。
「俺に能力をかけたやつの名前と場所を教えろ。」
その瞬間だった。
周囲の景色がねじれ、目に映る世界が崩れ始めた。天井、壁、家具、全てが歪み、液体のように溶けていく。レオは立っていられず、床に崩れ落ちた。
そして、再び目を覚ますと、またあの高級ホテルの天井が目に入る。
『世界』が機械のように同じ言葉を繰り返す。
『レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。』
「……俺をなめてるのか。」
レオの声は低く響いた。苛立ちを抑えきれず、彼は拳を握りしめた。何者かが仕掛けた能力、それが少しずつ明らかになりつつあった。
「分かってきたぞ。」
レオは、冷静な表情の裏に鋭い決意を宿した目でつぶやいた。
「何者かが俺に能力をかけている。そして、このタイムリープの条件は、日付が変わる時自動的にタイムリープが発動する。もしくは、俺が新たな命令を『世界』に下そうとするたびに、能力を使おうとするたびに発動する……。」
彼の手が再びベッドのフレームを強く掴む。ここから抜け出すには、能力を使わずに敵を特定し、タイムリープのループを破る方法を見つけるしかない。
レオの心には苛立ちと同時に、久々に味わう興奮が湧き上がっていた。
「退屈な毎日だと思っていたのは撤回する。これほど未来を、明日を望むようになったのはいつぶりだ?どこの誰だか知らんが、俺を弄んだツケをしっかり払ってもらうぞ。」
レオの声に『世界』が反応する。
『レオ様が最後に明日を強く望んだのは855年前、後に奥様になる幼馴染の女の子、アイ様とデートの約束をした日か、息子さんと3人でピクニックに行った日以来ですね。』
「バッ、お、お前いきなり何を言って…あ。」
再びレオの視界が歪み始めた。
—-
カーテン越しに差し込む朝の光が、レオのまぶたを軽く叩いた。瞼を開けると目に入るのは、毎度おなじみの豪華な天井。隣には、酒臭い寝息を立てる美女がいる。
『世界』の声が響く。
『レオ様、おはようございます。4月2日、朝の8時です。二時間後に大会の優勝者インタビューですよ。』
「……またか。」
レオは苛立ちを隠せないままベッドから起き上がり、乱れた髪をかき上げた。
「女を家に転送しろ。」
そう命じると、瞬時に隣の女の姿が掻き消える。
静寂が戻り、レオは深い息をついた。冷たい水を一口飲みながら、頭を整理し始める。
「誰が、いつ俺に能力をかけた?」
考えが堂々巡りする。いつもなら『世界』に全てを任せて解決できた。それが今回に限って、タイムリープのたびに意識を失い、起きれば同じ朝を迎えている。
「……くそっ。」
手にしたグラスをテーブルに強く置く。その音が静寂の部屋に響く。
今までの状況を整理する。何者かが自分に能力をかけたのは間違いない。だが、その発動条件が「俺が新たな命令を下すこと」だとすれば、敵の能力は俺の【想像と創造】を封じることを意図している。
「……ずっとこんな日が続けばいい、か。」
レオは苦笑した。幸せな日々。美女に囲まれ、豪華な宴に酔いしれ、満たされるだけの日々。その甘美な罠に足を取られそうになった自分に嫌悪感を覚えた。
「幸せな日々……それが罠だ。」
気づいた。これが『世界』の防御範囲外だということも。
『あらゆる脅威から俺を守れ』という命令の穴を突かれている。これは直接的な危害ではない。「幸せ」を与える能力で、結果的に俺を追い詰めているのだ。
「誰だ……? この日、この場で俺に能力をかけたやつは。」
考えを巡らせる。タイムリープのループが始まるのは、祝勝会が行われたこの日、4月2日だ。
ならば、この日に接触した誰かが鍵だ。美女たちか、スポンサーか、記者か。あるいは、会場のどこかで目にもしなかった誰かかもしれない。
「大会当日じゃなくて、4月2日の祝勝会を繰り返している、ここにヒントがあるはずだ。」
レオは深く息を吐き、ベッドに腰を下ろした。
「……上等だ。」
苛立ちの奥に、久々に感じる挑戦への期待があった。ループを破るには、相手を見つけ、打ち破るしかない。
レオにはまだ奥の手があった。
レオの真骨頂はその異能や戦闘能力や膨大な戦闘経験だけではない。これまでの長い人生で、さまざまな国家や組織の軍事研究に携わり、肉体や能力の情報を渡す見返りとして最先端のテクノロジーを提供してもらっている。
レオの豪邸は世界中に複数存在している。警備員や管理人が居なくても問題ない。地上から見ると緑豊かな自然に溶け込んだ静かな邸宅に見えるが、内部はその外観とは裏腹に、最先端のテクノロジーが張り巡らされた要塞だ。
地面の下には複数の格納庫が隠されており、無人ドローンが待機している。これらのドローンは高性能なAIによって制御され、非常時には戦闘用のモードに切り替わる。
邸宅の内部には、複数のAIアシスタントが配備されている。声によるコマンドや生体認証で全ての設備を操作でき、壁に埋め込まれたスクリーンがレオの好みに応じて情報を表示する。
「リビングルーム」と呼ばれる広大な空間には、シームレスに統合されたオペレーションセンターがあり、各国の軍事研究プロジェクトとリアルタイムで連携できる。
ここでは、最新鋭の兵器開発から気象操作技術、さらには医療研究まで、さまざまなデータが管理されている。
レオはどこに居ても、世界中の出来事を監視し、指令を下せる立場にある。
彼にとって、これらの豪邸はただの居住空間ではない。それは彼の影響力を象徴する「拠点」であり、彼の能力をさらに広げるためのツールなのだ。
レオはベッドの端に腰を下ろし、深く息をつく。豪華な天井と高級感漂う家具が並ぶこの部屋も、もう見飽きた。だが今は、この退屈なループを抜け出す手がかりを探ることが最優先だ。
「『世界』を使わなくても、俺には手足が幾らでもいる。」
そう呟き、手を一つ叩いた。その音が部屋の静寂を切り裂くと同時に、窓の外からドローンの低い羽音が聞こえてきた。
窓に近づくと、無人ドローンが高層階の窓際に静かにホバリングしている。機体には漆黒の光沢があり、目立たないように設計されている。ドローンは器用に小箱を落とすと、また音もなく去っていった。
レオはその小箱を拾い上げた。手のひらに収まるほどのサイズ。開けると、中には薄いスマートコンタクトレンズが2枚収められていた。
「ふむ、これでいい。」
レオはそれを素早く装着すると、視界が一瞬だけ暗転し、すぐに薄い青いインターフェースが現れた。
『システム起動中。全機能正常。』
レンズ越しに視界が拡張され、通常では見えない情報が次々に浮かび上がる。部屋の温度、湿度、周囲の構造、そして背後のベッドに残された体温の痕跡まで。
「便利なものだ。」
レオはスーツを羽織り、部屋を出た。
「作戦は単純、テクノロジーを使って、刺客を見つけ出してやる!」
廊下は赤い絨毯が敷かれ、壁には装飾的な灯りが等間隔に並んでいる。通りすがるホテルマンたちの姿を視界に捉えるたび、レンズが情報を弾き出す。
『心拍数、正常。ストレスレベル、軽度上昇。』
『実年齢、34歳。隠し武器、なし。』
エレベーターに向かう途中、すれ違った料理人も、掃除をしているメイドも、全員が一瞬緊張した表情を浮かべる。しかし、それは有名人に遭遇した時の反応に過ぎない。
「……なるほど。大衆的な緊張だ。隠し事による動揺ではない。」
レオは冷静に結論付けた。ホテルのスタッフたちは、少なくとも直接的な脅威ではない。
レストランの入り口をくぐると、朝食を楽しむ宿泊客たちがざわついた視線を向けてきた。スマートコンタクトの表示が、彼ら1人ひとりの情報を読み取る。
『心拍数、正常。』
『隠し武器の所持、なし。』
『ストレスレベル、標準範囲内。』
レオはそのまま予約席に案内され、コーヒーを頼む。
「ここには脅威がない……。」
そう呟き、カップを一口飲むと、窓の外を見つめた。その瞳には鋭い警戒心が宿りつつも、わずかな苛立ちが滲んでいた。
「ならば誰が仕掛けた? どこで?この後の祝勝会か?それとも既に仕掛けは終わっているのか?」
窓越しにキラキラと輝く太陽は、世界を明るく照らすだけでレオの心には暗い影が落ちていた。
—-
祝勝会の会場は豪奢なシャンデリアが輝き、きらびやかな装飾が施された広間に、富裕層やスポンサー、関係者たちが集い、熱気に包まれていた。立食形式で提供される高級料理の香りが漂い、至るところで笑い声と歓談が交錯している。
レオはその中央、壇上で質問に答えながら、どこか居心地の悪さを感じていた。質疑応答が終わり立食の時間になった。レオはスポンサーの重鎮である小太りの男性に話しかける。
「おい、他に手練れの能力者は居ないのか?昨日の大会は歯応えがない奴らばかりだったぞ。」
雑談のフリをしてレオに能力をかけた人に心当たりがないか聞く作戦だ。
このオヤジが何も知らないなら、他のやつに聞く。面従腹背で悪巧みをしているなら、スマートコンタクトレンズが嘘をあばく。まあ、嘘をついたことがバレて俺に殺されるリスクを取るより、大抵の人間は嘘を諦め正直に話すがな。にしても、能力が使えれば本人の意思に関係なく知ってることを吐き出させられるんだが。人類は【思ったことが現実にならない】という面倒な生活をしているのか、信じられん。
レオ様の機嫌を損ねてはいけない。スポンサーの重鎮は作り笑顔を張り付かせ汗をかきながら必死に答える。
「ええもちろん、毎日優秀な能力者を我が財閥総出で探していますよ。見つかれば必ず大会に参加させます。とは言え、今回も選りすぐり達が参加しましたが、レオ様にはかないませんでしたな。まあ100年以上もこの大会を開いていれば、自ずと傑物の数も減って来ると言いますか…。」
レオのご機嫌をとりながら最善を尽くしているという姿勢を見せる。この社交力がこいつを権力の座まで登らせた武器なのだろう。
「しかし不殺限定の大会では能力者の真価を発揮できず、逆にレオ様を満足させられない可能性も…。」
「分かった、もういい。」
「ひっ!」
嘘はついていない。これ以上この男から話を聞いても無駄だ。人睨みすると途端に震えて縮こまった。蛇に狙われないように必死で身を縮めるウサギのようだ。
汗臭いオヤジに背を向け去ろうとした時、彼はレオに怯えながら話しかけた。
「しかし、我々の手を借りずとも、レオ様はご自分の能力で【レオに匹敵する使い手を教えろ】と世界中から探すことも可能なのでは?」
「!!」
レオはその言葉に絶句した。
「その場合はぜひ、大会出場候補者に推薦したい人が居る、とお伝えいただければと…。」
小太りなスポンサーの声が遠のいていくのを感じた。こいつは何も気づいていない。だが、レオの現在の弱点を露わにするコメントを残していた。
レオの胸中で何かが引き攣るような感覚が走った。
(しまった。その通りだ。さっき俺がした質問は、まるで俺は今能力を使えないことを暗に認めているようなもんじゃないか…。)
レオは咄嗟に表情を引き締め、平静を装いながら軽く笑って返答する。
「毎回全部分かってしまうと面白くないだろ?お前らが用意した舞台で、何が来るか分からないという楽しみがあるからこの大会に出ているんだ。」
スポンサーの重鎮は「なるほど」と微笑みながら頷いた。だが、レオは複数の鋭い視線が背中に刺さっていることを感じた。
レオはその場をやり過ごし、杯を手に人混みの中へと戻る。だがその瞬間、スマートコンタクトレンズが微妙な異変を検知した。視界の端に現れる警告表示、複数の人物が心拍数を上昇させ、同時に彼へ意識を向けている。
(一般人を装ったプロが混じっているな。)
レンズの機能で即座に彼らの情報を確認する。視界にはターゲットの輪郭が薄い赤でハイライトされ、個人データが投影された。名前、年齢、国籍、そして職業欄には「記録なし」の文字。
(記録なし…か。間違いなく奴らは裏社会の手練れ、もしくは俺を敵対視する国の諜報員だな。)
祝勝会の会場に広がる賑やかな笑い声と音楽。その中で、レオの背筋を一瞬にして緊張が走った。視界の端でわずかに光が反射する、人混みから飛び出した細い針。
(来たな…)
針がレオを目掛けて飛来するのとほぼ同時に、上空の巨大なシャンデリアが不自然な揺れを見せ、重力に引かれるように落下してきた。瞬間的な二重の攻撃。
周囲の賑やかさがまるでスローモーションのように遠のく中、レオは即座に行動を起こした。
足をわずかに引き、腰の剣を抜き放つ。流れるような動作で刃を一閃すると、巨大なシャンデリアが粉々に砕け散り、きらびやかな破片が会場全体に舞い上がる。その一瞬の間に、刀身を滑らせて飛来した針を弾き返した。
その刹那、弾き返された針は鋭く飛び戻り、人混みの中に潜んでいた放った者の脳天に突き刺さった。男は一声も上げずに崩れ落ち、床に沈黙する。
周囲の参加者たちは一瞬何が起きたのか理解できず、呆然と立ち尽くした。次第に「レオ様…!」「助けてくれたんですね!」と歓声と拍手が巻き起こり、恐れおののく者、腰を抜かして退場する者、事態を演出だと勘違いして飲食を続ける者が入り混じる混乱状態となった。
「チッ…」
舌打ちを漏らすレオ。
レオの目は群衆の中の特定の人物たちに固定されていた。視界の端でハイライトされる数名。スマートコンタクトレンズが赤く彼らの動きを追跡している。
その中の1人が群衆に紛れ、耳元のインカムに何かを囁く。コンタクトレンズが音声を即座に拾い上げ、視界に文字が浮かび上がる。
「レオは現在能力を使えなくなっている。理由は不明。消すなら今が好機。」
(やはりか…!)
レオの表情がわずかに歪む。その瞬間の緊張感を見逃さない者は、会場にいる手練れの諜報員たちだろう。
レオは一見、再び穏やかな微笑みを浮かべ、群衆に礼を言いつつ場をやり過ごした。しかし、その瞳の奥には冷徹な計算が渦巻いている。
(俺が能力を使えないと知った奴らが動き出したな…俺にタイムリープ能力をかけたやつがこいつらの組織にいるなら、わざわざ攻撃をしてこなくても俺が今能力を使えないことを把握しているはず。
タイムリープの能力者とは別の組織が襲って来たか。今まで取るに足らない存在だと放置していたが、ちょうど良い。俺を消すためにどんな勢力が動いているのか知らんが、一網打尽にしてやる。)
祝勝会の喧騒の中、レオは一見何事もなかったようにテーブルの前に座り、ワイングラスを軽く けた。口元には微笑が浮かび、周囲の目から見れば、ただ食事を楽しみながら談笑しているだけのように見えた。
しかし、その指先は別の動きを見せていた。手元に置かれた銀製のフォークとナイフを無造作に取り上げると、無音の相妻のような速さで振り抜き、群衆の中に紛れていた諜報員たちに向けて投げ放った。
最初のフォークが空気を裂き、視界の端に立っていた男の喉元に突き刺さる。彼が驚きに目を見開く間もなく、続いて投げられたナイフが別の男の胸部に深く突き立った。三投目、四投目、鋭い刃は正確無比に標的を捉えていく。
周囲の賑やかな音に掻き消されるような軽い金属音とともに、複数の男たちが崩れ落ちた。動きの早さ、的確さ、そして非情さは、まさに神業としか言いようがない。
「キャアアアア!」
突如倒れる男たちを見て、周囲の参加者から悲鳴が上がる。床には血が滲み、食器が刺さった遺体が無惨に横たわる。豪華絢爛だった会場は一瞬で修羅場と化した。
「何が....?」「誰か警備を呼べ!」
スポンサーや招待客たちは恐怖に駆られ、席を立つ者や出口に殺到する者が続出する。その中で、周囲の混乱を意に介さず、レオは丁寧にナプキンで口元を拭った。
近くにいたスタッフに
「スイートルームに食事を運んでくれ」
と軽く指示を出し、悠然と会場を後にした。
その15分後、高層階のスイートルームで運ばれてきた豪華なランチを味わいながら、レオは冷静に次の一手を考え始める。
レオは窓際のテーブルに座り、銀のスプーンでプリンを掬いながら、ぼんやりと窓から見える地平線を見つめていた。
スマートコンタクトレンズが投影する情報が視界に浮かび上がる。レオが食事を続ける間も、AIは冷静に計算を重ねていた。
『先程パーティ会場に混じっていた手先は、それぞれA、Bの2カ国から来ていたようです。レオ様がA、Bの2カ国を滅ぼすなら、別荘のロボット兵を活用し、AIのサイバー攻撃を仕掛ければ2日で制圧可能です。』
何の感情も含まない平坦な声が脳内に響く。AIの無機質な提案に対し、レオは唇を歪めて笑う。
「2日か。タイムリープがあるから1日ずつ分けて潰すしかないってことか。」
皮肉げに言いながら、プリンを口に運ぶ。甘さが舌の上で溶けていく感覚を楽しみながらも、目は決して和らぐことはなかった。
AIはさらに冷静に続ける。
『もし深海に保存している核ミサイルを使用する場合、2カ国を1日で消滅させることが可能です。より迅速な解決策と言えます。』
レオの手が一瞬止まった。スプーンの柄を指先で軽く回しながら、窓に映る自分の姿を見つめる。
「バカが、そんな真似してどうする?」
語気を荒げることなく、しかし冷たい響きでAIに返す。
「世界中が更地になったらどうなる?衛生環境は崩壊し、流通は途絶え、美味い飯も女も手に入らなくなる。俺が好きなものが全部消えるってことだ。」
AIは沈黙した。レオは窓の外を眺めながらスプーンを静かに置き、深く息を吐いた。
「世界を滅ぼすのは簡単だ。でも、その先に何が残る?俺が望むのは荒野になった荒れ果てた庭を支配することじゃない。俺にとって居心地の良いこの舞台が続くことが大事なんだ。」
レオの視線は街の風景を超え、遥か彼方の空に向けられる。
「AIによるサイバー攻撃による脅し、そして各国の首相邸宅に突撃して直接聞き出すことが現実的か…。」
窓際に立つレオは、いつものように穏やかさとは無縁の冷徹な目で外を眺めていた。だが、その瞬間、遠くの空に異常を察知する。
「.....来たか、思ったより早いな。」
視界の端に捉えたのは、軌跡を描きながら猛スピードで接近するミサイル。スマートコンタクトレンズが瞬時に脅威を解析し、警告を表示するが、レオは動じることなく窓ガラスを蹴破った。
高層ホテルの最上階から飛び出したレオは、冷たい風を切り裂きながら空中で抜刀した。鋭い刃が日光を反射し、青空に銀色の線を描く。
「俺にこんな安い挑発をしてくるとはな.....愚か者め。」
ミサイルが爆発する寸前、レオは一閃。衝撃波すら抑え込むかのように、刃がミサイルを斬り裂き、破片が花火のように散る。
轟音と光が空を裂くが、ホテルには一切の被害が及ばなかった。
空中で体勢を整えるレオの足元に、AIが操縦する大型ドローンが素早く接近してきた。高性能ジェットエンジンの唸りを響かせる専用機は、最先端のステルス技術と防衛システムを兼ね備えている。
レオは軽やかにその上に着地すると、剣を鞘に収めた。スマートコンタクトレンズが敵の情報を解析し、AIの声が耳に響く。
『A国のミサイルです。発射地点の特定が完了しました。』
「A国だと?」
レオの声は低く、怒りを内に秘めたものだったが、その眼光は青空の下でなお冷たく鋭い。
「穏便に済ませようと思ったが......もう終わりだ。先に攻撃してきたのは向こうだ。正当防衛を喰らっても文句は言わせないぞ。」
レオが軽く指を鳴らすと、ドローンのエンジンが一層高鳴り、彼を乗せたまま空を駆け出した。疾風のような速さで高度を上げ、空気を切り裂いて進む専用機。その背後に漂うのは、青空を汚す爆煙だけだ。
「A国に着いたら、即座に攻撃態勢に移る。ついでに奴らの本部を徹底的に洗いざらい叩き潰してやる。」
青空を背に、復讐の刃を秘めたレオはそのままA国へと突き進む。空中に響くドローンのエンジン音は、次の災厄の幕開けを告げていた。
—-
一個人が国家に挑んで叶うはずがない。だが、それはあくまで一般人の場合に限る。
A国の大地は、爆煙と瓦礫が織り成す戦場と化していた。空から降り立ったレオは、全身を漆黒のパワードスーツで覆い、その姿はもはや人間の枠を超えた「戦場の支配者」のごとく威圧的だった。
「さて、国家相手に1人で挑む俺の力、存分に味わわせてやる。」
静かな声でそう呟くと、スーツに内蔵されたAIが戦況を次々と解析し、ディスプレイに表示する。
戦場に響く轟音は、敵兵器同士の同士討ちによるものだった。AIが敵の通信網を完全に掌握し、戦車やミサイルの制御を乗っ取ったのだ。兵士たちは目の前の戦車が突然味方に砲撃を開始する光景に恐怖し、次々と無線で助けを求めたが、それすらもAIによって偽の命令に置き換えられていた。
「司令部へ緊急報告!後方部隊が暴走しています!」
「なんだと?それは君の指示だろう!」
「違います!これは……何かに乗っ取られている!」
「少佐!前進と後退、両方の指示を同時に出されても困ります!」
「待て、少佐は先ほど戦死した!お前らに指示を出したやつは一体誰だ?」
「けどさっきのビデオ通話観ました?声や話し方、見た目も少佐でしたよ!?亡霊だとでも言うんですか!?」
「ええい、そんなの俺が知る訳ないだろう!」
司令部はディープフェイクによる偽の指示に翻弄され、完全に機能不全に陥っていた。レオは戦場を歩きながら、混乱する敵兵を冷ややかに見下ろしていた。
戦場の片隅で、土埃の中から現れたのは、岩を浮かせて投げつけてくる超能力者や、大地を操る魔術師たちだった。彼らは通常の兵士をはるかに凌ぐ力を持ち、国家の切り札とも言える存在だった。
「ほう……少しは楽しませてくれるのか?」
レオは興味深げに目を細め、飛来する巨大な岩を片手で受け止めると、そのまま握りつぶして粉々にした。
魔術師が足元の大地を操り、彼を飲み込もうとした瞬間、レオのスーツに搭載された推進システムが作動し、爆発的な加速で上空に跳んだ。空中から敵を見下ろしながら、スマートコンタクトレンズが敵の能力や弱点を即座に解析する。
「魔力を腕に集中させ過ぎて防御が疎かになっているぞ。」
レオは空中から鋭利なナイフを放ち、魔術師の額に突き刺さる。彼が倒れると同時に大地の動きも止まり、他の兵士たちが再び混乱に陥った。
レオはその場に止まらず、スーツの補助を最大限に活用して敵陣を次々と制圧していった。スーツの内部では関節や筋肉への負荷が最小限に抑えられ、レオの動きは滑らかかつ効率的だった。
「全自動のベルトコンベアみたいな戦場だな。俺はただ歩いているだけで、すべてが終わる。」
彼が指を一つ鳴らすたびに、AIが遠隔操作で次の敵兵器を無力化し、無数のドローンが上空から精密攻撃を加えていく。
「何でだよ!レオは今能力を使えないんじゃなかったのか!?こんなの反則じゃねぇか!」
敵指揮官の絶叫が聞こえて来た。レオは怯えて腰を抜かしている兵士の顔の前まで腰を下ろした。
「あのな弱兵、良いことを教えてやる。俺は能力を使わなくても強いから最強なんだ。いい土産話ができたな、あの世に持っていけ。」
そう言ったレオは敵中隊指揮官の首を刈り取った。目を剥き嘆願する顔のまま地面に転がった首は、他の兵士達の戦意を奪うのに十分過ぎた。むしろ、よく今まで士気を保てていたものだ。
逃げ惑う兵士たちは命惜しさに次々と武器を投げ捨て、地面に平伏して投降する者が後を絶たなかった。
「戦場は自分で選べ、お前らは俺と違って命は一つしかないのだから。」
戦意のない兵士は放っておくことにした。腐っているのはこの国の司令部だ。レオを不快にさせない限り、もしくは対等な戦士だと認めない限り、レオは相手の命を奪わない。
狂乱状態になって銃を乱射する兵士達には容赦ない刀身が牙を向く。血を飛散させ、地面を赤く染めていった。潰れたトマトのように無数の兵士がその場に沈み、惨状と化した戦場には、不気味な静けさが戻る。
「待て、待ってくれレオ!待ってください!俺は悪く無いんです!国に命令されただけでー」
軍の最高司令官が最後の抵抗を試みたが、その刹那、レオの剣が振り下ろされ、その首が宙を舞った。
「価値のない命だ。」
レオは無造作に首を掴み、そのまま首相官邸へと向かった。
首相官邸では、レオの進行に焦り逃げ出そうとするもの、部下に当たり散らすもの、一般人に変装するもので溢れ大混乱していた。
そんな時、閃光を放ちながら屋根を一刀両断し、レオは空から姿を現した。首相官邸の豪奢な会議室が瓦礫と化し、住えた大統領や閣僚たちは叫び声を上げながら四散した。
「タイムリープの能力者を仕掛けたのはお前らか?」
レオの声は低く、鋭い剣を思わせる冷たさが満ちていた。
閣僚の1人は床に崩れ落ち、涙を流しながら
「違います!そんな能力者なんて知りません、黒幕は我々ではありません!どうか命だけは!」
と震え声で叫ぶ。他の者たちも味え切り、何も知らないとロ々に訴えた。中には腰を抜かして失禁する者さえいた。
「黒幕は自分じゃないだと?ゴミ虫どもめ。敵が弱ってると思った途端に不意打ちを仕掛け、己は戦場には出ず、自らの立場が危うくなった瞬間に命乞いか。こんな愚図に使い捨てられた兵士が可哀想だ。お前らみたいなのは戦士と呼ばん。」
レオは冷たく吐き捨て、スマートコンタクトレンズが解析した心拍や表情から、彼らの言葉が嘘ではないことを確認した。
レオは視界の端に目をやり、コンタクトレンズ内に午後11時50分と表示されていることを確認した。もうすぐ日が変わる。
「となるとループ能力者を差し向けたのはB国か......日付が変わったらホテルから速攻で出て叩きに行くか。」
冷蔵庫の卵が少ないからスーパーへ買いに行くか、その程度のトーンでレオは冷徹に刀を振るう。閣僚たちが恐怖に顔を歪ませて逃げ惑う中、彼は次々とその首を落としていった。
12時を過ぎればまた4月2日が繰り返される。閣僚達の命を奪う必要なんてなかった。だが、不快だったから斬った。まるでゴキブリを見つけたら何も考えずに叩き殺すのと同じ感覚。悲鳴と断末魔が夜の静寂に消えゆく中、彼は1人悠然と立ち尽くしていた。
日付が変わる瞬間、レオは視界が歪む感覚を待った。だが、待てども待てどもそれは訪れない。
時計の針が午前0時を越え、さらに30分、1時間と進んでいく。
「どういうことだ?」
スマートコンタクトレンズは日付を正確に表示していた。日付は4月3日を示している。
「ループしていない......?」
自らの推測が外れたことにレオの表情が険しくなる。戦場から続いていた冷たい静けさが、彼の心の内にまで忍び込むようだった。
レオは刀を鞘に収め、静かに夜空を見上げた。星々の輝きは美しく、それが昨日と同じ世界であることを示しているようだった。だが、確実に何かが変わった。
「明日を迎えたのはいいが......何が理由だ?」
これまでのループではやっていないことは何か考えてみる。戦争、人を殺すこと、犯罪。どれがトリガーで時は進んだ?能力は全て解除されたのか?能力を仕掛けたやつにとって、俺がタイムリープを解除する可能性を残しておくことにどんなメリットがある?
あんなに望んだ明日がやってきたのに、何か釈然としない。
迷路に迷い込んだはずが、目を閉じて歩いただけで出口にたどり着いたような奇妙さだ。まるで、黒幕がこの状況になることを望んでいて、敷かれたレールの上を進んでいるような。
彼の中で生まれた疑間は、これまでに経験したどんな戦場の脅威よりも厄介なものに思えた。