第一章 退屈な勝利
暗闇の控え室には湿った石の匂いが漂い、重厚な鉄扉の向こうから観客の歓声が微かに響いていた。レオ・クリエイションは木製の椅子に腰を下ろし、肘掛けに頬枝をついていた。その目は虚ろで、どこか遠くを見つめている。
「つまらない。」
小さく呟いた声は、控え室の静寂に飲み込まれる。
彼は思い返していた。あのどうしようもないほど退屈だった一回戦のことを。
—-
20XX年、魔法と科学が融合した現代。
ここはとある国のコロッセオのような巨大な闘技場。四方を囲む席には観客がぎっしりと詰めかけ、魔法の杖や大型ドローンに乗った観客が空を埋め尽くしている。張り詰めた緊張と期待が闘技場内を渦巻いていた。
「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls! ここで決まるのはただ一つ!魔法と科学が発達したこの時代、最強の存在は誰なのか!? その答えを目撃する準備はいいか!!!」
実況席からの声がアリーナ全体に響き渡る。観客席からは興奮と熱気が伝わり、観衆の声が轟く。
「4月1日、今年もこの日がやって来たぁ!今、世界中の能力者が集い、最強の座をかけて激闘を繰り広げている!ルールはシンプル、相手の死か、意識を奪うか、降参するかだ!」
ドローンカメラは闘技場の隅々まで捉え、臨場感あふれる映像を提供している。地上の観客席だけでなく、街角の大型ディスプレイや個人端末にまでリアルタイムで映像が配信され、解説者たちの熱狂的な声が響き渡る。
円形闘技場は巨大な魔法陣のような模様が刻まれ、地面がゆっくりと発光している。観戦用に設置された透明なバリアが空間を覆い、外野にまで魔法や科学兵器の影響が及ぶ心配はない。地面には魔力や熱源を吸収し、攻撃を無効化する最先端のテクノロジーが施されている。
スタジアム中央の巨大スクリーンには選手たちの名前と紹介が映し出されていた。観客の歓声が重なり合い、轟音となって空を突き抜ける。
世界中が注目する一大イベントの始まりを、空から、地上から、そしてスクリーン越しに誰もが見守っていた。
「魔法と科学の頂点、いざ開戦!!!」
世界最強の能力者を決める大会、その名も「バトルグランプリ」。数多くの能力者が集い、勝ち残った者が最強と認められる。だが、その先に待つものに、果たして何があるのか。レオ・クリエイションは、その場に立っていた。
実況の声が闘技場に響き渡り、観客席の熱狂が一層高まる。視線を集めるのは、二十代前半、肩まで伸びたサラサラの黒髪からは隠しきれない整った顔が見え隠れしている。クールで知的な目元のレオを見た、観客の歓声がさらに高まる。レオはこの大会で何度も優勝しその名を轟かせた、まさに無敵の存在。
「レオ・クリエイション!その美貌に、圧倒的な力。まさに最強の証だ!」
実況が彼の名前を叫ぶと、さらに大きな歓声が上がった。彼の端正な顔立ち、鋭い眼差し、そして引き締まった身体が、観客を魅了している。
「さあ、次に紹介するのは対戦相手、イグニス・フレイムの登場だぁ!!」
コロッセオのような巨大な闘技場に、イグニス・フレイムは登場した。燃えるような赤い髪をライオンのタテガミのようになびかせている。鋭い目つきのイグニスは微かに笑った。観客席からは歓声が飛び交い、その名を叫ぶ声が響いていた。
「お前が噂の最強能力者、レオか。」
イグニスは自信に満ちた笑みを浮かべて、レオを睨みつけた。
「お前が最強だろうが、俺の炎の前では無力だ。」
レオはその言葉に微笑むどころか、一瞥さえせず、ただ興味なさげに背伸びをした。
「うるさい。早く始めよう。」
彼の無関心な熊度にイグニスの眉がピクりと動く。
「その舐めた態度、灰になってから後悔することになるぞ。」
試合開始の鐘が鳴ると同時に、イグニスは腕を振り上げた。突如として熱波が炸裂し、ステージの床が蒸気を立てて歪み始める。空気が歪むほどの高熱に観客は息を呑んだ。
レオは無造作に黒い鎧を纏ったまま立ち尽くしていた。その姿はまるで戦いを退屈に思っているかのようだ。鋭い目だけが相手を見据え、観客からは「不敵な笑みを浮かべている」とすら思われた。
対するイグニスは、炎のように燃える赤髪を揺らしながら両腕を広げた。その動きに呼応するように、周囲の空気が熱を帯び、地面の砂がじりじりと焼け始める。
「おいおい、そんな怠けた態度で俺と戦うつもりかよ!」
イグニスは口元を歪め、手を高々と掲げた。その瞬間、空気が一気に揺らぎ始める。
イグニスの手の中で、灼熱の光球が生まれた。それは瞬く間に膨れ上がり、太陽のような輝きを放つ。観客はその威力に息を呑んだ。
「燃え尽きろ!」
イグニスの叫びと同時に、火球がレオに向かって猛スピードで放たれた。光と熱が衝突の瞬間を予感させ、観客たちは歓声を上げる。
しかし──
火球が直撃したはずのレオの姿は、何一つ変わっていなかった。黒い鎧に煤一つ付かず、彼自身も微動だにしない。吹き荒れる熱風の中で、彼はただ静かに佇んでいた。
イグニスの目が一瞬だけ驚きに見開かれるが、すぐにその表情を余裕の笑みに戻す。
「ほう、さすがは無敵の男だな。ノーダメージのカラクリは知らないが、俺がこれで終わりだと思うなよ。」
イグニスは再び両手を広げ、今度は冷たい気配を周囲に漂わせた。
「俺をただの炎使いだと思ったか?」
彼が叫ぶと同時に、周囲の温度が急激に低下した。観客の吐息が白く染まるほどの冷気が広がり、地面に薄氷が張り始める。
イグニスの手から生み出されたのは、鋭く尖った巨大な氷柱だった。それは光を反射し、透明な刃のように輝いていた。
「熱を操る力を極めれば、空気から熱を奪うこともできる。要するに、冷気すら思いのままなんだよ!」
イグニスが叫び、氷柱を勢いよく投げ放つ。氷柱は猛スピードでレオに向かい、その鋭さと質量で貫くかと思われた。
だが。
氷柱がレオの黒い鎧に当たると、まるで砂が弾けるように粉々に砕け散った。鋭さも冷気も、彼の前では何の意味も持たなかった。
レオは、氷柱が砕け散る様子を見下ろしながら、肩をわずかにすくめた。
「それが、お前の切り札か?」
低く呟く彼の声が、熱気と冷気の入り混じる空気を切り裂いた。
イグニスはその言葉に動じるどころか、さらに不敵な笑みを浮かべた。
「そうさ、これくらいじゃ満足できねぇよな。見せてやる、俺の本気を!」
観客は興奮に震えた。イグニスがこの程度で終わるはずがないという期待感が、会場全体を包み込んでいた。
「次なる一手だ!」
イグニスが叫び、両手を広げる。瞬間、冷気と熱気が同時に空間を満たし始めた。極寒と灼熱がせめぎ合い、戦場全体がひび割れたような緊張感に包まれる。
そして、衝撃波が放たれた。
ドォンッ!
爆発的な振動が広がり、地面がひび割れ、観客席の一部が崩れ落ちる。熱風と冷風が入り混じった爆風が会場を包む中、中心にいたレオの姿は一瞬で見えなくなった。
実況の声が響く。
「イグニス、まさかの一撃!極端な冷気と熱気が同じ空間にあると空気が高密度に圧縮される現象を利用して、衝撃波を作り出したとでも言うのかー!これはさすがにレオも…いや、彼は生きている!」
爆煙が晴れると、そこには無傷で立ち続けるレオの姿。黒い鎧に付着した砂が微かに音を立てて崩れ落ちた。それを見たイグニスの額に汗が滲む。
「これも効かないってんなら!」
イグニスは冷気を操り、レオの黒い鎧を急速に凍らせた。氷が張り巡らされ、鎧全体がキラリと白く光る。そして、次の瞬間、灼熱の炎を叩きつける!
「これで終わりだ!」
実況が興奮気味に叫ぶ。
「凍てつく冷気と灼熱の炎!これが同時にぶつかれば、どんな金属でも脆くなる!見事な防具破壊の一撃だ!」
ゴォォ!
熱の爆風が広がり、レオを包み込む。凍結していた鎧が一瞬のうちに砕け散り、破片が周囲に飛び散った。
だが、鎧の破片がレオの顔に当たっても、血一つ滲むことはない。むしろ、彼は冷静にイグニスを見つめ、口元に笑みを浮かべた。
「鎧を狙ったとは……意外と頭が回るじゃないか。」
そう言うと、レオは片手を伸ばし、手のひらをイグニスに向けた。
その瞬間、地面が揺れた。イグニスの周囲が爆発的に吹き飛び、彼自身も巻き込まれたかのように消え去った。観客席から悲鳴が上がる。
「まさか、イグニスが……!」
実況が息を呑む。
だが、次の瞬間、イグニスの声が響いた。
「残念だったな!」
彼の姿は、レオの攻撃が直撃したはずの場所から少し離れた場所に現れた。蜃気楼だ。冷気と熱気の層を重ね合わせて光を歪ませ、視覚を狂わせたのだ。
「危なかった……!最強と言われるだけあった、油断できねぇな!」
イグニスは額の汗を拭いながら、さらに熱気と冷気を操る。
「これで終わらせる!」
イグニスが手をかざすと、レオの周囲の空気が急激に冷却され、同時に彼の体温が奪われ始めた。皮膚が白く変色し、血流が止まりそうな冷たさに包まれる。
「低体温症で体が動かなくなるだろう。さらに脳の働きも鈍らせる……これで俺の勝ちだ!」
イグニスの声が響く。
実況も同調する。
「これは見事だ!イグニス、火力だけではなく、その応用力を最大限に発揮している!攻撃と防御、そして搦手を巧みに使い分ける戦術だ!」
しかし。
「……何を騒いでいる。」
冷気に包まれ、動けないはずのレオが、平然と立ち続けていた。彼の顔には余裕の笑みが浮かんでいる。肩を軽く動かすと、凍った肌着すら音もなく砕け落ちた。
「俺が生きている限り、お前の全力が無意味に終わるとそろそろ気付け。」
冷たく静かな声が響く。その一言が、イグニスの心に重くのしかかった。
イグニスは再び冷や汗を流す。だが、彼の目はまだ死んでいなかった。
「おい、最強さんよ。知ってるか?」
イグニスは胸を張り、鋭い目でレオを見据えた。その瞳には底知れぬ執念が宿っている。
「宇宙の膨張ってのは、今も続いてる。
ビッグバン、あの宇宙を作った超高熱の爆発だよ。星々をまるでポップコーンみたいに弾けさせ、138億年経った今でも、その余韻で宇宙は広がり続けてるんだ。海底火山から噴き出した溶岩が海水で冷やされながら広がるように、宇宙は冷却されながら今なお拡大を続けている。そして、熱が広がるから時間が進む。」
レオは興味なさげにイグニスを見つめた。
「それで?」
「.....つまり俺は、その膨張に使われてる熱を操れるってことさ。」
イグニスはにやりと笑った。
「ただ熱を操るだけじゃない。俺は宇宙の熱膨張を遅くして、俺以外の時間を止めることだってできるんだよ!」
ビッグバンの熱を操る「時間停止」
イグニスが両手を天に掲げた瞬間、空気が歪み始めた。周囲の砂埃がまるで凍りついたかのように動きを止め、観客のざわめきさえ遠く、低く聞こえる。
「これが、ビッグバンの熱だ。ゲホッ。」
急激な熱エネルギーの操作はイグニス自身の体にも負荷をかける。額に汗が滲み、鼻から一筋の血が流れ落ちた。
「体への負荷が大き過ぎるから、1日数分しか使えない。でも、それで充分。その間にお前を仕留める!」
イグニスの両手に炎が巻き起こり、全身が赤熱するほどの高温に包まれる。その足元からは炎がジェットのように噴き出し、彼の体を猛烈なスピードでレオに向かわせた。
「これで、今度こそ終わりだ!」
イグニスの両手から燃え盛る火球が発射されレオの腹部を捉える。インパクトの瞬間、爆発音が轟き、衝撃波が周囲に拡散する。だが、それだけでは終わらない。
「まだだ!」
イグニスはレオの背後に冷気と熱気を同時に発生させ、再び強烈な衝撃波を放った。不意の一撃をゼロ距離で炸裂させ、その衝撃波がレオの体を揺さぶる。
さらに、反動で吹き飛んできたレオに向かってイグニスは再び両手に炎を纏わせた。さながらプロレスのロープを利用したラリアットのように、跳ね返されたレオの腹部に火を纏った一撃を叩き込む。
鎧を破壊し、時間を止めて動きを縛る。そして、正面、背後、そしてまた正面から致命的な攻撃を喰らわせる。これで倒れなかったものはいない。イグニスは勝利を確信した。
だが、
ゴキッ!
という鈍い音が響いたのは、イグニスの右手からだった。
自らの全力を込めた一撃はレオを貫くどころか、逆にイグニスの右手が不自然な方向に折れ曲がるという結果を生み出していた。皮膚が裂け、血が溢れ、骨が突き出している。
「ぐぁっ、あぁぁぁぁ!!」
驚愕と苦痛の表情を浮かべたイグニスは膝から崩れ落ち、その場に座り込んだ。
停止していた時間もゆっくりと元に戻り、砂埃が再び舞い始める。観客のざわめきが戻る中、実況が叫ぶ。
「なんということだ!気がつけばステージはボロボロ、イグニスは右手から大量出血をして崩れ落ちている!何が起こったのか分からないが、イグニスですら、レオには届かなかったということなのか!?」
立ち尽くすレオは無傷だった。肌も衣服も汚れてはいるが、全くダメージを負っていない。
「ふん.....何かしたみたいだが、無駄だったようだな。火の能力者如きが俺に勝てるとでも思ったか?結果は火を見るよりも明らかだったようだな。」
冷たい声で呟くレオの表情は、呆れとも興味とも取れる複雑な笑みを浮かべている。
地面に座り込むイグニスは、血を流しながらレオを見上げた。力を振り絞ったはずの攻撃がまるで通じなかった現実に、彼は何も言えなかった。
その光景は、観客全員の脳裏に「絶望」という言葉を刻みつけた。
イグニスは尻餅をつき、荒い息を吐きながら後ずさる。全身の力が抜け、手足が震え、まともに立ち上がることすらできない。イグニスのたてがみは汗で額に張り付き、すっかり勢いを無くしていた。
「嘘だ.....こんなの......勝てるわけが..。」
崩れ落ちた顔でレオを見上げる彼の瞳には、完全な絶望が浮かんでいた。
レオはゆっくりと歩み寄り、地面に座り込むイグニスを見下ろす。その黒髪と整った顔立ちは、冷たい無表情の中にもどこか薄ら笑いを浮かべているように見える。
「健闘した褒美だ。」
静かな声が響いた。
「楽に逝かせてやる。」
その言葉が終わると同時に、イグニスの上半身が急激に膨れ上がった。異常な膨張に驚愕する間もなく、
ドン!
鈍く重い音を伴い、イグニスの体は爆発した。血と肉片が飛び散り、鮮烈な赤い雨がステージを染める。
観客席からは悲鳴が上がった。誰もが恐怖と驚愕で口を押さえる。イグニスの最後の姿を目撃した彼らは、ただ目を見開いて震えることしかできなかった。
だが、その赤い雨はレオに一滴も触れることはなかった。彼の周囲1メートルの範囲には、まるで見えない壁があるかのように、血の飛沫は全て透明な空気に弾かれ、地面に落ちていく。レオは不快そうにその光景を眺めていたが、自分に血がかからないことを確認すると興味を失ったように首を振った。
「凄腕の能力者だろうが、精錬された魔法使いだろうが、誰も俺には勝てない。」
静かに呟くその声は、勝者の高揚感など微塵も感じさせない。ただ淡々とした退屈な色を帯びている。
「誰か、俺と対等な力を持つやつはいない
のか....。」
レオはステージを見渡し、うんざりしたように肩をすくめる。
実況席の解説者が震えながら声を絞り出した。
「勝者、レオ・クリエイション!2回戦進出です!」
観客席は歓声と悲鳴が入り交じる。彼の名を叫ぶファンの声さえも、血の雨とともに消えていく。
レオ・クリエイション。彼が生まれながらにして持つ能力は【想像と創造】。
彼は頭で思い浮かべたことを現実にするという、まるで子供が考えたようなタチの悪い力を持っている。どんな実力者の攻撃も彼の前では児戯に等しい。
「あらゆる攻撃から俺を守れ。」
試合前にそう命令しておくだけで、世界そのものが彼を守る盾となる。肉体には一切の傷もつかず、あらゆる攻撃を無力化する力を持っている。
唯一の誤算があるとすれば。
「鎧を狙われたのは想定外だったな。」
レオはそう呟き、再び新しい鎧をイメージした。その瞬間、何も無い空間から新品の光沢がある黒い鎧が現れ、彼は纏い直した。
レオは冷たく笑みを浮かべながら呟いた。
「俺は想像を司る能力者だが、俺を殺すやつがこの世にいるのか、まるで想像もつかない。」
俺を殺せるやつを創造する。それは最終手段だ。無敵の能力者が負ける存在を自分で作り出す。そんなことが可能なのだろうか。万能の神が自分では持てない岩を作るというパラドックスと似ている、レオはそう思った。
彼は控え室の窓から遠くの観客席を見上げた。悲鳴も、叫びも、熱狂も。
すべては彼にとって無味乾燥なものだった。
能力で老いは止まり、最も若く美しい肉体のままレオは今年870歳を迎えた。
あらゆる剣術を極め、能力を使えば無限に富を生み出せる。何不自由無い生活。しかし、レオは渇き、飢えていた。
「ああ、退屈だ。」
彼はつまらなそうに視線を落とし、歩き出した。かつていた友達も、家族も、みなレオを置いてこの世を去っていった。果たして、レオの心を満たすものはこの世に存在するのだろうか。
「誰か、ヒリつくような刺激を俺にくれ。」
圧倒的な力を前に、ステージ上には静寂だけが残った。
—-
コロッセオの広大なステージに、静寂が降りた。太陽の光が砂と石を照らし、乾いた空気の中に緊張感が満ちている。そんな中、レオ・クリエイションはいつものように淡々とステージ中央に立っていた。黒髪が風になびき、その端正な顔立ちは完璧な彫刻のようだ。
彼の視線の先に、ゆっくりと歩いてくる対戦相手の姿があった。相手は、どうやら女性のようだ。
アクアリス・ミスト。美しい金髪を風に揺らし、深い青の瞳が燃えるような意志を宿している。まるで海そのものを映し取ったような瞳だ。彼女の背筋はまっすぐに伸び、その立ち振る舞いからは、決して折れない強い意志が感じられる。
アクアリスは、観客席を一瞥した。その表情には固い決意が浮かんでいる。だがその瞳の奥には、ほんの一瞬だけ過ぎる不安の影も見えた。
「弟達が待っているのよ……絶対に負けられない。」
彼女は自分にそう言い聞かせる。
幼い頃、彼女は極貧の生活の中で育った。両親を早くに失い、まだ幼い弟と妹を養う責任を背負った彼女は、周囲からの軽蔑や絶望にも耐えてきた。
「この大会で優勝すれば、賞金で家族を幸せにできる。」
その信念だけが、アクアリスをここまで動かしてきた。だが、目の前にいる男レオ・クリエイションの噂を聞く限り、この戦いは簡単ではない。いや、普通の相手ならまだしも、この男を相手に勝つことは不可能に近いとすら思われていた。
「フン、女か。」
レオは彼女を見下すように呟いた。その声にはわずかな軽蔑と退屈が混ざっていた。
「おい、お前はなんでこんなところにいる?」
彼は片手を腰に当てながら問う。
アクアリスは鋭い眼差しを向け、毅然と答えた。
「弟達を養うためよ。私はこの大会で優勝しなければならない。それだけよ。」
その一言に、観客からわずかなざわめきが起こった。彼女の決意の重さに感動する者もいれば、ただ無謀だと嘲笑う者もいた。
しかし、レオの口元にはわずかな嘲笑が浮かぶだけだった。
「弟達を養うため?そうか、そうか……だが悪いな、女。お前は決して賞金を手にすることはない。なぜなら俺と戦うからだ。」
彼は一歩前に出た。その足音が砂に沈む音は、アクアリスにとって不気味に響いた。
「女は去れ。戦いは男のすることだ。」
アクアリスは拳を握りしめた。足元に力を込め、彼の言葉に屈することなく立ち続ける。
「……女だからって、なめないで。」
その声には震えはなく、静かな怒りが滲んでいた。
「私は家族を守るためにここに来た。あなたがどれほど強くても、負けるわけにはいかないの!」
彼女の金髪が光を反射し、ステージの中央で美しい輝きを放った。その堂々たる姿に、観客席の中には彼女を応援する声さえ混じり始めた。
「ほう、気の強い女だな。」
レオは口元を歪ませて笑った。
「美しい女だ、それに、気が強い女は好きだ。殺すには惜しい。降伏するなら、俺が養ってやるぞ。優勝賞金の倍渡そう。悪く無い条件だろう?少なくとも、戦う理由は無くなったはずだ。」
レオは冷たく言い放った。
レオ・クリエイションは、かつてないほどの力を持っていた。世界中に彼女達がいる。その美しい容姿と強力な能力で、彼はまさに支配者のように存在していた。金も女も、彼の能力を使えば、何もかもが手に入る。想像の力で宝石や金を生み出し、さらには周囲の人々を操り、必要なときには権力の椅子に座ることもできた。
だが、それでも退屈だった。
「操るだけじゃ、つまらない。」
レオは静かに呟いた。権力を手に入れることも、金を集めることも、女を手懐けることも、すべてが簡単すぎて面白くなかった。人々の心を操ることなんて、もう何千回も経験したことだ。金の力で物事を動かすことはできるが、それもまた、ただの手段に過ぎなかった。
彼が求めていたのは、もっと深い、もっと根本的な「支配」だった。
「結局、心から屈服させるのが一番面白い。」
その一言に、彼の全ての興味が集まった。彼は支配者であることに満足していたが、次に求めるのは、ただ操るのではなく、自分を超えて心から従わせることだった。それが彼にとっての「刺激」だった。だから彼は、能力で人を直接支配することは極力避けている。
「この女をコレクションに加えてやろう。」
彼はその言葉を心の中で決意した。アクアリスは他の女たちとは違う。気高く、強く、そして自分に対して従わない、その姿勢がどこか魅力的に感じた。
レオはその時、心の中でひとつの計画を練り始めた。アクアリスを「屈服」させる。その過程こそが、彼にとっての最大の楽しみとなるだろう。
彼は自分の中で確信した。アクアリスを手に入れることで、さらに多くの刺激と満足を得ることができるだろう。それが、彼が本当に求めていたものだった。
それまでのレオは、どんな状況でも勝つことができ、どんな障害も乗り越えてきた。それでも、アクアリスという女性に対する興味は、これまでのどんな戦いにも勝るほどのものだった。
アクアリスは一瞬、言葉に困ったように見えたが、すぐにその顔に決意をみなぎらせた。
「私は..降伏しません。あなたが約束を守る保証なんてありません。それに、人の覚悟を軽視するあなたに屈したら、弟妹達に顔向けできません!」
想定外の返事に不快感を隠しきれないレオ。
「ほぉ?これはお前への最大限の譲歩なんだがな。金も、力も、容姿も全て兼ね備えた俺に何の不満がある?」
「それは…その。」
「なんだ、言ってみろ。」
レオの語気が少し荒くなる。アクアリスは固く口を閉ざしていたが、意を決して恐る恐る話し始めた。
「あなたみたいにモラハラ気質の性格が終わっててる人、私は絶対無理です!」
ブチっ、レオの中で何かが切れた音がした。
「私には、守らなければならないものがあるんです!」
その言葉に、レオは冷ややかに笑みを浮かべた。
「ならば、あの世で後悔しろ。」
「レオ対アクアリス、試合開始ぃー!!」
実況の声と共に試合開始の鐘が鳴った。
観客席からの視線が戦場に集中する。大音量の実況が響き渡る中、アクアリスは戦場の中央に立ち、鋭い青い瞳でレオを睨みつけていた。
「あなたに勝って、この手で弟達を幸せにするのよ!」
彼女の声には揺るぎない決意がこもっていた。
対するレオは、微動だにせずその場に立ち続ける。黒髪に映える無表情な顔で、アクアリスの様子をじっと見つめるだけだ。彼女の力には微塵も興味がないようだった。
アクアリスが手を大きく振り上げた瞬間、空気中の水分が急激に凝縮される。次の瞬間、彼女の頭上には25mプールの容積ほどの巨大な水の塊が形成された。まるで小さな湖が空中に現れたかのような異様な光景。観客がざわめき始める。
「おぉぉりゃぁぁぁ!」
アクアリスが叫び、水の塊がレオに向かって猛スピードで落下した。その威圧感たるや、まるで津波がピンポイントで一人を狙って飲み込むかのようだ。地面が振動し、周囲の空気が押し流される。
しかし、レオの半径1メートルほどの範囲に、透明なバリアが生じた。
水の塊はバリアに衝突するや否や、まるで何かに弾かれたように四方八方へ飛び散った。雨のように降り注ぐ水滴を、レオは静かに眺める。水は一滴たりともレオの肌に触れることなく、彼の周囲を滑り落ちていく。まるで何もなかったかのように彼の姿は変わらず、悠然と立ち続けている。
「やはり、一筋縄ではいかないわね。」
アクアリスの声がわずかに震えた。その目は、水滴一つかからないレオの完壁な防御に驚愕している。
彼女はすぐに次の攻撃に移る。手を天に掲げ、圧縮した水の粒を生成し始める。それらはやがて細長い刃となり、光を反射して鋭く輝いた。アクアリスの手から発射されたウォーターカッターは、目に見えないほどの速度でレオの体に向かって一直線に放たれる。観客席が沸き立つ。
「あ、あれは鋼鉄すら切り裂く水の刃だ!」
実況が熱狂しながら叫ぶ。
ウォーターカッターはレオの胸元に到達するが、刃が触れた瞬間、まるで蓮の葉に水滴を落としたように弾かれてしまった。切り裂くどころか、刃そのものが一瞬で霧散し、跡形もなく消える。
「無駄だ、アクアリス。」
レオは冷たく言い放つ。
彼は内心で溜息をついていた。
(またか。敵が持っている技をひとしきり試させてやるのも飽きてきたな。どいつもこいつも、すぐ引き出しが尽きる。尽きたら.....後は殺すだけだ。)
アクアリスの眉間に汗が浮かぶ。全力で放った攻撃が、全て無効化される現実。彼女は歯を食いしばり、心を奮い立たせるが、その瞳に一瞬の迷いが生じたのをレオは見逃さなかった。
「ふん、まだやるのか?」
レオの口元に浮かぶ冷笑。その余裕に満ちた態度は、彼女の決意を試すような不快さを纏っていた。
アクアリスは深く息を吸い込むと、全身に緊張感が走った。絹のように白く綺麗な肌が、桜色に染まっていく。血液循環を制御し、心拍数を極限まで高める。筋肉が膨張し、体中に力がみなぎるのを彼女は感じた。水分操作の能力を応用し、体内の血液を操作してドーピングしたのだ。
「これでスピードも攻撃力も限界を超えるわ!」
次の瞬間、彼女の姿が消えた。いや、消えたのではない。人間の目が追いつかないほどの速度で動いているのだ。空気を切り裂くような音と共にアクアリスはレオの背後に回り込んでいた。
「背中ががら空きよ!」
彼女の指先が弾けるように動き、空中の水分が一瞬で凝縮される。高圧縮されたウォーターカッターが放たれた。鋭利な水の刃は、鉄板すら切り裂く力を持っている。
しかし、ウォーターカッターがレオの背中に到達する直前、目には見えない何かに阻まれたように弾け飛んだ。透明なバリアが水を霧散させる。
「背中もガードされてる、死角は無いのかしら。」
驚くアクアリスの顔には一瞬の戸惑いが走ったが、彼女はすぐに次の策を実行に移した。再び高速移動でレオに接近し、手を彼の背中に押し付けた。
「人間の体の70%は水なのよ!」
アクアリスは冷笑を浮かべた。
「その細胞壁を壊して、内側からボロボロにしてあげる!」
彼女の能力が発動する。レオの細胞内にある水分が徐々に加熱され、沸騰を始めるはずだった。
しかし、何も起こらない。
「どうして…?」
アクアリスは眉をひそめた。触れているはずのレオの背中から1センチのところに、まるで隔たりがあるような感覚。目には見えない透明な壁が、彼女の力を遮断している。
レオがゆっくりと振り返り、肩越しに彼女を見下ろした。口元には冷たい微笑みが浮かんでいる。
「悪いな。お前は俺に触れることすらできないんだよ。『あらゆる脅威から守れ』と『世界』に命じているからな。」
その言葉を聞いた瞬間、アクアリスの体が硬直した。圧倒的な無力感が彼女の全身を支配する。
「そんな…そんなのズルよ!」
レオは肩をすくめ、嘲笑するように言った。
「そうか?お前もよく頑張ったよ。でもな、俺に触れられないってことは、お前に勝ち目はない。」
彼の声には一切の感情がこもっていない。まるで相手を見下すようなその態度に、アクアリスは歯を食いしばった。
それでも、彼女は諦めない。次の手を考えながら、わずかな可能性を探していた。
観客席からはアクアリスの執拗な攻撃を見守るざわめきが響いていた。戦場に立つアクアリスは、青い瞳を鋭く輝かせながら手をかざし、空中の水分を次々と凝縮していく。彼女の周囲には巨大な水の塊がいくつも浮かび上がり、それらが次々とレオに向かって飛来した。
「まだ分からないか?」
レオは軽く息を吐き、右手をポケットに突っ込んだまま冷笑を浮かべる。
「どんな形の水でも俺に傷はつけられない。無駄なことだ。」
だが、アクアリスも一歩も引かない。冷静な表情を崩さず、ついに口を開いた。
「どれだけ体を鍛えても、脳は鍛えてこなかったのね、レオさん。」
その時、レオの身体に異変が起こり始めた。胸のあたりにかすかな違和感が生じ、呼吸が重たくなる。息を吸おうとするたびに、喉が何か見えない壁に塞がれているかのように感じられる。
「……なに?」
レオの額に汗が浮かぶ。
アクアリスは静かに微笑むと、戦場の中央で堂々と立ち、宣言した。
「さっきの水の攻撃はただの陽動よ。本当の狙いはそこじゃない。」
彼女の手が再び空中に向けられ、目には見えない何かを操作するかのようにゆっくりと動いた。その瞬間、戦場の空気にわずかな異変が起こる。レオの周囲に漂う空気中の水素と酸素が次々と結合し、大量の水が生成されていく。それはただの水滴ではなく、透明な靄のように空間を埋め尽くしていた。
「私は水を操るだけじゃない。水を空気中から作ることもできる。そこで問題、その水はどうやって作られると思う?」
「か…そうか、俺の周辺の水素と酸素を..。」
「ご名答。酸素濃度を下げるのが私の狙いだった。相手の命を奪いたくなかったから、最終手段なのよね。そして、酸素濃度が6%以下の空間は危険よ……。」
アクアリスの声が響く。
「その中では30秒で意識を失い、1分で心肺停止するわ!」
レオの足元がわずかにふらつく。彼はまだ笑みを浮かべようとしていたが、次第にその表情が緩んでいく。
「……不覚を……取ったか。」
彼の声がかすれ、視界が暗くなっていく。
(しまった。俺は“あらゆる脅威を排除しろ”と世界に命令したが、アクアリスが水を生成した副次的効果で酸素濃度が下がることまでは計算していなかった……。知識不足の俺が、低酸素が危険だと命令することすらできていない……。)
レオの意識が混濁する。視界の端が黒く染まり、膝が崩れ落ちる。
周囲から聞こえる観客のざわめきや悲鳴も、もはや遠く霞んだ音のようだった。
地面に倒れ込むレオを見下ろしながら、アクアリスは息を整えた。彼女も疲労が隠せなかったが、その瞳には明確な勝利の光が宿っていた。
「これで……終わったの?」
アクアリスは小さくつぶやくと、慎重にレオの動きを観察した。
戦場は静寂に包まれる。倒れたレオを眺めるアクアリスの顔には、勝利への確信とわずかな警戒心が交錯していた。彼が本当に死んだのか、それとも彼女は未だに完全に気を緩めることができなかった。
その瞬間、地面に倒れ動かなくなったはずのレオが突然、アクアリスの目の前に現れた。彼女は思わず息を呑み、後ずさる。
「どうして……!」
その言葉を言い切る前に、レオの大きな手が彼女の口を覆った。力強く、だが優雅さすら感じさせる動きだった。彼の黒い瞳がアクアリスを捉え、いつもの冷笑が唇に浮かんでいる。
「危なかった。」
レオは呟くように言い、淡々とした口調で続けた。
「お前の狙い通り、俺は確かに死んだ。でも……これまでの長い人生で、こんなこともあろうかと“死んだら、死ぬ直前の記憶を引き継ぎ、健康な肉体で生き返る”と自分に命令しておいたんだ。復活し意識があるうちに君の近くに高速で接近した。お前も人間だ、だからお前の周辺は低酸素濃度の空気にはできない。そうだろ?」
アクアリスの瞳が驚愕に見開かれる。
「……生き返った……?」
彼女の脳裏に浮かんだのは、彼の能力の限界が存在しないという事実だった。水も、酸素も、果ては生命そのものも、彼の創造の力の前では無力だったのか、その現実に背筋が凍る思いがした。
レオは少し考え込むような素振りを見せた後、ふと懐かしむような笑みを浮かべる。
「久しぶりに死んだよ。79年前だったかな……剣豪と剣術勝負をした時以来だ。それ以来のお楽しみだった。」
レオは手を離し、アクアリスをじっと見つめる。その目には、まるで獲物を慈しむような、どこか狂気を孕んだ優しさが宿っていた。
「よくやったな。お前の美しさ、胆力、そして頭脳に免じて、ここは生かしてやろう。」
その言葉に、アクアリスはほんの一瞬、希望を抱いた。しかし、それもすぐに打ち砕かれる。
レオは軽く指を動かし、静かに命じた。
「降参すると言え。」
アクアリスはその場で膝をつき、言葉を口にする前から、自分の意識がねじ曲げられるのを感じた。
「……降参します。」
レオの能力により操作され自分の意思に反して放たれた言葉に、彼女の目には悔しさが滲む。それでも、彼女の体はレオの支配から逃れることができなかった。
レオはそんな彼女を見下ろし、冷笑を浮かべたまま勝利を確信する。彼は振り返り、観客席に向かって歩き始める。
「これで次に進めるな。」
その声は、戦場のざわめきを一瞬で静寂に変えるほどの威圧感を帯びていた。彼は悠然と歩き去る。その背中を見つめながら、アクアリスは拳を握りしめ、声にならない悲鳴を飲み込む。
この瞬間、レオはまた一歩、圧倒的な勝利への駒を進めたのだった。
「し、試合終了ぉー。」
実況の情け無い声がコロシアムに響く。レオは、失意の底にいるアクアリスに無表情のまま言い放った。
「もう一度聞くぞ、俺の女になるか?なるなら養ってやる。」
レオはアクアリスを認めていた。やはり、ここで別れるには惜しい、数々の女性を手玉にとってきたレオは、それでもなお彼女に魅力を感じていた。
彼女は黙って立ち尽くし、ゆっくりと戦意を失った。だが、勝負に負けても彼女の心は屈していなかった。降伏して去ることを決めたアクアリスの瞳には、未だ消えぬ強い意志が宿っていた。
アクアリスは涙を流しながら、レオを睨んだ。
「丁重に、お断りします!故郷には愛を誓い合った幼馴染がいますので!」
そして、レオに背を向けステージから去っていく。レオは肩を震わせ拳を握りしめていた。
「俺の…提案を…二度も断ったな。お前は俺に生かされたんだぞ。お前に選択肢があるとでも思ったのか?」
その後、レオの怒りが湧き上がった。彼女の心の強さを見たことにより、どこか腹立たしく感じていたのだろう。彼の能力は、ただ現実を変える力だ。
レオは冷笑を浮かべ、アクアリスの姿が遠くへ去っていくのを見ながら、彼女の喉に水の膜を作り出した。アクアリスを含む第三者からは何が起こったか分からないだろう。瞬く間に、アクアリスの呼吸が奪われ、彼女は息もできないまま倒れ込んだ。
「お前にお似合いの最後だ。良かったな、最後までお前の大好きな水と一緒だ。」
観衆からどよめきが生まれ、救急班が駆けつける。彼らの奮闘を見ず、マントを翻してレオは控え室に歩き始める。
「誰に刃向ったか、後悔して死ね。」
レオのつぶやきが、冷たく響く。最強の戦士とは到底思えない、歪んだ笑みを彼は浮かべていた。
—-
休憩室で椅子にもたれかかり、木製の天井を見つめながら思った。
試合が退屈になってきたのは、どうしても俺が他の能力者を上回ってしまうからだ。
最初のうちは刺激的だったが、次第にそれがただの作業のように感じられるようになった。
第3回戦の相手だったのは、空間操作能力を持つヴォイドという若い優男だ。俺の前に突然現れ、空間を切り裂き、テレポートして意識外から攻撃してきた。彼の攻撃には気をつけなければいけない。空間の断裂は俺のバリアの効果適用外だ、なぜなら【あらゆる脅威から俺を守ること】と【たまたま断裂した空間に俺がいること】は共存するからだ。写真に映った人間がアルバムごと燃やされても抵抗できないのと同じように、動画編集ソフトで動画内の人間に好きなだけ落書きできるのと同じように、三次元のバリアでは四次元からの攻撃には対応できない。
ヴォイドの攻撃が直撃したら、おそらく俺は真っ二つにされていただろう。まあ、直撃していたらの話だが。俺の能力で数秒先を未来予知すればかわすのは容易い。後は俺の能力で半径1キロ圏内にいる全ての生命体の思考を停止させ、棒立ちになったヴォイドを倒せば良いだけだった。
ヴォイドは必死に攻撃を続けてきた。だが、勝てないと悟ったヴォイドは尻尾を巻いて四次元空間に逃げていった。
俺が奴の思考を止める命令を下す前に逃げやがって。つまらん奴だ。
当然、試合を放棄したと見なされ俺の勝利だ。無様だが、まぁ当然だな。誰も俺に勝てるわけがない。後で寝込みを襲われると厄介だから、『世界』にヴォイドがどこで身を隠しているのか聞いた。
『レオ様に怯えて長時間四次元に身を寄せすぎた結果、ヴォイドの体はタバコの煙のように霧散してしまいました。』
と『世界』は返答してきた。世界は実は十一次元あるとか、四次元に三次元の生物が長居すると集めた落ち葉が風で吹き飛ばされるみたいに肉体を維持できないとか、『世界』は詳しい説明をしてきたがあまり興味が無い。とにかく、あの優男は二度と帰って来ないということだけが分かれば良い。
次の対戦相手は、時間操作能力を持つ老人、クロノスだった。奴は今日の朝に戻って俺の食事に毒を盛ったり、3ヶ月前に戻って俺に大会開催日の誤情報を送って不戦敗させようとした。俺は能力の加護によって毒が効かないし、「大会会場に導け」と大会スポンサーに命令しておけば勝手に迎えに来る。そもそもテレポートで移動すれば良い。『世界』が俺のスケジュール管理もしてくれる。つまり、俺が不戦敗するわけがない。
小手先では勝てないと判断したクロノスは、俺が赤子だったころの870年前に戻って俺を殺そうとした。相手の弱いところを突くのは良い作戦だ。しかし、甘かったな。赤子だから油断していたんだろうな。
俺はその時、まだこの力の使い方を充分に理解していなかった。つまり、今と違って手加減ができないんだ。奴は自ら死地に赴いたという訳だな。クロノスは、時間を戻すことで俺を殺そうとしたが、その瞬間、赤子だった俺は既に臨戦体制に入っていた。
そして、クロノスを捻り殺してサッカーボールのように転がしながら遊んでいたと、『世界』が教えてくれた。だから、試合会場にいたはずのクロノスが消え、俺の不戦勝になった。タイムリープで過去に戻ること自体が甘い。俺の親を殺していたら、話は別だったかもしれないな。
次に出てきたのはアビスという若い女性だった。
「私の能力は、視界に入れた相手の能力を封殺する能力無効化の異能よ。これであんたも無敵の能力が使えないただの剣士。私が引導を渡してあげる。」
アビスは自らの能力を明かした。俺はそれを聞いた時、内心胸が高鳴った。久しぶりに心が躍った。冷徹で暗殺業に身を置いていたアビスは身のこなしも俊敏。彼女なら俺を殺せるかもしれない。
まるで忍者のように素早く動く。能力が使えないと言われ、焦りと共に死んだらやり直しが効かない緊張感が俺を喜ばせた。
しかし、少し剣を合わせただけで期待感は絶望に変わった。彼女の攻撃は俺には何の脅威も感じない。彼女が動いても、あらゆる武術を870年間鍛えた俺にはどんな技も通用しないことが分かっているからだ。彼女が俺の能力を封じたとしても、それで俺が負けるわけがない。ゾウが風邪気味でもアリ1匹に倒されることがないのと同じようなものだ。
結局、私は剣を引き抜き、そのままー撃で切り捨てた。能力が封じられた以上、能力でアビスの口を操り降参させることができない。戦いは無駄だった。アビスはいい女だったが、こんな無駄な戦いで死ぬことになった。
一対一ではなく、もっと他の能力者と連携すれば、俺を倒すチャンスもあっただろう。だが、彼女はその手を取らなかった。
後に『世界』に「アビスの能力なら俺を殺せるか?」と聞いたが、「『あらゆる脅威からレオを守る』という命令により発せられたバリアで『能力無効化』も防げます。」と言われた。
アビスの言葉を信じて、俺は自身の能力に意識を向けていなかったが。使えなかったのではなく使わなかっただけ、ただ自ら縛りプレイをしていただけだ。にも関わらず、圧勝。
そう、結局、誰も俺に勝つことはできない。
決勝戦が始まった。俺の前に現れたのはイモータル・モルディカイという男だ。不死の能力を持つ40代の男。いや、実年齢はもっと上だろうな。見た目も年齢も歳月の流れを感じさせないが、俺にはそんなことどうでもいい。俺だって無限に生きられる。俺の能力が相手の上位互換であることは、もはや確信している。
モルディカイは不死だから、再生能力が常人の比ではない。しかし、俺にはそれが通用しない。俺は自分の能力で物質を分解する力を持っているから、モルディカイが再生するためには、その構成要素そのものを粉々にしてしまえばいい。
彼が姿勢を正し、余裕の表情で挑んできた瞬間、俺は無駄な動きをせず、瞬時にその体を攻撃の対象に変える。まず、彼の体を目の前で分解してみる。肉体を細かく刻んでいき、骨、血液、筋肉、すべてが目の前で消えていく。しかし、彼は再生しようとする。分解してもすぐに復元される。された加えて、バラバラにした数だけモルディカイは増殖して肉体を取り戻す。それが不死の力だ。
だが俺は、そう簡単には諦めない。俺はもっと深く、もっと細かく分解することを決めた。細胞を構成する分子の一つ一つを取り除き、次にその分子のさらに下のレベル、原子へと進む。中性子よりも小さいクォークのレベルまで。
分解していくと、モルディカイの体はどんどん細かくなり、最終的には完全に分解され、無形のエネルギーのようなものになった。ちなみに、アクアリスに言われた通り俺はまともに勉強なんてしたことがない。クォークなんて言葉は後で『世界』に教えてもらった。
クォークレベルで再生するのは不可能だったらしい。モルディカイは復元されることなく、消滅していった。俺はその光景を静かに見つめる。
「やっと楽になれる。」
モルディカイが最後にそう呟いた。
「ああ、ありがとう。レオ、君のおかげで、500年の呪縛からやっと解放される。」
そう言って、俺は彼の体が完全に塵となり、コロシアムの砂に混ざっていくのを見届けた。
ふざけるな、お前、俺より若造じゃないか。たった500年ぽっちで諦めやがって。モルディカイ、お前はいいな。全力で戦っても倒してくれる相手がいて。俺は孤独だ。これから先、ずっと。誰も俺の気持ちを理解なんてできない。
俺はこのバトルコロシアムで100年連続一位の座を手に入れた。だが、その勝利の栄光も、トロフィーの重みも、最初の頃のような喜びや感動をもたらすことはもうなかった。勝って当たり前、負けることがあり得ない予定調和。その繰り返しが、ただの儀式のように感じられる。
それでも、俺の力は揺るがない。誰も俺を倒せる者はいない。どんな強力な能力者も、俺にかかれば無力だ。この先、どんな相手が現れても、結局はこうして倒すだけだろう。