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一つになる

 昔、井戸には神が住んでいると信じられていた。それが迷信、現象を神格化した時代があっただけとされた現代、神の時代が続く世界が井戸の向こう側にはある。


 古びた城、大半の壁が崩壊したそこに未だ部屋という形を留める場所が一つ、茨が幾十にも重なり合う奥の寝所で眠る黒髪の少女、彼女は千年以上もの時を過ごしていた。ふと、その白肌の上に影がかかる。それは未だに役目を果たせずにいる神だった。毎日来ては何もせず帰る、目深に被ったローブの中から彼女を見つめる。そうしてまたいつものように何もせず、地中深く潜り、今度こそ役目を果たすべく動いた。


 彼の主である神が妻を娶るのに使用した柘榴を手にするのを見た何人かが、好きな人でもいるのかとはやし立てるが素通りだ。井戸の向こう側ではもう一人の姫が眠っている。


 俗界、識途(しと)は管がひしめき合う病室をガラスの外から見ていた。マスクを付けられ、包帯を巻かれ、目を覚まさない未亜。そんな状態の彼女を見つめる識途にゆっくりと両親が近づく。


「車から降りたところに酔っ払いの車が二台、突っ込んできたらしい。一台目は付き人、もう一台が未亜様を跳ねた」


 実の子の友人の事故、その詳細を語る行為は酷なのかもしれない。しかし、理不尽に対して怒りでもしないと識途の心が持たないと父は感じたのだ。


「何で未亜が…」


 識途には、彼女の現状を代わりに嘆くことしかできなかった。

 未亜が運び込まれたのは偶然にも近かった陽希先輩の両親が経営病院だった。


 医者からの話を聞き終わったのか先日別れたばかりのおばあ様と未亜の両親がこちらに向かってくる。久しぶりに会った未亜の両親の顔色は当然のことだが青白く、おばあ様だけがしゃんとした不動の様子を見せている。


「酷い顔ね」


 他人事のように言いながら識途の顔に触れる。自身が贈ったピアスを付けているのを確認すると何てこともないように話し続ける。


「暫く休んでいなさいな。必要なら私が一つ二つ書いてあげましょう」


「…いいえ、大丈夫です」


 両親と笠原家の二人が話し始める横で生気が失せた顔をする識途を少し眺めていた古都音だったが、識途の家の家政婦の姿を見ると、古都音の方から先に寄っていく。古都音の気品に緊張した顔で家政婦が挨拶をする。二度三度、言葉を交わすと家政婦は頭を下げた。


(たまき)さん、何話してたの?」


「識途様のことですよ」


 そう言って環と呼ばれた家政婦はそっと識途と大人たちを引き離して家に送った。


 結局、識途は登校する事にした。

 未亜は面会謝絶で見舞い品を持っていこうが横に置くこともできない。識途の空き時間だけ増えたとこで良くない考えに囚われるのがみえた。代わりにいつ彼女が目覚めてもいいように、いつも通り綺麗に身を整える。


 数日が過ぎ、茶会をした金曜日がきた。また体育をサボるため、あの井戸がある校舎裏に身を潜める。井戸の底を見ると、叶ったのかわからない平等に汚れた小銭が散らばっているのが目に入る。


 自分の願いは叶わなかったばかりか最悪の状況だ。憎たらしいが祈るのが今最も後悔しない、できる手段、だからか無意識に財布に手を伸ばしてまた十円玉を投げ入れようとする。しかし、身体がまだ動揺しているのか財布を乱暴に全開したまま井戸に近づく軸足がぶれ、井戸の縁に手の甲をついた拍子に小銭が全て水に落ちる。それを黙って眺め終わると、ゆっくりと身体を起こし財布を閉める。あるのは惜しいことをしたという気持ちより、今無心で大量の小銭を入れたのだから未亜が良くなってくれないか、だった。幾分冷静になった頭で予鈴を受け入れると識途はその場を去った。


 教室に怠い空気が充満する六時限目の古典、教師が教科書を読み上げながら机の間を歩く。この先生はいつもこのスタイルだ。授業が終わり、ホームルームの準備を始める生徒に交じって古典教師、水越(みずこし)架論(かのり)が識途に話しかける。おっとりした、少し顔の内側に黒髪の毛先がかかるようなくせ毛の男。教科書を読み上げる時は普通なのに、プライベートを話すと途端に胡散臭さが漂ってくると言われている。


「笠原くんのこと、聞いたよ。大丈夫?」 


「え」


 まさかの話題に不意をつかれた。


「高等部の手伝いに行くこともあるから、それで彼女から君のこと聞いたことあるんだ」


「そうですか」


「これ、読んでみて」


 白いブックカバー付きの本を渡される。気休めのつもりかと、見えない表紙のかわりにめくって題名を見ようとするもカバーに該当のページが差し込まれていた。


「あぁ、カバーはまだ取らないで。君は素質があるから読んだらすぐ目覚めてスッキリすると思うよ」


「目覚める?」


 言い回しが気になったが架論は言葉を重ねる。


「特にこの、栞を挟んであるとこはよく見てね。感想は月曜日の放課後、進路室で」


 言うだけ言って去ったがそれが識途の興味をそそった。未亜のことばかりになるのは精神衛生上よくないとは分かっていたから、大人しく本を読み始めることにした。


 休日、識途は電車に揺られながら真ん中近くまで本を読み進めていた。数ページ目で聞き覚えある名があったことから恐らくギリシャ神話。神の気まぐれで始まった戦争、中心人物から手助けした人たちの逸話まで入っていて見た目よりページ数が多く、栞の部分までは遠い。

 

 放送で目的地に着いたのに気付き、降りて未亜のいる病院に向かう。廊下を歩いていると未亜の病室が見える向かいの席で両手を祈るように組み、心電図と彼女を食い入るように見る先輩がいた。


「陽希先輩」


「君は…」


「笠原先輩にお世話なっていて…」


「あぁ、そうか。…すまない、僕のせいで」


 先輩は基本遊びの誘いは断らないと聞いた。だから、きっといつものように誘いにのった。識途の中に今まで浮かばなかった言葉が出てくる。先輩が断っていれば、他に予定があれば、未亜が惚れていなかったら。


「僕がもっと早く迎えに行っていれば…こんなことにはならなかったかもしれない」


お前さえいなければ。

嘆く姿を見る識途の乾いた口が動き出す。


「笠原先輩はお付きの人と一緒で車だった。普段から丁寧に送迎されている人の方が事故に遭うなんて想像できないですよ」


 真逆の言葉、先ほどまでの思考が嘘のように凪いでいる。嵐が過ぎ去ったどころか、最初から存在しなかったようだ。


「すまない、彼女に近しい人に言われて少しほっとしてるんだ」


「いえ、それに回復に力を尽くしてるとお聞きしたので」


「これくらいしか、できることがないんだ…それは?」


「あ、これは」


 手の中の本を咄嗟に背に隠す識途に、思い出の物と勘違いしたのか先輩が謝罪する。


「いや、すまない…あ、申し訳ない、父に呼び出されて…」


「大丈夫です」


 スマホのバイブ音に反応してまた眉をよせる先輩を見送り、彼がいた席に座る。変化のない未亜を見ていると、本の続きを読みたくなった識途は壁に背をあずけ、また読み進める。どのくらい経ったのかやっと栞まで辿り着く。


ートロイアの王女、英雄ヘクトール、パリスを兄に持ち…ー

ーアポロン神と恋仲になり予言の力を授かった。彼の愛が冷める未来を見て拒絶。激怒したアポロンに「予言を誰も信じない」呪いをかけられるー

ートロイア滅亡の未来を見るも、誰も信じてくれず、トロイア滅亡後は戦利品としてー

ー最終的には異国の将軍の妾にー


 特に何もなく、短いその部分を頭が消化していく。もう一度読んでも物語以上の深い意味は見えてこない。仕方なく先を読み進め、気がつけば見舞いの時間は終了間近。立ち上がると長時間同じ体勢で読書していたせいか身体と視界がぶれる。目の前、未亜が映る視界が薄暗くなり、違う誰かが重なった。今の独りで眠る姫君は誰だろうか。栞の箇所を思い出し、そんな筈はないと頭をふる。あの姫君の終わり方はそうじゃなかったはずだ。すっきりどころかモヤモヤを抱えたまま識途は休日を過ごした。


「どうだった? 船賭(ふながけ)くん」


「どうと言われましても…」


「スッキリしなかった?」


「いえ、特に」


「そっかー」


 月曜日の五時限目の終わり、含み笑いを浮かべた架論は少し無愛想な識途に本を返されるとわざとらしく肩を落とす。その姿に苛立ちが募るも、題名を見ていなかったことに気づく。だが、検索すればいいことだと扉に手をかけた。


「待って」


「何ですか」


「あの本、(かなで)くんに見せた?」


「陽希先輩のことですか?」


 先輩は奏という珍しい苗字を持っている。識途のクラスや他クラスの知り合いに「奏」の苗字や名の人はいない、心当たりは彼だけだ。


「そう、見せた?」


「いえ…」


 病院でのことを思い出しながら言葉を紡ぐ。


「なんとなく、見せちゃだめだと思って…」


 高等部の予鈴が微かに聞こえてくる。それを合図に突然、架論が進路室の壁に識途の肩を掴んで勢いよく叩きつける。


「そこまで分かっていながらどうして受け入れないっ!」


「なっ」


 訳も分からず咄嗟に架論の腕を掴む識途だが力の差がありすぎた。


「トロイア、カッサンドラ、アポロン、クロリス!まだ分からないのか!」


 反射的に音の意味を頭が理解しようと動くと、脳に何かを流し込まれるような感覚に襲われる。


「あ゛っ」


 苦痛に九の字に折れようとした身体を架論が阻む。


「随分と長く人間でいたもんだ。そんなにあの女がよかったのか。恋仲になる想像でもしたか」


「は?」


 未亜への思いを分析しようと上げて消した可能性の先を無理やり作られる。


「逢瀬やその先を今度こそと思ったんじゃないか?」


「ぐっ」


 言われるがまま想像してしまった光景に生理的嫌悪感が液体と固形物と化してごちゃ混ぜになったものが逆流してくる。咄嗟に架論を押しのけると意外にもすぐ身を引き、部屋の外、目の前の水道に不快感をぶちまけると疲れで座り込んだ。


「なんだ手間かけさせた割に中身はまんまか」


「これは…」


 吐き終わった識途を冷たい目で見下ろす架論が軽薄そうな顔つきになり、識途の傍にしゃがむ。


「改めて自己紹介するよ。俗界から神代への河の管理をしている水越架論だ。神性はカロン、向こう側の君の同僚になる」


 そう言って開け放たれた引き戸の向こう側、見えるあの井戸を指さした。


「渡し守…」


「そう!ちゃんと記憶は共有できたようだね」


 あの吐き気は膨大な記憶を詰め込まれたせいでもあった。


「まだ整理できてないだろうから説明してあげる。うんと昔、世界は分身して、神々とその他、人が共存する神代の領域と人が九割の領域の俗界とで別れた。ここ俗界は神代の魂のコピー版みたいなもの。で、河とか分断できない場所が道となり、“渡し”の能力を持つ神だけがコピーではなく、分霊として俗界に生まれた」


「それがお前か」


「そう」


「僕みたいな分霊を魂と化した人間は不老不死で向こう側の自分と記憶の共有と意思疎通ができる。他の神の魂はコピーで性格や特技が似るくらい。本体もコピーも人間はちょっとだけ元の神代の自分に引っ張られることがあるかな、くらい」


「陽希先輩は、アポロンのコピーなんだな」


「ご名答!いい感じに定着したようだ。あの子はあくまでもコピーで向こうとは別人だからね。力がない神のコピーは普通の人間で人の心を持ってる。万が一、向こうの彼と繋がって記憶の共有がされたら壊れるよ。無意識でも分かってたから見せなかったんでしょ?」


「そう、だな。原因はアポロンであって陽希先輩じゃない。けど、なんで俺を…、本来なら俺はただのコピーだ」


「けど、向こう側での力は似たようなもので精神も神に近い、充分素質がある。何より君にしかできないことなんだ。あの子を目覚めさせたいんだろ?」


 今度は生徒の前にいるような口調の架論を識途は睨んだ。


「おい、あんたのさっきの態度忘れてないぞ。あんたは本を渡してきた時、目覚めると言った。それがこの事なら、俺はその言葉をそのまま受け取れない。ましてや、俺の神性を考えればだ!」


 言葉は複数の意味を持ち、前後の文で意味を変える。識途が記憶を受け入れ、神性を自覚することを目覚めとするなら、意味は物語の中の覚醒に近い。架論や識途の魂の本体の言っている”目覚め”は。識途の望むものとは違った。


「船賭識途の願いは!笠原未亜を救うことだ!あの子を昏睡状態から目を覚まさせることなんだよ!けど、本体(あいつ)の望む目覚めは…、あの子の本体の魂の、呪いを解くことは…」


「あの子…」


 誰かに言い聞かせるように吠えるも最後には小さくなっていく識途の言葉のそこだけ復唱した架論に識途の顔が青ざめる。


「あの子、だよな?」


 また彼が意地の悪い空気を纏う。


「お前にとって笠原くんは可愛らしいお気に入りの人間、自覚できたろ?(ぼくら)は基本的には我儘で人間が信じるのも、縋るも自分がいい。いっそ他の神のように庇護欲を愛欲にできたら良かったのに、向こうの君と一緒。君は最初から神としてしかあの子を愛していないし、愛せないんだ。だからあの子の理想とする船賭くんでいられた。求められたらそう在りたい、そして在ることが(ぼくたち)の喜びでもあるからね」


「黙れ!」


 識途は自分が最初から、陽希先輩より架論に苛立つ理由が分かった、彼が同じ神だからだ。同族嫌悪だったのだ。


「大事なら彼女がどういう状態か分かってるんだろ?向こう側の本体が呪いで死ねないせいで俗界の魂は何度も同じような末路を辿ってる。何もしなければ死んで、転生先でまた繰り返すだけだ。断ち切るにはコピーの笠原くんの魂ごとお前がこっちから引っ張るしかない。二人を人として呪いから目覚めさせてやれるのはお前しかいないんだよ」


 今の識途なら分かる。美亜の魂の本体は二人の神の怒りを買って呪われたトロイアの王女、カッサンドラ。二十になる前から眠り続け、影響を受け続けている俗界の魂は繰り返し二十になる前に死んでいた。


「笠原くんは君をどう見てた?絶対にいなくならない、いつだって正しい助言をくれて導いてくれるお友達。僕よりも先に、眠っていた君の神性を起こしたのは彼女だ」


 複数の呪いのせいで寿命で死ねない美亜の本体は童話の眠り姫状態だ。その異常を後世に残すわけにはいかなかった神々は、悲劇の王女カッサンドラとして本当の末路を敗戦国の王族らしいものに歪めたのだ。


「だからいい加減、人として死なせてやれ。向こうの君も望んでいる」


 船賭識途、宿す神性は(タナトス)

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