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合わさる

 件の先輩の話であろうことは予想できていた。だけど、まさかデートの誘いに成功するとは思っていなかったのだ。噂通りの男の性格なら遊びの誘いに乗ること自体は予想できなくない、ただ未亜がそういった行動をすることが予想外だった。


「すごいじゃん、何て言って誘ったの?」


 笑みを絶やさず会話を続ける。


「来週の土曜日にアフタヌーンティーをご一緒しませんかって声を掛けたのだけれど、喜んでと言って下さったわ」


 先輩も未亜ほどではないが裕福な家の出身、当然そういう場所でのマナーもしっかりしているんだろう。でなきゃ気遣いのできる人として、男女関係なく人望があるはずない。


「素敵な日になるかしら」


「…先輩も良い人だって聞くから楽しい日になるよう応援する」


「ありがとう、識途。それでね…」


「うん」


 素敵(それ)を持っているのは自分だけだろうと言ったら二度とこの時間は訪れないことは知っていた。

 デートとは一言も言ってないが識途にとっては同じようなもの、未亜が識途をお洒落だからと当日の服選びのために頼るなら、誠心誠意応えるのが識途のすべきことだとスマホの検索バーを埋める。


「いつもありがとう、識途」


「いいよ、気にしないで」


 ゲート近くまで見送ろうとするのを止めて、屋敷の玄関ホールで別れの挨拶を済ませる。ここから帰る時間帯としてはいつもより遅くなった。ゲートを抜けようとすると外出着のおばあ様が目に付く。よく見ると、その後ろに運転手と黒塗りの車もある。


「おばあ様、どうしましたか」


 まるで出迎えのような形でこちらを見るその様子に思わず声をかけた。そうでなくとも挨拶無しでは通れないのだが。


「お前を待っていました。途中まで付き合いなさい」


「はい」


 この人に言われては逆らえない。それに未成年を夜遅くまで連れまわすような事はしない人だ、大人しく乗れば寧ろ早めに帰れるだろうと返事をして乗り込んだ。


 長いコートから覗くワイドなパンツをマントのように軽く翻しながら識途に続いて乗り込むおばあ様こと、笠原(かさはら)古都音(ことね)。高身長の体躯は未だ壮健で老いを感じられない威厳が昔からあった。


「私はお前を認めている、そのことは理解していますね?」


「はい…」


 理解しているも何も教育したのは貴方ただと言える度胸は識途にはない。


「未亜との関係についてもある程度の理解はしているつもりです」


「ありがとうございます…」


 何が言いたいのか考えるのは後、返事をしておけば問題無い局面なら言葉を出した後に意図を探ればいい。しかし識途には古都音の言いたいことが何一つ掴めなかった。


「辛いなら貴方が身を削ることはありません」


 一切こちらを見ずに告げられたそれに思わず頭を跳ね上げる。その時初めて猫背で座っていたことに気が付くと同時に、それを咎められなかったことに驚いた。


「自己主張の強い派手な格好…」


 今度は識途に視線を落としながら言う古都音に、少しばかりたじろぐ。制服だが掌が隠れるくらい大きめの黒セーターに少し長めの髪、銀ピアスに学校用の薄化粧という自分の好きな格好におばあ様はおばあ様なりの理解を示していると思っていたからだ。


「お前もそれくらい、あの子に素直になれたらいいのに」


 思っていた事と違う言葉。咄嗟なことで適切な音が口から発せられない識途を気にすることなく古都音は前を向き、しゃんとした姿勢で続ける。


「お前が意識して未亜の理想で在り続けることができても、あの子はそうではいられない。互いに夢を見ていられる今が奇跡だというのはお前の方がよく理解(わか)っているでしょう」


 言い終えた老婦人は識途の髪を指ですくい、耳にかける。この人がこんなことを言うなんてと開いた口が塞がらない識途の横、古都音は小ぶりのバッグから小さなリボンがあしらわれた箱を取り出す。青いリボンが乗っている群青の蓋を開け、黒い箱の中から一層輝くピアスを取り出す。


「自由な校風というのも考えものね。それなりに揉まれてくるだろうと思っていたのに、あの子は夢に夢を見続けたまま、憧れに恋をしている」


 髪を耳にかけたのは無人のピアス穴を探すためでもあったのだろう、丁寧な手つきでピアスを識途の耳に付ける。その間、識途は完全にされるがままだった。

 識途の買ってきた物より遥かに質の良いシンプルな銀色は、購入者のようにすまし顔で識途の耳に鎮座している。


「これは…」


「お前も私が躾けた孫同然。贈り物の一つ、別に不自然ではないでしょう」


 戸惑っている間に識途の家近くまで辿り着いたらしく車が止まる。


「もう遅い夜です、お前の身を案じて帰りなさい」


 単に夜道に気を付けろと言っているのではないという事だけは分かった。


「はい、おばあ様もお気を付けて」


「出しなさい」


 識途の理解したような顔を見るとひとまずはこれで良しと納得したのだろう、頷いて運転手に指示を出す。走り去っていく車を見送りながら識途は数分もない帰り道を歩き出す。

 初めて未亜と会った時のことを思い出し、いつの間にか年下の自分が保護者役に回っていたなと感慨深くなる。


「ただいま」


 特に昔から問題のない、それなりの一般家庭らしく仲の良い家に戻ると丁度夕飯支度をしていた母と家政婦がいい匂いと共に出迎えてくる。

 仕事に追われながらも息子の趣味を邪魔せず、家庭用の記憶力の良さも持ち合わせている父との談笑、とまではいかないまでも会話は繋ぎ役の母親がいて成立する。夕飯と最後のゴミ掃除が終わると帰っていく家政婦に挨拶して識途は自室に戻る。大体の一日がこういう風に終わっていく。

 

 いつも新しい服やアクセサリーを入手する度にSNSに上げる写真も、おばあ様から貰ったものだとそういう気にはなれない。きっと色んな意味で値段以上を貰った、見せびらかしたいモノではないのだ。


 シャワー、洗面器も備え付けてある自室でおばあ様から貰ったもの以外のピアスを外して一つ一つ仕舞っていく。ベッドに寝転がり、ただ一つ耳に残っているのをいじりながら寝る準備を済ませた部屋と格好で冴えた気分になる。


 未亜に先輩を好きだと告げられた日から変に覚めた感覚だった。プールとぬるま湯の間にいるようなつかり心地の夢に彼女と二人でいて、そしてそこから識途を引っ張り出したのは紛れもなく未亜だ。


 彼女と会ったのは九年前、父の仕事の関係で未亜の屋敷にお呼ばれしたときだ。丁度近い年の子供は識途しかいなくて自然に大人たちの退屈な会話の間、彼女を楽しませる役割が回ってきた。


 未亜が八歳、識途が六歳でその頃から識途はメイクやアクセサリーに興味があった。母親の濃い口紅ではなく子供用の薄い色のついたリップをねだるような子供だった。家族は特に我が家の男の子のそんな願いを否定せず、一緒に買いに行くくらいの愛情があった。


 家にいる間はそれで良かった。接する社会が広がれば残酷な面も持ち合わせている他の子供にどう見られるかを小学校に上がった識途は早々に怖がるようになった。


 理解も承認もある家族が足らなかったんじゃない、それを受けて尚走りだせない識途が足らないと感じていただけの話なのだ。

 世の中、ひっそりと隠れて趣味のものを調達している人たちに比べたらかなり恵まれている自覚はあった。だが当時言語化できなかった、あともうひと押しくれよという気持ちを識途は持て余していた。

 幸いにも爆発させることがなかったのは幼いながらも、そうする事で一番身近で接触時間の多い周囲からの理解と寛容が取り上げられたらもうお終いだという事を理解していたからだ。あの時、その一押しをくれたのが未亜だった。


 未亜と長くお茶会ができた金曜日の翌日、休日になった識途は平均家庭より少し高めのお小遣いと短期の仕事で得たバイト代をお気に入りの黒い長財布に入れてショッピングに出ていた。お目当ては昨日目を付けた、未亜と次に逢うための服とリングだ。


 目的地には真っ直ぐ行かず、ショーウィンドウにある物を眺めたり気になった店に入っては眺めての繰り返しをしながら先に進んでいく。まだ暖かい時期にも関わらず、年中カップル率が高いこの通りを一人で歩くことに抵抗はなかった。すれ違い、前を歩くカップルたちの寄り添う姿を見ながらふと未亜と自分の関係に想いを馳せる。

 彼女と恋人関係になりたいわけじゃない、というか識途にはそうなる未来も想像したことが無かったしその先の未来も心の中に話題を出したとしても描けるものではなかった。識途は単に未亜の中の唯一や特別が欲しかった。現につい、数日前までは自分がそこに立っていると信じて疑わなかったのだ。

 そして識途は今、自分が求めている特別、唯一という言葉の解体、即ち追求に迷いあぐねていた。

 何せ条件が悪い、未亜も自分も絶賛年頃、思春期と片付けてしまえる問題が多すぎるし、識途自身それを否定しきれなかった。いっそ恋心なら簡単だったのにと陥ったこともない沼を軽んじるほどには参っていたのだ。


 目的の店の扉をくぐると同時にその思考は一旦吹き飛ばすという子供らしい暴挙に出て会計を済ませ、店に長居したせいで少しばかり肌寒く感じる外に出た。

 お洒落なロゴが入った紙袋を戦利品のように引っさげて帰る道中、ふと沸いた緊張感と胸騒ぎに気分が悪くなる。体調不良の前兆かと帰りの寄り道は無しで真っ直ぐ帰宅する。あれはきっと虫の知らせ、というものだったのだろう。


「ただいま」


 リビングに入った瞬間、違和感が識途を襲った。いつもより歪な空気の中、真っ直ぐ立っている両親と家政婦が顔だけをぎこちなくこちらへ向けた。


「なに、どうしたの」


「識途…」


 父の普段は早く動く口が遠慮がちで重々しい動きだ、それに緊張感は加速する。聞きたくないと言えるほどの気力も絞り出せない。


「笠原家のお嬢様がな…、未亜様が車にはねられたらしい」

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