素敵な思い出は、貴方とだったから
「そろそろ出かける時間なんだ。失礼する」
「はい……」
数か月に一度の婚約者とのお茶会。
十回目の今日も、婚約者は気が無い。さっさと立ち去ってしまう。
お茶会は交互に、それぞれの王都屋敷で行われてきた。
今回は、婚約者の家。
手入れの行き届いた花壇を眺める東屋には、風が通って気持ちいい。
婚約者との距離は、少しも縮まらない。
もちろん、彼だけのせいではないけれど。
それにしても、こんなに短時間で切り上げられたのは初めてだ。
迎えの馬車は、後二時間ほど待たなければ来ない。
婚約者はあんなだが、この屋敷の使用人は行き届いている。
美味しいお茶はいつも熱々だし、スイーツだって上等だ。
時間もあることだし、食べてから帰りのことを考えるか、食べずに帰りのことを相談するか……悩ましい。
「ゆっくりしていってよ」
「リベリオ様」
「席が空いてるから、僕が座っちゃうけどいい?」
「もちろんですわ」
声をかけて下さったのは、婚約者の叔父、リベリオ様。
画家をしている彼は、旅に出ていることも多いが、王都に居る時は、この子爵家王都屋敷の離れに滞在している。
三十歳を過ぎているが若々しく、婚約者の叔父というよりは兄のように見える。
「セルジョは君をほったらかしにして、どうしたのかな?」
「実は……」
わたしは先ほどのやり取りを伝える。
リベリオ様は、呆れた顔から少し怒った顔に変わる。
「学園も、もうじき卒業なのに、あいつは契約書を読んでいないのだろうか?」
「そうかもしれません」
「オリアーナ様、リベリオ様。
お茶を淹れなおしましょう」
メイド長が声をかけてくれる。
「ありがとう」
「そうだな。今は、せっかくのお茶の時間を楽しもう」
リベリオ様は、わたしを励ますように笑顔を向けてくれた。
それから一か月後。
学園の卒業を目前にして、セルジョ様はわたしの父に呼ばれた。
叔父であるリベリオ様も同行している。
応接間ではわたしも父の隣りに座った。
「君とオリアーナの婚約についてだが」
「はい」
「二人の親睦が深まらないことでもあるし、解消しようかと思う」
「いいんですか?」
セルジョ様は少し嬉しそうである。
「ああ、特に問題はない」
「そうですか」
「そして、卒業後の進路のことだが、契約書の通り騎士団に入ってもらうことになる」
「それは、何のことでしょうか?」
セルジョ様が、不思議な話を聞いたかのような顔をする。
「君も承知の通り、私は君の後見人となっている。
それは、ソンメッラ家と当家の寄り親であるシルヴェストリ侯爵様を介しての取り決めだ。
そしてまた、学園卒業時の君が跡取りに相応しいか見極める役割も仰せつかっている。
結論から言えば、今の君に領地は任せられない。
というわけで、君の身柄は侯爵家騎士団に送ることになった」
「そんな……」
「君の御父上から、私は領地と一人息子を託された。
侯爵家から証人となる文官を派遣してもらい、父上の希望にそって契約書を作ったんだ。
これは、君の父上の意志にそったものだ」
「婚約の契約書とは、ごく一般的な事柄が書かれているのではないのですか?」
「そういう契約書もあるだろうね。
だがあれは、婚約も含めてのソンメッラ子爵家とパルミエリ子爵家との契約書だ」
セルジョ様は幼い頃にお母様を亡くし、お父様も十歳になる前に病気で亡くなられた。
唯一の身内となった叔父のリベリオ様は画家という仕事柄、ずっと後見として屋敷や領地を守ることが出来ない。
それで、前子爵がまだ意思をはっきり示せるうちに、領地が隣り合うわたしの父と相談し、婚約の話を進めた。
父は、将来娘が嫁ぐ領地として運営を預かり、なんとか収支をトントンにしていた。代理領主としては、思い切った改革を行うわけにもいかず、発展させるのは難しい。
セルジョ様は今、王都で学園に通っているが、寮ではなく王都屋敷からだ。
送迎の自家用馬車もあり、きちんと子爵家の体裁を保っている。
しかし、前述の通り領地の収支はトントン。
つまり、こんな贅沢とも言える生活を保つには、別に収入が必要だ。
そこを補っているのが、叔父のリベリオ様である。
大陸中を旅し風景画を描くリベリオ様は、かなりの人気画家。
顧客の中には王弟殿下もいらして、旅に出る時は必ず一枚、自分のために絵を描くよう注文されるのだとか。
他にも国内外かかわらず、たくさんの顧客から注文があり、それに応えることで収入を得ている。
離れに住んでいる彼だが、屋敷の経費を全て賄っている。
王都屋敷に関しては、実質的な主人と言ってもいい。
「……君は、学園で経営学も取っているはずだが、契約書については、学んでいないのかね?
契約ごとに、様々な状況があり、様々な条件が生まれる。
一律ではないはずだよ」
父の追及は厳しい。
「は、はい。それは、そうですが」
「君がオリアーナと婚姻すれば、ソンメッラ家の領地を存続させてきた私の働きも無駄にはならないはずだったんだが」
「管理料については将来、領地を富ませてお支払いするつもりでした」
「そう簡単ではないぞ?
卒業論文について、私は手紙で、領地の改革案について書くよう促した。
しかし、君はそれも無視してしまった。
そもそも、勉学に身が入っていないのは、成績を見れば明らかだ。
オリアーナも君が学園に入ってからは、私を手伝っていろいろ試行錯誤しているが、まだ結果に結びつきそうなものはない」
「オリアーナが? 学園にも入れなかった彼女がですか?」
「君は何か、誤解しているようだ」
学園の入試を一緒に受けたわたしが学園に入らなかったのを、学力が足りないと思っていたらしい。
リベリオ様が憤慨した様子で、割って入った。
「オリアーナ嬢は試験を受けたが、学園を卒業できる学力と認められた。
それで、入学の必要なしとなったんだ。
その年の学年末には卒業論文を送り、それが認められて特別に卒業生として名を連ねた。
論文集の巻頭に掲載されたのだが、それも読まなかったのか?」
「オリアーナは領地で遊んで暮らしていると思ってました……」
「なんでそうなる?
彼女とはお茶会で、何を話していたんだ?」
「えーと」
婚約者は覚えていないようなので、わたしが説明すべきだろう。
「王都の流行について、いろいろ教えていただきました。
デートに最適なお洒落なカフェですとか、若者に人気の芝居ですとか。
……一度も、誘っていただいたことはありませんが」
いけない、少し嫌味が入ってしまった。でも事実。
「ソンメッラ子爵家の領地の現状についても、お話したかったのですが嫌がられるので、文書にしてお届けしていました。
読んでいただければ、将来の参考になると思いまして」
「え? あの分厚い手紙は、口説き文句が書かれていたんじゃないのか?」
「少なくともわたしに、貴方を口説かなければならない理由はありません」
「口説く理由は無い?」
「ええ。貴方が学園で、どなたかを見初めることもあり得ましたし、十分に学んで独り立ちできる可能性もありました。
貴方が、わたしの助けを必要とするなら、もちろん、婚姻してお手伝いするのもやぶさかではないと考えていたのです。
けれど、積極的に、貴方の道を狭めるつもりはありませんでした」
「……そうだったのか」
「過酷かもしれないが、私も侯爵様に対して誠実でなければならない。
それから、騎士団長は君の父上の友人だ。その縁で引き受けて下さったんだ。
騎士団所属になれば、見習いでも衣食住には困らない。
もし騎士になれなくても、後方支援の仕事ならいくらでもあるから、真面目に励めばよいと伝言を預かっている」
「他に選択肢は?」
「他の選択肢を用意するとなると……婿入り先を紹介することなら出来るかもしれないが」
「婿入り?」
婚約者の顔が一瞬、明るくなった。
「だが、あまりお勧めはしない。
後ろ盾も財産もない、若いだけの君を望む相手となれば、訳ありの未亡人や……まあ、いろいろ」
お父様は言葉を濁す。
流行に敏感な婚約者は、風俗については耳年増なのだろうか。
若干、顔色を悪くしたので理解しているようだ。
「どうするかね?」
「……騎士団で、お願いします」
「わかった。素直に応じてくれてよかったよ」
「あの、最後に、お嬢さんに謝罪をしても?」
「ああ」
「オリアーナ、いやオリアーナ嬢、今まで申し訳なかった。
君と、君の父上の助力を無駄にしたことも、許して欲しい。
何も持たない俺には、謝ることしかできないが」
「謝罪を受け入れます。
セルジョ様、新しい環境に早く馴染めるようお祈りしますわ」
「……ありがとう」
セルジョ様は、うちの執事に連れられ、応接室を出て行った。
「さて、今後のことだが。
リベリオ殿は、ソンメッラ子爵家を継いではくださらないのですか?」
「僕は画家の仕事が合っているので。
然るべき方に、爵位も領地も持っていただいたほうがいいと考えます」
「侯爵様に委ねることになりますので、私としては、気の合う新領主が来ることを願うだけですがね」
「それでしたら、いい方法がありますわ」
「なんだね、オリアーナ?」
「やはり、わたしがソンメッラ子爵家に嫁げばよいのです」
「さっきの今で、彼と復縁するのか?」
「まさか」
「じゃあ、どうやって……」
考え込むリベリオ様の顔を、じっと見つめる。
それはもう、穴が空くんじゃないかと思うほど。
「ん?」
視線に気づいた彼が、やっと思い当たったらしい。
右手の人差し指を自分の顔に向けた。
「はい、そうですわ」
わたしは、とびきりの笑顔で、彼にアピールした。
「僕、オジサンだけど?」
「わたしが幼い頃は、素敵なお兄さんでした」
リベリオ様とは十五歳差。壁というほどではないと思う。
婚約解消が決まった今しか言い出せないことだ。
ソンメッラ家との縁がなくなれば、滅多にリベリオ様には会えなくなる。
わたしは玉砕覚悟で勇気を振り絞った。
幼い頃、元婚約者の家とは家族ぐるみで交流があり、よく遊びに行ったものだ。
しかし、同い年のセルジョ様は活発なたちで、対する私は本好きの引きこもり。
一緒に遊んだ記憶は、ほとんどない。
ソンメッラ子爵家の領地で過ごした日々を思い出すと、自然に、リベリオ様の笑顔が浮かぶ。
彼はまだ若かったが、すでに絵の才能を認められており、丘の上にイーゼルを置いて熱心に描いていた。
そうでなければスケッチブックを持って、あちこちを歩き回っていた。
わたしが側に行っても嫌がられなかったので、大人しく彼の近くで本を読んだ。
眠ってしまって屋敷まで運んでもらったこともあった。
時には、わたしの分のおやつを用意してくれて、ピクニックのように楽しくお茶をすることもあった。
「ソンメッラ子爵家での心に残る思い出は、貴方と過ごした日々でした。
わたしは、子爵家の領地運営をする自信があります。
ですから貴方には、自由に絵を描くための旅に出ていただけます。
……今まで、セルジョ様を補佐する自分を具体的に想像できたことはなかったんですけれど、旅から帰ってくる貴方をお迎えするのは、なんだか考えただけで嬉しくなります」
「君が本当にそれでいいとしても、君の父上は……」
「私は賛成ですよ。
貴方は画家として、今までも子爵家を出来る限り支えてきた。
正直、与えられたもので満足して、自ら踏み出そうとしなかったセルジョ君よりよほど、娘を託せる」
「……話は、わかりました。
婚約するかどうか決める前に、オリアーナ嬢を案内したい場所があるのですが」
「後は二人で、よく話し合ってください」
父はわたしたち二人に決断を委ねた。
「ここは?」
数日後、案内されたのは王都でも一二を争いそうな、立派なお屋敷。
「王弟殿下のお住まいだ」
「まあ!?」
そんな雲の上の方のお屋敷にお邪魔するのは初めてで、緊張する。
「ようこそ」
王弟殿下は肖像画に違わぬ、がっしりした体躯の美丈夫だ。
リベリオ様よりは、十歳年上だったと記憶している。
「お初にお目にかかります……」
「いい、いい。リベリオとは友人だ。気楽に過ごして欲しい」
「……ありがとうございます」
「さあ、こちらへどうぞ」
案内していただいたのは、王弟殿下のギャラリー。
後から聞いたところでは、一生に一度でいいから、ここにお邪魔したいと望む美術愛好家は、国内外かかわらず多いという。
たくさんの美しい絵画や彫刻などに囲まれ、中心に一枚の絵が飾られていた。
「この絵は?」
「私のコレクションの中で、こちらからの注文品を除けば一番のお気に入りだよ」
それは、私的に描かれたことを思わせる、小さなサイズの絵だった。
一面の草原の中を駆けて来る、幼い少女。
ドレスは白。
帽子には水色のリボンと黄色い花飾り。
吹き抜ける風に乗るように、一生懸命、誰かを目指して。
「……これ、わたし?」
帽子に見覚えがある。
隣りに立つリベリオ様から答えがあった。
「あまりに可愛くて、どうしても描かずにいられなかった。
僕が絵を描いていると、嬉しそうに走って来る女の子。
いつも君に会えるのが楽しみだったよ」
あの日、リベリオ様はスケッチをしていて、移動するからと声を掛けてくれたのだ。
帽子に挿した黄色い花は『ほら、君に似合うよ』と彼が手折ってつけてくれたもの。
「……他愛ない野の花も、後から考えると意味深でしたのね」
「うん。
解せないのは、少女がオジサンを好きでも止められこそすれ貶されない。
しかし、オジサンが少女を好きだと言えば変態扱いなことだ」
確かに、それが曇りない想いだったとしても、証明するのは骨が折れる。
「今は、貴方に相応しい姿に育ちました」
わたしが言うと、リベリオ様ははにかんだ微笑みを見せる。
「言い出せるわけのない僕は、このギャラリーに想いを閉じ込めてもらっていた。
でも、解き放つことが許された。
あの日の続きから、ゆっくり始めてもいいかな?」
「もちろんです」
跪いての求愛など必要ない。
わたしは差し出された手に自分の手を繋いだ。
「さて、積年の恋を実らせた二人には迷惑かもしれないが、お茶に付き合ってもらえるかな」
「喜んで」
「ありがとうございます」
執事の手で恭しく閉められる、ギャラリーの扉。
閉じる瞬間、草原の匂いが吹き抜ける。
「今、風が……」
「ああ、確かに吹いた」
わたしたちは、同じ風を感じて微笑みを交わした。