秋が嫌いだったけれど
現在冷たい風がびゅーびゅーと吹いている。昨日までは暑かったのに、急に寒くなったのだ。もう秋が来たのだなと実感する。それと同時に昔の記憶が蘇った。
それは私が中学1年生のこの時期。この時も現在と同じように前日は暑かったのだが、当日は急に寒くなったのである。そのため上着を持って来ておらず、寒さに飢えていたのだった。
本来なら授業が終わった後にそのまま家に帰ったことだろう。しかし、その日は部活で合同練習があったため、抜けるわけにはいかないと謎の使命感に駆られていた。そのため、放課後になると真っ直ぐ更衣室に向かい、体操着に着替えようとした。
しかし、そこで誤算が起こる。なんと持って来ていたのは半袖と半ズボンの体操着。長袖も長ズボンもない。勿論、ウインドブレーカーも持って来ておらず、腕や脚を覆う服が無かったのだった。
運動している間は体が熱くなり、寒さはそこまで感じることはないだろう。しかし、始まるまでの時間や待機時間は運動している時間よりも長く、その時間に体を冷やさないかが心配である。
あまり気が乗らないまま更衣室から出た。やはり風は冷たく体が冷えていく。
これだから秋は嫌いなのだ。本当に体調管理がしにくい。よく、食欲の秋とかスポーツの秋とか読書の秋だから好きだと言う人が多くいるが、秋の食材で特に好きなものはないし、スポーツや読書はいつでも出来るから季節は関係ないと思っているため、自分は秋には全く魅力を感じなかった。
秋と言う季節に嫌気を感じながら、早く部活始まらないかなと体を丸くして少しでも熱が逃げないように耐えようとした。
「秋山さん大丈夫? 顔真っ青だよ。取り敢えずこれでも羽織って」
「春山先輩?」
心地よい低温ボイスに即座に反応し、その正体を確かめるために後ろへと振り返る。声をかけてきた人物はやはり春山先輩であった。
彼の名前は春山陽翔。1つ学年が上の先輩だ。私の好きな人であるため、声をかけられて鼓動が高まってしまう。
先輩は自分のウインドブレーカーを私に着せようとした。
「そんなの申し訳ないです。 先輩が風邪をひいたら困りますし大丈……」
私は本当に申し訳なく感じ、断ろうとしたが、先輩は大丈夫ですと言う私の言葉を遮り、私の肩にウインドブレーカーを乗せた。
「つべこべ言わずに着なよ。そんな風に言っていると可愛げがないと思われるよ」
私はもともと可愛くなし、愛嬌もない。また、積極的な友好関係もない。そのため、もとから可愛げなんてないですとボソッと言うと、先輩はごめんごめんと軽く謝り、秋山さんは可愛いよと強調して言った。
可愛いよと言う言葉がお世辞だと分かっていても、好きな人に言われてしまうとつい嬉しくなってしまう。その反面、嘘吐かなくて良いのにとも思ってしまった。
「嘘じゃないよ。本当に秋山さんは可愛い」
どうやら思わず声に出してしまったらしい。心の声を出してしまった羞恥心と再び可愛いと言われたことへの照れくさい感情が交じり、顔が真っ赤になってしまう。
「顔が赤くなってる。体調崩した? 大丈夫?」
先輩はどうやら体調の悪化のせいで、顔が赤くなったと勘違いし、本気で心配しているようだった。
本当に先輩は優しい。やっぱりその優しさが素敵だと思ってしまう。もともと先輩は誰に対しても優しいが、その優しさが今は自分だけに向けられているものだと思うとやはり嬉しく感じてしまった。
私は大丈夫ですよと苦手な笑顔を作って、先輩を安心させようとした。しかし、先輩は本当に大丈夫なのと何度も確認してきた。その優しさは嬉しいが、何回もとなると少しウザく感じてしまい、ほっといてくださいと声を上げてしまった。
「ほっとけるわけないよ」
先輩は私以上に声を上げていた。周りが先輩の声に驚いたようで、こちらの方を向いてきた。そのことに気づいた先輩は顔を赤く染まっていた。
私はふと時計台に目を向けた。すると、あと5分で部活が始まることに気づいた。そのため、やっぱり渡してくれたウインドブレーカーは寒さを凌げるからと、先輩に貸してもらいますねとお礼を述べて貸してもらうことにした。先輩は勿論と笑顔を向けた。
下半身は半ズボンで寒さを凌げなかったが、上半身は貸してくれたウインドブレーカーのお陰で凌ぐことができた。先輩が貸してくれたウインドブレーカーは、普段自分が使っているものよりも大きくてピッタリと体に合わなかったものの、いつもよりも温かい気がした。
部活が終わると即座に先輩のところへ向かった。
「春山先輩、貸していただきありがとうございました。明日洗ってお返しします」
「別に良いよ。明日そのまま返してくれたら良いから」
流石にそのまま返すのは気が引けたので、洗濯してから返そうと思い、明日まで貸してくださいと言う意味で言ったのだが、自分が思ったこととは違う返答が返ってきてしまい、戸惑ってしまう。
「そのままで良いのでしたらその場で返しますけど、本当に洗って返さなくて良いのですか?」
私は洗う必要もないと感じているのならば、どうして明日まで貸してくれるのかがよく分からず質問してしまう。
「今はさっきよりも冷えているよ。それなのにそのまま帰ったら風邪ひいちゃうでしょう。だから体を冷やさないように気を付けて帰ってよ。僕が貸したくて貸しただけだから本当に気にしなくて大丈夫だからね」
まさか帰りの心配までしてくれるとは思わず、先輩の優しさを改めて実感した。確かに今は先ほどよりも寒くなっている。ウインドブレーカーを返してそのまま帰ったら、体を冷やすのは間違いなかった。きっと断っても先ほどのように無理矢理着せようとするのは目に見えていたため、申し訳ないなと思いながらも、好意に甘えて明日まで貸してもらうことにした。
先輩にさようならとお別れをし、真っ直ぐ家に帰った。帰る時は、相変わらず上半身は温かいままだった。
次の日の放課後。
「先輩、昨日は貸していただきありがとうございました。洗って返そうと思ったのですが、洗うことによって服を傷めてしまったり、洗剤の匂いが好みじゃなかったりすると迷惑になるかもと思って洗っていません。ごめんなさい」
本当に洗って返そうと思ったのだが、色々なことを考えてしまい洗うことが出来なかった。先輩のことだから気を使って言っただけなのは分かっている。本来なら洗って返すのも常識だと知っている。痛みや匂いを理由に言ったが、あれはただの建前上の理由で、本当は洗ったら服を着ていた温もりが消えそうで洗うことが出来なかったのだ。だが、そんなことは口を裂けても言えるわけがなかった。先輩は別にそう言う意味で言ったわけではないのだけどなと優しく返答してくれた。
「今日は使うことはないと思いますけど、今お返ししますね」
なんせ今日は暑い。一昨日の気候が戻ってきたのである。昨日の寒さは全く感じられなかった。
「ありがとう。それにしても、多くの荷物を抱えているけど大丈夫なの?」
「大丈夫です。ただ、長袖やウインドブレーカーを持ってきて嵩張っているだけですから」
先輩は礼を述べながら、私の状況を心配してくれた。確かに私は普段の2倍以上の荷物を持っていた。今日が寒くなるか暑くなるか予想がつかなかったからである。それにしても、わざわざ取り出して持ってきたと言うのに、今日は役割を全く果たさないのだから腹立たしく思った。そして先輩につい愚痴を漏らしてしまった。
「本当に秋は大嫌いです。もう秋なんてなくなってくれたら良いのに」
「え、そうなの? 僕は秋が1番好きだけどな。秋山さんって、名前に『秋』って入っているのに大嫌いなんて意外だな」
「え、本当ですか? 先輩は名前に『春』が入っているのに秋が1番好きだなんて意外です」
先輩は私の言葉に驚いたようだった。それにしても名前に『秋』が入っているのは関係ないと思う。それでもなんか悔しいため、私も同じように反論をした。先輩はその反論に笑って春も好きではあるけどねと答えた。
「先輩は何で秋が1番好きなのですか? 私は体調が管理しにくいので1番嫌いなのですが」
私は気になって先輩に質問してしまう。先輩は少し時間を置いてゆっくりと語り始めた。
「確かに秋は体調を崩しやすいし、寂しさを感じるから嫌いな人も多いと思う。でも、俺は体調に関してはいつも自分のことを気にしないから普段以上に気を付けようと思える。あと、寂しさも感じるけれど、むしろ自然が寂しいことによって、より人の温かさを感じることが出来る季節だと思うんだ。言っていることが理解出来ないかもしれないけどね」
先輩は少し自嘲気味に笑っていた。私は先輩の言っていることはハッキリとは分からなかったが、先輩は人との繋がりを大切にする人だからそのように感じるのだろうなと思った。
「それに……」
「二人ともそろそろ始まるから早くこっちに来なさいよ!」
先輩が続きを言いかけたところで、他の先輩に呼びかけられた。どうやらかなり時間が経っていたらしい。話に夢中で全く気づかなかった。私は今いきますとそのまま行こうとしたが、先輩があとで話の続きがしたいから終わったら校舎の裏側に来てと言った。私は分かりましたと一言残してそのままコートの方へと向かったのであった。
さっき先輩は何を言いかけたのだろうかと少し気になったが、あとで教えてもらえるし、今は部活に集中しなきゃと懸命に練習に取り掛かった。
頑張って練習をした後は、やはり気持ちいいなとテンションが上がりながら、先輩に言われた通り校舎の裏側へと向かう。それにしても何で校舎の裏側なのだろうか? 話の続きをするだけなら先ほどの場所で良いような気がするけどなと疑問に思いながら、校舎の裏側に着いた。すると、すでに先輩はそこで待機をしていた。それにしても、顔がこわばっている。もしかして体調を崩したのだろうかと心配になり、声をかけようとすると先輩が口を開いた。
「さっきの続きなんだけど……秋が好きな理由は他にもあるんだ。実は、僕の好きな人の名前に『秋』と言う漢字が含まれているからと言うのが今の1番の理由なんだ」
「えっ?」
私は先輩の回答に驚いてしまった。自分の名前にも『秋』と言う漢字は含まれている。おまけに校舎の裏側でこの話をするなんて、まさかと期待してしまう。でも、先輩は優しくて、スポーツも出来るから人気はあるし、自分はとても地味だからそんなわけないはずなのにと否定的な考えも浮かんでしまう。私は怖くてそれは誰と聞けない。自分だったら良いのにと願うことしか出来ない。でも、やっぱり聞きたいと葛藤して、やっぱり聞こうと思った時、先輩は再び口を開いた。
「秋山さん、僕は貴女のことが好きです。とても頑張り屋なところにずっと惹かれていました。もし良ければ僕と付き合ってくれませんか?」
まさか願いが通じるなんて、まさか両思いだなんて夢にも思わなかった。本当に夢だとさえ思ってしまった。私は嬉しさのあまりに固まってしまった。
「ごめんね。さっきのは気に……」
「私も……」
せっかく先輩が勇気を出して告白してくれたのに、その告白を無下にさせそうになったなんて情けない。私は先輩の言葉を一旦遮り、1つ大きな深呼吸をした。
「私も先輩のことが好きです。優しいところが本当に大好きなんです。だからこれからよろしくお願いします」
「えっ?」
今度は先輩が、先ほどの私と同じように驚いた顔をしていた。きっと断られる可能性も考えていたのだろう。私が断るわけないのに。先輩は子どものように無邪気に喜び、ありがとうと笑った。こんなに喜んでいる先輩を見たことがなくて、私も先輩と同様に喜んだのであった。
もう15年も前の出来事である。月日が流れるのは本当に早いなと実感した。昔はあんなに秋が大嫌いだったのに、今では1番好きになるなんて不思議なものだ。
「秋奈」
後ろの方から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、振り向いた。
「陽翔さん」
会えたことが嬉しくて、私も彼の名前を呼んだ。あの時は先輩と呼んでいたけど、今ではすっかりお互いに名前で呼んでいる。
「秋奈、風邪をひいたら大変だからこれを着て」
「陽翔さん、ありがとう」
彼は着ているスーツを脱いで、私に渡してきた。やっぱりあの時と変わらず優しい。いや、付き合ってから、また結婚してからより優しくなった。性格は勿論のこと、見た目も声もより魅力的になっている。ますます惚れるばかりだ。
「秋奈はただでさえ、体調崩しやすいんだから気を付けなきゃ。それに今は1人の身体ではないのだから尚更だろう」
彼の言う通りだ。私はもう少しで母親になるのだから。優しくお腹に手を当てて、彼に笑顔を向けた。
「お腹の子のためにも、体調を崩せないね」