第72話 馬車+結界=嫌悪
日はすでに落ち、ベリアーザには夜のとばりが降りていた。
さて、そんなベリアーザの貴族街の中心には、そびえたつ広大な屋敷がある。
その主はこのベリアーザの領主であるゼリア子爵。
数世代にわたってこのベリアーザを過不足なく治めてきた名家である。
特に先代領主の評判は素晴らしく、高潔な人格者であった先代は下街にもよく顔を出し、住民たちからも親しまれていた。
そんな先代領主は今年の初めに突如体調を崩して引退。
一人息子がその後を引き継いだ。
では、素晴らしかった先代の息子である当代領主の評判はどうだろうか。
当代が領主に就任してからの期間はまだ一年に満たないが、その評判は芳しいものではない。
なぜなら、目に見えて貴族を優遇し、平民を見下す、典型的な悪徳領主の振る舞いが目立っているからだ。
先代までに築き上げた評判は地に落ち、治安も悪化した。
住民は嘆き悲しんだが、身分社会において平民にはあまりにも力がない。
では、良識のある他の貴族は?
それも先代領主の引退と同じ時期に当主が変わったり、領地替えしたりなどでほとんどが残っていない。
不思議な話・・・というにはあまりにもタイミングが合い過ぎている。
今、ベリアーザはそんな暗雲に包まれていた。
さて、そんなベリアーザの貴族街の中心、件の悪徳領主の館の正門には一台の馬車が訪れていた。
「夜分に失礼いたします。門番様、こちらを。」
門番にメイドが書類を手渡す。
「少し待て。・・・・よし、確認した。よくぞいらした、キャロライン子爵家の方々。中で当主がお待ちです。」
門番によって正門が開かれ、待機していた馬車が中へと進んでいく。
庭師によって整えられた敷地を進み、屋敷の玄関前で馬車が止まる、その直前。
馬車の中に乗っていたお嬢様は自身が何かの結界に入ったことを自覚した。
そして、それと同時にポケットに忍ばせていた魔道具を起動。
その瞳から光が消える。
お嬢様・・・リリー・キャロラインを名乗るリリスはその体からあえて力を抜く。
その立ち姿は、楚々としたお嬢様然としながらも、どこか消えてしまいそうな・・・漂う幽霊のような儚さがある。
「あなたも準備なさい、ルタ。」
「はい、お嬢様。」
メイドのルタこと、このあたし、リタちゃんも同じ魔道具を取り出して起動する。
とはいえ、あたしは元々、感情が薄い演技をしてたからあまり変わんないんだけどね。
やあやあ、遅くなったけど、おっす、あたしリタちゃん。
今、このベリアーザにおける諸悪の根源と思しき領主のお屋敷に招かれているよ。
冒険者たちを高級宿に匿った後、ちょうどあたしたちに領主からの招待状が届いたんだよね。
そんで、ちょうど良かったから乗り込もうってなったわけ。
急な招待だったから、準備が間に合わないかと思いきや、そこはウチの情報部。
事前にある程度は探ってくれてて、対策が立てられたってわけ。
その対策ってのが、この魔道具。
あたしたちの見た目を変えてくれるっていう、ただそれだけの魔道具。
でも、今回の潜入という目的においては、これ以上ない効果を発揮してくれる魔道具だ。
さっき、肌で感じた結界・・・あれは以前に感じたことがある・・・いや、あたしは覚えていないけど、あたしの体が、あおの嫌な感覚を覚えている。
あれは、意識を抑制して意のままに操る結界。
五年前、リタ・ルディガンがつけられていたチョーカー型魔道具、それに仕込まれていたのと同じ結界だ。
さっきのあたしは、少し嫌悪感が出ていたかもしれない。
普段なら表面に出す感情の制御はできるんだけど、これは別だ。
かつてのリタという少女が長い間その心を拘束されていた結界だ。
肉体が覚えている嫌悪感を、あたしはまだ御しきれていない。
・・・我ながら、未熟なことだよ。
ともかく、あたしもさっき魔道具は起動したから、目の光は消えているはず。
それじゃ、こころなしかぼーっとした感じの動き方を意識しようかな。
そんな風に準備が完了したとき、ちょうど馬車が止まった。
外から入口のドアが叩かれる。
さて、改めて体の力を抜いて、と。
ふらふらとした様子を意識しつつ、あたしは馬車の外へと向かうのだった。
次回の更新は12月13日(土)午前6時の予定です。




