第2話 愚者+婚約破棄=前日譚(上)
ここから数話はプロローグになります。
その日、歴史が動いた。
「メルティーナ・ファイドラ公爵令嬢。今、この時をもって、貴様との婚約破棄を宣言する!!!」
ここは西大陸にある大国、シエル王国。
広大な国土と豊かな土壌、そして東には海を有する西大陸屈指の国家である。
その王都『カレイニア』にある名門校『第一高等学園』。
優秀な人材を過去多く輩出し、貴族が大半を占めて平民は特待生のみという名門中の名門校。
その敷地内に存在する大講堂ではこの日、年に1度の修了パーティーが催されていた。
未来ある若者たちが集い、その胸中にそれぞれの思惑を抱いて将来のための社交に励む。
そんな中で登場するのはシエル王国の王太子・・・第一王子アレックス・ゼノ・シエル。
輝かしい将来を約束された、この国の未来。
その、はずだった。
「な、何をバカなことを言っているのですか、殿下!?」
淑女にあるまじき大声で悲鳴を上げるのは、名指しされたメルティーナ。
ファイドラ公爵家の令嬢にして、アレックス王子の婚約者・・・未来の王妃であったはずの少女だ。
「聞こえなかったのか?この私が!!シエル王国王太子アレックス・ゼノ・シエルが、貴様との婚約を破棄すると宣言したのだ!!」
改めて、高らかにそう宣言する王太子。
その傍らには、微笑みを浮かべた一人の少女が寄り添っていた。
白磁のような白い肌に、まるで夜空のような深みと静謐さを湛える黒い長髪。
今にも折れてしまいそうな首元には、黒いひし形の宝石があしらわれたチョーカーが嵌められている。
彼女の名はリタ・ルディガン。
貴族の中でも最下位である男爵家の一つ、ルディガン男爵家の一人娘である。
国を背負って立つ王太子の隣にただ一人で立つには、あまりにも足場が不安定で不釣り合い。
そんな少女が一人、アレックス王子の隣で寄り添っていたのだ。
前代未聞の婚約破棄宣言。
その理由が何であるかは、誰の目にも明らかであった。
「お考え直しください、殿下!!このような場で、そのような宣言など・・・いったい、どう為されたと言うのですか!!」
「そうです!!自分が何をしておいでなのか、わかっているのですか兄上!?」
メルティーナの非難に追従するのは、ユリウス・ディノ・シエル第二王子。
アレックスの一つ下の、腹違いの弟である。
兄のまさかの暴挙に、顔面は蒼白になってしまっている。
「わかっているともユリウス。俺はこの女との関係を断ち、このリタを妻に迎える!!」
アレックスが断言したことで、周囲がさらにざわつく。
「ですが、これは王家から持ち掛けた婚約!!これを一方的に破棄するなど・・・」
「お待ちください、ユリウス殿下。」
ユリウスを遮って声をかけたのは、宰相の息子であるリディ・マルコス。
かけている眼鏡をくいっと上げ、無駄にレンズに光を反射させながら会話へと参戦する。
「・・・何かな、マルコス侯爵子息。」
王族の会話に口を出すなど、正気の沙汰ではない。
それを指摘するための、知り合いであるリディへの侯爵子息呼びだったのだが・・・。
「リディで結構です、ユリウス様。」
この返しである。
しかも、殿下ではなく名前呼びな辺り、公の場ではやってはならない失態である。
おかげで、ユリウスの額には青筋が浮かんでいる。
「アレックス殿下には正当な理由がございます。」
「ほぅ・・・一応、聞きましょうか。」
「それは・・・」
「待てリディ。俺から話す。いいか?その女はな。様々な手練手管を駆使し、このリタ・ルディガン男爵令嬢に対して陰湿ないじめを行っていたのだ!!」
いたのだ・・・たのだ・・・のだ・・・。
シーン、と静まり返った大講堂に、アレックスの声がこだまする。
これが・・・こんなのが、正当な理由らしい。
あまりにもふざけた言い分に、ユリウスは呆れと怒りがオーバーフローを起こしたようだ。
声を出そうにも喉につかえてしまっている。
「・・・裏はとっているのでしょうね?」
そう訊ねるメルティーナだが、現実は無情。
「裏だと!?そのようなもの、とる必要もあるまい!!立場の弱い彼女が被害を訴えているのだ。貴様は裏など残さずに立ち回ったんだろうさ!!」
まともな答えなど返ってくるはずもなく・・・これはつまり、裏をとっていないという自白と同義である。
「殿下の決定だ。ただ従えばいい。」
「ええ。殿下こそ、我らを導くお方なのですから。」
そう発言したのはガルド・フェローニア。
そして追従したのがマイク・ディッカス。
それぞれ、フェローニア伯爵家とディッカス侯爵家の長男であり、騎士団長と魔導師団長の息子である。
彼らも学生の中では上位の実力者で、これから成長して国を主導していくのを期待された者たちである。
本来であれば国の将来を担うであろう彼らが、理屈になっていない理屈を持って、主観による判断で公爵令嬢を弾劾しようとしている。
その事実だけでも眩暈を覚えるには十分であるのに、彼らはそこに追い打ちをかけようとする。
「お前も同じ意見だろう、ハリー?」
アレックスが呼びかけたのはハリー・ボウティ。
有能で名の通った財務大臣のボウティ子爵の息子である。
よもや、かの子爵家の子息すらも同じ判断を下すのかと、周囲に戦慄が走る。
この国はもう、ダメかもしれない。
まともな感性を持った者たちの脳裏にそんな思考がよぎるが、それは杞憂となった。
「・・・いいえ、殿下。私は反対でございます。」
「・・・なに?すまない、聞き漏らしてしまったようだ。お前も我らと同意見なのだろう?」
「いいえ。私の意見は変わりません。この弾劾は不当なるもの。王太子殿下に賛同することは、私にはできかねます。」
ハリーははっきりと、そう拒絶を口にしたのだった。
次回更新は3月18日(土)午前6時の予定です。
追記:リタの苗字がルディアンとルディガンで表記ブレしていたので、ルディガンに統一しました。