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『黒木渚論』

『黒木渚論・・・「さかさまの雨」と戦後』

『黒木渚論・・・「さかさまの雨」と戦後』



本日、黒木渚※の、「さかさまの雨」が、デジタル配信された。自分は、特別に、この曲が、日本の歴史と関連して聴こえる様に覚えた。というのも、アレンジが、どこか軍歌調で、そこに、黒木渚の歌詞が相まって、何か、第二次世界大戦後の、戦後日本を想起させられたからである。


「君は私のものだったよ」


(「さかさまの雨」黒木渚)


という歌詞、勿論、それだけに集約されない、歌詞全体が、原爆投下後の日本における、天皇をイメージさせられた。



単純に言って、「さかさまの雨」から、戦後日本を想起した、として、論じることは、極端なことを言っているのは、自分でも自認している。ただ、「予告通りに堕落して終わる」、なども、見逃せない、歌詞としての、重要な位置を占めている様に、強く感じさせられる。



日本が今後、どうなるかは不透明だが、雨の描写も、井伏鱒二の『黒い雨』を思わせるし、何か、日本が本当に復興するための、何かを含蓄した歌詞に思われる。何度も述べるが、アレンジの軍歌調が、想起するに至った起因にはなっている。


「君は私のものだったよ」


日本人は、今後、日本の君、を捉えられるだろうか。課題は沢山ある、迷妄の世界に入らない様に、世界でその確かな位置を、示していて貰いたい、国家そのものが。国家そのものが。


※黒木渚という本名で活動されているので、黒木渚と表記していますが、決して渚さんを呼び捨てにしている訳ではないことを、ご了承願います。

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