『二章』㊳ 薔薇の涙
「ーーギン‼︎」
認めたくない現実が、容赦なくセイラを襲った。
白銀の犬。
仲間であるギン。
彼が自分を罪人の凶刃から身を挺して守り、血の海に沈んだのだ。
頭が、真っ白に爆ぜた。
「ギン、ギン!しっかりしろ、ギン!」
「ギンスマくん⁉︎」
セイラは血で汚れることを厭わずにぐったりとしたギンを抱き上げ、アルストは凝然と目を見開いて固まっている。
一方で、だ。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼︎ そう、そうだよその顔だよ!その絶望と悲壮に満ちた顔が見たかったんだよ!アハハハハハハハハハハハハハ!」
ティアエルの哄笑が高らかに響き渡る。
彼は顔を愉快げに、悪辣に歪めて嗤い、セイラたちの反応を堪能していた。
「犬に当たるとは思っていなかったけど、これはこれでよかったよ!キミたちのその顔が見られたからねぇ!……それにしても、犬畜生がでしゃばって死ぬなんて、まさに犬死にじゃないか!アハハハ!まったく傑作だ!まぁでも、その犬っころは本望だったのかな?愛しの愛しのご主人様を守ることが出来て!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼︎」
「………」
ティアエルが何か、ギンを蔑み嘲笑い、見下すようなことを言っているが、しかしセイラは奴に怒りをぶつけることが出来なかった。
出来ない、というより。
それどころじゃなかった。
だって、ギンが死んだ。
だって、ギンが私を庇って死んでしまった。
「……ギン」
空気に溶けて消えそうな、頼りなく小さい声で呼ぶけれど、ギンはその閉じた瞼を開かない。
反応してくれない。
ーーセイラ!
いつものように、笑って、応えてくれない。
腕の中で、ギンの命の温かさが失われつつあるのが嫌でもわかった。
無意識の内に傷口に手を押し当てて止血を試みているが、間に合わない。止まらない。
「……ダメだ、ギン」
「おいおい。どうした。たかだか犬一匹死んだくらいでそんなに絶望してくれるのか?全くなんていい女なんだキミは!……さぁ、もっとその顔をボクに見せてくれ。泣き顔をボクに見せてくれ……!」
「黙れぇぇぇえええええ‼︎」
ゴォア‼︎と。
不可視の拳が空間を殴りつけ、ティアエルを求めた。
アルスト・ウォーカー。
彼の力裁魔法が咆哮したのだ。
怒りに任せた力の解放。
冷静さを欠いた攻撃。
「アハハ!それは怒りか、アルスト・ウォーカー⁉︎」
直撃。
めり込む。
吹っ飛ぶ。
しかしS級罪人はそれでも哄笑を止めず、体を血で染めながら言った。
「ようやく見せたな、お前の感情を!そうだよ、それが「鬱憤」だ!ストレスだ!感情の爆発だ!」
「あぁ、あぁ!これはお前に対しての激しい怒りだよ!男が仲間を守るために命を賭けたんだ!それなのに、お前はそれを嘲笑った!ギンスマくんの覚悟を馬鹿にしたんだ!許せるわけがないだろう‼︎」
「男⁉︎アハハハ!犬畜生を男と言ったのか、アルスト・ウォーカー!そいつは正しくないなぁ!そこで死んでるやつは「男」じゃなくて「オス」だよ!人間じゃあない!」
「仲間を思う気持ちに犬も人も関係あるか!ギンスマくんは姉さんを守るために体を張った、命を賭けたんだぞ!それは誰にでも出来ることじゃない!……そんなカッコいいやつを、「男」と呼ばずしてなんて呼ぶんだァァァァ‼︎」
吠える。
怒りを爆発させる。
最早アレス騎士団としてじゃない。一人の友人として、友が斃れたことに憤るアルストは拳圧の奔流を連続的に解放しようとした。
ーーだが。
「『涙で』【ボクが】[見えない]」
「ーー⁉︎」
狂気に、心底愉快げに唇を歪めて笑ったティアエルがそう呟いた瞬間、アルストの視界がボヤけた。
と、いうより、水が目の中に直接入ったような視界の剥奪があった。
結果。
拳の目測がズレ、拳圧がティアエルの真横を通過し、壁を破壊した。
「アハハハ!男は涙を流さないんじゃないいのか、アルスト・ウォーカー!号泣しているじゃないか!そんなに悲しかったのかい、犬っころが犬死にしてさぁ!」
「……っ!お前……ッ!」
「『涙が』【キミを】[許さない]」
「あぐぁぁぁぁああああ⁉︎」
絶叫が響き渡る。
ティアエルがギンを嘲笑ったことにカッとなったアルストが拳を振り抜こうとした刹那、彼の視界が、眼球が爆ぜたのだ。
激痛も激痛。
目の奥を焼かれるような、ほじくり回されるような意味不明な痛みがアルストを襲う。
「さいっこうの泣き顔だ、アルスト・ウォーカー!カッコつけていた男の泣き顔ほど無様で面白いものはないよ!アハハハハハハハハハハハハハハハ‼︎」
嗤う。
嗤う。
嗤う。
「この……ッ!」
「『涙が』【キミを】[許さない]」
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ⁉︎」
破壊的な激痛が止まらなかった。
力裁魔法の天秤は正しく機能しているが、それよりも先にやつの涙魔法がアルストの涙を誘発させて視界の自由を奪う。
涙で濡れる、痛みが走る両目を押さえながら膝を着いて、アルストは自分の無力さを激しく呪った。
ギンに合わせる顔がなかった。
友だ何だと言っておいて、そんな友の死を嘲笑うクソ野郎一人すら倒せない自分が。
アルストの詰めの甘さが、ギンを殺した。
セイラとギン。
アルストなんかよりもずっと付き合いの長い仲間同士を、離れ離れにしてしまったのだ。
だから、多分。
この怒りは。
ティアエルだけじゃなくて。
自分自身に対しての怒りでもある。
「ギン、すまくん……ッ」
涙でぼやける視界の中、アルストはセイラに抱えられたギンを見た。
いいやつだった。
本当にいいやつだった。
可愛いもの好きだからとかの前に、一人の男として、かっこいいやつだった。
罪人と向き合った時、逃げ出したって誰も文句は言わないのに一度たりとも離れようとはせず、一緒に戦う覚悟を持っていた。
そもそも、九泉牢獄から火薬の匂いがした瞬間、仲間のために一人で戻ろうとした男なのだ。
ーーカッコいいじゃあないか。
まるで物語の主人公だ。
みんなのために自分の命を投げ出したって構わないと行動するなんて。
でも。
だけど。
「死んだらそこで、終わりだろう、ギンスマくん……ッ。仲間を失いたくないっていう悲しみを、その思いを。お前が守った仲間に押し付けるのは、「アリ」なのかよ……ッ」
ギンは答えない。
答えることを彼はやめた。やめてしまった。
ーーちがう。
アルストが、やめさせてしまったんだ。
「起きろ、起きろよ、ギンスマくん……。今この場で起きて姉さんの涙を拭えるのは、お前しかいないんだぞ……ギン‼︎‼︎」
魂からの懇願で、世界の果てを求めるよりもギンの目覚めを求めた切なる思いだった。
だけど小さき友はやっぱり口を開くことはなくて。
ただただ、虚しく哀しい感情が渦を巻くだけだった。
「もういいかな、殺しても」
ギンを殺した張本人が頭を下げるどころかアルストを見下ろす形でそう呟く。
今更罪人に無神経だとかを言ったところで意味はないと分かっているが、それでも睨まずにはいられなかった。
しかしティアエルはアルストの鋭い眼光を軽く受け流し、全てを終わらせようとする。
確実に、アルストに近づいてくる。
「犬一匹死んだくらいで大袈裟なんだよ、キミたち。それにどうせすぐに後を追うんだ。寂しくないだろ」
「……ッ」
「泣き喚きながら死んで逝け、アレス騎士団。薔薇の女」
死の宣告があった。
ギンを失った喪失感に抗えない二人に冷酷に現実を突きつける刃の鋭さを持った言葉。
その声を、言葉を、悪意を、侮蔑を周囲の雑音のように聞いたセイラは抱えているギンからゆっくりと顔を上げ、罪人を見た。
「………」
悪意の塊と形容すべき顔で唇を歪めて笑っているS級罪人、ティアエル・フレッド。
彼がギンをこんな目に遭わせた。
それは誰の目から見ても明らかで、変えられない事実だ。
だから思うのだ。
ーー何故、ギンを殺した?
いいや、その言い方は正しくない。
何故、ギンが死ななくちゃいけない?
ティアエルはセイラを狙って凶刃を放ってきた。その殺意から、ギンはセイラを守ってこんな目に遭ってしまった。
直接的にはティアエルが悪いのかもしれない。ヤツの剥き出しの殺意が仲間の命を奪ったのは明白だ。
だけど、根本的原因を作ったのは誰だ?
ヤツの殺意の密度を底上げし、ヤツを倒せなかった、責任を果たせなかった人物こそが真に悪い存在なんじゃあないのか?
では問題。
その悪性は、どこの誰だ?
「……私じゃないか」
ティアエルの魔法じゃない。
薔薇の花が、雫を頬に伝わせた。
純粋な、セイラの感情、その発露。
セイラが弱かったからギンは死んだ。
セイラがもっと強ければ死ななかった。
リスクを考えずに最初から本気を出していれば何も失うことはなかったのだ。
英霊魔法。
その「全身」化。
ーー最初から、それをしていれば。
「ーーーー」
ごめんね、ギン。
守ってくれて、ありがとう。
ギンが仲間でいてくれて、本当によかった。
だから。
あとは私に任せて、ゆっくりしてくれ。
ーーおやすみ。
……さよなら、ギン。
「ーーぁ」
直後。
セイラを中心に英霊魔法が喝采し。
光の奔流が吹き荒れた。




