『二章』㊲ 義理堅い男
アレス騎士団。
第参部隊小隊長、アルスト・ウォーカー。
彼は善の天秤がズレつつあるアレス騎士団の中で「義理」を大事にする人間として知られている。
「義理」とは何か。
これは大きく言えば人間関係だ。
善悪好悪関係なく、自分に対して何かをしてくれた人間には「礼儀」をもってその時の恩を返す。
それはどんな些細なことでもいい。
落とし物を拾ってくれた。
道に迷っていたら助けてくれた。
とにかく人の「善意」に自分が助けられたら、アルスト・ウォーカーという男は必ずその「善意」に最大の敬意と感謝を込めて筋を通し、恩を仇で返すということは一切しなかった。
その人間性は実に美しく、尊い。
故に第参部隊の中でも人望は厚く、王都に住む民からの信頼も多く寄せられる男だった。
そんな彼には、とある有名な話が付随する。
ーー単騎で罪人組織を壊滅。
その罪人組織・「宴」は人身売買をメインに据える悪虐非道の暗闇だった。
若い女、子供を攫っては売り払い、逆らえば平気で殺すイカれた連中の集まり。
「宴」殲滅作戦。
それは第参部隊に下された命令で、アルストがひとりで解決する予定ではなかった。
しかし単騎で壊滅した事実がある以上、何故そうなったのかには理由がある。
難しい理由も複雑な思惑もない。
ただ、道に迷っていた時に助けてくれた少女が「宴」に捕まったから。
悪いことなんて何もしていない。
困っている人がいたら助けてくれるような優しい人間が、理不尽に呑まれるのがどうしても許せなかったのだ。
何より、助けてくれた恩を返すために。
だからアルスト・ウォーカーは「宴」を一晩で壊滅し、少女を助け出して、一躍有名人となった。
義理人情を大事にする男。
それがアルスト・ウォーカーである。
彼は一人の少女を助けるためなら単騎で罪人組織に挑める最高の男。
故にアルストが自分たちに協力してくれる〈ノア〉の面々、セイラのピンチに力を貸さない道理はどこにもなかった。
S級罪人だろうと何だろうと。
自分に良くしてくれた人を見捨てるような腐った人間じゃあない。
「ーーあ、がぁぁぁ⁉︎」
アルストの拳が、S級罪人のティアエル・フレッドに直撃する。
いいや、正確には彼が目の前の虚空に正拳突きを叩き込んだ瞬間、不可視の「何か」が問答無用で涙病の肉体を破壊しにかかったのだ。
近づくまでもない、そう言っているような立ち振る舞い、攻撃の動作だった。
空間に穴が開いたいような暴風が吹き荒れ、地面も床も天井もビリビリと震え上がり、アルストの拳が場の全てを席巻する。
絶叫しながら吹っ飛んだ涙病は薄暗い九泉牢獄の二階層の内壁に激突、盛大に血を吐いてめり込んだ。
「ご、ろがばぁ⁉︎」
「拳醒・弌の手‼︎」
ダン!!と、アルストが一歩踏み込み、地面が沈み、そして右手の正拳突きをティアエルに向けて解放した。
その、拳を放つまでのひとつひとつの動作は柔らかな川の流れのように美しく、軽やかで、実に自然であった。
拳が、醒める。
一つの手が、唸る。
ゴォッ!!と、空気が叫んだ。
もしもこの場に粉末などを撒いていれば、二階層内の空間を奔り涙病を求めた力の結晶が「拳の形」をしていたとわかったかもしれない。
その見えざる破壊の圧力がーー、
「な、なんなんだーー」
「騎士だよ」
ーー血塗れの顔をしたティアエルを押し潰した。
「ぐろごぇ‼︎⁉︎ ごろバァ⁉︎」
容赦なんて一切なかった。
それこそ、後ろで見ているセイラとギンが呆然とするほどに、アルストの実力は圧倒的でS級罪人が赤子扱いだった。
「騎士の拳の味はどうだ、涙病」
歩く。
言いながら、アルストはめり込んだ壁から床に落ちるティアエルに近づいていく。
「まだ二発だ。これくらいでノびるんじゃないぞ。本番はここからなんだからな」
デモンストレーション。
準備運動。
「がは、ごほ!……ふ、ふざけ、るな。こんな、こんなモノが騎士の、拳なわけないだろう、が……ッ。なにを、何をして……ッ」
文字通り血を吐いて、床を汚して、たった二発で最早瀕死状態となったティアエルがフラフラと立ち上がる。
「何を? おいおい、お前の目は節穴か?オレは最初から最後まで、お前のことを殴ってるんだぞ。何をもクソもあるか」
「だから!その方法がわかんないって言ってるんだ! ゴホがはッ!……ハァ、ハァ。お前の拳は、ただの一度もボクに当たっていないじゃないか!それなのに、なんだよこの状況は⁉︎ 何でボクだけが殴られなくちゃならない⁉︎」
不細工に顔を歪めて、自分の思い通りにいかない状況に憤慨しているティアエルが吠える。
そんな彼の言葉を、アルストは何の気なしに受け流してーー、
「そんなの。理由はただ一つだ」
「あァ⁉︎」
「お前がオレの敵だからだよ」
「人の話をきけってーー」
ーー三発目の拳を堂々と振り抜いた。
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ーー『力裁魔法』。
それがアルスト・ウォーカーの固有魔法である。
その能力は単純明快。
己が振るう力を己自身が正しいと思えば思うほど、また相手が悪いと思えば思うほど『威力』が上がる増強魔法の一種だ。
分かりやすく例題を一つ。
ある時道を歩いていたら窃盗現場を目撃した。自分は第三者で、直接的には事件に関与してない。ただし窃盗事件が発生する瞬間は「見ていた」という事実がある。
「見ていた」ということは「誰が良くて誰が悪いのか」、「誰が被害者で誰が加害者」なのかを自分の中の天秤とはいえ明確にジャッジ出来る立場にあると言えるわけだ。
形としては裁判長に近い。
「裁判長」という個性を手に入れた自分という「個」は己の正義や自信に従って行動することで、その「行動」の正当性に確かな根拠を与えることになる。
その「正当性」が、力裁魔法の源だ。
善と悪。
その二つの天秤がハッキリしていればしているほど力裁魔法はその力を発揮して、アルストは「悪」と見定めた者を凌駕する。
それは体術にしろ魔力制御にしろ、だ。
アルストが虚空を殴りつけることでティアエルがダメージを喰らうのは、アルストが拳圧に魔力を乗せ、その威力が力裁魔法によって底上げされているからである。
斬撃を飛ばす理論に近い。
その、応用。
自分が正しいと思えば思うほど敵を圧倒する傲慢な魔法。
これは単純な魔力による身体強化や、ナギが得意とする付与術式とは異なる。
正しく義が執行される力。
だからこそ、悪の中の悪であるS級罪人が、正義の下の行動を是とするアルストに敵わないのは自明の理なのだ。
「ーーそんな馬鹿げた魔法があってたまるかァァァァ‼︎」
九泉牢獄の二階層。そこに広がる薄暗い空間で、涙病と呼ばれるトップクラスの罪人がアルストとの実力差に嘆くように叫んだ。
先刻までの余裕の態度から一変、血を吐きながら不細工に顔を歪めて憤るティアエルが落ちていた剣を拾い上げてアルストに斬りかかる。
その激変振りに、しかしアルストは動じない。
自分の魔法を説明し、手の内を明かして、それでも自分の正義と勝利を疑わない強さ。
「現実を認めないから、お前は罪人なんだ」
呆れるように吐き捨てて、アルストはティアエルの袈裟斬りを半身になって躱し、鼻っ柱に裏拳を叩き込む。
「ぶごぁ⁉︎」
「もう気づいていると思うが」
「……⁉︎」
「お前の魔法はオレには効かないぞ」
断言。
直後に顔面を掴んでティアエルの後頭部を硬い地面に叩き落とした。
轟音が炸裂し、特殊合金製の石床が焼き菓子みたいに砕けて、円形に広がり沈んだ。
ティアエルが白目を剥いて吐血する。
「……カハッ⁉︎」
「眠るのはまだ早い」
刑執行の合図のようなものだった。
意識を失いかけていたティアエルを再度内壁まで投げ飛ばし、そしてそれを追い駆けるようにアルストが一瞬で消失。
直後に彼はS級罪人の頭を掴んで壁に押し付け、そのまま疾走を開始、特殊合金の壁を整地し始めた。
「あがががががががががぁぁぁ⁉︎」
顔が血に染まるティアエルが絶叫する。
ハタから見れば弱い者いじめ、もしくは一方的な暴力だと思われる光景。
けれどそれは間違った捉えた方で、本質を見誤っている。
善が悪を圧倒する。
なにも不思議な話じゃあない。
「そろそろ終わりにしようか、涙病」
「……ぁ。ッぁ……っ」
虫の息であるティアエルの顔面で壁の整地をやめたアルストは決着前の言葉を言って罪人を天井まで投げ飛ばした。
為す術なく重力に逆らって無機質な天井まで打ち上がったティアエルは、血と涙で腫れた目で朧気にそれを目撃した。
アルストが、拳を構えている。
「……な、みだ、で……。ぼくが、みえ、ない……」
「いいや見えるぞ。男はな、女の前じゃ泣かないんだよ。女の涙に価値があるように、男の涙にも価値がある。……大体、友を守っている時の男は世界で一番強いんだ、泣くわけないだろうが」
「……ッ!」
「だけど安心しろ。お前は泣いたっていいんだぜ。ーー男じゃないからな」
「ーー!ふざけん……」
「拳醒・弌の手!!」
ゴォ!!と。
力裁魔法の拳圧が、容赦なくティアエル・フレッドを飲み込んだ。
:::::::::
ーーこんなのはおかしい。
「いやはや、驚いた。ここまでとは流石に予想外だよ、アルスト」
ーー涙魔法は使えている。実際あの赤髪の女には通用していたし、理論上アレス騎士団の男にも効くはずだ。
「姉さんにそう言われると少し照れるな。まぁ、オレなんてギンスマくんの可愛さと比べたらまだまださ」
「何その基準」
ーー涙魔法は「涙を理由」に設定し、「対象」を選択して、「事象」を強制する力だ。
ーーだから赤髪の女は「涙でボクが見えなかった」。ボクがそうした。僕の涙魔法がそうさせた。
ーーそして涙魔法は誰もが胸の内に抱く「鬱憤」、つまり溜まったストレスを涙という形に変えて強制的に解放させる。その時身体に生じる急激な変化に耐えられずに「目」の激痛や視覚情報の誤認、痛覚が発生する。
ーーそれなのに、ヤツには効かなかった。
「でも、本当にあの罪人倒したの?起きる事ない?やだよおれ、背中刺されるの」
「安心しろギン。そもそもお前は狙われない。何せ犬だからな」
「それにギンスマくんは可愛いから狙われる理由が見当たらない」
「おれだって男だぞ!なんかそれはそれで少し悔しい!」
ーーつまりヤツにはストレスがなかったんだ。ボクの涙魔法がヤツから涙に変わる「鬱憤」を感じ取らなかった。人間なら必ず溜める「涙」を、あいつは持っていなかった。
ーーあいつに攻撃される度に何度も何度も魔法を行使したのに無駄撃ちで終わった。
ーーS級罪人であるこのボクが。
ーーたかだかアレス騎士団の男なんかに。
ーーやっと自由になれたのに。ようやく人を泣かせて殺せるのに。
ーーヒーロー気取りが。
ーーでしゃばりやがって。
ーー許せない。
「さて。外の罪人はナギたちに任せるとして、私たちは牢獄の奥に進もう。確認しておきたいことがある」
「確認しておきたいこと?それはギンスマくんが言っていた火薬の匂い、爆弾のことか姉さん」
「その話は初耳だが違う。正直爆弾なんかよりよっぽど危険なモノだ。それがまだここにちゃんとあるかどうかを確認して安心を得たいんだ」
「なるほど、わかった。先頭はオレが行こう。中には詳しい」
「助かる。よし行くぞギン。はぐれるなよ」
「うん、わかった!」
ーー許せない。許せない許せない許せない許せない許せないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないユルセナイユルセナイユルセナイユルセナイユルセナイユルセナイユルセナイゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないユルセナイユルセナイ許るるるるるるるるるせせせななないいいいい!!!!!
ーーアルストが次の階層に足を向け。
ーーセイラが彼の後に続き。
ーーギンがセイラの肩に乗ろうとして。
「ーーる、ァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァアアァァァァァァァァア‼︎‼︎」
突然の奇声。怒声。悲鳴。絶叫。
総じて殺意の音がセイラたちの背中を叩き、バッと振り向いた時だった。
「ーーーーな」
赤髪が揺れ、赤い瞳が見開かれる。
セイラ・ハートリクス。
彼女の中の時間が、止まる。
それは誰もが予想していなかった。
出来るわけなかった。
唐突な殺意に反応して振り返れば、その時にはもう既に全てが終わっていた。
ーー赤い髪が揺れ、赤い瞳が見開かれ、そして赤い液体が虚空を彩り、その一滴一滴に悲劇が反射して映り込む。
ーーそれは。
「……ぎ」
ーー白銀の犬。
「ギン……‼︎」
小さな仲間の腹部を、騎士の剣が善悪を間違えて突き刺さしていて。
まるで電池が切れた人形みたいに、ギンの体は地面に落ちた。
血の海が、広がり始めた。
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