『二章』㉝ 運命は知らず交差する
曇天が頭上を覆い尽くす中、泥犁島の砂浜沿いで連続的な爆発が巻き起こっていた。
轟音が炸裂し、砂煙が荒れ狂い、悲鳴が響き渡る。
「烏合にも程があんだろ!」
「ぐぁぁぁぁぁぁ!?」
それらの原因はユウマ・ルーク。彼が罪人を叩きのめす度に発生する勝利の喝采だ。
数えるのも面倒な烏合の衆。C級程度の罪人が、実力差を考えることなく攻撃を仕掛けてくる。
「おれが殺すぜ!」「どけやテメェ!久々の獲物はオレんだ!」「殺されてぇのかお前ら!コイツはおれの肉だ!」
「反省ってものを知らんのかねお前ら!」
知能レベルが子供以下の罪人のやり取りにユウマは呆れを通り越して驚愕する。
期待もしていないしどうでもいいが、九泉牢獄に収容されてもここまで効果がないと、『罪人選別』はあるべきなのかなと思ってしまう。
解放するより、「死」で罪を贖わせた方が世界の、何より人々のためだと。
「だけどこいつらは雑魚だ!」
どこかで奪ってきたのであろう剣や、魔力弾でユウマを襲う烏合の罪人。
文字通り四方八方から飢えた殺意を向けられて、しかし彼は臆さない。
更に言うなら傷をつけられる心配もない。
ユウマ・ルーク。
彼は一通り全ての罪人を睥睨すると両腕を横に突き出し、回転した。
ギュルリ!!と、ユウマの回転に合わせて竜巻が発生し、直後に白い閃光の拡散、波のように押し寄せた全ての罪人に直撃し、悲鳴と共に雑魚の相手が終了する。
動きを止め、竜巻が落ち着き、微かな砂煙の中ユウマはひと段落したと息を吐く。
「とりあえずS級以外はやったか?」
ザッと周囲を見回し、砂浜に倒れている罪人たちをみてユウマはそう結論づけた。
コイツらが散開する前に感じた大きな気配は少数だったが確かにあった。
そしてたった今倒した罪人たちの中にあの気配に相当する人物はいなかった。
自然、ソイツはまだ健在ということになる。
「本命はそっちだか……」
殺気。
死。
背後。
「ーーっ!?」
本能か、条件反射か、経験測か。
ともあれ全身の肌が粟立ち、産毛が逆立った気味悪い感覚に従ってユウマは咄嗟に半身になり、飛ぶようにしてそこから退避した。
「……あれ、おかしいなぁ。殺したと思ったのにおかしいなぁ。なんで避けるんだよおかしいなぁ」
「……お前」
死の気配。その正体。
それは、地に着くほどに長い黒髪をざんばらに伸ばした青年だった。
片目を前髪で隠し、唯一確認出来る紫紺の瞳は翳りが指しており、どこか暗い印象を与えてくる。
他の罪人と変わらずにボロボロの囚人服をきて、右手には短剣が握りしめられていた。
そしてそこに転がっている罪人たちとは圧倒的に異なる威圧。粘ついた気配。まるで「死」そのものを纏っているような、邪悪。
ザクス・シードという罪人が可愛く見えた。
見た目だけならザクスの方が強そうに見えるが、しかし、こと罪人戦闘において外見で実力を推し測るのは実に短慮。寿命を縮めかねない。
誰に言われるまでもなく、目の前に立っているこの男がS級だとユウマは理解した。
「後ろからいきなり刺してくるってのはなかなか卑怯じゃねーかよ。流石は罪人さまだ」
「?何を言ってるんだキミは。命の奪い合いに卑怯も何もないだろう、おかしいなぁ。僕は痛いのが嫌いなんだ。だから隙を突いて殺すのは、眠くなったらあくびをするくらいに当然のことなんだよ?おかしいなぁ。おかしいよキミ。本当に同じ人間なのかい?」
「……何かオレが間違ってるみたいじゃん」
暗い態度で大人しそうなのに案外人のことを馬鹿にしてくる目の前の罪人。
ちょっとだけ「あれ?そうなのかな?」ってなるのが不思議。
ともあれ、だ。
喋り方や態度、外見はともかく目の前青年が纏う雰囲気は先刻の雑魚共とは比べ物にならないくらいにーー黒く深い。
「脱獄囚、ってことでいいんだよな?」
暗い様子の罪人はため息を吐いて、
「はぁ。脱獄囚って言い方しないでほしいんだよね、僕。僕はただあの「地獄」から出れるって言うから出ただけで、別に一から十まで脱獄計画を企てていたわけじゃない。言うなれば、僕は場の流れに身を任せていたら気づいたら外に出ていただけ。だから脱獄囚は正しくない。「偶然脱獄できた人」、だ。おかしいなぁ、そんなこともわからないのかい、キミは」
「細かいことはどうだっていいんだよ。重要なのはその「後」だ。どんな理由があったにせよ、檻の中から無断で出てきたら、それはもう立派な脱獄犯だよ。お前の言う「偶然脱獄ができた人」、なんてのはただの苦し紛れの言い訳だ。誰も信じやしねぇ」
「別に信じてもらわなくても構わないよ。どうせキミはここで死ぬんだ。分かり合うことなんてしないし、するつもりもないからね」
「自己完結で世界を終わらせる、ってか。はっ!随分と身勝手なもんだな、おい。そんな考えなら、納得。そりゃ罪人にもなるわな」
あからさまにバカにする勢いで肩を竦め、口を歪めてユウマは笑った。
自己完結で世界を終わらせる。
これには二つのパターンがある。
一つはアカネのように、「どうせ」他人は信用できないと、最初から諦めている場合だ。
これは長い年月の間に確立される自己防衛手段のようなものである。
信じることはできない。
だから信じようとする心の働きそのものが無駄で、意味がないと考えてしまう。
誰にも相談せず、「自分の考え」だけで完結する。
二つ目は目の前の罪人のように、そもそも最初から他人に「興味」がない場合だ。
ここで勘違いしてはならない。
興味が「ない」と「希薄」は似ているようで違う。
「ない」は、『無』だ。
自分以外の全てに関心がなく、だから自分以外の世界がどうなろうと知ったことではないし、『現状の最善がソレならそうする』と、さも自分は何も悪くない、ただ周りがそうするからそうしただけ、をどこまでも無意識に突っ走る「人格破綻者」。
まるで罪人になるために生まれてきたかのような人間。
「……おかしいなぁ。僕を理解した気でいるキミがとてもおかしいよ。僕に殺される身でありながら僕を下に見るような発言。おかしいなぁ、おかしいなぁ。実力の違いってやつが分かってないのかなぁ」
平淡のようで、しかしどこか苛立ちが垣間見える語調で目の前の罪人がぶつぶつと呟く。
ざんばらの長い黒髪が風に揺れ、罪人の紫紺の瞳がじろりとユウマを見た。
ーー直後。
手の形をした黒い靄が目の前に突如として、底知れない悪寒がユウマを襲った。
ーーこれは、まずい。
よく分からないが、とにかくまずい、と。
その思考に至るまでは刹那である。
転瞬。
ユウマはその黒の靄の「手」を、下から突き刺すように白く光る槍を地面から顕現させた。
ドドドス!と、黒の靄ーー「黒の手」は槍に貫かれて破裂するように霧散する。
まずは互いに挨拶代わり、だろうか。
目の前の罪人は自らの攻撃が防がれたことに対して驚いた風もなく。
ユウマの方も防げたといって勝ち誇ってるわけでもない。
それは、ある意味認めたことになるのか。
ーー互いが互いの実力を。
その答えは本人たち以外には分からない。
分かりたいなら拳を交えるしかなく、だから最初からわかり合うことなど不可能。
戦闘は避けられず。
流血は免れない。
だから。
「お前を倒して旅行は終わりだ」
「キミを殺して旅行に行こうか」
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ユウマ 対 夜怨。
ーー開戦。
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セイラ、シャル、ユウマの三人がそれぞれS級罪人と会敵している時だった。
例外なく、誰もが泥犁島、及び九泉牢獄での騒動を終わらせてハッピーエンドを迎えようと奔走している、そんな時だった。
「………」
ただ一人。
サクラ・アカネはフラフラと森の中を歩いていた。まるで目的地もなく、ただ不遇の道を免れるためのような足取りだった。
「………」
表情は銀の髪に隠れて見えず、しかし見るまでもなく無気力で無表情だと分かる雰囲気を纏っていて、周りの木々が萎れそうでもある。
「………」
どこに行こうとしているのか自分でも分からない。
とにかくみんなのところに行くべきなんだろうけれど、「命」を簡単に斬り捨てた自分が、果たしてみんなと一緒にいていいものなんだろうか。
あんな惨状を求めたわけじゃない。
強くなりたかったのは、守りたかったからだ。
悲劇の神様を斬りたかったからだ。
約束を、破りたくなかったからだ。
ーーなのに。
「ーー大丈夫?」
と、キレイな声がしてアカネは顔を上げた。
視線の先、いたのは白と黒の長い髪をした、少し年上の少女だった。
幻想的で、神秘的で、陽の光と月光、どちらも彼女のためにあるような、そんな美しさをもつ少女だ。
罪人だろうか……?
そう思ったが、しかし彼女はボロボロの囚人服を着ていない。
白いワンピース。
汚れを知らない、純白。
「嫌なことでもあったの?せっかくの美人さんが台無しな顔してるよ」
「……あなたは」
白黒の髪の、幻想的な少女は唇を緩めて、
「私はジーナよ。よろしくね、アカネ」
「どうしてあたしの名前を……」
「さぁ、どうしてだろう。フフっ」
「?」
楽しげに目元を緩めるジーナにアカネは怪訝になる。見たところ罪人ではないし、泥犁島にいるのか不思議だが。
名前を知られていることと。
ジーナという名前をどこかで聞いたことがあるような気がして。
「随分と大変なことになってるみたいだね。罪人が脱獄したとか」
「……うん。でも、何でそれを知って……」
ジーナはアカネの唇に人差し指の腹を押し当てて、
「細かいことは気にしないの。今は私のことよりこの島のことでしょ?」
「………」
アカネの沈黙を肯定とみなしたのか、ジーナは笑って頷くと人差し指を離して、
「この島の問題は脱獄囚を捕らえただけじゃ終わらない。正確には、ドロフォノスの計画は止まらない。だから一つ教えてあげる」
「なにを……」
ジーナは微笑んで、
「『風の都』に行きなさい。そこにドロフォノスはいる」
聞いたことがない場所だった。
それよりも、どうしてそんなことまで知っているのか疑問だった。
「なんで、そんなことまで知ってるの?ううん、それよりも、どうしてあたしに教えてくれるの?」
「ただの気まぐれよ。丁度私もドロフォノスには用があったからね。そのついでに教えてあげただけ。特に深い意味はないから安心して?」
「用って……。ドロフォノスは罪人一家なんだよ?なんでそんな一族に……」
「強いて言うなら似たもの同士、だからかな?」
片目を瞑り、あざとくそう言ったジーナ。
しかしその発言は、まるで自分も罪人だと告げているようにも思えて。
「……あなたは、いったい」
「それ以上の詮索はダメだよ、アカネ」
途端、身が凍った。
心臓が潰される感覚がアカネを襲った。
息が出来ない。
ジーナから離れたいのに目が離せない。
エマよりも。
ノーザンよりも。
ルイナよりも。
威圧感と恐怖が規格外。
笑っているのに、笑っていない。
ジーナの笑みは美しいのに、美しくない。
世界の全てを掌の上で転がしているような、黒幕の微笑み。
押し黙ったアカネに満足すると、ジーナは「うん」と頷いた。
同時に、身の強張りが消える。
「いい子。命は大切にしないとね。親から貰った大切な命だもん。命は一つしかないから。命は大事にしよう」
「………」
「じゃ、要件は済んだことだし私は行くよ。頑張ってね、アカネ」
引き留めることは出来ない。
次に彼女の何かを刺激したらせっかく見逃してもらった「命」が消滅すると悟った。
だからアカネは振り返ったジーナの背中を見ることしかできなくてーー。
「あ、そうだ」
と、何かを思い出したかのようにジーナは振り向き、白と黒の長く美しい髪を風に靡かせながら言った。
言ったのだ。
「ーーハルをよろしくね」
「…………………え?」
どうしてハルのことを知って……。
その疑問の氷解は叶うことなく、瞬きの間にジーナの姿はもう既にどこにもなかった。
あったのは、森の姿だけだった。
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魔女は何でも知っている。
だから魔女は魔女足り得るが、しかし魔女以外に
魔女を理解することは出来ない。
ーー『白と黒の魔物』より
ヴィクトリア・ガー。
次回は明日に投稿します!
読んでください!




