『二章』⑬ 罪人一家
海獣と魔獣の違いは魔力があるかないかである。
魔力とはこの世界に生きる全ての生物に必要なエネルギーだが、例外が一つ。
それが海獣である。
人間、または陸生生物は、魔獣は空気中の酸素と魔素を体内に取り入れて呼吸をし、水生生物は、海獣は海中に、水に溶けている酸素を取り入れて呼吸をする。
ーー魔素を必要としない唯一の生物だ。
魔素が必要ないということは、魔力がない、つまり魔法を使わないことに他ならない。
魔法を使わないということは純粋な生物としての能力如何によって海獣の強さは決まる。
例えば魚介類に分類されるタコやイカは自己防衛手段として墨を吐き、また哺乳類であるイルカはエコーロケーションと呼ばれる超音波を使い物体の距離、方向、大きさを知ることが出来る。
これが生物能力。
魔法ではない、いわば魔法の「奥義」や「真髄」に似た、元々の体の力。
そしてアカネたちを襲った海獣・骸鮫の能力は「噛み砕く」こと。食欲を満たすためではない。ただ「噛み砕く」という本能に従って全てを喰らう力。
………それだけのはずだった。
海獣に付与されている能力は一つだけ。しかしその前提が覆り、骸鮫は「触手」の生物能力を所有していた。
ーーセイラが海に消える寸前、気になることを言った。
合成獣。
それは魔獣と魔獣。海獣と海獣。魔獣と海獣。それらを組み合わせることで生み出されるこの世に二つといない怪物である。
その生成方法は不明。
しかし存在していることは証明されており、実際に目にしたのは誰もが初であった。
その、既存の法則から外れた存在がアカネたちを狂わせて、大海原の腹の底へと突き落とした。
ーーそしてとある海獣の腹の中。
「……何でこの組み合わせ?」
「ふふーん♪ユーくーん♪」
生臭い桃色の、肉質な、不気味に脈動するトンネルみたいな空間でナギに頬ずりされているユウマが遠い目をしていた。
骸鮫に船が破壊され、海に投げ出されたのはなんとなく覚えている。
その後目を覚ましたらここにいてーーというかナギが涙目でユウマのことを呼んでいたから騒がしくて起きたのである。
「ええい!うっとしいから離れろクラリス!」
「やん!クラリスじゃなくてなっちゃんって呼んでー!」
「せめてナギだよ!お前そんなキャラだったっけ?やん!とか言う奴だったっけ!?」
アカネもそうだが、恋は人を簡単に変えるらしい。とりあえず呼び方をナギとするとして、ユウマはナギの顔に手を押し当てて強引に引き離しつつ、周囲を見回した。
「なんだここは……。キモチワリーな」
「まるで内臓の中ね……」
ナギの感想にユウマは同意とばかりに頷いた。
彼女の言う通り、ここは内臓ーーまるで胃の中だ。とはいえ胃の中自体見たことはないが、魔獣を討伐した時に飛び散った内臓がこんな見た目をしてたような気がする。
「オレたちは、食われたのか?あのキモ鮫に」
ナギは細い顎に手を添えて、
「骸鮫の腹の中だと考えたら、あいつはアルの攻撃を喰らった後「再生」したことになる。……そーなると生物能力を三つも保有してるってこと?……まさか、合成獣?」
「合成獣?」
ユウマが首を傾げると、ナギは彼を見ながら頷いて、
「魔獣や海獣、魔獣と魔獣、海獣と海獣。異なる種族を特殊な方法で組み合わせてーーいいや。細胞を組み替えて掛け合わせることで作られる憐れな魂の集合体よ」
「憐れな魂、ね。つまりあの鮫はそのキメラってやつなのか?」
「可能性としての話、だけど。だけどその可能性は高いわ。海に落ちる前、うっすらだけどハートリクスが骸鮫を見てキメラと呼んでいた」
「セイラが……。あいつがそう言うなら、そうなんだろうなぁ」
そーゆー小難しいことはセイラが一番分かっているから、ハルは当然として、ユウマが口出しする隙はない。
と、うんうん、と頷いていると隣から拗ねたような視線。見れば、ナギが頬を膨らませながらユウマを見ていた。幼く見える。
「な、なんだよ」
「随分と信用してるんだね、あの女のこと」
えー、とユウマは至極めんどい顔をして、
「だってセイラは仲間だし。信じるのは当然だろ?お前だってアレスとか無条件で信じるだろ。それと同じことじゃねーか」
ナギは拗ねたまま首を横に振って、
「そーだけどそーじゃないっ!私以外の女の人を私以上に信じるなんて!私だけをみて!」
「おも!予想以上におもい!」
「その重さが私の愛よ!」
「潰れて死ぬわ!」
「ーー随分と余裕ですね。その余裕は実力の過信によるものですか?」
声が響いた。
第三者の存在を証明する音でもあった。
真後ろ、背後。驚くことはない。言い合いを止めて、二人はゆっくり振り返る。
そこにいたのは、船舶服を着る太った中年の男だった。
どこかで見たことがある顔でもある。
「オッサン……アンタ確か、昨日の……」
"メランポタモス"に行くために乗る予定だった船の船長だ。
船乗りの風の男は慇懃に頭を下げる。
「お久しぶりです。珍しい所でお会いしましたね、ユウマ・ルークさん」
「珍しいって……つーか。なんでオレの名前を……」
「それは全てが終わった後でよろしいでしょう。……まぁ、理由を知らずして死ぬことになるのでしょうけれど」
見た目によらず挑発してくる船乗りの男に、ユウマとナギがカチンときて子供みたいに顔を歪ませた。
「「やってやらぁドチクショウ!かかってこいやぁああああ!!」」
とても息が合っていた。出会ったばかりだとは思えない。
そして船乗りの男は不敵に笑んで、
「マルロイ・ドロフォノス。『四男』です。喚きながら死んでください」
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海の草原が波にゆらゆら揺れている。
透明度が極めて高い青、というより最早本当に透明だと錯覚する美しき海の底。種々様々な魚が自由に泳ぎ、住人ではない存在に怯えては逃げていく。
「……これは。結界内か何かか?」
「すごいね、これ……」
「違和感があるがな」
セイラ・ハートリクス。
ギン。
アルスト・ウォーカー。
三名の陸上生物が、本来なら呼吸ができない海の中で息をして、海の土に足をつけている。
海の中にいる感覚はあるのに、体は濡れておらず、動きも陸にいるのと変わらない。
十中八九、魔法の効果だとセイラは推測する。
「あれは合成獣だ」
「「キメラ……」」
「生物能力を二つ以上保有している時点でまず間違いない。どうして私たちを狙い、そもそもどうやって作られ、誰が作ったのかは分からないがな」
明らかな悪意をあのキメラからは感じた。身に覚えのない敵意だが、確かな意志を持って、殺意をもって襲ってきたのは自明の理だ。
そしてその後こんな異質な空間にいるということは。
「ハメられてたな」
アルストは首を傾げる。
「ハメられた?誰に?」
「さぁな。だがこの用意周到なやり方。海獣に襲わせ、我々を分散し、特殊な空間内に引き寄せる。
これら全てが偶然、自然的とは思えない」
「それは、そうだな。‥‥でも誰が」
「ーー魔力源は役にタッタカ?」
「あん?」
人を小馬鹿にする嘲弄の声が海の特殊空間に静かに響く。アルストが眉を寄せてそちらに目をやり、セイラとギンもつられて視線をやった。
漁師服に髭を生やした細身の男が、腕ほどに長い杖を握ってこちらに歩いてくる。
足音はなく、海土が仄かに舞い上がり海の中で揺らめく。
「俺が渡したブツダヨ。気に入ってくれたか?」
ギザギザした歯を剥いて笑う漁師の男に対し、アルストが眉を顰め、セイラが訊いた。
「誰だ?知り合いか?」
「あぁ。新しいエンジンを譲ってくれた漁師だ」
「……なるほど」
セイラは笑んだ。
点と点が繋がって線となり、セイラの思考を手伝ってくれる。
つまり簡単にまとめると。
この男は魔力源を渡すという違和感のないやり方で近づき、アレス騎士団をハメようとしたのだろう。
だがそう考えた場合、奴はアレス騎士団の魔力源が壊れていると知っていたことになる。アレスが触ったら壊れたとシャルが言っていたが、下手をしたらなにか細工をされていたのかもしれない。
しかしわからない。
何故居場所が割れた?
「何事も完璧とはいかないモノサ」
「………」
肩を揺らすように歩いて、漁師の男は笑いながら杖を構えた。
セイラたちも臨戦態勢に入る。
「ここで死ね。そして光栄に思え。このオレ自らが殺してやるんダカラナ」
「そーゆーセリフを吐く奴は大体小物だと相場が決まっているが、よくもまぁそんなにスラスラと出るものだな。小物代表だな」
「挑発しているつもりか?だとしたら幼稚すぎて乗る気にもならなネェナァ。お前は死姦したあと海獣の餌にシテヤル」
「ほぉ。私を殺した後に犯すか。面白い。ならばその望みが叶うようにせいぜい頑張れ。そして足掻いてみろ。実力の差を知っても絶望せずに立ち向かってきてくれよ、クソヤロウ」
ギンとアルストがセイラの後ろでガクガク震えていた。無理もない。セイラさんはお怒りだ。
漁師の男は杖の先端に光を集め始め、
「シエ・ドロフォノス。『五男』。喰らい尽くして後悔サセテヤル」
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燦々と輝く太陽の下に広がる藍碧の海界。その一部分が巨大な正方形に切り取られ、上空に浮かぶ。
ゼリーのようにぷるぷると揺れる不安定な足場ではあるが、中に落ちることはなさそうだ。
「なんであなたなの」
「……なんかすみません」
アカネが心底嫌な目で隣に立つアレスを見た。灰色髪の青年は刺々しいアカネの視線に肩を小さくして縮こまる。
海に投げ出され、海に落ちた瞬間、まるでトランポリンの上に落ちたように跳ねて、気づけば今の状態になっていた。
そして仲間と分散され、まさかのペアが変態野郎。正直と言うかガチの本音でハルがよかったとアカネはアレスをみてため息を吐きながらそう思う。
「………はぁ」
「何か、失礼なこと考えてない?」
「考えてる」
「否定しろよ!」
アレスが強いかもしれないことくらいは分かるが、それとこれとは話が別なのである。
ともあれこれは異常事態。
眼下、あのサメは傷を全て治した状態で動きを止めて留まっている。
正方形の海に乗る一瞬前、あのサメの中にユウマとナギが吸い込まれるところを見た。
助けに行きたい。それが今のアカネの第一思考だ。
だが。
「ねぇアレスさん。この状況って」
「アレスでいいぜお嬢さん。だからオレもお嬢さんのことをアカネとーー」
「嫌です」
「オレの第一印象が最悪だったのが今やっとわかったよ!」
「あれ?海に落ちたいんですかアレスさん?」
「真面目にします!」
泣きながらピンと背筋を伸ばしたアレスに呆れながら、アカネは話を戻す。
「この状況、どう見ます?」
「複数敵の存在あり。オレたちは狙われてる。分散させることで戦力低下。目的は不明ってところか」
「そーみたいですね」
アカネのその返答にアレスは苦笑する。
「答え合わせか?食えねぇなぁ」
否定は出来ないのでアカネは一応笑顔を作っただけで返しを終える。
多分自分では気づいちゃいないが女の子が嫌いな人に向ける笑顔だった。アレスが肩を落とすのも無理はない。
……まぁ自業自得だが。
しかしアレスの言う通り、というか初見の感想通り敵は複数のようだ。
あくまでもアカネは実践素人の身で一般市民の立場。いくらちょっと複雑な人間であってもそれは変わらない。
だから確証を持てるモノが欲しかったのだ。
そしてそれを与えてくれる人が気に食わないがすぐ近くにいてくれたので使わせてもらった。
そして幸か不幸か、確証を得てしまったのでユウマたちを助けに行くことはできない。
しかしまぁ、アカネが助けに行かなくても彼らなら大丈夫だと信じて疑ってはいないが。
仲間を助けたいと思うことはそんなに不思議なことではない、とだけ言っておこう。
さて、それこそが彼女の一番の変化だと気づいているのか否か。
ともあれ。
「これって、アレス騎士団を狙ったモノですか?」
エマとシャルの話を思い出す。
奴らは正しくない。
憎悪を抱く人はいる。
アレスは首を横に振る。
「それはどうだろうな。まだ何とも言えないが、少なくともお嬢さんたちが狙われた可能性よりオレたちアレス騎士団が狙われたって思った方が自然ではあるけどな」
「ちゃんと正しいことをしてればよかったのに」
「耳が痛いよ」
皮肉を吐いて、詮ないことだと思って内圧を下げる。
そして音もなく、だった。
アカネたちが足をつけている正方形の海面に、緩やかな波紋が生まれる。
場の変化。
二人は波紋の広がり発進点に目を向けて。
アカネは微かに目を見開き、アレスは面白そうにその白い目を細めた。
「ーーふふふ。こんにちわ、お嬢さん。昨日ぶりかしらね?」
「………あな、たは」
紫色の長い髪をした妙齢の美女だった。不気味な杖をつき、マタニティドレスを着ている。
ーー昨日、何でも処で助けた親子の、その母親だった。
母親は口元に手を添えて艶っぽく笑う。
「ふふふ。昨日のお礼をしたくてね。会いに来たの。迷惑だったかしら?」
「……流石に、これは予想できなかったですよ、お母さん?」
そうは言っても、果たしてあの親子が敵になると一体どこの誰が予想できただろうか?
この事態の流れからして、もしかしたらあそこでアカネたちと接触するためにわざと騒ぎを起こしたのかもしれない。
でもそれは、何のために?
しかもその論を通すなら、目的は、狙いはアレス騎士団ではなくアカネたちということになる。
ーーまさか、また第二王女関連か?
一番濃厚な考えとしてはアカネが一六年前に失踪した第二王女で、エマに似たことを起こすために接触した、だ。
アレスは首を鳴らすとつまんなそうに笑い、
「趣味がわりぃな。わざわざこんな派手なことをするために、お前はお嬢さんの善心を弄んだのか?」
思わずアレスをみる。
そういうことになるのだろうか?なるのだろう。
「いいえ?私は本当に感謝をしているのよ?あなたが助けてくれなかったら、私はあの場であの二人を殺してたから。……まぁ、どちらにせよだったけれどねぇ?クスクス」
「ーーーー!」
その他に意味を含んだ言い方のおかげで、アカネは理解した。
どうやらこの人は、あの二人を殺害したらしい。
奇しくも、アカネが男たちを説いた「暴力」は何も生まない、傷つける」を実行して。
そして。
「さぁ、始めましょうか。予定が立て込んでいるの」
杖が、向く。
「ノーザン・ドロフォノス。『次女』よ。よろしくね」
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「説明っているとおもうか?」
「必要ないんじゃないですかぁ?もう皆さんのところであらかた現状のことは説明し終わってると思いますしねぇ」
「ーーペロペロ。五段アイスは美味しいね、お兄ちゃん☆」
「あはは。……それは何より」
ハル・ジークヴルム。
シャルロット・ガーデン。
二人がいるのは海とは全く関係のない、カラフルなお菓子で作られた世界だった。
ーーいいや。よく見ると色々なお菓子が海の中にある全てを形作っている。
まさかこんな展開になるとは思ってもいなかった。
アイスをあげた子供。
桃色髪の、幼い少女である。
「お知り合いですかぁ?」
「アイスを買ってあげた関係だな」
「それはそれは。悪人にアイスを買ってあげるとはハルくんも罪深い人ですねぇ」
「知らなかったわ!」
危うく冤罪的な何かを押しつけられるところだった。
しかし本当に気づかなかったのは事実だ。
あそこで気づかていれば、こうはならなかったかもしれない。
だとすれば。
「わりぃな。俺のせいだ」
「何を言ってるんですかぁ。市民が悪いことなんて何一つないんですよぉ」
当然のように言ってのけるシャルに、ハルは頼もしさを感じて笑った。
二人は同時に構える。
幼い少女が、アイスをぺろりと舐めた。
「シルエット・ドロフォノス。『三女』だよ。美味しいお菓子をたくさん食べさせてね☆」




