『一章』㊻ 乱入する悪意
ーー浮遊城が崩落する。
ガラガラと、激しい音を響かせながら崩れて壊れ、浮力を失い地面へと落ちていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
その浮遊城の終わりの只中で、ハル・ジークヴルムは崩れつつある中庭の上に着地し、気絶しているエマを見る。
「……はぁ、はぁ、はぁ。帰ろう、エマ。俺たちの家に」
彼女が犯した罪は償わなければならない。"アリア“に戻ったらアレス騎士団に引き渡さなければならないだろう。
それでもハルは彼女を見捨てない。一人にしない。いつか必ず同じ陽の下を歩けることを信じて、ずっと待っている。
……と、そこで違和感が去来した。
エマの体が、成長している?
ーー直後。
エマの全身から黒い奔流が吹き出し、暴風が吹き荒れ、浮遊城の崩壊が加速した。残り少ない中庭の大地がバラバラに砕け、ハルの体が再び空に投げ出され落下の感覚を味わった。
「な、なんだ!?」
「ーー負けたわね」
「ーー!?」
雰囲気が。声が。オーラが。魔力が。
全てが変わった。
姿形はそのままだが、明らかにエマではないとわかる、その圧倒的な悪。
まるで中身だけが入れ替わったような、人格の変化。
ゆらりと立ったその女は、浮遊魔法で滞空しながら嫣然と微笑み、落下する瓦礫にしがみついて立ったハルを見つめた。
「お初にお目にかかるわ。雷神。光栄よ」
「誰だ、お前。エマの体に何をした!?」
「何をした、ね。これは代償よ。大きな力には相応の代償が支払われる。この子の浮遊魔法を強化し、この浮遊城を操作する力を与える代わりに寿命と未来の時間を対価にしただけ。そしてこの姿は元の姿。七年の時間を支払う代わりに力を得て、失敗したから元に戻った。まぁその時に少しだけ私がこの子の体を乗っ取れるように細工はしたけれど」
つまり、なんだ。
コイツが、元凶?
「お前が。エマを焚きつけたのか!」
「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。この道を選んだのはこの子よ。最終的に罪人として生きることを決めたのはこの子。私はただ、この道もあると教えただけにすぎない」
上から目線の、人の思いなんて何も考えていない傲慢な言葉の嵐が、心底ハルの機嫌を悪くした。
確かに罪人の道を選び、人を殺す手段しか知ろうとしなかったのはエマの弱さなのかもしれない。
でも、その背中を押すような行為に一体何の意味があるというのか。
ハルは落下の風を受ける中、確かに強く拳を握った。
「お前は、人の思いを何だと思ってやがるッ。エマがどれだけ苦しんで、痛い思いをしたのか分かってねぇのか。もし、もしお前がエマを止めていたら、エマは明るい未来を自分の手で掴めたかもしれなかったんだぞ!」
エマの体を借りた女は肩を竦めて、
「そんな「もし」に意味はないわ。何故ならありえなかった未来だから。私があの町に『黒豹』を放った時点で、あの子は私の駒に過ぎない」
「何を、言ってやがる」
「わからないのなら結構。さて、そろそろ報酬を頂くとしましょうか」
ゴッ!!!!!!!と。直後に空気が渦を巻き、周囲を漂い落下する浮遊城の残骸を呑み込み取り込んで、全長三〇メートルは軽く超える龍がトグロを巻いてエマの頭上に顕現した。
「浮遊魔法・〔奥の手〕龍神八戒咎ノ理」
「ーーーー」
ーー奥の手。
それは固有魔法においての奥義の一つの名称。
固有魔法の技は自身の魔力量、鍛錬、想像に左右され、所持者が死亡すれば世界のシステムのようにランダムで次に継承される。
例外的に古失魔法は異なる、とだけ予め伝えておく。
ともあれ魔法の技は術者によって、歴史によって移ろい変わっていく一方で、「奥の手」や「真髄」
と呼ばれる奥義は違う。
奥義は、元々その魔法に宿っている技である。
術者が編み出すのではない。
魔法本来の力の集合体。
それが奥義である。
龍神八戒咎ノ理。
それが浮遊魔法の奥の手だった。
「さぁ。雷神の力を魅せてちょうだい」
「ーー!」
明らかに今までとは違うプレッシャーに、さしものハルも汗を拭うことを忘れる。
浮遊魔法の真の力。まるで龍神を見ているような威圧感。
その時だった。
「ーーハル!」
「!?アカネ!」
ギンを肩に乗せたアカネが、銀の髪が一房黒に変わっているアカネが、危なっかしく城の瓦礫を踏んで、飛びながら近づいてくる。
飛んでくるアカネを抱くように受け止めて、互いの顔を見た。
「アカネ!お前がこれをやったのか!」
「うん、うん!あたしもみんなの役に立ちたかったの!あたし、ハルの役に立ちたかったから!」
「あぁ、あぁ!お前のおかげでこの城を止められた!ありがとうな、アカネ!」
アカネは嬉しそうに「笑う」と頷いて、
「うん!よかった!」
その笑顔にハルは微かに目を見開いて、それからアカネを抱きながら龍神を睨む。
「アカネ。俺はあいつをぶっ飛ばさなきゃならねぇ。だけど俺一人じゃエマを救えない。だから、手伝ってくれるか?」
一瞬の迷いもなかった。
彼女はただ、頼られた嬉しさを噛み締めるように頷いて、右手に日本刀を握り締める。
「うん!エマちゃんは、あたしの友達だから!だから、お願いハル。エマちゃんを、あたしの友達を助けてあげて!」
あれだけ暴力を受けて。
あれだけ散々痛い目に遭ったのに、強い瞳でそう言える彼女が、心から誇らしいと思った。
その想いに応えるためにも。
ハルはあのクソ野郎をぶっ飛ばさなければならない。
「見せてやろうぜ、俺たち〈ノア〉の力を!」
「うん!!」
:::::::
「ーーレイシア………」
その時確かに。
女はそう呟いていた。
:::::::
助けるといったからには助けてみせる。
ーー例え手遅れだったとしても、彼女の前で嘘はつかないと決めたから。
バチバチバチバチバチバチ!!!と。
両手を構えてエマに向け、その掌に雷が荒々しく光球を作り出し、どこまでも大きく、大きく、大きくなっていく。
狙うのは、倒すべきはあの龍神。
「いつか必ず。お前は俺がこの手でぶっ飛ばす!」
宣戦布告を。果たし状を叩きつけるようにハルはそう吠えて。
真雷魔法がーー花を開いた。
「真雷魔法・〔真髄〕雷神の逆鱗!!!」
「ーーまた会いましょう」
龍神が大顎を開く。
しかし龍神が何かをする前に、エマの体を乗っ取った女がそう呟いて笑った瞬間。
ハルの両手から雷鳴の轟が解き放たれる。
夜の帳を砕くような大音響、夜の暗闇を切り裂く青白い光がどこまでも世界を満たして。
雷撃の奔流が龍神と女を容赦なく吹き飛ばした。
そして、
そして、
そして。
「ーーエマちゃん!!」
力なく落下するエマを、アカネが確かに抱きしめた。




