『一章』㊲ 言葉なんて。
「ハル………」
くしゃりとした顔、掠れた声で呟いて、少女は彼の背中を見る。
血で真っ赤だ。ボロボロだ。
生きてくれていた。
また会えた。
声が聞けた。
でも。
「……なんで、きたの」
違う。
わかってる。
こんなことを今言うべきじゃないってことくらい。
それでも言わずにはいられない。
だってそんなボロボロで。死んだっておかしくないくらいに傷だらけなのに。
こんな、人間失格の傲慢者を、守る、なんて。
そんなことを言うために来るなんて。
「あたしは、来てなんて頼んでない。助けてなんて言ってないっ!」
「…………」
ハルは振り返り、黙ってアカネをみる。目が合う。背中だけじゃない。やっぱり全身血まみれだ。
「そんな体で、何しに来たの、死にに来たの?あたしは、ハルに死んでほしくない!生きていてほしい!だから、こんなところまで来てほしくなかった!」
やめろ。
そうじゃない。
そうじゃないだろう。
「あたしは最低なんだ!どうしようもないクソ野郎なんだよ!他人に命を捨てさせないと信じようともしない人間失格のバケモノなんだ!ハルに、みんなにたくさん酷いこと言った!たくさん傷つけた!
今だって、あたしはハルのことをまだ完全に信じられてない!!だって、だって、だって!!」
「……………、」
くしゃりと、歪んだ。
涙が、出そうになった。
「信じたら、またいなくなっちゃうでしょ!」
お父さんみたいに。
あたしの前から、また。
「レイシアのためなんでしょ。あたしじゃないんでしょ!ハルたちは、あたしのことなんて見てないんでしょ!?」
あたしが王女だから。
特別な人間だから。
「…………、」
「あたしは死んだ方がいい人間なの、誰にも守られる資格がない人間なの!だからーー」
「ーーごちゃごちゃうるせぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
それは。
世界をビリビリと震え上がらせる声だった。
悲劇の神を黙らせる滅神の声だった。
「………っ」
文字通り血を吐くその叫びに竦んで、アカネは言おうとした言葉を呑み込んだ。
ハルは、血に濡れた顔を、怒りに変えていた。
ただの怒りではない。
優しさからくる、切ない怒りだ。
彼は言った。
「レイシアとかアカネとか!そんなもんどっちでもいいんだよ俺は!何度も同じこと言わせんじゃねぇ!ーーお前は、「お前」だろうが!この世界に、お前は一人しかいねぇだろ!今!ここで!俺の目の前で!傷だらけになって泣いてる女の子は、一体誰なんだ!」
「…………っ」
誰。
そんなの、そんなの………っ。
「助けてほしくなかった?俺はお前を助けてぇぞ馬鹿野郎。お前が何をどう言おうが、どれだけ御託を並べたって、俺はお前を助けるぞ!譬え神が相手だろうと、お前を泣かすなら俺は拳を握る!俺がお前を助けるのに、お前の許可なんていらねぇんだよ!!」
「……でも、だけど、あたしは……!」
そこまでだった。
彼の一言に、アカネの心は奪われた。
壊されたでも、潰されたでもない。
奪われてしまった。
まるで恋に落ちるみたいに。
「うるせぇな!いいからさっさと俺を!俺たちを信じやがれぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
ーー主人公のような人間に会うことはなかった。
彼のその声を、言葉を耳にして、流れた涙の理由は変わっていた。
ほんの少しだけ、世界は優しかったのか。
信じられない?
疑う?
そんなのは、彼らに対して侮辱以外でも何者でもなかった。
背中の傷が、ここにいることが、何よりの証拠。
涙はもう、止められなかった。
溢れる思いは、止められなかった。
ずっと、ずっと言いたかった言葉がある。
聞いてほしかった願いがある。
だからアカネは言ったのだ。
顔を涙でくしゃくしゃにして。
「だったら!そんなにあたしに信じてほしいなら!さっさとあたしを助けてよ、バカぁぁああ!」
ーー真っ暗な道で、膝を抱えて座り込んでいた。
足が痛くて歩けなくて。
もう立ち上がる勇気もなかった。
するとふいに、光が射した。
眩しくて目を細めながら顔を上げると、そこには笑って手を差し伸べてくれている少年がいた。
手を握ると、彼はその背中でおぶってくれた。
温かいその背に揺られて進んだ先に。
赤い髪をした女性と和服を着た少年、小さな銀色の子犬が笑顔で待っていてくれていた。
ーーみんな一緒に、同じ道を歩いてくれた。
黒から、白に変わった、優しい道を……。
「ーー言われなくても、やってやるよ!!」




