『一章』㊱ 孤独の終わりは雷鳴と共に
「ーーはぁ、はぁ、はぁ。……まったく。面倒をかけさせるんじゃないわよ、ゴミが」
破壊にまみれた浮遊城の中庭の中心で、エマ・ブルーウィンドは『黒』ーー否。アカネの首を持って吊し上げていた。
「時間切れってことかしらね」
「か、あ、、かはっ」
五本の巨大杭の雨の後、『黒』は砂煙が晴れると同時にアカネに姿を戻していた。
どす黒いプレッシャーは霧散して、全てが元に戻っている。
ーーそのことすら、今のアカネは知らない。
どうしてこんなところにいて、どうしてこうなっているのかも、アカネは知らない。
昔の夢を、見ていたような気がした。
夢、というより過去の再生。
「さて。やり返しはさせてもらうわよ」
「…………?」
言葉を発する前に、だ。
ボグッ!と、お腹に思い切り拳がめり込んだ。
「ご、がらばぁ!?」
「あ、はは☆それだよそれ!その顔だよ!」
暴力の荒波。
力の本懐。
理不尽の解放。
とにかく殴られ、蹴られ、アカネの身体が壊されて、泣いて、絶叫して、軋んで、裂けて、断たれて、砕けて、潰されて。
声にならない声が浮遊城に響き、そしてアカネは弱々しく、電池が切れた人形みたいに地面を転がった。
「あはははははははは!さっきの強さが嘘みたいだねレイシア!いや、ローラって呼んだ方がいいのかな!?クスクス、とにかくすぐに壊れちゃつまらないからさぁ!もうちょっとだけアタシを楽しませてよ悲劇のヒロイン!」
心底おかしかったのだろう。
エマは愉快げに笑っていた。
それが、怖かった。
よく覚えていないけど、とにかく怖かった。痛くて痛くて、這いつくばって、アカネは中庭から逃げようと、エマから逃げようとする。
「いた、いよ。……いたいよ、お父さんッ。…痛いよ………っ」
こんな痛み知らない。
異世界が怖い。
全部が怖い。
「どーこいくのかなーん?れぇぇいしあああ」
「ひっ」
追いかけてくる。
追いかけてくる。
追いかけてくる。
痛いが追いかけてくる。
怖いが近づいてくる。
アカネは立ち上がれず、けれど地面を這って必死に進む。逃げる。
「あた、し。何もしてない……っ。悪いことなんて、何もしてないのッッ。異世界にきて、一人で、頼れる人も信じられる人もいないの。それなのに、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないのッッ」
その震える声を誰も聞いていない。
その頬を伝う涙を誰もみていない。
「この世界のことなんて、知らないよ……っ。あたし、何もしてないよ……っ。ただ、普通に生きたかっただけなのに。友達と遊んで、オシャレして、寄り道して、甘いのとか食べて、休日には映画とか観て、普通に恋なんかして………。そんな、普通の日々を送るだけで、よかったのに………っ」
何も叶わない。
誰も叶えてくれない。
「……あいたい。会いたいよ、お父さん。また、手を握ってほしいよ。そばにいるって、約束したのに……っ。やだよ、やだよお父さん。一人はやだよ、痛いよ。寂しいよ。なんで、なんであたしを一人にしたの………。誰も、誰も助けてくれないよっ」
一人だから。
味方はいないから。
「助けて、お父さん。たすけて……っ。正義のヒーローなんて、いない。やっぱり、ヒーローはお父さんだけだった。お父さんだけが、あたしのヒーローだったんだ………ッッッ」
だから。
きっと。
「ヒーローは、いないんだッ」
這って。
惨めに這いつくばって、しかし中庭すら出ることが出来ずに、アカネは、城の壁に背を預けて座り込み、己の死の未来を目撃する。
正面、その空中に。
岩を削って作り上げたような巨大な剣が、アカネの命を狙っていた。
その下で、エマが冷酷な目をしていた。
「最期に言い残すことはある?」
「………」
そう言われると、なんだろう。
ーーあぁ、うん。
言いたいのは、これだけかな。
「……の、に」
「?」
哀しく、微笑んだ。
「正義のヒーローに、会いたかった、かな」
「あっそ」
エマが手を振り下ろした。
長剣が、喝采をあげた。
ーーああ。やっと会えるね、お父さん。
目を瞑り。
死を歓迎する。
ーー直後。
ドッッッッッッッガァァァァ!!と。
轟音が炸裂した。
長剣がアカネを串刺しにした音、ではない。
その長剣が、破壊された音だった。
「な」
微かにエマが驚く気配がして、アカネはゆっくり目を開けていく。
そして、その空色の瞳を、見開いた。
ーー正義のヒーローになってくれるかどうかだと思うな。
ずっと、ずっと探して、待っていた。
辛い思いをする度に、悲しい思いをする度に、寂しい思いをする度に、痛い思いをする度に、一人で涙を流す度に、少女はいつも誰にも聞こえない声でこう呟いていた。
ーー助けて、ヒーロー。
だけどその切ない声は誰にも聞こえないから、だからこそヒーローには聴こえるはずの、その泣きたくなる声は届いていないから、哀しい色をした心の叫びは頬を伝い、地面へ落ちて。
拭ってくれる人なんて、いないから。
ーーヒーロー?
ーーうん。あか音が困っている時、泣いてる時、辛い時、悲しい時、もう立ち上がれいくらいにボロボロになった時、がむしゃらに駆けつけて守ってくれる人。
現実は決して甘くはない。
特に、少女には厳しい顔をする。
だからなのか、何の脈絡も事件までのヒントもなく、ただ性質上そういう場面に出くわして、問答無用に手を差し伸べてくれる、味方になってくれる、ご都合主義の、採算度外視の、主人公のような人間になんて出会うことはなかった。
チャンスすらなかったのだ。
ヒーローには彼女を助けるチャンスはいくらでもあったはずなのに。
ーーそんな人、お父さん以外にいるの?
何度、夢を見たか。
何度、焦がれたか。
何度、暗闇の道を振り返ったことか。
虐められたとき。悪意を受けたとき。トイレで水をかけられたとき。家の中で風景になっていたとき。透が死んだときも。何度ヒーローが来てくれることを願ったことか。
真っ暗な道で、自分の血しか黒以外の色がなくて、指針も指標もなにもなくて。足が痛くなって座り込んだとき、何度もヒーローが助けに来てくれないか振り返った。
けど。
どこにもいなかった。いなかったのだ。
ーー今日この日までは。
「ーー間に合わなかったかもしれない」
ーーキミが泣いているとき。
「ーー手遅れなのかもしれない」
ーー助けて欲しいと叫んだとき。
「ーーだけど取り戻すぞ。ここから」
その背中は、傷がないところを探す方が苦労するくらいに、ボロボロだった。押せば倒れてしまいそうで、だけど力強くて、頼もしくて。
「ここから先は絶対に、何があっても!こいつは俺が守る!!!!」
ーーボロボロになってでもその背中で守ってくれると思うかい?
「…………………ハルッッッ」
ーー本物のヒーローが目の前に立っていた。




