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最後の異世界物語ー剣の姫と雷の英雄ー  作者: 天沢壱成
ー独姫愁讐篇ー
39/192

『一章』㉟ 孤独な姫を助けてくれる人なんて

遅くなりました。

どうぞよろしくお願いします。



 三月。

 学年が一つ上がり、五年生になった日。

 とはいえ学校には行っていないから家で進級という形にはなったけれど。

 とにかくその日だ。


 いつも通りと、最早言える日常と化した紗空透の訪問。とりあえず毎度のことなので水をぶっかけた後の、些末な話し。


 「……どうして。そんなにあたしと関わろうとするんですか……」


 「うん?」


 「あたし、別にあなたの娘でも何でもないじゃないですか。赤の他人じゃないですか。ただ偶然あたしが倒れて、お巡りさんに助けてもらっただけの関係なのに。そもそも、お巡りさんにとって市民を助けるのは仕事で、あたしみたいな子供にいちいち構っている暇なんてないのに。……どうしてあたしに拘るんですか」


 「どうしてって……そりゃあ、あか音ちゃんが寂しそうにしてるからだよ」


 「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………え?」



 「大丈夫っていうのは、心も体も落ち着いてることって言っただろう?キミは、どっちもボロボロだ。キミの境遇を考えたら当然だと思うけど、それにしたって酷すぎる。ーーキミじゃないよ。キミにそんな思いをさせるこの世界と神様が、ね」


 「ーーーー」


 「あか音ちゃんの気持ちを分かる、とは軽々しく言えない。でもね、一人の大人として。あの時、キミに手を握られた「お父さん」として、キミをそのまま放って置くことは出来ないよ」


 「ーーーー」


 「僕には子供はいない。奥さんはいるけど子供はいない。だから子供の感情を理解することはまだ難しい。パトロールをして色んな子と関わったりするけれど、あか音ちゃんほど痛そうにしてる子供は一人も見たことないよ」


 「ーーーー」


 「僕は警察だ。寂しい思いをしてる人、辛い思いをしてる人、泣いている子供がいたら助けるのが僕の仕事なんだ。ーー僕の中に、僕の選択肢の中に、僕の『魂』の中に。あか音ちゃんを見捨てるという答えはなかった。ーーただ、それだけなんだ」


 「…………み、が」


 意味がわからない。意味がわからないよ。

 

 だって、あたしには家族なんていなくて、別にそんな綺麗な言葉を求めているわけでもなくて、言われたところでそれこそ綺麗ごとなんだから胸に響く

ことなんてないのに。

 

 全然知らないじゃないか。

 たった三ヶ月だけの関係で、血なんて当然繋がってもいない赤の他人。


 なのに。

 だけど。


 ーー大丈夫。側にいるよ。


 あの言葉。

 あの手の大きさと温もり。


 「………あ、たしは。だい、じょうぶなんだ。ひとりでも、だいじょうぶなんだっ。だからーー」


 「強がらなくていい。正直に生きていいんだ。駄々をこねたっていいんだ。ワガママを言ったっていいんだ。……だってキミはまだ子供じゃないか。銀とか青とか、関係ないよ。キミも子供なんだ。だったら他の子供たちと同じように、自分のままに生きたっていいんだ。それは絶対に間違っていることじゃあない。だから、素直に生きて、あか音」


 「………………っあ」


 抱きしめられた。

 ギュッと、強く優しく、抱きしめられた。

 この熱さを、あか音は知らない。心が、体が安心して、痛いくらいに「大丈夫」だって悲鳴をあげている。


 あたしも、ワガママを言っていいんだ。

 あたしも、素直に生きていいんだ。

 あたしも、みんなと同じだったんだ。


 でも、それは。

 それをしたら。


 「また、悲しくて、痛くて、寂しいがくるのっ。また、あたしのことをいじめるひとがいるのっ」


 「大丈夫。僕が守ろう。僕がキミのヒーローになろう。この世界を見限るにはまだ早い。「僕はキミの味方だよ」、あか音」


 「………でも、でも……っ」


 「ーーキミは今、どうしたいんだ」


 そんなの。

 そんなの、決まっているじゃあないか。


 「……もう、一人はイヤだっっ。もう、寂しいのはイヤだよ………っ」


 それが。

 一〇才の女の子の小さくて。けれど大きな、譲れない確かな本音だった。


 「うん。大丈夫。もう、大丈夫だよ」


 温かった。

 どうしようもなく温かくて。

 あか音は男の腕の中でわんわん泣き続けた。


 そして。

 紗空の名前をもらうのに、時間はいらなかった。



***********************



 何事にも順序というものがある。

 

 その結果に至るまでの過程、道のり。

 

 透と家族になった後の六年、その内の四年は絵に描いたような幸せを歩むことが出来たが、残りの二年は一四年、つまりそれまでの全ての幸せをかき集めても勝てない「最悪」に呑まれて、少女の人生は転落を始めることになった。


 緩やかな下り坂から上り坂に変わった小学五年生。笑顔しかない楽しかった日々。

 紗空あか音となった彼女は転校し、新しい人生を始められると期待に胸を膨らませていた。


 「さ、紗空あか音ですっ!よろしく!」


 少し怖かったけどクラスのみんなとは仲良く出来た。

 運動会は楽しかったし。お母さんは優しくて。


 「いけー!あか音ー!ウチの娘が一番じゃああああああああ!ってなに抜かしてんだクソガキ逮捕してやろうかぁ!?」


 「「いやうるせぇ!!」」


 遠足前のお母さんとの料理も。

 

 「ねーお母さん!あたし卵焼き食べたい!」

 ーー言ってみたかったセリフだ。

 ー一緒に台所に立つ。些細な夢だった。


 「はいはい。フフ、あか音は本当に卵焼きが好きねぇ。お母さん嬉しい」


 「お母さんの!がね。世界一美味しいもん!」


 「あら嬉しいこと言ってくれるわねこの子は。お礼に昨日お隣の山田・ジョン・バッカヤロウさんから頂いた謎の幼虫もお弁当にいれてあげるわね」


 「お礼の概念!ほんとにそれ名前!?ていうか幼虫とか食えるか!」


 憧れだった授業参観にも両親は来てくれて。

 後ろをみて、手を振って、笑って。

 嬉しかった。


 「じゃあこの問題分かるひとー」


 「「はいはーい!」」


 「じゃあ須藤くんに答えてもらおうかな」


 「何故だ!?ウチの娘が一番可愛いのにどうかしてるよ先生!ほら見てウチの娘天使だよ!ママと同じくらい神々しいよ!」


 「「やかましわ!」」


 誕生日だって祝ってくれて。

  

 「「あか音。誕生日おめでとーう!」」


 「ありがとう……!」


 「はい、これはお母さんから。髪飾り」


 「わぁ……!きれい!」


 「父さんからはコレだ!先月発売されたソンダの最新モデルの車!」


 「いらない」


 「何故だ!?」

  

 「いや逆に何故だ。免許ないよ」


 「安心しろアカネ。バレなきゃいい!」


 「「アンタ本当に警察か」」


 小学校の卒業式には二人とも来てくれて。

 泣いて大変だった。


 「あか音も大きくなったなぁ……!ひぐ、うぐ、卒業おめでとう!」


 「お母さん、嬉しい。娘の成長を近くで見れて」


 「ありがとう……お父さん、お母さん」


 中学の入学式はもっと大変で。


 「ぐぁー!目が、目があああああ!」


 「お父さん!?どうしたの!?」


 「犯罪だ!あか音の制服姿は犯罪級の可愛さだ!これは逮捕しなくちゃならない!変な男に捕まらないようにお父さんが守らないと!」


 「正気?」

 

 「‥‥でも確かにこれは心配になるわね。あ、そうだあか音」


 「?なぁにお母さん」


 「中学行くのやめる?」


 「正気なの?」


 自分のことのように喜んでくれる二人を、あか音はもっと好きになった。

 

 ずっと夢だったことがたくさん叶って、きっと世界で一番幸せなのは自分だと疑わなかった。

 

 血の繋がりなんて関係ない。

 

 自分を愛してくれる父と母が側にいてくれるだけで、こんなにも世界がきらきら輝くなんて知らなかったから。


 中学生になって、初めての夏休み。


 友達と花火大会に行くことになった。浴衣を着て、お母さんからもらった髪飾りをつけて。車の鍵を渡してきたお父さんはぶん殴って。

 

 そして目一杯楽しんだ、その帰り道。


 「好きだ。俺と付き合ってくれないか、紗空」


 「………………………え?」


 あか音は告白された。


 一番仲が良かった、隣の席でサッカー部の少年。彼は優しくて、面白くて、いい人だ。多分彼からの告白を断る人はいないだろう。

 

 ーーでも。

 

 あか音はすぐには答えられなくて、戸惑って、驚いて、返事を先送りにした。


 想像できなかった。親以外からの親愛を。親以外からの愛を欲しがったことはなかったから。

 

 だから夏の星座が瞬く日の夜に、縁側でお酒を飲んでいた透に、あか音は訊いてみた。


 「ねぇ、お父さん」

 

 「んー?」


 「あたし、クラスの男の子から告白された」


 沈黙。

 風鈴の音。


 「あか音」


 「なに?」


 「その子んちの家の住所は知ってるかい?」


 「え、う、うん。知ってるけど、それが?」


 「セクハラでその子を逮捕してくる」


 酒を置いて立ち上がった透の足をあか音は咄嗟に掴んだ。


 「逮捕されるのはあんただ!やめて!」


 「大丈夫だよあか音。父さん警察だから」


 「何が大丈夫なのかさっぱりわからない!」


 ところで玄関のドアが開く音がして、縁側から覗いてみれば母親である弥生が金属バットを握り締めてどこかへ行こうとしている。


 「ちょっと、お母さん?どこいくの?買い物?スポーツショップ?」


 「バットの調子が悪いから直しに行ってくるわね。……ところでその子んちはどこにあるの?」


 「バットの直し方が絶対に違う空気!直すっていうか、壊れる人が出るよ!」


 「「問題ないでしょ」」


 「病院行け!」


 とまぁ一悶着がひと段落した後、透はビールを一口飲むと言った。


 「僕はね。正義のヒーローになってくれるかどうかだと思うな」


 「正義の、ヒーロー?」


 「うん。あか音が困ってる時、泣いてる時、辛い時、苦しい時、もう立ち上がれないくらいにボロボロになった時、がむしゃらに駆けつけて守ってくれる人なら、僕はその人にあか音を任せられる」


 「……そんな人、お父さん以外に、いるの?」


 「あか音は、好きな人とかいないのかい?」


 「き、急になによ」


 「つまりさ、好きな人が自分にとってのヒーローになってくれるかどうか。決めるのはキミ自身だってことだよ。告白してきた友達は、キミが泣いている時に、助けて欲しいと叫んだ時に、ボロボロになってでもその背中で守ってくれると思うかい?」


 「…………、」


 想像してみた。

 

 告白してくれた人が、自分にとってのヒーローなのかどうかを。


 ……よく、わからなかった。

 でもその時点できっと、好きじゃないんだと思ったし、多分、違うんだとも思った。


 ーーそれだけは、何故だか強く思った。


 後日、あか音は断りの返事をした。自分なりに悩んで決めたことは伝わったと思う。


 告白されたこと自体は嬉しかったから、誠実に返事をしたいと思った。友達だし、これからも仲良くしていきたいから。


 その、帰り道だった。


 前触れなんて、前兆なんて、伏線なんてどこにもなかった。だから気づけるはずなかったんだ。


 オレンジ色の世界で信号を待っていた時だった。

 ーーとん、と。背中を押されたのだ。


 「ーーーーえ」


 トラックがクラクションを鳴らしながら迫ってくるのは当然見えて、自分を押した人ーー告白してきた友達も見えて。


 「ーーあか音!!」


 次の瞬間。

 黄金色の世界が赤に上塗りされた。



 **********************



 ーー全部の音がうるさかった。

 何もかもがうるさくて、邪魔だった。


 放心状態のあか音の視界に、赤色がある。

 動かないお父さ「あか」がある。

 

 「あ、ああ」


 なんで動かないの。 なにがあったの。

     なんで、こうなったの。


  あ、 あ。

         なに、が。


 

 「……と、うさん」


 「おい!誰か早く救急車呼べ!!」


 「お父さん!!!」



 ***********************



 ストレッチャーに乗せられて手術室に運ばれる透を必死に呼ぶあか音の声が病院の中に響く。


 「お父さん、お父さん!しっかりして!お父さん!ねぇ、お父さんってば!」


 手を握るけど、あの温かさが、強さが、徐々に失われつつあるような気がした。


 「ごめん、ごめんなさい、お父さん!あたしのせいで、こんな、ああ、ごめんなさいお父さん!お願い、お願い、死なないでお父さん!お願い死なないで!一人にしないで!」


 あたながいなくなったら。

 あたしは。


 「………か、ね」


 それを、果たして奇跡と呼んでいいのか。

 看護師達も驚く意識の覚醒。

 あか音は残された希望に縋るように、奇跡を手繰り寄せるように透の手を強く握り、声をかける。


 「お父さん!良かった、お父さん!大丈夫、大丈夫だよお父さん!必ず、必ず助かるから!」


 そうじゃないと困る。

 そうじゃないとダメだ。


 「……あ、かね。よ、った。無事で」


 「うん、うん!あたしは大丈夫だよ!お父さんが助けてくれたから!だから、お父さんも大丈夫だよ!もーすぐお母さんと佳奈も来るから!だから、頑張ってお父さん!」


 母と、一年前に生まれた妹が。


 「………あかね」


 ハッキリとした、けれど弱々しいこえ。


 「なに、何お父さん?」


 握る手を、強く握り返された。

 

 「しあわせ、に。いつか、きっと、出会えるから。だから……どうか、この世界を憎む、な。あか音なら、きっと「大丈夫」だから」


 「おとーー」


 手が離れる。

 透を乗せたストレッチャーが手術室に入っていく。

 何もできずにただ少女は立ち尽くし。


 そして、

 そして、

 そして。

          


 ーー奇跡は、やっぱり起こらなかった。



「あ、あああ」


 正義のヒーローなんて。


 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼︎」


 どこにもいなかった。



 ***********************



 転落。

 完全な下り坂へ突入したあか音の人生はどこまでも転がり、深いところへ落ちていく。

 最初の絶望、と言っていいだろう。

 

 それは母親、弥生の豹変。


 これまでずっと優しかった弥生がまるで幻だったみたいに、透の死の原因はあか音にあると、殺したのはあか音だと指を差して怒鳴り散らし、糾弾して、苦心惨憺とした表情で感情の全てをぶつけてきた。

 

 悲しかっけど、反論なんてできなかった。

 泣いたけれど、正論だから何も言えなかった。

 

 あか音のせいで父は死んで。それは紛れもない事実で、揺らぎようのない真実。


 「なんでアンタを助けてあの人が死ななくちゃいけなかったのよ!」

 ーーごめんなさい。


 「本当の娘じゃないのに!」

 ーーごめんなさい。


 「アンタががいなかったら死ぬことはなかったのに!」

 ーーごめんなさい。


 「アンタなんか、もらわなければよかった!」

 ーーごめんなさい。


 「アンタの顔なんて、二度とみたくないわよ!」

 ーーごめんなさい。


 一変。

 

 なんの比喩もなく、少女の世界は激変した。

 いいや。

 最初から馴染んでいると勘違いしていただけで、居場所があると思い込んでいただけで。

 

 本当に、学習しないなあ、あたしは。



 自分を押した少年に復讐する気にもなれなくて、あか音はそーゆー気分じゃなかったけれど登校した。

 

 学校に行けば、友人がいるから。

 なのに。


 違和感があった。一度味わったことのあるあの冷たさだ。

 

 まず、教科書がなかった。


 「あたしの教科書、知らない?」


 無視。


 別の日は、ノートがなかった。


 「ノート、知らない?」


 無視。


 おわり。


 ーー後でわかった話だが、告白を断ったことが原因で、それまで溜まっていた全てのストレスをみんなしてぶつけたらしい。


 結局。

 こうなった。

 

 「しね」


 教室で誰かがそう言ったのを聞いた。

 それが中学で聞いた最後の声だった。




 ***********************



 一六才。


 あか音は高校生になった。志望校は地元から離れた場所にある、同じ中学の人がいない高校。

 

 透が死に、イジメに遭ってから約二年。相変わらず一人だし立ち直ってはいないが、俯いてばかりもいられない。

 

 幸せになれ。


 そう言われたから。だから無理矢理立ち上がって、前を向いたのだ。


 「……お母さん。明日、入学式なんだけど…」


 「ーーーー」


 他人。

 他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人他人を見る目。


 まだいたんだ、と。冷酷にそう伝えている。


 妹と遊んでいても殺人鬼を見るような視線が痛いくらいにあたり、同じ部屋で呼吸をする度に虫を見るような目が突き刺さる。

 結局。

 入学式は一人で。


 「……お母さん」


 夜。

 真っ暗な部屋で。月明かりだけの部屋で、あか音は一人ベットの上で膝を抱える。

 中学の入学式に撮った写真を見て、くしゃりとシワが寄るくらい握って。

 

 「制服、可愛いって……言ってほしかった」


 ーーどうしたら。あたしを許してくれますか。



************

 

 

 期待なんてモノは、未来に希望を持っている人が抱く光だ。何もない人間が抱くことは決してない。


 一体いつからだったのかはもうよくあまり覚えていない。

 

 楽しい時間は確かにあったけど、いつも通りですと言わんばかりに長続きはしなくて、あか音は絶望と再開した。


 原因はなんだったろう。

 理由はなんだっけ。


 ああ、そうだ。また裏切られたんだ。

 嘘をつかれたんだ。

 

 そうして、あか音は真理に辿り着く。

 ヒトは、必ず裏切る。

 あか音の全てを妬み、羨み、差別し、迫害して。あか音が何もしなくても、周囲はあか音を敵に回す。

 

 光がない真っ暗な道だった。

 ギザギザした道。


 振り返れば血の痕だけがわかって、赤色がぬるく光っていて、足がズキズキ痛む。

 

 ふと、思う。

 生きている意味は、果たしてあるのだろうか。

 

 人間も世界も正義もあか音の敵で、誰も味方はいなくて、絶望の中で生きるなら、それは死んでいるのと何も変わらないのではないか?


 トイレで水をかけられて。

 お弁当は台無しにされて。

 体操服は破られていて。

 教材はゴミ箱に入っていて。

 机には罵詈雑言の落書きと花瓶があって。

 家に帰っても救われることはなくて。


 こんな世界に、果たしている意味はあるのか?


 だからきっと。

 あか音という少女はこの世界にとって邪魔でしかなくて、価値なんてない。


 一人は嫌だと願っても。みんながあたしを一人にして、裏切って、傷つけるからどうすることもできやしない。


 だからもう、いい。

 人間なんて信用しない。信用できない。

 誰かと関わる度にこんな辛い思いをするなら、もうずっと一人でいい。信じなくていい。


 「……誰か、助けて。……助けてよ……っ」


 それを言ったのは、いつだったろう。

 お父さんの言う通り、もしこの世界に正義のヒーローがいるのなら、この瞬間に現れてくれるのに。

  

 何が、ヒーロー。

 ヒーローなんて、いるわけがなかった。

 ヒーローは忙しいから来ないんじゃない。

 ヒーロー存在しないから来ないだけだ。


 誰も彼もが裏切って、あか音を一人にする。

 だから。


 「………もう。生きていたくない……ッ」


 幸せに。

 大丈夫。


 父の最期の願いは、どうやら叶うことはない。

 もう誰も、信用はしない。

 

 一人がいい。


 だから少女は。

 鉄の塊に衝突する時、恐怖を抱いていなかった。


 ーーねぇ、お父さん。

 

 ーーあたし、正義のヒーローに会いたかったな。

 

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