『一章』間話 ガラスの靴がない灰かぶりー参ー
ーー紗空あか音を知るということは、目を背けたくなる世界の意地の悪さを目撃するということに他ならない。
控えめに言っても彼女が異世界に戻るまでの一六年は決して幸福とは呼べない残酷な時間で、女の子一人を押し潰すには十分過ぎる物語。
誰が一体なんの目的でここまであか音を虐めて弄ぶのかは神のみぞ知ることなのだろうが、もしもソレを知ったうえで放置をしているのなら、きっとその神様は「悲劇」を司る最悪の一柱に違いない。
とはいえ何も一六年全ての時間が優しくなかったわけじゃない。些細で短いごく僅かな間ではあったけれど、彼女の人生を彩る時間は確かにあった。
ーーそれをくれたのが、それの始まりが、紗空透という一人の男だった。
彼との出会いは、あか音にとって最初は良いと言えるものではなかった。
まだ見ぬ両親を探していた彼女にとって、大人の、それも警察の介入はあまりにも都合が悪い。
このまま保護されたら施設に戻され、またあの寂しい日々を過ごす羽目になってしまう。
それだけは、どうしてもいやだった。
「さぁお姫様。王子が待つ城へーー」
だから逃げた。
寒さも痛みも全部忘れて、少女は男から逃げることにしたのだ。施設に戻りたくないのが一番の理由ではあるが、単純に飾ったらしいセリフを平気な顔して吐く人がちょっとキモかったのもある。
そして少女の逃走に驚いたのはもちろん男だ。
「ーーってまさかの逃走!?お巡りさんから逃げる子供っているんだ!?……いや待てよ。これは噂の白いビーチで走るカップルのアレ的なアレなのでは……?」
などと見当違いもいいところである考えに納得しかけているバカがハッとなり、前を向いた時にはもうあか音の姿はどこにもなく、白銀の世界しか残されていなかった。
「消えた、だと……!?」
お前が見失っただけである。
そしてあか音は白に染まった駅や住宅街を抜け、小さな公園で足を止めた。
滑り台とブランコと、砂場しかない公園だ。雪に、白に覆われてどこかひっそりと寂しい。
公園は、子供たちの聖域。笑い声が、楽しげな声がかしましく響く場所。
そして同時に、公園とは最も子供たちの親が集まる場所でもある。
無意識に、憧れが作用したのかもしれない。幾度となく、夕暮れの中みんなが親に手を引かれて帰る姿を羨ましく眺めたから。
ここにいれば、迎えに来てくれるかも知れないと。
さらさらと雪が降る中、あか音は雪が浅く積もったベンチに座る。
お尻が冷たいけれど気にしない。こうしていれば、きっと迎えに来てくれると、疑わなかった。そう、信じていた。
体の感覚がなくなりつつあり、頭にも肩にも膝にも雪が積もっても少女は動かず、ただじっと、両親を待った。
まって、まって、まって、待ち続けて。
ーーあか音の意識は雪に奪われた。
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体が熱い。
頭がぼーっとして、自分が今どうなってるのかすらわからない。上下左右、何も見えない暗闇だけがあって、正体不明の恐怖が背筋を這って気持ち悪い。この恐怖に囚われたら最後、何もかも奪われる気がした。
誰か。
助けて。
ママ、パパ。
そう、強く思い。願って。
縋るように手を伸ばすと不意に光が刺して、あか音はその光をーー、
「ん?」
重い瞼を開け、ボヤける視界に光を捉えた先に少女の手が掴んだのは大きな手。
一〇才の女の子の小さな手なんてすっぽりと包んでしまえるくらいに大きな手だ。消毒液の匂いがやたらと鼻につくが、今はそんなことどうでもいい。
手の中にある温かさに、ひどく安心した。
誰だろう?と顔を上げたけど靄がなかったみたいにボヤけてよく分からない。
分からないけど。
「……ぱ、ぱ……?」
そう、思った。
だから、この手を離したくなかった。どこにも行ってほしくなかった。
だって、やっと会えた。
やっと、甘えられる。
ーーいかないで。
「と、りに………」
「ーーーー」
「……ひとりに、しないで……っ」
「……大丈夫。そばにいるよ」
優しい声だった。
擦り減った「心」を抱いてくれるような、今まで感じたことのない温もり。
その言葉に。
その優しさと温もりに安堵して、あか音は再度眠りに落ちた。




