『一章』㉙ 金の姫は雷を喰らう
ーー愕然と目を見開いて、ハルの頭の中が衝撃に包まれた。
ずっと疑問ではあったのだ。何故仮面の女からは殺気も敵意も、それどころか生者の気配や呼吸が感じられなかったのか。
上位の罪人ほど黒い気配を消すのが巧いことは知ってる。
しかし戦闘中に己感情や欲望、つまりは他者に害を与えようとする醜悪な気配を欺瞞できるほど罪人という狂った性格破綻者共はいいオムツを穿いてはいない。
人形。
まさかにその通りであった。
正確には、人間のような柔らかい肌ではなく水晶のように硬質な肌、無機質な顔と瞳を持つヒトガタ。
ーー擬態石。
使用者の体の一部と魔力を与えることで使用者本人に姿形を変える希少な魔石だと、さてこの少年は気づけたか。
なるほど人間じゃないから何も感じなかったのかと腑に落ちて、しかし二度目の失態にハルは後悔する。
もっと早く気づくべきだった。
全てはこちらに近づくための口実で、最初から何も落としていなかった。
だからギンの嗅覚は上手く作用しなかった。ずっとオリジナルの匂いを嗅いでいて、分かれた匂いなんてどこにもなかったのだから。
ピシ……っと、人形の顔に亀裂が走った。
ーー否。
「エマ・ブルーウィンド……!」
甲高い音と共に擬態石が砕け散って風に流されていく。
直後。
「ーーわ。すごいね。魔法なしで倒しちゃうなんて。流石は真六属性」
鈴の音のような可憐な声が教会の外から鳴った。誰の、とは今更思わない。
むしろタイミング的には絶妙で狙っていたんじゃないかと疑いたくなるほどだ。
教会の外にでて、彼女を見た。
「………エマ」
「や、ハルくん。さっき振りだね」
自分の正体がバレたというのにエマの様子はケロリとしていて清々しいものだった。
いっそのこと慌てたり焦ってくれた方がこちらとしては有り難かったが。事実を真実として受け入れる時間が多少欲しかったわけではあるのだし。
だがそんなモノは必要ないとばかりに、彼女は悠然と立っていた。
雰囲気はガラッと変わっている。
ツインテールが特徴だった金の髪は前髪がかき上げられ、後ろ髪は背中に流している。
エメラルドカラーの瞳は傲慢を思わせる自信に満ちていて、血に濡れた刃のように鈍く光っている。地味だった服も見る影はなく、目のやり場に困る仕様だった。
右手に巻かれた赤いリボンが風に揺れている。
エマ・ブルーウィンド。
彼女は罪人のオーラを色濃く纏っていた。
そしてハルはようやく気づく。
エマが軽々と右腕で抱えているのは……。
「あ、アカネ!?」
エマが敵だと分かった瞬間一番最初に懸念していたことが目の前に実際の光景として現れた衝撃は絶大だった。
エマが正体を隠していた敵だった場合、共に行動していたアカネが囚われるか殺されるかは必然ではあったのだ。
ハルの声に、アカネは反応しない。死んではいないようだが意識を失っているようだ。
「……始めから。これが狙いだったのか」
敵対することが。
対立することが。
「そうだよ?別にそんな不思議なことかなぁ?敵じゃない、なんてアタシは一言も言ってないよ。勝手にそっちが信用しただけでしょ。……まぁ、そうなるように動いてはいたけどね」
おそらくハルたちではない。正確にはアカネに信用させるために。
酒場区域でも、一回目の襲撃時も、先刻の店でも、ハルたちが知らない二人の時間も。
全部が全部この時のために用意された台本をなぞっただけの虚構でしかなくて、上っ面だけを綺麗に磨いた、中身なんてない演技だったのだと。
ギリっと。強く奥歯を噛んだ。
一体、どれだけ傷ついただろう。
どれだけ、悲しかっただろう。
「それにしても驚いたよ。まさか魔法も使わないでアタシのコピーを倒しちゃうなんてさ。キミ、今ホントに魔力欠乏症中なのかな?よくそんな状態で動けるな、感心するよ、いやほんとに。これじゃあシコラエが報われないよ」
肩を竦めるエマの態度はどこまでが本心なのか分からない。
ハルはさっきよりも不調が悪化した身体なんて無視して、
「アカネを、返せ。今ならまだ戻れるぞ」
エマは目を細めて、
「戻れる、か。優しいんだねハルくんは。……でもね、戻るも何も。アタシは最初からこの場所にいるんだよ」
差し伸べた手を振り払うようにエマが吐き捨てた直後だ。
ゴァ!!!!と、化物の咆哮のような強風が吹き荒れーー巨大な影が霊園区域をーー"アリア"の半分を覆い尽くし、月明かりを遮断して夜より濃い闇で天蓋を支配した。
「ーーな」
空を見上げ、絶句する。
頭上、闇を落としていたのは街一つ分はある大質量の岩の塊ーーいいや城か。一つの岩というより無数の無機物で形成された浮遊する巨大な城だ。
「何が目的か、そういえば知りたがっていたね」
フワリと、だ。
アカネを抱えたエマの両足が地から離れて重力の軛から解放される。
浮遊。
あるいは滞空。
金髪の少女は闇夜に浮かび、凶美に笑んでハルを見下ろした。
「ーー逆襲だよ」
「ぎゃく、しゅう?」
「不完全の正義を振りかざし、平等を謳っておきながら命の価値を決めて己の幸せしか見ないこのイカれた国に、腐った世界に。本当の正義を教えてあげるんだ」
「なに、いってんだ………。そんなもんに、アカネは関係ねぇだろうが」
「アハハハハハハハハハハ!何を言ってるのハルくん!その目は節穴!?」
心底おかしそうに笑うと、エマは気を失っているアカネの髪を乱暴に掴み上げた。
その。
罪人特有の狂気と自欲が混ざった赤の瞳。
凶悪な笑み。
「この女は第二王女!レイシア・エル・アルテミスだよ!一六年前に消えた王女を目の前で殺せば仮初の平和に浸っている王家のカス共は!その錆た剣のアレス騎士団は!終わりのない絶望を味わうことになるじゃない!!」
王家か「サフィアナ」そのものを恨んでいると言っていたのはセイラだったか。
ハルはエマを睨んで、
「逆襲。つまりお前は」
「王族の皆殺し。王都を壊滅させる」
冷えた声音の断言。
そして、彼女は嗤う。
「止めたきゃ止めればいい。ーーそんな余裕があればの話だけどね」
「?何をーー」
エマの奇妙な言い方に怪訝になった直後。
ズン!!と、"アリア"全域に激震が走った。腹の底まで響くとてつもない重音に、体勢が崩れるほどの大振動。原因は浮遊城ではない。
だとすると……。
「この国は魔獣が本当に多いよね」
違う場所を見ながらエマは言う。
「だから魔獣除けは国民の生命線になっているから、失ったら大変だ」
「ま、さか……。お前!」
「呪怨魔法の仕掛けが魔力欠乏症だけだと思った時点で、キミたちは負けている」
重音と激震の正体を悟ったハルの耳に荒波のような悲鳴と怒声が地獄のように届く。
魔獣除けの術式が施された外壁の破壊によって、魔獣の大行進が"アリア"を呑み込もうとしていた。
ハルが知る由もないことだが。
外壁の魔獣除けの術式には発動中の証拠として翡翠色のラインが規則的に走る。
しかし呪怨魔法によって魔獣除けの術式が魔獣寄せの術式に組み替えられ、赤色のラインに変わっていた。
翡翠色から赤色にかわる。
昨夜の花火は、上書き完了、その合図。
死の『匡制』は、前提を軽く覆す。
全てが、掌の上。
盤の駒。
「姫か街か。二つに一つだ。さぁ、どっちを選ぶ?初代を救った雷神、ハル・ジークヴルム!!」
「ーーーーっ」
究極の選択。
どちらを選んでも敗北しかない。
そして悩んでいる暇もなかった。こうしている今も地獄のような叫び声が鼓膜を打ち、ハルの中の正義の天秤が大きく揺れる。
砕けるほど奥歯を噛み、血が滴るほど拳を握って。
懊悩の末。
「ーー!今すぐアカネを返せ!!」
雷神の寵愛を剥奪された少年は一つを選び取った。
アカネの奪還。
この選択を、責める者はきっといないだろう。どちらも選べるのはおそらく神様だけだ。
駆け出し、跳躍し、月を掴むように手を伸ばして。
たった一つの冷笑があった。
「これは新時代の幕開けだ。ーー『薨魔の祭礼』を繰り返すわけじゃない。」
「な」
「邪魔をするなよ。偽物の英雄」
明確に突き放す一言を口火に、ハルの顔面に何かが直撃した。
頭部が弾かれて威力を殺すことも出来ずに来た道を強制的に戻され教会に激突、地面を抉りながら切断された女神像の前まで吹っ飛んだ。
頭蓋骨が砕けたような激痛に苦鳴するハルは、霞む視界の中で息を呑む。
教会の正面玄関の真上の壁に開いた乱雑な形の大穴。
その奥の夜の帳に浮かぶエマが、自身の周囲に大量の、代償無数の瓦礫や岩塊を従者のように侍らせていた。
アレがこの後どうなるのか分からないほど、流石にハルも馬鹿ではない。
「最期に言い残すことはある?」
「アカネを、返せ……ッ」
「覚える必要はなさそうだ」
冷酷な言葉が世に放たれた、その直後。
照準完了とばかりにエマがハルを指差した瞬間、彼女の従者たる全ての瓦礫や岩塊が無慈悲な流星群となって迸り、教会をまるごと破壊する二次被害を及ぼしながら、ハル・ジークヴルムという一人の少年を完膚なきまでに、徹底的に容赦なく、存命の希望すら抱かせずにーー。
ーー叩きのめした。
もう少しお付き合いください。




