『一章』㉗ ラプンツェルは酷薄に笑う
心臓が刃で抉られたような鋭い痛みがハルの左胸を嬲っていた。
外傷による痛みには慣れている方ではあるが内側から襲ってくる痛みには耐性はおろか、初めての体験で想像以上にキツいモノがある。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
呼吸は乱れ、奇妙な倦怠感や疲労感で体は重く、脂汗が頬を伝い、足には力が入らない。
自分の体が自分のモノじゃないような、とにかく違和感の塊が胸の奥に居座っていて気分は最悪だった。
つい先ほどの謎の魔法陣は罪人共の液体がハルの内側に侵入した時点で消失している。
まず間違いなく現状の原因はそれら二つだが、だからと言ってハルには何もわからず、ただ悪意ある攻撃を喰らったコトくらいしか藍色髪の頭は理解していない。
もしかしたら、セイラならなんとかなったのかもしれないが……。
「確かめようにも、コレじゃあな。はは、準備万端ってわけか」
哀愁漂う霊園の一角、木々の葉を揺らす切ない風が吹くそこで、ハルは思わず苦笑する。
場所が場所だけに、その姿は本当の死者に見えるほど不気味だった。
もしくは人の魂を狩り、死者の魂を迎えに来る冷酷な死神か。
素顔を白い仮面で隠し、夜から色を奪ったような黒く長い髪。黒一色の服を身に纏う、ヒトより人形に近い雰囲気を漂わせる異質な女。
昨夜会敵した不気味な女が堂々と、長剣を握り締めてハルの前に佇んでいる。
「コレも、お前らの仕業か……?」
「……、」
「答える気はないってか」
昨日から無口だし最初から返答に期待はしていない。そもそも答えてくれるまでもなく仮面の女やあの鬼人の仕業なのは明白だ。
で、あるならば。難しい話は置いといてこの女を倒すことがとりあえずハルに課された目下の問題。
胸の痛みを我慢して、体の不調すら無視してフラつきながら立ち上がる。
拳を握る。
「行かなきゃいけないトコがあるんだ。悪いけど、さっさと終わらせてもらうぞ」
子供みたいに頑固な、アカネの許へ。どうしても言わなきゃいけないことがある。
伝えたい思いがある。だからこんな所でヤツの相手をしている暇はない。昨夜の失態は、ここで取り戻す。
激痛を吐き出すように息を吐き、目の色を変えてハルは駆け出した。途端に違和感が背筋を走り、怪訝になるも胸の痛みや倦怠感などが原因だと思って無視をする。
「雷拳!」
「ーーーー」
ハナから手加減する気はなかった。全力全開の一撃を叩き込もうと振り抜いてーーしかしハル・ジークヴルムはその瞬間眉を顰めた。
拳は確かに振り抜かれたが、それだけ。雷を纏っていない、普通のーーいいやそれよりも弱い力のないパンチであった。
当然、そんな打撃なんぞ通用するわけもなく、ハルの一撃はいとも簡単に仮面の女の小さな手に受け止められた。
「……な、んだ」
「ーーーー」
「ーー!」
ゾッとするような違和感に意識を向ける時間はなく、仮面の女の一閃をハルは咄嗟に躱し後退。
足に力が入らないためにこんな簡単な動きでさえ体はついてきてくれず、躓きそうになった。
それを何とか耐えることが出来たのは墓石に手をつけたからだ。
明らかに、何かがおかしかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。な、んだ」
荒い呼吸を繰り返し。
「ーーーー」
引き裂かれるような胸の痛みに顔を顰めながら。
「なにを、した……」
「ーーーー、」
ハルは仮面の女を睨む。
「俺に……。俺に何をしたんだお前!!」
正体不明の嫌悪に叫んでハルは再度地を蹴った。
この一六年の人生でここまで体に異変を感じたことはない。そもそも風邪だって引いたことがない元気を絵に描いたような少年がハルだ。
そんな彼が、まるで幼児のようであった。
走っているのに進んでいる感覚はなく、いつまで経っても仮面の女との距離は縮まらず。
到達したと思っても悉く攻撃は躱され、為す術なく全身を切り刻まれ、鮮血が夜の霊園にグラデーションを塗装して、少年は無惨に地面を転がった。
「……っあ。ガハッ、ゴホ!……ぐ、うぅ!な、んなんだよ、コレ……ッ」
うつ伏せで倒れたまま、血塗れのハルは仮面の女を睨む。
体の不調。
その極め付けは。
「………雷漸!!」
「ーーーー」
不発。
倒れたまま右手を突き出したが、雷の槍が飛び出すことはなかった。
それを嘲笑うように、仮面の女はハルの顔面に蹴りを入れ、墓石を何個も破壊しながら少年が吹っ飛んでいく。
粉塵が舞い、墓石の破片に埋もれながらハルは理解する。
「……ま、さか」
雷神の剥奪。
そんなことが、果たして可能なのか。しかしそれなら全てに説明がつく。
体の不調。
違和感。
魔法の不発。
だから。
「まさか……!」
つまり。
「ーー魔法が使えないのよ、あなたたちは!」
「……ッッッ!!」
心底愉快げな女の声が本通りに響き、赤髪の美女の体が本屋の一つまで吹っ飛んだ。
ウェーブがかった薄水色の長い髪に肌の露出が過度な黒衣を纏う妖女。
第A級指定罪人、シェルサリア・ロスター。
彼女の魔法で作られた巨大な槌撃が直撃し、何も出来なかった結果がコレである。
建物が破壊された轟音が炸裂し、同時に人々も悲鳴を上げながら逃げ始め、まるで最初からこうなることが決まっていたみたいに死闘の舞台が整った。
半壊した本屋の瓦礫に埋もれ、全身の倦怠感や激痛に顔を顰めるセイラはシェルサリアの言葉の意味を深刻に考えていた。
いや、深刻というより前提条件が根本から捻じ曲がっている暴論に頭を悩ませていると言った方が近い。
魔法が使えない。
それ自体は己の体が証明しているので疑う余地はないのだが。
「使えないは、ありえない……」
片腕を押さえながらセイラは立ち上がり、ボソリと呟く。
巨大な槌を肩で担いだシェルサリアが、瓦礫の一つに立った。
「ありえない、ね。いいえありえるのよ。実際に、今あなたは魔法が使えていないじゃない」
「……に、をした」
「私は何も。どこぞの罪人が「死」を条件に発動した魔法の効果よ。‥…確か呪怨魔法って言ったかしらね」
「バカげた、ま、ほうだな。にわかに信じ難い力だよ……」
「でもコレが現実よ」
苦笑するセイラに、シェルサリアが冷酷に力を行使する。
白紙の巨大な槌がバラバラに解け、無数の刃に形成、それらが文字通り紙の猛吹雪になってセイラの全身を殴るように斬りつけた。
「ーーく、ぅ!」
いつもの状態ならなんて事はない攻撃なのに、為す術なくセイラの身体が裂傷に侵されていく。
血飛沫が舞い、刃が肉を絶つ鋭い音が叫喚し、新鮮な激痛がセイラ・ハートリクスを逃さない。
血を流しすぎてはダメだ。圧倒的不利な状況を打開するにせよ、失血が原因で動けなくなっては元も子もない。
まるで嵐の中にいるような紙刃の奔流から血を吐きながら脱出し、路上に落ちていた剣を拾い上げて反撃に出る。
剣が重いのか体が重いのか。キレもクソもない鈍い動きがセイラの胸に焦燥感を抱かせた。
縦に振るった剣閃は子供の遊びに付き合うみたいに造作もなく紙剣で受け止められ、仕方がない様子でシェルサリアはセイラとの鍔迫り合いを楽しみ始める。
「無様ね、薔薇。魔法が使えなくなったらあなたもただの人なのね」
「………さっきも言ったが、魔法が使えないはありえない」
「くどい」
呆れ果てた吐息と共にシェルサリアはセイラとの鍔迫り合いを打ち切り、紙剣をしなやかな縄に変化させて彼女の右腕を絡め取る。
まるで蛇に巻き付かれたかのような感覚に驚く間もなく、セイラの体が街灯に叩きつけられた。
ビュウン!と、空気が悲鳴を上げて壊音が炸裂し、街灯が半ばからへし折られる。
紙縄の拘束が解け、血を吐き出すように咳をしながらセイラはゆっくり立ち上がる。
「ゴホ、ゴホッ!……はぁ、はぁ、っそうか。そういうことか……」
手品のタネが分かったみたいにセイラは仄かに笑い、シェルサリアは眉を顰める。
「?何を言ってるの」
「空気だよ」
断言があった。
体の不調。激痛に構わずセイラは言う。
タネを暴くように。
「貴様のムチのおかげでわかったよ、感謝する。……空気、そう、空気だ。私は今、いいやおそらく私たちは今。酸素濃度が極めて薄い場所にいるような地獄を味わっている」
「意味がわからないわね」
「だろうな。何せ対象は私たちだけだからな。呪怨魔法。全く恐ろしい力だよ。まさか特定の人物を魔力欠乏症に陥れるなんてな」
魔力欠乏症。
それは文字通り体内における魔力が一定基準値量を下回ることで発症する特殊魔疾患の一つ。
基本的に「サフィアナ王国」内で欠乏症になることはないが、発症条件は体内貯蔵魔力量が低下した状態で長時間活動した場合。
極端に魔素濃度が薄い空間に滞在し、十分な魔素を取り入れられず体内の魔力循環器系で魔力を精製出来なくなった場合だ。
そして今のセイラたちの発症条件には後者が当てはまる。
人間は空気中の酸素無しじゃ生きられないが、魔導士は酸素以外に魔素も必要とする。
魔素とは酸素同様に空気中に含まれる魔力の素で、本来なら酸素と共に意識をすることなく体内に取り入れるが。
呪怨魔法。
凶悪な力がその法則を捻じ曲げた。
先刻の魔法陣、液化した罪人が原因だろう。
アレのおかげでセイラたちは十分な魔力を体内で練れずに魔力欠乏症を発症し、体の倦怠感や身体能力の低下、呼吸の乱れなどの症状に苦しんでいる。
そしてこれは言わなくてもわかると思うが、魔力欠乏症は放って置けば命に関わる。
保って一時間、と言ったところか。
「魔法が使えないはありえない。何度も言っていることだが、固有魔法は先天的な力だ。だから、厳密には魔法が使えなくなったわけじゃなく、魔素が取り込めず魔力を精製出来なくなったんだ。……この胸の違和感は、魔力が練れていない体が危険信号を発しているようなモノなんだよ」
「……魔法において重要な因子の一つ、『匡制』は知ってるかしら?」
「特定条件をクリアすることで魔法の能力を底上げする方法か」
「彼の呪怨魔法が術者に強いた『匡制』は「死」だった。対象者を呪うために必要なモノを揃え、最後に自害することで発動する奥の手だったらしいわ」
「なら解呪をするまでだ」
「話しはそう単純じゃないのよ、バカね」
嘲るように唇を緩めて、シェルサリアは言う。
「そもそも。今のあなたに何が出来るのかしら」
それを証明するように。
「ーーーー!」
目と鼻の先にまで妖女の罪人はセイラに接近し、
「一方的な嬲り殺しよ。あなたのターンはない」
「ーーーー!」
宣言通り。
セイラの全身を暴力が蹂躙した。
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魔力欠乏症を発症したことは鬼人がご丁寧に教えてくれたのですぐにわかったが、だからと言って体の不調が治るわけではない。
酒場区域。
傷だらけのユウマは肩で息をしながら屈辱的にも居酒屋の一つに身を隠していた。
厨房の壁に背を預け、欠乏症の症状に鬼人ーーザクス・シードから貰った打撃のパレードによる痛みに顔を歪ませるユウマ。
マズイ、とここまで本気で思ったことはない。魔力欠乏症は時間との勝負。タイムリミットは刻一刻と迫っている。
それだけなら、どれだけよかったろう。
魔力欠乏症。
罪人との戦闘。
噛み合わせが最悪すぎる展開に、ユウマは舌打ちするしかなかった。
(はぁ、はぁ……。さい、あくの気分だな。こんなところハルに見られたら死ぬまでいじり倒される)
もっとも、そのハルも今頃ユウマと同じように苦しんでいるのだろうが。
「おいおい。隠れてないで出てこいよ星王。興が冷めちまうだろうがろォが」
(よく言うぜあの野郎。こうなったのも全般テメェらのせいじゃねぇか。死ね、三回死ね)
他人事のように言うザクスにユウマは悪態を吐く。昨夜といい今といい、本気で喧嘩をしたいとか言っておいて小細工を仕組んだのはそっちだろう。
強面のくせしてやることは意外とセコイ。
(いらねぇギャップなんだよ全然キュンキュンしねぇんだよ)
「ま、隠れるのも無理はねぇか。魔法が使えねぇテメェはただのクソガキだしな。悪い手じゃねぇ」
(ムカつくあいつ!)
互いに姿は見えない。
かろうじて、ユウマは通りを歩くザクスの足音が聞き取れることが可能だ。
ーー音。
「正直俺はこんなつまんねぇ手を使ってテメェらと戦いたくなかったんだ。本当だぜ?だってよ、相手はあの雷神に薔薇に星王なんだぜ。全員が古失魔法の使い手だ。相手にとって不足はねぇ!殺し甲斐があるってもんじゃねぇかよ、なぁ!!」
ーー音。
気が昂り興奮気味のザクスの声は欲に呑まれた咎人のようだ。周りのことなんてなにも考えていない、自分が楽しめて自分が満足できればいいを是とする究極的に傲慢で強欲な人間。罪人の鑑。
それが。
ザクス・シード。
「だから楽しみだっんだ。テメェらと殺し合えることが。………なのにこんなことになって本当に残念だ。もっと、もっと、もっと!昨日みてぇにギリギリの戦いをしてぇ!俺の力を試したぇんだ!」
ーー音。
(………なんだ?何か、音が)
嫌な。
ーー音。
予感。
「だから考えたぜ。テメェが戦ってくれる方法を。ーー結局、テメェらみてぇな善人にはコレが一番効くよなぁ」
ーー音。
ザクスの足音ではない。
ーー嫌な予感の正体。
ーー音の正体。
居酒屋から顔出して、絶句する。
「な」
ーー黒髪の女の子が口を塞がれて呻きながらザクスに抱えられていた。
まるで人質。
いや、人質だ。
予想外の驚愕的展開に目を見開くユウマ。
そんな彼に、悪辣な笑みをザクスは送る。
「よぉ星王元気か?」
「オマ…………ッ!」
「ちゃんとキャッチしろよ」
言って、ザクスは少女を投げてきた。
出来る限り優しく受け止め、前を向いた。
悪意が、止まらない。
「第三ラウンドだ」
「オマエ………ッ!」
ザクスの鬼の拳が、幼女を抱えたままのユウマの顔面を容赦なく捉えた。
いかがでしたか?
読み辛かったらごめんなさい。




