『一章』㉒ 決別の涙
ーー現実はいつも突然だ。
いつの頃からかそう考えるようになったけど。
いくら何でも今回ばかりは受け入れ難かった。
こんな話が果たして許されるのか。
異世界召喚ではなく。
異世界回帰。
元の世界ーー否。「あの」世界こそが本当の異世界で、だからアカネには血の繋がった両親が存在しなかった。
細かい理由はともかく、元々アカネは「この」世界の住人で、向こうに送られた。しかもただの一般市民ではなく、高貴な血の一族の一人で、きっとあの悲劇を、苦しみを、痛みを味わうことがなかったーー必要がなかった人間。
第二王女ーレイシア・エル・アルテミス。
孤独を生きた少女ー『紗空あか音』。
二つの世界に、一つずつ名を持つ少女。
でも、
でもさ、
それはーー、
「……あぁ、そっか。そうだったんだ」
と。
急に腑に落ちたことがあって、アカネは息を吐くようにぼそりと呟いた。
絶対に笑える状況じゃなくて、鏡を見れば笑ってないことくらい分かるのに、奇妙な弛緩があった。
「あたしが第二王女だから、ハルたちはあたしを助けてくれて、優しくしてくれたんだね」
「………は、ぁ?」
愕然と息を吐いたのはハルだ。
「アカネ……。お前、何言ってんだ?」
アカネは首を傾げる。
不思議そうに。
本当に、不思議そうに。
「?何ってなにが?事実でしょう?」
それだと全てに納得ができる。辻褄は合って、彼らの行動全てが線になり繋がる。
おかしいと思っていた、おかしいと思っていたのだ。出会って一日も経ってないような人間に、赤の他人に優しくして、歯の浮くようなことを言って、身を挺して守ってくれて。
ぜんぶ、ぜんぶ。
アカネが第二王女だったからだ。
レイシア・エル・アルテミスだったからだ。
王女だったから、みんな、やさしくして。
「そっかそっか。王女か。王女だったんだ、あたし。スゴイ真実だ。出来すぎてる。レイシアっていうんだ、あたし」
「……アカネ」
「この髪色も目の色も。この世界の住人だったからなんだね。ようやく納得したよ。絡まったコードを解いた時みたいにスッキリした気分だよ。あー、よかっよかった。これで長年の謎は解決だ」
「おい、アカネ……」
「あ。ってことはあたし、別にここにいなくてもお城?に帰れば衣食住に困る心配ないのか。だったら早く帰ったほうがいいよね。本当の家族が待ってるんだもん。感動の再会だね」
「なぁ、アカネ!」
「ーーうるさい!あたしはアカネじゃない!!」
それは。
自分以外の全てを黙らせる怒声であった。
時間が止まっていた。
俯いたまま叫んだアカネにハルたちは面食らい、ギンはビクついてテーブルの下に隠れた。
息を切らしているアカネは、歯を喰い縛るように言う。
「あたしは王女。レイシアなんでしょ。この国の王女なんでしょ!一六年間「あか音」として生きてきたのに、「あか音」は偽物で、本物は他人に等しい「レイシア」で!理解できる範疇を超えてるよ、意味がわからないよ!!」
異世界に来て命を狙われるだけでも頭がいっぱいいっぱいなのに。
実はあなたはこの世界の王女なんです、なんて言われても。
「レイシアって誰なの……。アルテミスって何なの!?〈魔神〉と戦った?神様が友達?国を造った?……笑わせないでよ。あたしがそんなご大層な人間の子孫に見える!?そんなわけないじゃない!訳知り顔で何言ってんのよふざけんな!……何も知らないくせに。あたしのことなんて、何も知らないくせに!……あたしは日陰にいる人間なんだ。惨めに虐められて一人ぼっちになった女なんだ!それなのに、いきなり、こんな……今までのあたしの人生って何だったのよ!!!!」
きっと。
誰が悪いわけじゃない。
なのに聞いた側の人間に思わず自責の念を。胸が裂かれるどうしようもない痛みを与える悲痛な声だった。
涙はない。
泣きたいのに泣けなかった。
枯れてしまったのだろうか。
くしゃりと歪んだ少女の顔は、どこまでも痛そうで。
「……あたしは。誰なのよ……っ」
誰でもいいから、教えて欲しかった。
「……お前はお前だ。どこの誰でもねぇだろうが」
答えたのはハルだ。
ーー違う。ちがうんだよ、ハル。
「……じゃあ。どうしてハルはあたしを助けてくれたの?アカネのためじゃなくて、レイシアのためだったんじゃないの………?」
うそでもいいから。
「アカネ。俺たちは……」
うそでもいいからさ。
あたしは。
「……やっぱり。人なんて信じないほうがいい。信じようとしたあたしが……バカだった……っ」
アカネのためだって、言って欲しかった。
あのケーキも、あの笑顔も、あの手の熱さも、あの背中の強さも。
ーーあたしのためだって言ってくれたら、それだけであたしは……。
気づけば体は勝手に動いていて、少女は家から飛び出し夜の下を走った。
追い駆けてきてほしいと願う心と、追いつかれないようにする心が相反して矛盾して。更に少女の心をズタズタにする。
二つの世界に、一つずつ名を持つ少女。
それは、どちらが本物なのか分からなくなることじゃないのか?
答えなんてない。
ただ、追い駆けてくる人は誰もいなかった。
分かるとすれば、それだけだ。




