『一章』㉑ 呪い
場所を変えよう。
そう、セイラが言って皆で移動した場所は〈ノア〉の家でーー玄関やリビングに明かりが灯ると命が吹き込まれたようで、アカネはほんの少し入るのを躊躇った。
ここから先に進めば、もう後戻りは出来ない。訊かなければよかったはもう通じず、受け入れるか拒絶するかの二択に絞られて強制的に物語は未来へと動き出す。
だから聞かなければならない。セイラが言っていたことを深く知らなければならない。この世界で生きていくには、絶対に必要なことなのは確定している。
だから、進むしかない。
それ以外に選択肢はなくて、光に照らされてようやく気づいたーーハル、セイラ、ユウマの、多くはないけど苛烈な戦闘だったと思わせる傷や汚れの数々に、胸を締め付けられる苦しい痛みには意識を向けてはならない。
「どこから話そうか……」
広いリビング。
〈ノア〉メンバーの向かいのソファに座るアカネはテーブルの上に出された紅茶には手をつけることなくセイラの話しの続きを待つ。
隣にいるエマも今朝とは空気が違うと察したのだろう。口を閉ざして静聴の構えだ。
時計の針の音が時間の経過を教えてくれていた。
「……そうだな。まずは「サフィアナ王国」について話そうか」
数秒か、数分か、数十分か。
永く感じられた沈黙の膜をセイラの声が破った。
「私たちが今いるここ、「アリア」はガイア大陸の中で最大領土を有する国家、「サフィアナ」の中にある街だ。「サフィアナ」は他五ヵ国と比べても魔獣の数が多く、これは所有領土が広大なことが要因だ。何故領土が広いのか。それは『薨魔の祭礼』後の国の再興や領土争いによって最も魔獣が棲息する地を優先して我が物にしたからだ」
「……どうしてもっと安全な場所を選ばなかったの?」
「魔法全盛の時代にして争いが頻発していた頃でもあるから、魔獣の棲息域を自然の壁の脅威として置き、他国からの攻撃を防ぐ盾にしたのだろう。人も魔獣も有限だが、争いによって死ぬのならヒトより異形の方がいいと当時のお偉い方は考えたのだろうな」
理屈は分かるが拍手は出来ない合理性にアカネは眉を顰めた。
ソレは、元の世界で例えるなら動物たちを人の都合で固めて壁にして、銃撃に身を晒させるような酷い悪行だ。
人類が認める、笑顔の虐殺。
「とは言っても今現在でも魔獣の数は他国より群を抜いて多いから昔の議員たちの思惑は上手く作用しなかったのが事実だな。その結果今の「サフィアナ」が生まれたのさ」
「そんなに魔獣?が多いなら"アリア"とか他の街って大丈夫なの?襲われたりしないの?」
今いち魔獣という生物にピンとこないアカネは、地方に多く問題として挙がる、民家に熊などがくる害獣被害騒動のニュースを思い浮かべる。
セイラは窓の外に目を向けて、
「もちろん対策はしている。"アリア"外周の壁には魔獣除けの術式が組み込まれていて、そこから発せられる特殊な魔力波を嫌い、魔獣は近づいてこない。もちろん他の街も似たようなモノだ」
「……魔獣が多い国。それが「サフィアナ」?」
「一側面からみたら、な」
「え?」
セイラの妙な言い方にアカネは首を傾げた。
赤髪の美女は細い脚を組んで、
「「サフィアナ」は魔獣大国。これについては間違っていない。だが「サフィアナ」の本当の顔はそこじゃない。「サフィアナ」は、神の国。『薨魔の祭礼』以前に最も栄えた王国王家の血筋を継いだ王族が統べる国なんだ」
「王族って……」
セイラは少し哀しそうに淡く笑った。
「そう。それがアルテミス。アカネの体に流れている血は、アルテミス直系のーー「サフィアナ」を築いた一族の貴血。『薨魔の祭礼』で〈魔神〉に挑んだ英姫にして「サフィアナ王国」初代国王。
ローラ・アルテミスの子孫なんだ」
「……ち、ちょ、ちょっと待ってよ」
話のスケールが予想より大きくて、アカネは困惑しながら口を開く。
「き、急にそんなこと言われても困るよ。わからないよ。だって、あたしは……」
この世界で育ってない。
そう言おうとして、それを遮るようにセイラは言う。
「六月六日は追悼祭だと言ったが。実は他にもあるんだ。六月六日に意味が」
「………他にも?」
セイラは頷き、アカネをまっすぐ見て言う。
真摯で誠実な、その炎の、血の色の瞳。
少女の否定論を、否定するように。
「真歴一五八四年、六月六日。今から一六年前に、生まれたばかりの第二王女が謎の失踪を遂げたんだ。王家のこの失踪は「サフィアナ王国」全土に激震を走らせ、追悼祭は中止。国家直属組織・アレス騎士団を筆頭に国中至る所を探し回るが手掛かりはゼロ。王城の厳重な警備をすり抜けた誘拐犯の仕業か、はたまた神隠しか。レイシア王女の髪の毛一本すら見つからず、事件は闇の中。「サフィアナ王国」建国史上最悪の悲劇として国民の記憶に刻まれている。……つまり」
区切って。
息を吸って吐いて。
セイラは言った。
「〈魔神〉と戦い、神を友にし、国を造ったローラ・アルテミス。彼女の血を継ぎ、一六年前に失踪した第二王女、レイシア・エル・アルテミスこそがーーアカネなんだよ」
「………、」
言葉を失うとか、呆然とするとか、驚愕したとか、そんな生易しい表現ではアカネの精神状態を伝えることは極めて困難だった。
何をどう言えばいいのだろう。
例えば、ドラマや映画なんかでよくある設定の一つで、実は自分だけ家族と血が繋がっていないことを知った主人公ーー違う。
例えば、人類を苦しめる魔王が本当の父親ーー違う。
例えば、親殺しの仇が弟ーー違う。
例えばーー違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう。
ありとあらゆる例題を破り捨て、気づけばゴミ箱は溢れ返っていた。
この世界は、今のアカネを表す言葉を知らない。
「ヤツらがアカネを利用して何をしようとしているのかは分からない。ただ、王家の血を引く、それも行方不明だった第二王女の生存を何らかの手段で確認し行動に移ったということは第二王女じゃなければならない理由があるのかもしれない。……現段階で言えることは、ヤツらは王家か「サフィアナ」そのものを恨んでいるかもしれないということだけだ」
淡々と話しを進めるセイラだが、アカネが今知りたいのはそんなことじゃなかった。
蝋燭の火のように頼りない声が、銀髪の少女の桜色の唇から零れる。
「……セイラたちは。どうしてあたしが王女だってわかったの」
赤髪の美女は少女を指差した。
正確には、その銀の髪。
「アルテミスの血を引く者は皆、王家の人間は髪色が銀なんだ。王族以外に、銀の髪はいないし、年齢的にも、な」
「………でも、セイラはあたしの髪色を黒だって、あの酔っ払いの人も、黒だって……」
聞き間違いではないはずだ。
違和感は、確かにあった。
セイラは一度目を伏せてから立ち上がるとアカネの前に立ち、そしてワイシャツの襟元に手を伸ばした。
「アカネの髪色を、これで欺瞞していたんだ」
細い指で持って見せられたのは、爪サイズの石。
ブラックスピネルのような、黒い宝石。
「……そ、れは」
「魔石一種で、"幻色石"という。主に変装などに使われる魔石で、他者の視覚情報を誤認させて使用者の髪色を別の色に見せるんだ。これでアカネの髪色を黒色にしていた」
だから"幻色石"を外したことでセイラたちの視覚情報が正常に戻り、アカネの髪色は銀に戻っていた。
「……なんで、色を変える必要があったの」
「今のような状況になるのを懸念していた。……一六年も行方不明になっていた第二王女が突然姿を現したと広まれば騒動には免れず、アカネに何らかの被害、悪影響が及ぶと考えたんだ」
「…………、」
「だがその結果裏目に出てアカネを危険な目に遭わせてしまったのは完全にこちらの落ち度だ。………本当にすまない」
ソファに座り直したセイラが頭を下げて、けれど、アカネは何も言えずに黙り続けていた。




