『一章』⑳ 本は開かれ、ページはめくられる
轟音が炸裂し、着弾点を見据えているのはハルとユウマだ。
「手こずったんじゃねぇか?ユウマ」
「んなわけあるか。計算通りだっつーの」
「じゃあこれも」
「当たり前だ雷バカ」
ズァ……ッ!!と。空気が沈んだ。
軽口を叩き合いながらも粉塵の奥を睨む二人の目の前で、殺気を軸とした圧力の厚さが一段階跳ね上がる。ユウマはもちろん、ハルも星天魔法の強さは知っている。
あの一撃は、直撃すればタダでは済まない。
にも拘らず、このビリビリ伝わってくる威圧感。
ハルは好戦的に笑った。
「はは!本気じゃなかったってことか。いいね、楽しくなってきた!」
「互いにこれから、か。上等だよ。……つーかなんでオメーがいるんだよ。さっさとあいつ追いかけろよ邪魔くせーな」
「選手交代。俺がこいつ。お前が仮面。よろしくて?」
「よろしくねーよ、アホか」
それにしてもこの余裕は流石と言うべきか。常人ならばこの威圧に当てられただけで戦意喪失し、命を諦めるか失神するというのに。
「ーーお前ら。いいな」
声が響く。
最高の獲物を見つけた猛獣のような、血が滾る狂戦士のような高揚とした声。
砂煙の奥、影が揺らめいた。鬼、ではない。曖昧で不確かで形は定まっていないが、有翼の人影に見える。正体は不明、しかしこの覇気はあの姿に起因しているのか。
ユウマは目を細めて、
「ストックはいくつだ、びっくら変化野郎」
「さぁな。知りたいなら全部引き出させてみせろよ、星くずくん?」
鬼人のユウマの呼び方にハルは口を押さえて笑い、
「星くずくんwww」
「黙れ」
ハルを殴って黙らせ、それからユウマは男に問う。
「お前らの目的はなんだ。アカネのことを二番目って呼んでたが、どうしてそれを知っている。オレはハルと違って馬鹿じゃねぇぞ。……アカネを使ってなにをしようとしていやがる」
「どゆこと?」
「ただアカネを殺すだけなら罪人が徒党を組むかよ。アカネの正体を知っているコイツらは、アカネを殺した後のために手を組んでるんだ。だけどそれは何だ?アカネを殺して、一体こいつらになんのメリットがある?」
ユウマの疑問に、影が嗤う。
「ハッ!メリットなんか知るかよ。俺サマはただ好きなように暴れるだけだ!雷神と、星王と、薔薇。テメェらと殴り合えるっつーから来ただけだ。剣姫に興味がねぇっつったら嘘になるが、あくまでメインはテメェらだ!アイツの目的なんて俺サマには関係ねぇ!……だからよぉ、互いに派手にやろうぜ、なぁ!!!!」
我欲が爆発していた。
我慢をすることすら覚えていない力の役が。
影が形を留め、変化が終了する。力が滾るままに吠えた男の姿が、砂煙が晴れると同時に露わになるーーその、一歩前だった。
ドンっ!と。
花火が咲いた。
三者共々戦闘体勢に入ろうとした分、不意の爆音と大輪に反応し空を見上げる。
ハルとユウマは怪訝に眉を寄せて、
「なんだ?」
「花火?……何かの合図か?」
「そーゆーこった。どうやらここまでのようだ」
ユウマの予測を肯定した男が肩を竦めた。砂煙が晴れたトコロに立つのは鬼人でも有翼でもない。筋骨隆々とした屈強な肉体を持つ巨躯の男。
ヤツは少年二人を一瞥すると背を向けた。
「次は最初から全力でやってやる。だからテメェらも本気でこい。じゃあな」
「逃すと思うのか」
「焦んなよ」
ハルが一歩手前に出た瞬間、男が僅かに振り返り、右の掌をこちらへ向けた。それもただの掌ではない。鋭い五指の爪を生やす、鱗に覆われた強靭な右腕。
その人外の掌が、キュィィィィイイイイイイイイイイイイイイン!!と、光球を生成。
超圧縮した魔力だろうか。尋常じゃないプレッシャーを感じ、少年二人は意識を攻から防へ。
そして、
そして、
そして。
「ザクス・シード。第A級指定罪人だ。よろしくなァ」
カッッッ!!と。
竜の息吹に思える光の奔流が、ハルとユウマを呑み込んだ。
「ーー残念。時間切れだわ」
建物の屋根の上に立つ薄水色の髪の女性が夜空に上がった花火を見て紙鳥を腕に集めた。
艶然と笑む女は通りを挟んだ向かいの家の屋根にいる弓矢を構えるセイラを見る。
「今日はここまで。続きは次回といきましょう」
セイラは弓矢を構えたまま、
「撤退か。目的を完遂したようには見えないがな」
「一応したみたいよ。だから私の仕事もおしまい。二番目の首、もうしばらくそちらに預けといてあげる」
「アカネを殺した先に、貴様たちにはなにがある。……アカネのことを、どこで知った」
女はもったい振るように唇を緩め、紙鳥をバラした。
途端、無数の白紙が女の背後に集束し、瞬く間に天使を連想させる白い翼を作り出した。
月を背に羽ばたき、夜の空に浮かぶ。
「逆襲よ」
「なに?」
「悲劇に対して。逆襲の狼煙をあげる。二番目は鍵に過ぎない」
どういう意味だ、と訊き返そうとして、しかしその前に罪人の女は夜空へと飛んでいき、放った矢は当たることなく彼方を駆けた。
女は消え、弓矢を消す。
ひらりと、何かが舞い落ちてきた。
一枚の紙。
掴んだソレには、こうあった。
キスマーク付きで。
ーーシェルサリア・ロスター。第A級指定罪人。
ビタッ!と。
花火が咲くのとアカネの喉元に剣の切っ先が突き付けられたのは同じタイミングであった。
追いつかれ、ギンの背中から落とされた瞬間長剣の刃に貫かれる寸前、本気で死を覚悟したら仮面の女が手を止めたのだ。
生唾を呑み、頬を伝う汗を拭うことすら出来ないアカネは仮面の女から目を離せない。
ややあって、だ。
死が退くように、剣がアカネの喉元から離れ、仮面の女がさっきまでの執着が嘘みたいに回れ右して背を向けて、夜の闇へと溶けるように消えていった。
「アカネ!大丈夫!?」
ギンの声が聞こえても、アカネはしばらく動くことが出来なかった。
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ハルたちと合流したのはそれからすぐだ。
エマの腕の傷を止血し、応急処置を終えたところで三人が駆けつけてくれた。
「無事か、アカネ!」
「うん。あたしは平気。………でもエマちゃんがあたしを庇って……っ」
安否を確認してきたハルに答えると、アカネは苦しそうに表情を落としてギンに寄りかかるエマに目をやった。
アカネを狙った剣撃から身を挺して庇ってくれた代償の傷。不幸中の幸いなのは傷が浅いことで、出血量も死に至るほどじゃなかったことだ。
アカネと目があったエマは大丈夫とばかりに笑って、そんな彼女の傷をセイラは屈んでみた。
「助ける側なのに、助けられてしまったな。ありがとう、エマ。傷は治癒者に診せよう」
「ううん。全然気にしないでセイラさん。これくらいしか、アタシには出来ないから」
ハルとユウマもエマに寄って、
「いや。本当にありがとうな、エマ。お前のおかげで今がある」
「もう……大袈裟だよハルくん」
「そうでもねぇぞエマ。元はと言えばこのバカが逃さなかったらこんなことにはなってないんだからな」
「そうなの?」
「「そうなの」」
「じゃあハルくんは私にもっと感謝して」
「あれ、なんか図太くなってない?気のせい?」
と、脅威が去ったことで気が緩み、空気は弛緩してアカネが知っているこの世界の平和の雰囲気が漂い始めた。殺伐とした先刻までの空気より、こっちの方が百倍楽だとアカネを思う。
思うのだが、だ。
どうしても、これだけは訊いておきたかった。
「ねぇ。みんな」
視線が集まる。
正体不明の不安と恐怖が胸に広がる中、彼女は口を開く。
「どうして。あの人たちは、あたしを狙ってきたの」
異世界召喚者なのに。
この世界には、来たばかりなのに。
「二番目って、なんなの?」
サクラ・アカネで。
他に名前なんてないのに。
「何か知ってるなら、教えてよ」
何も知らないで。
何も言わないで。
「あたしは……何なの?」
あの黒い力。
自分が自分じゃなくなる、殺意。
やがて、耳が痛くなる沈黙の果てに、そっとセイラが息を吐いた。その仕草はある意味、何も知らないでと願ったアカネの心を打ち砕いた。
「……限界だな」
「セイラ!」
「ダメだハル。私たちが間違ってた。アカネは知らなくちゃいけなくて、隠すべきじゃなかったんだ。そうだろう?」
どこか哀しむように言ったセイラの肩を掴んだハルは反論出来ずに、彼女から手を離す。
訊かなければよかったと後悔する胸に落ちる重い感情と、何かを隠していたことを何一つ否定しないみんなに対して抱く微かな怒りがぐちゃぐちゃに混ざり合って、マーブル模様の心が完成する。
泣きそうになるのを、必死に耐えた。
きっと何か意味がある。ハルたちはアカネのためを思って重要なことを隠していたのだ。
そんなことは分かっている。だから大丈夫だ。大丈夫なんだ。大丈夫なはずだ。大丈夫に決まっている。
だからーー、
「ーー「サフィアナ王国」王家。第二王女、レイシア・エル・アルテミス」
ーー伝え忘れていたことがある。
「それが。アカネの正体だ」
ーーこれは、あたしが異世界に召喚された物語りじゃない。
ーーこれは、「私」が異世界に帰ってきた。
最後の異世界物語だ。




