『三章』58 鳥兜
ーードクン! と。
一人の男の心臓が、大きく脈を打った。
……その胎動は、「二回目」であった。
♢♦︎♢♦︎♢
基本的に本家が集まる「アイオリア王国」に、〈死乱〉以外の「ドロフォノス」はいない。仕事関係で「廃家」の「ドロフォノス」や、〈死乱〉以外の本家罪人が赴くことは多々あるが。
その条件のカードをテーブルの上に出した時、相手プレイヤーは気の毒だろう。
なんて言ったって「ドロフォノス」。〈无魔六天〉を除けば罪人の中でトップクラスの悪者共が集合するタイミングなのだから。
「……ここまで集まるか!」
城内正門から離れた城下町で、セイラは金色に輝く宝剣を振るいながら舌を打つ。
アカネとカイが二人のドロフォノス罪人を撃破して、その勢いについて行こうとした矢先に濁流のように押し寄せてきたのは「本家」と「廃家」のドロフォノス。混合されたクソ野郎共が、甘いモノに釣られる蟻のようにセイラたちに牙を剥いたのだ。
結果、セイラは城下町まで来る羽目になり、シュンやルイナ、ギンと逸れる始末。
「死ね薔薇の女ァあああああ!」
「……っ! わらわらと。鬱陶しい!」
目つきの悪い男の罪人、最早「廃家」と「本家」の区別もつかないドロフォノスがセイラに向かって魔力弾を放ってきた。
しかし威力はお粗末で練度も低く、隙も何も狙っていない浅はかな攻撃だったから、セイラは何なく切り刻んで、そのままその罪人の男を撃破した。
それで完結すればいい話なのに、次から次へと罪人行進が始まるものだから、セイラはそんな大軍に背を向ける形で走り出した。
逃走ではない。
数が多すぎるから窓を絞るのだ。
「薔薇が逃げたぞ! 追え!」
「薔薇を殺して、オレが次の〈死乱〉だァ!」
「それは私のセリフよ!」
「いや俺だ!」
軽く十五人は超える「ドロフォノス」の罪人が、寄ってたかってセイラの命を狙うべく走り出した。
流石にこの人数を相手にするとなるとセイラでも骨が折れる。しかもまだ本命相手のロキシニア、更には〈死乱〉にも遭遇していない状態で、体力と魔力を消費するのは惜しい。
というか、この数の勢いを見るに、他にも「ドロフォノス」の罪人は控えていそうだ。
そうなると、やはり一人一人相手にしている暇も余裕もないだろう。
それに、早急に皆と合流しなければ。
「No.三。アーセル・ドラゴニクス!」
後方から追いかけてくる罪人たちに嫌気が差して、セイラは疾走を止めて振り返る。
瞬間、彼女の真骨頂を吠えて披露した。
赤色の綺麗な髪がーー金色ポニーテールへと変わる。青色の瞳に、セイラの面影を残した凛々しく美しい顔立ち。金と青を基調とした、けれど質素な雰囲気の鎧に、金と翡翠を混ぜた華麗に光る刀身の剣を握る。
「ーー初手から全開でいきます。哀れな罪人たちに、せめてもの救いを!」
英霊魔法。
過去に活躍した真の英雄を宿すセイラの魔法が閃いた。
口調が、雰囲気が、存在が英雄に近づき、けれど絶大な力を誇るその魔法が。
「クリューソス・ディア・テネブラース‼︎」
天に響く神聖な技が眩い光と共に解放され、セイラを狙っていた全ての「ドロフォノス」罪人を消し飛ばした。
その後、セイラは『ドラゴニクス』を解いて、一度だけ大きく息を吐いた。
「はーーッ。流石に全開過ぎたか。だがエマの一件と違って、今回の奴らはA級だ。酒場の時の有象無象とは訳が違う」
エマの事件時も、セイラは罪人に囲まれ追われた。その時の罪人はB級以下で敵ではなかったが、数が多過ぎて外に出て撃破。
その際は英霊魔法の箇所顕現だったから魔力消費も激しくなかった。
が、全身顕現ともなると話は変わる。
本命たちの前に無駄な消費をしてしまったと、
セイラは少し後悔した。
「やむを得ない、か」
既に行ったことを悔いても詮無いことだ。セイラは切り替えてシュンたちと合流することを優先する。
が、そう簡単に理想通りの行動をさせてくれないのが現実というものだ。
ぬるっと。
城下町ーー「アネモイ」の街並みからーー建物の隙間という隙間から、無数の男女が凶器を持って姿を現したのだ。
そして言うまでもなく。
「全員が「ドロフォノス」か……!」
「「「全員で殺せぇ‼︎」」」
濁流のように押し寄せてきた、数えるのも億劫になるほどのドロフォノス罪人。流石のセイラもこの数は分が悪いと判断し、舌を打ってから逃走撃を開始する。
背中に突き刺さってくる鮮やかな殺意がどこまでも気分を悪くさせる。「アネモイ」の街ーー東西南北に建つ巨大な風車塔ーーその内の一つである「西風車塔」がよく見える繁華街を走り抜け、路地に入った。
ゴミ袋やゴミバケツ、飲食店などで出た廃棄物や廃物品を乱暴に退かしてとにかく走る。
「待ちやがれぇ!」
汚い声が路地に響く。ドロフォノス共が諦め悪く着いてくる。火、水、土、他にも様々な魔法で狙われるが、セイラはそれらを全て紙一重で躱してダメージを避けていた。
魔法を使って迎撃は簡単だが、使うわけにもいかない。数的不利でも魔法なしで倒せるくらいの数までは絞りたいのだ。
「『箇所顕現』。No.三ーー宝剣・カレトヴルッフ!」
名を称して握ったのはドラゴニクスの絶対剣。完全顕現とは違い、剣の色は金と青。しかしその神聖さと圧力に変わりはなかった。
纏めて五人。
まずは五人。
目にも止まらぬ速さで剣技を披露して、罪人共を薙ぎ倒す。
それでも栓を外した水道のように溢れ出てくる「ドロフォノス」出身の罪人たち。あまりにもキリがなく、気が遠くなる感覚がセイラを遅い、苛立ちが上がってしまう。
「……これが狙いか!」
一度に強敵を当てるのではない。
一度に烏合の衆を当てることで体力面も精神面も削り倒し、それらが限界に到達したら強敵を投入する。
気が散れば強敵に集中できず、遅れを取る。仮にそれ以外に殺されればそれはそれで問題は何もない。
向こうは切り札たちを温存できて一石二鳥。
「それに比べて、私たちは個人を強敵にも烏合にもぶつけるしかないんだぞ……!」
消耗。
それに尽きた。
♢♦︎♢♦︎♢
「ーーこれはゲームだぞ。セイラ・ハートリクス」
玉座。
国の王の冠を戴かなければ、本来は座ることすら許されない神聖な、重厚のあるその椅子の背もたれに堂々と背中を預けながら、肘置きに肘を付いて頬杖をつく男がボソリと呟いた。
悪の感情を、闇の寵愛を一身に受けたと思わせる風貌を持つ男。
ロキシニア・ドロフォノスが、他者には見えない盤の上を眺めるように笑みを浮かべた。まるで全て自分の掌の上で踊り続けていることを知らない哀れな人形を眺めているかのように。
「ベロニカが討たれ、バルドルも堕ちた。序盤から上位二席が陥落したのは想定外だが、フルールが残っていればどうにでもなる。戦力差は何一つ変わらず、絶望の味も薄まらない」
〈死乱〉という『ブランド価値』を理解していない駒など用済みだと、遠回しにロキシニアは今この場にはいない敗者の元〈死乱〉の上位二席に告げていた。
〈死乱〉とは罪人世界において頂点に君臨する資格証みたいなもの。
あのレイシア・エル・アルテミス風に言うのなら、書類審査に通って採用の判子を貰った罪人のエリートなのだ。
にも拘らず、無様に敗北するなど度し難い。
「薄まるどころか、味を濃くしたかもしれないぞ。何せ、〈死乱〉が討たれるなど前代未聞。下位席はもちろん、他の「ドロフォノス」も黙ってはいない。自我を出し、欲を出し、功績を残さんと刃を振るい、次期〈死乱〉を狙って貴様らを貪り尽くすだろう」
弱肉強食の究極系。
強者が堕ちれば弱者になり、強者が堕ちれば弱者はその席を狙う。空席となった最強の座を欲する「ドロフォノス」なんて、いくらでもいるのだ。
だからこそその者共で削りに削って、疲弊し切ったところで喉元を掻っ切る。
最初から、だ。
ロキシニア・ドロフォノスは自分が表立って動くことを想定としていない。
盤の上で踊っている駒を自由に操り、自分の想像通りに動かす神の気分でいるだけ。
「アイオリア王国」も。
この国の王女も国民も、王でさえも。
「サフィアナ王国」の『英雄』も、雷神も、剣の姫も。
「ーー最初から敵などではない」
唯一敵だったメイレス・セブンウォーは封印に成功し、第一級特異点のアレス・バーミリオンは消息不明。そして実力が未知数だった雷神は既に許容範囲内であることが知れたのだ。
ロキシニアが出るまでもなく。
ボタンフルールだけで、何事もなく問題を除去できる。
「しかし一方的なゲームなのも興が覚める、か。……ふむ。ならば、こうしよう」
興が乗ることを思いついたロキシニアの顔は、まるで面白い遊びを考えついた無邪気な子供のように瞳を光らせていた。
そしてただ一言、こう呟いたのだ。
「ーートリカブト。やれ」
♢♦︎♢♦︎♢
「ーー仰せのままに。父上」
♢♦︎♢♦︎♢
キン、と。
軽快な、それでいて甲高い音が響いた。
「な、にを……」
唖然として呟いているのは栗色の髪の毛に整った顔立ち、和服が似合いそうな、けれど今はセンスがいいとは言えない過激な服で身を包む、〈ノア〉のメンバーであるユウマだった。
「ーーなんで私の隣にアンタみたいな罪人がいるのよ! 『ドロフォノス』‼︎」
激昂の声色で、ユウマに対して敵意を向けたのは他でもない、同じ索敵班だった、アレス騎士団の女騎士、ナギ・クラリスだ。
ユウマに好意を寄せていたはずの彼女が、つい数秒まで同じ目的を掲げて行動していたはずのナギが、他者を閉じ込め、空間を限定する魔法ーー空箱魔法を行使してユウマを閉じ込めた。
それに今、ナギはなんと言った?
ドロフォノス。そう言わなかったか?
「お、おいナギ……。一体どうしたんだよ、お前」
「どうして私の名を知っている? それに、気安く呼ばないでちょうだい。罪人に呼ばれたら私の名が穢れるわ」
「何、を。何を言ってんだ」
理解不能だった。
なぜこのような事態に陥っているのか疑問で仕方がなかった。
ユウマのことを忘れたのか? 敵だと認識しているのか? なにがどうなっているんだ?
思考がまとまらず、何故か息も切れてきて、透明な箱の中でユウマはナギを真っ直ぐみた。
「ナギ。お前、どうしちまったんだよ。……オレだ。ユウマ・ルークだ。覚えてんだろ、なぁ!」
「アンタなんか知らない。罪人に知り合いなんていないわ。ーーそのまま潰れて死になさい」
極度に冷えた水を全身に浴びせられたかのように、芯から体が凍った気がした。頭が回らず、指先一つ動かせず、ただ呼吸をするだけの物体に成り下がる。
意味がわからないまま意味が分からず、理解できないまま理解が出来ずに。
次の瞬間、ナギがギュッと虚空を握ると、ユウマを閉じ込めていた空箱が凝縮し、そのまま中に入っている「モノ」諸共消失した。
♢♦︎♢♦︎♢
ーー銀に煌めく剣閃が豪華な廊下で唸る。
階下は半分以上が破壊され、吹き抜けのように二階部と繋がっていた。それだけで過激な戦闘が繰り広げられたと想像できる。更には連続的に続いた激音が和らいで、何か一つの大きな戦いが終わったのかと思わせた。
だから、階下の様子を気にしながらも上階を目指すアカネにとって、『現状』は予想外でしかない。
「なんッで! どうしたのよ……ッ!」
カイ・リオテス。
彼がいきなり、なんの躊躇いもなく、それこそ刹那に、まさしく瞬きの間に、隣を並走していたアカネに風の剣で斬りかかってきたのだ。
条件反射で咄嗟に剣を出して防いだが、防御の成功を喜ぶよりも、仲間からの不意打ちを悲しむ心の動きの方が大きかった。
「いきなり何するの、カイ!」
「何をするのだと? 笑わせるな、『ドロフォノス』! 貴様が何故、私の隣にいる! サクラはどうした? どこへやった!」
「……なに、を。何を言ってんのよ!」
「御託はいい。会話をするつもりもない。貴様を殺した後、サクラを捜索する!」
まるで話にならなかった。
というより、本当に話す気がないのが丸分かりな態度だった。
言葉と同時にカイはアカネに斬りかかり、それを再び防いだ後に、銀髪の姫は二本の刀剣を射出して距離を取った。
ズドドッ! と、射出した刀剣は当然のようにカイには当たらず、まるで威嚇射撃の如く彼の足下に突き刺さる。
それもそのはず。
アカネはカイを殺したいわけでも、傷つけたいわけでもないのだ。
「なんのつもりだ貴様。私と戦うつもりがないのか? それとも舐めているのか?」
アカネは剣の柄を握り直して、
「戦うつもりなんてないよ。だってカイは仲間なんだから。……なんであたしが、今更カイと戦わなくちゃいけないのよ!」
確かにレヴィのことでイラついて、本気でぶっ飛ばしたいと思っていた。でもそれは過去の話で、今はそんなことないし、更に言うなら本題ではないのだ。
「目を覚ましてカイ。あたしはサクラ・アカネだよ!」
胸に手を当てて、彼に懸命に伝える。けれど、それでもカイの表情は雲行きが怪しく、まるで信用していない顔だった。
それどころか、自分の仲間を侮辱されたかのような怒りを孕んでいる。
「どこまでも私を、私の仲間を侮辱するのか、『ドロフォノス』!」
冷静になれ。
ここで口論をして、戦闘を繰り広げても意味はない。いくら言葉をぶつけても、今のカイには何一つ伝わらないのはもう明白だ。
しかしこうなったのには必ず原因がある。
まず間違いなく『ドロフォノス』だ。
それも他者が他者に抱く感情や認識を書き換える魔法を使うクソ野郎。
十中八九、〈死乱〉の仕業だろう。
おそらく、仲間を『ドロフォノス』だと誤認させて、互いに殺し合わせるようにしたのだ。
しかしここでアカネをカイが『ドロフォノス』だと誤認させない辺り、使用条件はあると見る。
だが、それでもかなり強力なのは否定できない。
結局互いに殺し合わせるのだから、誤認の対象人数など無意味に等しい。
この状況を終わらせるためには、カイを撃破するか術者を倒すしかない。
前者を選ぶのはクソ喰らえ。
ならば、当然後者を選ぶことになる。
「カイ。待ってて。必ず正気に戻してあげるから!」
意気込んで、アカネがカイに背を向けて走り出した刹那だった。
油断なんてしていない。
十分警戒していた。
背中を向ける危険性は承知していたし、攻撃に対応できるようにしていた。
だから。
たから、だ。
「ーー真風魔法。『極技』ーー風ノ暴乱」
「ーーなっ」
背後から迫ってきた、神の使いを思わせる、翡翠色の幻鳥が直撃した瞬間、アカネは後悔した。
ーー今の自分の背後にいたのが、真風の魔導士だったことを、忘れていたのだから。
♢♦︎♢♦︎♢
「ーー正直、動ける気がしない」
そんな風に呟いたのは、ベットの上で仰向けになっている青白い髪の少年、ハル・ジークヴルムだった。
「だって見てよ俺の体。全身包帯だし全身痛いし。なにこれ、なんなのこれ。俺ってあれなの。大事な戦いの初戦で絶対に退場する魔法でもあるの? 神様に嫌われてるの? つーかここってどこなわけ?」
「すごい一人で喋る。怪我人なことを忘れさせるくらい喋るわ。まぁ、そこがあなたの良い所なのかもしれないけどね」
「何独り言いってんだよオカマスター」
「いやそれアンタ! ていうか誰がオカマスター⁉︎」
などと言い合っているこの場所は、オカマスターもとい、元罪人のカフェインが営むバー店の、奥にある一室。
ハルはベロニカ戦後にノーザンにここに連れて来られ、現在治療されてベットの上だ。
一方で、ベロニカは心臓を自ら抉って、治療不可能なほどの傷を負っている。今は昏睡状態でハルの隣のベットで眠っているが、絶命するのも時間の問題だ。
むしろ、未だ死に至っていないのが奇跡に等しい。
「今はまだ動いちゃダメよ、ジークヴルム。貴方の傷を治すのが先決だし……それにベロニカもどうにかしなくちゃいけない」
と、どこか疲れた様子でそう言ったのは、ベロニカが眠るベットの横に備え付けられた椅子に座るノーザンだった。
敵であり、宿敵。
母を殺し、娘を誑かした張本人であるベロニカを心配する彼女のその目に、復讐心に燃える炎はもう宿っていない。
「ベロニカは大丈夫なのか? なんとかなるのかよ、その傷」
「分からない。でも、死なせたくないわ」
死なせたくない。
そんな言葉をノーザンの口から聞けて素直に嬉しいハルは唇を緩めた。
けれど、嬉しがっている場合でもないのが現実の冷たい所だ。
「ベロニカの胸の傷は、もう治癒じゃどうにもならないわ。それこそ、治癒の上位互換である再生系の魔法を使わないと治らない」
カフェインがそう言って、小さな望みの糸が切れる音がした。
ベロニカは自分で、この傷の意味がきっと分かると言っていたが、未だにそれは分からないし、後悔だけが募っていく。
再生魔法を使う知り合いなど、ハルにもノーザンにもいない。
「けど、ハルくんの傷ならまだ治癒の範疇よ。私の知り合い……まぁ闇医者でよければ紹介してあげるわ。そうすれば全快よ。すぐにでも戦いに行ける」
それだけでも朗報だった。ハルさえ回復すれば勝機はいくらでもあるからだ。
ノーザンはカフェインに微笑みかけて、
「ありがとう、カフェイン。何から何まで」
カフェインはノーザンに笑い返して、
「気にしないで。私とアナタの仲じゃない。それに、ドロフォノスを壊滅させるにはハルくんの力が必要不可欠なんでしょ?」
「……ええ」
「ならいいのよ。私もドロフォノスには消えてもらいたいもの」
「……ありがとう」
「ふふ。さ、ちょっと待ってて。すぐに呼んでくるから」
笑って、カフェインは部屋を後にした。
それからしばらく耳に痛い沈黙が降りて、ハルはなんだか気まずくなって汗をだらだらかき始めた。
なんだろう、友人の友人と二人でいる時に発生するこの微妙な空気。
「……薫風に行った時、注意してほしいことがあるの」
ノーザンが沈黙を破って、ハルを見た。
「注意?」
「ええ。それは〈死乱〉の一人のこと」
「〈死乱〉か」
ベロニカを先にして、〈死乱〉は誰一人として油断ならない相手だとハルは再認識していた。実際、ベロニカ一人を相手してこの状態なのだ。正直に話し、まだ余裕だろと思っていた自分が恥ずかしいくらいだ。
「四席。セリ・トリカブト。彼には気をつけて」
「トリカブト……。なんだかかっちょいい名前だな。みんなで集まってた時に言ってた奴か」
ノーザンは頷いて、
「そうよ。彼の使う魔法は、戦闘系ではないけれど厄介極まりない。下手をすれば、〈死乱〉の中で一番よ」
「そんなになのか……? トリカブトはどんな魔法を使うんだ?」
ノーザンは眠るベロニカの顔を見てから、
「認識変化。相手を『他者』に見せる魔法よ」
「他者に見せる?」
「アナタと私が一緒に行動していたとする。私たちは互いに同じ敵を討つために一緒にいたけれど、トリカブトの魔法を受けるとその認識が誤認されるの。同じ敵……それが私たちになってしまう」
「……どういうこと?」
「つまりね、ジークヴルム。アナタは私を敵として見てしまうのよ。だからその敵を倒すために戦闘になる。戦闘になればどちらかが死ぬか気を失うまで戦うことになる。そうなると、どうなると思う?」
ノーザンの問いかけにハルはしばらく考えて、そしてハッとなった。
「……仲間内でやり合って、こっちの戦力がいなくなるってことか?」
ノーザンは首肯した。
「そういうことよ。これは、単純に敵と戦うより始末が悪いわ。誤認解除された時、互いに待っているのは絶望なのだから」
やっとの思いで倒した敵が、実は仲間だったという胸糞悪い結果を生み出す魔法。催眠、とはまた違う。まさに誤解を招くその力は、強力の二文字に相応しいかもしれない。
もし〈死乱〉第四席、セリ・トリカブトが盤面に出てきたら、事態は悪化して劣悪な環境になるだろう。
「とんでもなく厄介な野郎がいたもんだな……。だったら尚更、早くみんなの所に戻らねぇと」
忸怩たる想いを胸に抱きながら、ハルはベットの中で拳を握る。自分の力を過信しているわけではないが、いないよりかは遥かにマシだと思っている。
ロキシニア・ドロフォノスを倒すことが最終地点ではあるが、そこに辿り着く前に共倒れしたら意味はない。
「そうしてもらいたいわね。今はただ、カフェインの帰りを待ちましょう。……私も早く、テレサを助けにいきたいもの」
「そう、だよな……」
ノーザンの方が、こんな所で油を売っている場合ではないのだと、ハルは眉尻を下げた。
何度も何度も、テレサの救出に失敗して、毎回ロキシニアに邪魔をされて。一番の望みが叶っていないノーザンの気持ちを考えると、胸が張り裂ける思いだ。
ハルはノーザンと約束しているのだ。テレサを助けて、二人が何の憂いもなく笑っていられるようにしてあげると。
「……怪我くらいで寝てるようじゃダメだよな」
「ジークヴルム?」
急にベットから起き上がったハルにノーザンは首を傾げた。体を起こしただけで走る激痛に顔を顰めるが、こんな痛み、ノーザンとテレサが受けてきた数々の悲劇に比べれば大したことないと、自分に言い聞かせる。
が、それでも精神ではどうすることも出来ないほどの傷の深さが、ハルを再度ベットに伏せさせる。
ノーザンはそんなハルを見て彼の元に近づいて、
「無理しちゃダメよ。今のアナタも、死んでもおかしくない状態なのよ」
「……そう、だけど。ジッとなんかしてられねぇよっ」
「気持ちは分かるけど、今は耐えてーー」
「ーー泥犁島の時みたいに後悔したくねぇんだよ!」
後悔に塗れたハルの声が、薬と微かな血の匂いが香る部屋に虚しく響いた。
ハルは体を起こし、それから布団の上で拳を握って、過去の無力さを思い起こすように言う。
「肝心な時にいなくて、誰も助けられなくて、何の力にもなれないのはもうウンザリなんだよ!」
吐露をした切実なハルの感情に、ノーザンはそっと息を吐くと唇を緩めて、それから少年の握った拳の上に手を置いた。
「アナタは誰も助けられなかったわけじゃない。アナタは肝心な時にいなかったわけじゃない。アナタはいつだって、誰かのために戦って誰かの力になっている。……泥犁島で私がロキシニアに体を乗っ取られた時、レイシアと戦ったその後。アナタは彼女を特異点から救ったじゃない。「エウロス」でベルクに恐怖していた私の心を救ってくれたじゃない。……私は嬉しかった。あぁ、この人は本当に本物の英雄なんだって思った。生きていれば、誰かの悲劇に間に合わないこともあるでしょう。そんなのは普通なの。……けどね、アナタはアナタの周りにいる人たちの悲劇には間に合ってるのよ。過去の悲劇じゃないわ。……今の悲劇に。それは誰にでも出来ることじゃない。きっとアナタ……いいえ。真六属性にしか出来ないことで、持ち得る特性なのよ。そんな素晴らしい人間が自分を卑下して後悔しないでちょうだい。アナタは大丈夫。アナタは絶対に、この戦いで数々の人を助けて、悲劇を無くして、みんなを笑顔にすることができるから。だから、だからね、ジークヴルム」
「ーー」
「全快したら真っ先に、みんなを助けてあげて。アナタが戦場にいるだけで、みんなの心は強くなれるから」
「……ノーザン」
微笑んで、ハルの拳を解くように、彼女は優しく彼の五指を開いた。そのまま手を繋いで、自責と後悔を拭い去るように少しだけ手の甲を撫でる。
まるで母親が息子に見せる優しさのようだった。
……どうして彼女はここまで強いのだろう。今すぐにでも飛び出して娘を助けに行きたいのはノーザンだろうに。
それでも我慢して、耐えて、ハルを信じないてくれてて。だから大丈夫だと言ってくれて。
自分のことしか考えていなかった自分自身が心底恥ずかしいと思う。
ハルはゆっくり息を吐いた。
後悔も自責も持つのはいい。
けど今はきっと余計な感情なんだと切り替えるように、だ。
「ありがとう。お前と出会って本当によかった」
「ええ。私もよ」
互いに笑いあって、信用し合って、今はとにかくカフェインの帰りを待つことを選ぶ。
そしてそう思った矢先に、だった。
部屋の扉が勢いよくバン! と開かれると、ハルとノーザンはそちらを見やってあんぐり口を開けた。
……なんか、カフェインがメガネをかけた陰気臭そうな青年を肩に担いで持ってきたからだ。それこそ、なんか誘拐してきたみたいな。
「お待たせ二人とも! 連れてきたわよ、この子が私オススメのヒーラーちゃん!」
「……た、助けてくれ……」
「「ヒーラーが死にかけてるんですけどオカマスター‼︎⁉︎」」




