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最後の異世界物語ー剣の姫と雷の英雄ー  作者: 天沢壱成
風都決戦篇
178/192

『三章』57 その花の名前に終焉を。


「ーーがっ⁉︎」


「これが必殺だ」


 脇腹に深く突き刺さった三日月状の刃を形成したナイフ。レイスは全身に走る鋭い激痛に顔を歪めて血を吐いた。

 一方で、バルドルは柄を握り直し、穴をほじくるように刃を動かしレイスの傷を抉る。その痛みに悶絶し、耐えかねたレイスはナイフを握っているバルドルの手を握り、咄嗟に爆発を披露する。

 が、爆ぜる前にバルドルはナイフを離して後退。しかしおかげでレイスはナイフを脇腹から抜くことに成功した。


 傷は深い。

 だが、死ぬような傷じゃない。レイスは脇腹に手を添えて、軽く魔法を発動ーー脇腹を爆破して暴力的な止血と傷口を塞ぐことを完了させた。


「おー痛そうだな。そんなやり方じゃ、命がいくつあっても足りないぞ」


「余計な、お世話だクソ野郎。こンな傷、大したことねェンだよ。大体、こンなンで勝ったと思ってンじゃねェぞ」


「勝ったんじゃね? 言ったろ、必殺だって」


「何を言って……あ?」


 体に異変。

 血涙。

 吐血。

 耳血。

 そして寒気と倦怠感。


「な、ンだ……っ」


「毒だよ。それも致死率一〇〇%のな」


「おごろァ! ……ふざけ、ンな!」


「大真面目さ。お前はあと、保って五分の命。しかもその状態で戦うことなんざ不可能。お前の負けだよ、レイス・フォーカス」


 残酷な命の残り時間を告げられても尚、レイスの目から闘志の火は消えていなかった。消えるどころか、更に熱を帯びている。まるで毒は着火剤で、制限時間を課せられたことで火種が成長したかのように。

 罪人らしくない罪人を怪訝に思ったのだろう、バルドルが微かに目を細めた。


「……毒されてるな、『英雄』に」


 レイスは脇腹を押さえながら、


「なにを、言ってやがる。オレはオレだ。『英雄』の野郎共と一緒にすンじゃねェよ。オレは、死んでも罪人なンだよ」


「その目だ、レイス・フォーカス。その目を罪人がしちゃいけねぇ。罪人の目は死を恐れて死を愛し、血を拒んで血を求め、強者に臆して弱者に強い目でなくちゃならない。……なのに今のお前の目に宿っているのはーー死を恐れずに血を流すのを厭わない、強者に屈せず弱者を助ける『英雄』の目をしているよ。これを毒されたと言わず、なんて言うんだ?」


 どこか小馬鹿にするようにレイスの眼光を否定するバルドル。しかしそんな風に言われてもレイス自身自覚なんてしちゃいない。というか、バルドルに言われるまで自分がそこまで「下がっていた」ことに気がつかなかった。

 『英雄』、だなんて。

 実に癪だ。癪に障る。

 

 だが、口に出して否定できるほど自信がなかったのも事実だった。

 そもそもバルドルを殺しにきた理由は、シェイナに微かな同情を抱いたことと、地下牢で騙されたことと、妹が生きていれば絶対に倒しに行けと言われた気がするからだ。


 同情と、それを起因として誰かのために戦おうとすることを、人は『英雄』と呼ぶのなら。

 レイスはきっと、それに当てはまるのだろう。


「……毒されちゃいねェよ」


 だが、それを毒されたと称されるのは、違う。


「オレは何も変わっちゃいねェ。誰かのために戦うことが正義だってンなら、テメェらだって「お父様」のために殺しをしてる時点で正義なンだよ」


「屁理屈だな」


「だが。それを正義と呼ぶなら、オレはそれをオレの大義にする。被害の原因になってる悪を殺して誰かが笑えンなら、オレは誰だろうと殺す。それは何も変わっちゃいねェ。オレが罪人になるって決めてから何一つ、変わっちゃいねェンだよ」


 殺人が悪だなんてことは、誰かに言われなくても理解している。けれど、レイスにとって生きるとは殺人をすることだった。そこでレイシャと出会い、殺され、殺人の意味を見出して、クソみたいな世界で醜く生き足掻いた。

 けれど、もしレイスが悪人を殺して誰かが幸せになれる未来があって、涙を流さずに済む可能性があるのだとしたら。

 それはきっと、とても素晴らしいことなんだと。

 死んだらきっと、レイスは地獄にいくだろう。天国のレイシャには会えないけれど。もし会うことがあったら、その時は誇れる自分でありたい。

 恥ずかしくない人生を歩んだのだと、自信を持っ

 だからレイスは血反吐を吐きながら、バルドルに毒を吐いた。


「「ドロフォノス」に毒されて自分の道も定まってねェ野郎なンざに、このオレが負けるわけねェだろォが!」


「……そうかよ。くだらねぇ理想論を抱くのは結構だが、実力が伴ってなきゃ意味ねーぞ!」


 レイスの意思を否定して、バルドルが動く。必殺魔法の発動。レイスの視界からバルドルが消える。

 冷静になれ。

 判断を間違えるな。

 バルドルの魔法は必ず殺せる位置に移動する魔法だ。おそらくそれは、自身が触れた無機物を投擲した場合でも効力は有効。最初の一撃のことを考慮すると、その答えが普通だ。

 そして一方で、それは逆を言えば無機物の場合は「死角」じゃないとあまり意味がない。見えてしまったら必殺なんて遠い話だし、見えたら見えたで対処の仕様はいくらでもある。


 だが、バルドルが直接手を下すとなるとこれは死角の有無ではない。全方位どの角度からも、必ず殺せる位置ならどこにだって奴は飛び込んでくる。


 ならば。

 全方位防壁で固め、意識を「点」ではなく「面」に集めれば、幾分か対応は出来るのではないか?


 確証はない。

 だが、実行する価値はある。

 レイスは自分の周囲ぐるりに爆壁を展開し、目を閉じた。

 目で見ようとするな。 

 音、匂い、魔力の機微。視覚以外の五感で捉えろ。


 必殺魔法。

 奴の能力は強力だが、その弱点はーー、


「ーー火力が少し足りねェンじゃねェかァァ!」


「なに⁉︎」


 ズドン! と。

 芸のない、まさに必殺なだけあって、今まで一撃で仕留めてきたバルドルの単調な一撃をレイスは読んだ。

 背後からの毒ナイフ。

 ナイフは爆壁で防ぎ、愕然とするバルドルを視界で捉えると歯を剥いて笑い、そしてーー、


球爆撃破エクスプロージョン


 右手をバルドルの顔面に添える。

 人間の頭部大の爆発が凝縮、圧縮され、球体に形成。

 空気が焦げ、空間が爆ぜる音。

 

「……まさか、こんな三下に殺されるとはな」


「エクスプロージョン‼︎」


 苦笑したバルドルの、その表情ごと消し飛ばすように、レイスの爆撃が〈死乱〉第二席を貫いた。



♢♦︎♢♦︎♢



 ーー私は死ぬまで変わりません。


 球爆撃破エクスプロージョンをバルドルに直撃させたレイスは吐血して脇腹を押さえる。

 毒で貫かれた傷は深い。が、直接的な傷よりも重大なのはやはり毒だ。レイスに解毒術は使えないし、ましてや近くに治癒魔導士もいない。罪人である以上、毒耐性は少しあるが、それでもバルドルが使用した毒はおそらく生半可な代物じゃないだろう。


 保って五分。

 いいや、そう言われてからもう二分以上経っている。


「チッ。さっさとトドメを刺して、解毒しねェと……」


 ーー私は死ぬまで変わりません。


 技が直撃したとはいえ、やはりトドメを刺してるか否かで安心具合はだいぶ違う。相手は「ドロフォノス」だ、やりすぎくらいが丁度いいだろう。

 レイスは倦怠感が襲う体を引きずるように、遠方で倒れるバルドルの元へと向かう。起き上がる様子はない。完全に意識は絶っていると見える。

 破壊に塗れた花畑のような大部屋で、その光景に悲しむかのように細かな黄色い花弁が散り舞っていた。

 

 折れた木々、萎れた花々を踏みながらレイスは歩く。花の絨毯に倒れるバルドルの目の前へ到着する。

 確実に気を失っている。……いや、死んだのか?

 右手に魔力を込める。

 

「あの世で後悔するンだな」


 ーー私は死ぬまで変わりません。


「ーー俺は生まれつき特殊でよ。どうやら死んでからの方が強いらしいんだわ」


「なっ!」


 ズァ‼︎ と。

 魔力の奔流が吹き荒れた。

 黄色い魔力。〈死乱〉の魔力とは思えないほど優雅で繊細な、美しいと感じてしまうほどの鮮やかな色の。

 その黄色い魔力の渦の勢いに負けてレイスは花部屋の隅まで吹っ飛んで、咳払いをしながら立ち上がる。

 視線の先、散っていた花の色と同じ色の魔力の渦の中心にゆらりと起き上がる影が一つある。


「……テメェ。どういう理屈だ」


「混同魔人体質、って知ってるか?」


 混同魔人体質。

 聞き覚えがないレイスは眉を顰めるが、これはノーザンの体質であった、魔力成長遅延病とは一線を画する『当たり』の恩恵である。

 基本的に、魔法は一人につき一つ。これは生まれつき『魂』に刻まれているか否かで決まり、途中で変化することは絶対にない。

 レイスが爆発魔法しか使えないように、ハルが真雷魔法しか使えないように、アカネが刀剣魔法しか使えないように。

 これはこの世界においての理で、破ることが出来ない掟のようなモノ。


 しかし、そんな掟に一石を投じる体質がある。

 それが混同魔人体質だ。


 その正体は、『絶命した場合魂を入れ替えて蘇生』するという荒技。


 魂と言っても別の誰かになるわけではない。

 生まれつき、同じ人格の人間が二つの魂を混同させているだけ。

 ただし、二つの魂に宿っている魔法が異なる。

 

「俺は生まれつき、一つの肉体に二つの魂を同居ささているんだ。回数制限はあるが、死んだら魂を入れ替えて復活できる。しかも魔法も変わるオマケ付き。……ただまぁ、俺が『魂の入れ替え』をしたのは「お父様」とノリアナを除けばお前が初めてだよ。ーー誇れよ、レイス・フォーカス。お前は今、本物の〈死乱〉第二席を目の当たりにしているんだからよ」

 

「……おもしれェじゃねェか」


 現実は全くもって面白くないが、もうそう言うしかなかった。混同魔人体質? なんだそれはふざけるなと叫びたくなった。回数制限があるとはいえ、死んでも生き返るなど道徳に反してると言っても過言ではない。

 口元の血を拭い、レイスは思考に耽る。

 

 魔法が変わった、ということは。

 必殺魔法ではない。

 もう一度殺しても、また復活する。

 残り時間はあまりない。

 ではどうするか。


「死ぬまで殺してやるよバルドルーー!」


 簡潔的にまとめればそういう話になってくる。殺しても死なないなら、死ぬまで殺せばいいだけだ。時間制限がある以上、殺人回数は限られるが。

 それでも実行に移さないよりかは幾分マシだ。

 レイスは吠えながら悠然と立つバルドルに向かって爆発の球体を連続で放った。

 

 一つ目は半身になって躱され、二つ目は右手で払われて、そのままこちらに走り込みながら毒ナイフで半分に両弾し、最後の四つ目は回し蹴りで弾き返された。

 

「それが出来れば苦労はしないぞ坊主!」


 死ぬ前より運動能力が上昇しているような気がする身のこなしにレイスは目を剥いた。しかし、どうやら死亡に直結した傷以外は再生出来ていない所を見ると、ダメージはそのまま残るらしい。

 とはいえ、レイスがバルドルに与えたダメージは底が知れている。この戦いが始まって以降、派手な一撃はあまり入れていない。


曇天爆靂どんてんばくれき・爆龍‼︎」


 ゴォアッ‼︎ と。

 花畑の全てが灰燼と帰す勢いで、爆撃の威力を最大限篭められた龍が吠えながら顕現した。まさに爆発の龍神が、こちらに迫ってくるバルドルを食い殺さんと唸る。


「ーー鋏魔法。裁断!」


 スパン! と、まるで切れ味が鋭い刃物で薄紙を切り裂いたような軽やかな音と共に、爆龍が頭部から尻尾にかけて両断された。


「な……ッ!」


「鋏魔法だ。俺のもう一つの魔法は。コイツは何でも両断する。際限なく、な」


「ぶった斬ったくらいで舞い上がってンじゃねェぞ、三下ァ!」


「ーー曲線斬り」


 龍神を両断され、その隙間を縫うように駆けたレイスの視界に歪曲に奔る銀閃が見えた。まるで自分が思い描いた自由な切り方を虚空に刻むかのようなその光は、次の瞬間にはレイスの全身を切り刻んでいた。


「あぁぁぉああ⁉︎」


「ーー布切り鋏」


 曲線斬りだけじゃ飽き足らず、更にそこから既存の裂傷を深く抉るかのように銀閃が奔った。

 舞い散る血飛沫と、赤く染まる花弁たち。

 頽れるレイス。

 白目を剥いてーー、


「……ッ! 勝った気でいンじゃねェ!」


「その根性だけは認めてやるよ! ……いや、そろそろ限界か?」


「ごっ」


 ダン! と倒れそうになったところを力強く床を踏んで耐えたレイスだったが、体に異変が生じた瞬間膝から崩れた。

 毒。

 勢いで無意識下に置いていた毒の効力が、ついに全身に回ったのだ。全身から切り傷以外の原因で出血が起こる。

 襲いかかる倦怠感と寒気、それから嘔吐感。指先から痺れ始め、ついには全身が麻痺状態に陥った。


「……く、そ」


「寂しい幕切れだ。……だが、これが現実だよ、レイス・フォーカス。お前じゃーーお前たちじゃ、俺たちにゃ勝てない」


「ふざ、け、ン……なーー……」


 途切れて、途切れて、途切れて。

 〈死乱〉第二席の前で、一人の罪人が……。



♢♦︎♢♦︎♢



 ーーお花畑みたいに綺麗なこの部屋が好きだった。

 いい香りがして、あの人みたいな匂いがして、あの人みたいに優しくて。


「だから、この場所で戦って、死人が出るなんて絶対に許されないんですよ」


 花で作った髪飾りが特徴的な少女が、どこからともなく現れた。

 メイド服に身を包む彼女ーーミモザはゆっくりとレイスに元へ。

 そんな彼女を止めるどころか、バルドルは驚愕の色に支配されていた。


(……なんだ。コイツは確かシェイナ姫の側近だよな? なぜここにいる。いや、そもそもどこから現れたんだ?)


「ここは妃様が愛した花部屋です。シェイナ様とレヴィ様が、毎日モイラ様のために花を編んでいた場所です。……シェイナ様が、髪飾りを作ってくれた場所です。そんな思い出のある部屋で、何をしているんですか、あなた方は」


 悪い子を叱る親のように一喝するミモザの、シェイナの横にいた時とは打って変わって雰囲気が違う。

 敵意を孕んだ両目がバルドルを射抜いて、奇妙な違和感を抱く〈死乱〉第二席。


「大人しい印象だったが、花は花でも毒花の類だったか」


「いいえ。私はシェイナ様の側近です。それ以外の何者でもありませんよ」


「はっ! ぬかせ!」


「大人しくしてください」


 バルドルが笑って飛び出した刹那、ミモザの一声が彼の疾走を止めた。まるで鬼を目の当たりにしたかのように、バルドルの顔から余裕が消える。

 もはや足を止めるだけでなく、後退までする始末だ。


「大人しく、してください」


「……ははっ。何者だ、お前」


「ーー言ったはずよ。私の側近だってね!」


 ミモザの不気味さに怪訝になったバルドルへ、答えを示すかのような声と共に現れたのは一人の王女だった。

 黄色がかった緑の髪を長く伸ばし、風の女神を連想させる美貌を持つ少女。ゆらりと揺れているのは絵本に出てきそうなお姫様が着ているドレスだが、裾のあたりから膝下までバッサリと乱暴に切られている。まるで動きやすく自ら鋏が何かで切ったかのようだ。


 颯爽と現れーーシェイナ・ペルセポネはレイスとミモザの前に立ち、戦闘態勢に入った。


「おやおや。誰かと思えば、逃げ腰が椅子から離れなくて引きこもっていたお姫様じゃねぇか」


「誰かと思えば。三席に負けたくせにいつまで経っても二席の背もたれにしがみついてる哀れな罪人のおっさんじゃない。元気してた?」


 互いに舌戦を譲らない。

 デリケートな部分に触れ合いながらも、隙は見せていなかった。

 シェイナは戦闘中において敵から視線を外すというタブーを犯しながら、真後ろで倒れるレイスに目をやった。

 眉尻を下げて、ミモザに問う。


「レイスは任せても平気ね、ミモザ」


 ミモザは頷いた。


「はい。まだ微かに息があります。この方は必ず救います」


「これは命令よ、ミモザ。その約束、死んでも守りなさい」


「仰せのままに」


 二人の信頼関係を目の前に、バルドルが失笑した。


「目に痛い信頼関係だが、その小僧はもう手遅れだよ。俺の毒の致死性は一〇〇%だからな」


「それなら何とかなりそうです」


「なんだと?」


 花の髪飾りを風に揺らすメイドのミモザが、レイスに手を添えて笑った。


「即死性がない時点で、私の魔法の適応内です」


「……どうゆう意味だ」


「私の魔法は再生魔法。どんな傷も病も、私の前では無に等しい」


「……再生魔法、だと。ーー成程。治癒系の上位互換か。さっきお前から感じた違和感の正体はそれだったか」


 治癒系魔法は空気中に漂う魔素と対象者の魔力循環を利用する。

 が、再生魔法は少し違う。

 魔素にも頼らず、対象者の魔力循環にも頼らない。

 再生。

 文字通り、術者の魔力のみで対象者の傷と病を、綺麗だった頃まで「戻す」ことができる。


「ですから。あなたはシェイナ様に集中しといた方がいいですよ」


「あん?」


「だってシェイナ様、今すごく怒ってますから」


 ミモザが不敵に笑った刹那、バルドルの頬が歪んだ。正確には、頬から衝撃が始まって目、鼻、唇、最終的には顔面全てが波打って、不細工に歪む。

 シェイナ・ペルセポネ。

 彼女が怒りの形相で拳を叩き込んでいたのだ。


「長女をナメんなやぁぁあああ!」


「あぐぁああああ⁉︎」


 まさに怒りの鉄槌。

 ここまで積み重なってきた恨み辛みをぶつけたかのような一撃が見事にバルドルを吹き飛ばす。

 母が好きだった、お気に入りの部屋だとしても遠慮なく、だ。

 更に畳み掛けるように、シェイナは壁際まで吹っ飛んだバルドルを追いかける。花の絨毯を背にしているバルドルが起き上がり、目を剥いた。

 第一王女が、王女らしからぬ所作で、破れたドレスのスカートなんて気にせずに、疾走によって威力が増した回し蹴りをバルドルの腹部に叩き込んだのだ。


「おごぉぉああ⁉︎」


「まだまだァ!」


 壁にめり込んだバルドルが激痛で叫ぶ。しかしその言動に慈悲を与える暇もなく、シェイナは両手の拳を握った。

 小さくほっそりとした手から放たれたとは思えない威力を誇った暴力的な連打が、バルドルをめった撃ちにする。

 ズドドドドドドドドドド! と、全身くまなく殴り続ける。


(な、なんだこの威力は……! ただの身体強化でここまでのパワーが出せるのか⁉︎ いや、無理だ。身体強化にも限度がある! ……まさか、第一王女の魔法はーー!)


「私の魔法はただの「身体強化」よ。ただし、魔力による身体強化に上乗せが出来る!」


 魔力による身体強化は全身に巡らせる魔力の速度、質……術者の練度で大きく上下する。シェイナの魔力操作技術はそこまで高くはない。身体強化も一般的なモノだろう。

 だが、それを喰らって向上させるのが彼女の魔法だ。

 単純計算として、今のシェイナの膂力と速度、体の耐久性は魔力による身体強化を果たした魔導士十人分に及ぶ。


 つまり、バルドルは十人の魔導士が身体強化した拳を纏めて喰らっているようなモノだ!


「この国の問題は、この国の人間で片をつける!」


「……! それが出来ない十年だったはずだろうが!」


「だから! 今この瞬間が好機なのよ!」


 今まで何もしてこなかった。いいや、出来なかった。しようとしなかった。妹一人に全て任せて、姉の責任を放棄して、現実逃避をして、部屋の隅で膝を抱えて丸くなることしか選択肢としてなかった。

 けど、今は違う。

 ようやく巡ってきたのだ。飛び切りの『英雄』たちが来てくれた。レヴィが連れてきてくれた。

 美味しい所取りなのはわかってる。自分が有利になった瞬間これみよがしに生意気になって前に出ることがどれだけ恥ずかしいことなのかも理解している。

 

 だけど。


「ここで拳を握らなくちゃ、皆に誇れる王様になんてなれないのよ!」


「……ッ! この、調子に乗るなよ王女擬きがァ!」


 言い得て妙なバルドルの発言にシェイナは笑う。矜持を傷つけられた感覚はあるが、それでも今は笑える。

 ボコボコと殴り続け、我慢の限界かのようにバルドルが動いた。シェイナの拳をパシッと掴んで止めて、そのまま血を吐きながら投げ飛ばしたのだ。

 しかしそんなことで怯む第一王女ではない。空中で体を回転させて優麗に着地し、一歩めの踏み込みで爆発的な速度を得てバルドルに迫る。

 

「なんつー運動能力をしてやがんだ!」


「それが私の魔法。アンタがどんな魔法を使っていようとも、それを使わせなきゃいいだけの話なのよ!」


 暴論。

 力技。

 しかし理に叶っている理論にバルドルが奥歯を噛んだ。

 レイスの状態をみるに、こいつの魔法はおそろしく強力だと思える。一度でも喰らえば逆転されて全員殺される。

 

「さぁ。更に上げるわよ。ついて来れるかしら!」


「クソ野郎ぉおおおおおおお!」


 殴打。

 顔面、顔面、顔面、顔面。

 腹、腹、太腿、脇腹、右頬。

 左脚、股間、鳩尾、眉間、左頬。

 

 暴力の連打、まさに力の荒波が、この上なくバルドル・ゲッケイジュの命を刈り取る。


「……が、はぁ……ッ!」


「これで終わりよ、バルドル・ゲッケイジュ!」


 壁にめり込み、多彩な花々の花弁が舞い踊る優雅な花部屋の中、バルドルが血に塗れて腫れ上がった顔でシェイナを捉える。

 彼女は最大限拳を握っていて、解き放たれたら最後、死に至ることは明白だった。

 振り抜かれる。


「ーーお前の母親を玉座に招待したのはこの俺だ」


「……っ!」


 ピタリと、だ。

 魂にまで重低音として響く卑しい声色から発せられた醜悪な言葉の羅列に、シェイナの破壊的な暴力を起こす手が止まる。

 いま、目の前で瀕死になっている男はなんて言った?

 決定的な、それも許されることがないことを言わなかったか?


「気にならなかったのか? どうして母親が玉座の間に行ったのか。旦那に誘われた? いいや、二人で話すことがあれば部屋でいい。「お父様」に誘われた? いいや、アイツは「お父様」を勘繰っていたから、二人で会うようなヘマはしない。……そうなると、第三者の介入が疑われるんじゃないのか? しかも、意図的にその光景を誰かに見せる為に」


「……まさか」


「第二王女に母親殺害の瞬間を見せるために、俺が妃をあの場へ呼んだんだ」


 足下がボロボロと崩れ落ちる感覚があった。ともすれば立っていられないくらいに。

 そんなことがあっていいのかと、シェイナは未だにバルドルの言葉が信じられず、逃げるように数歩下がってしまう。

 あんまりだ。

 そんなの、あんまりじゃないか。

 確かに気になってはいた。疑問視はしていたが、そこまで深く考えてはいなかった。

 しかし言われてみれば、何故あの日、あの時、母は玉座に赴いたのだ? あの期間、ロキシニアが台頭していて玉座の間には殆どアイツしかいなかったことを母は知っていたはずだ。

 だから一人で行くなんてことはありえない。


 目の前にいる男が母を騙し、母を殺したんだ。

 わざわざ、レヴィに見せつける形で。


「……お前がッ」


「滑稽だったよ。アイオリアの行く先を話し合う為に三人で会うことを促したら、すぐに行ってくれたからなぁ。妃が「お父様」のことを勘繰って、「ドロフォノス」を良く思っていないことは分かっていたからなぁ。騙し甲斐があったよ。……ネザーコロシアムの時もそうだ。第二王女も母によく似て騙されやすい。お前たち王族は、所詮俺たちの駒に過ぎないんだよ!」


「オマエがぁぁあああ!」


「激昂して好機を逃す。哀れで仕方ないよ」


 ドスっ、と。

 悲劇に塗れた母の死の真相に発狂して殴りかかった刹那、華奢な腹部ど真ん中に鋭い痛みが発生した。

 視線を下げると、そこには突き刺さっているナイフが一つ。

 ごふっと血を吐いて、血涙を流して、耳血を出して、力が抜けてくみたいに後退して、膝をついた。


「これ、は……ッ」


 バルドルが卑しい笑みを浮かべて立ち上がった。


「毒だよ。そこで倒れてる小僧と同じ毒だ。まぁ、メイドがいれば解毒されちまうが……その前にオマエを殺して、次にメイドも殺せば万事解決。最初からオマエらに勝ち目なんてないんだよ!」


 血に濡れた悪魔が嘲笑い、シェイナの中で屈辱が爆発する。

 ここまでやってもダメなのか、と。

 どこまでいっても「ドロフォノス」の掌の上で、足掻いたとしてもただ盤の駒でしかなくて、踊り続けることしか出来ない哀れな道化なのか。

 あと一歩なのに。

 あと一歩で勝てるのに。

 

「ちくしょう……ッ」


 悔しくてたまらない。

 自分の無力さが悔しくて仕方がない。

 レヴィにだけ重荷を背負わせて、利用されて、シェイナは利用価値すらないと言われているみたいに過去のことで『何もされていなくて』。

 どうしたってシェイナには変えられない。

 この国の現状も。

 妹を守ることも。

 自分のために戦ってくれた『英雄』の少年すら助けることが出来なくて。


「ちくしょうッ」


 血を吐いた。

 涙を流した。

 鉄の匂いがした。

 きっと毒なんてなくても、血の涙を流していたと思う。


「英雄共がいようとも。この国の結末は変わらない! 泡沫の理想を抱いたまま死ね、第一王女!」


 鋏魔法。

 対象を一刀両断する極悪な魔法が牙を剥いた。



♢♦︎♢♦︎♢



「ーーだから。泣くンじゃねェって言ってンだろォが」


 一刀両断されるはずの未来が爆発して変わる。

 不可視の鋏がガラスが砕ける音と共に霧散して、爆発のオレンジ色を伴ってキラキラ舞い散った。花弁と共演され、一時の間嘘みたいに綺麗な光景が広がった。

 

「……オマエ」


 予想外。

 まさに想像だにしていなかったことが目の前で起きて、バルドルの表情が一変する。

 初めての顔だった。

 余裕でも、驚愕でもない。


 ーー恐怖。


 理解できない恐怖が恐怖になって、恐怖が恐怖を呼んで、頭の中を恐怖が支配する。


 それもそのはず。

 いくら再生魔法があるとはいえ、毒は全身を巡っていたし、それ以外の傷も軽傷とは言えない。

 回復したとしても、立ち上がることなんて不可能に近いのだ。

 ましてや罪人が、根性や気合、温情を理由にボロボロになってでも立ち上がるなんて。


 それではまるで……それじゃあまるで!


「英雄にでもなったつもりか、レイス・フォーカス‼︎‼︎‼︎」


「英雄なンて雷神だけで間に合ってンだよ。オレはオレだ。ーーただし。罪人のまま罪人を殺して、理不尽をくまなく爆殺するS級だ」


「……ふざけるな。ぽっと出の罪人が! 成り上がったばかりのクソガキが! 「ドロフォノス」の闇と戦って勝てると思っているのか⁉︎ くだらない理想論を並べて立ち向かえるほど、この血筋の闇は浅くないぞ! レイス・フォーカスぅぅぅううううううううううう‼︎‼︎‼︎」


 もうバルドル・ゲッケイジュという罪人に余裕なんてなかった。

 とにかく理解できない恐怖を排除したそうで、シェイナの前に悠然と立つオレンジ色の髪の毛の少年に向かって突進してきた。

 混同魔人体質。

 死んでも魂を入れ替えて復活する奇跡を使うバルドルだ。二回目を殺しても復活するかもしれないが、その時はその時だ。

 死ぬまで殺すと決めた。

 そして、生き返りたくないと思うほどの『絶望』と『恐怖』を与えれば、どうなる?


「テメェらの闇なンて知ったことじゃねェンだよ! 女ァ泣かせてタダで済むと思ってンじゃねェぞ三下がァァああああ‼︎‼︎‼︎」


 魔法を忘れたバルドルの突進からの打撃を躱し、奴の勢いを殺さずにレイスは爆発を纏った鉄拳でクソ野郎の顔面を捉えてーー。


「ごろぶぉあーー‼︎⁉︎」


 まるで大砲のように。

 〈死乱〉第二席。

 バルドル・ゲッケイジュが吹き飛んだ。



♢♦︎♢♦︎♢



 白目を剥いて完全に意識を失っていたバルドルを、ミモザが叩き起こした。


「……ッあ。な、なにを……ッ」


 まだ意識が薄い。視界が白く霞んでいる。かろうじてシェイナ姫の専属メイドの顔が見えるが、それだけだ。

 だが、このまま瀕死を装っていれば、逆転の機会はある。魂は入れ替わっている。あと数回は死んでも生き返れる。

 

「死んでも生き返れる。そう思っていませんか?」


 不穏な言葉。

 ミモザの表情が暗く落ちる。

 

「私の魔法は再生ですが……その逆も出来るんですよ」


「……まさか」


「あなたが死ぬまであなたを『退化』させます。あなたは短時間で生き死にを繰り返しますが……果たしてその苦痛に、絶望に、恐怖に。耐えることが出来るんでしょうか?」


「……やめろ」


 薄く笑ったミモザ。

 花部屋で作られた花の髪飾りが怪しく揺れる。まるで戦いで散っていった同胞たちを弔うように、ミモザの花の髪飾りが発光する。

 その淡い紫色の光の影が彼女の表情を冷えさせて、見る者に怖さを与えるモノに。

 震える。

 体が震える。

 歯がガチガチと鳴る。

 怖い。怖い怖い怖い。

 死にたくない、しにたくないしにたくない。死にたくない死にたく死にたく死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死にたくない。


「これは私とあなただけの秘密ですよ?」


「助けてくれーーッ!」



♢♦︎♢♦︎♢



 ーー死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生。死。蘇生……。



 ゲッケイジュ。

 花言葉は「勝利」、「栄光」、「栄誉」。

 また、「私は死ぬまで変わりません」。


 ーー変われたかどうか、分かるのは本人だけだ。

〈死乱〉第二席戦、これにて終幕です。

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