『三章』54 剣の姫になれなかった二人の王女の話③
ーー「アイオリア王国」は変わった。
温厚で優しかった父はもういない。
母が死んだ時、国も死んだのだ。国王である父が国にとっての矜持なら、母は国の優しさそのものだった。
民はロキシニアを英雄視したが、中には彼を疑問視する者もいた。だからそれら派閥が敵対することも多々あったり、王城の中でも権力争いという醜いいざこざが収まることはなかった。
ロキシニアを慕う貴族、国王を軽視する貴族、民。
「アイオリア王国」は、ゲイル・ペルセポネが治める国ではなくなりつつあった。
ロキシニア・ドロフォノスの台頭が、全てを狂わせたのだ。
彼が当主を務める「ドロフォノス家」が「アイオリア王国」を本拠地として腰を置き、そしてロキシニア直属ーー「ドロフォノス家」の先鋭部隊である〈死乱〉が、実質、王家の護衛部隊となった。
「ーーキミの父上はとても素晴らしい男だ」
「……」
〈死乱〉、その第一席。
ロキシニアの次に強いと謳われる男が、十七歳になったシェイナにとって、一番憎たらしかった。軽薄で、傲慢で、不遜で、自分が完璧だと疑わないその精神性が、実に。
黒より黒い髪も、服も、目も、全てが。
「こんなオレたちに、こんな豪邸をくれるなんて。器の大きい男じゃないか」
「……別にアンタたちにあげたわけじゃない。仕方がないから住まわせてるだけよ。勘違いしないで。……それに、アンタたち罪人が平気な顔して過ごせるのも、今の内よ」
「へぇ。それはどうして?」
「私が王になるからよ」
「……そいつは面白い。キミがもし王様になったら、この国はもっと愉快になるだろうな」
「今にみてなさい、クソ野郎」
「楽しみにしているよ、シェイナ様」
本気で王になると決めた発言を、どこまでも馬鹿にする第一席。
ここで噛み付いても殺されるのは火を見るより明らかだから、シェイナは耐えた。必死に耐えた。罪人共が我が物顔で生活している王城は、本当に嫌だったけれど、それでも耐えた。
実際、ロキシニアの功績は大きいのだから、ここでシェイナが謀反を起こせば王になるとかの話ではない。
いつか、必ず。
この国を救って、あの最凶たちを倒してくれる仲間を見つける。
一人は目星をつけている。
風の真六属性である、カイ・リオテスだ。
十二歳ながらも、〈鴉〉に属していて実力はかなりある。将来性も踏まえると期待は大きい。
「……雷神と、剣の姫がいればいいのに」
淡い期待が、儚い望みが、シェイナの胸を焦がす。
剣の姫になれなかった第一王女は、御伽話の女英傑を羨望してしまう。
『薨魔の祭礼』の時、ローラ・アルテミスはどうしたのだろう。どうやって、魔神の恐怖から民を救い出し、神様と協力したのか。
状況は全然似ていない。
でも体感的には今の絶望は『薨魔の祭礼』に匹敵する。
四方八方どん詰まり。
すでに詰んだ盤の上。
四面楚歌。
「ほんと、バカね。そんなことを焦がれても、現実は容赦ないっていうのに」
自嘲して、嘆息して、明るくない未来を不安がって、この先どうすればいいのか分からなかった時だった。
「シェイナ様は、とてもご立派です」
と、シェイナ専属メイドであるミモザがそう言ってきたのだ。花の髪飾りが特徴的な彼女は、物心ついた時から一緒にいる。母が死んだ時も、レヴィと喧嘩した時も、いつだって隣にいた。
「どうしたのよ、いきなり。褒めても何も出ないわよ、ミモザ」
「何もいりません。何も欲しくありません。……私は、ただ。シェイナ様の想いがバカだとは思わないだけです。思いたくないだけです。雷神にも剣の姫にも焦がれる気持ちは分かります。この国は変わってしまいましたから。あの二人がいれば、きっと悲劇なんて打ち砕いてくれることでしょう」
「なら。尚更私が出る幕なんてないわ。二人の英雄を探す旅に出た方が、よっぽど建設的よ」
「理想に縋るより、現実に向き合った方が建設的ですよ、シェイナ様」
「……」
これにはさしものシェイナも言い返せなかった。
続け様に、ミモザは言う。
「向き合って、打ちのめされて、それでもなんとかしようと思えるシェイナ様は、本当にご立派です。私だったら折れていることでしょう。……ですからどうか、諦めないでください。理想を夢見るシェイナ様よりも、現実を理想にするシェイナ様の方が、よっぽど『らしい』です」
「ミモザ……」
彼女はある意味、誰よりもシェイナのことを理解している人間だ。ともすれば、血の繋がる家族よりも。そう思えるほどの時間を、シェイナは確かにミモザと過ごしている。
だから、存外に否定なんて出来なくて、笑い飛ばせるはずもなくて、逆上する道理もこの世界には理由として存在しなかった。
「シェイナ様で。……いいえ。レヴィ様とシェイナ様のお二人で、この国を変えるのです」
確信めいた言い方だった。
本当に、シェイナとレヴィならなんとかしてくれると疑っていない声色だった。
ならば、と。
それに応えなければ主ではないだろう。
シェイナは大きく息を吸って吐いて、それからミモザに笑いかけた。
「ええ、そうね」
喧嘩をしている場合じゃない。
二人で協力して、必ず「ドロフォノス」を追い出すんだーー。
♢♦︎♢♦︎♢
『ーー大嫌いなお姉様へ』
「ミモザ! 大変よ、レヴィが……!」
それは一通の手紙だった。
シェイナが二十歳になり、レヴィが十六歳になった日。
最愛の妹が、手紙を残して姿を消した。
『こんな風に置き手紙を書くなんて想像してなかったけれど、今はこれが最善手。それに、手紙だと愚姉に茶々を入れられる心配もないしね』
「どうしよう、ミモザ……。レヴィがいなくなっちゃう! 早く探さないと!」
「急いで他の者にも探させます!」
月夜が映える、星々がしゃらんと音を立てそうな綺麗な闇の中。微かに冷たい夜風が髪を揺らす、三月。
レヴィの失踪は王城内で騒ぎになり、大勢の騎士や使用人、メイドが探した。草木を掻き分けて、城下町の隅々を、東西南北に点在する小さい村々も、全てを。
しかし、そこまでしても結局レヴィが見つかることはなかった。
『きっと今、お姉様のことだから私を探しているんでしょうけれど、残念だったわね。私はもうその頃にはアイオリアにはいないわ。ちょっとやることがあってね、その目的を叶えるために、旅に出ることにしたの』
「どこ行ったのよー! レヴィ!」
『旅の目的は言えないけれど、いずれこれが正しかったのだと証明する時が必ず来る。……まぁ、何をどう言ったところでお姉様は私が言うことを信用してくれないでしょうけど』
「お願い、返事をしてレヴィ! お願いだから!」
『四年前。お母さんが殺されたあの日からこの国は変わった。ううん、変えられたの。あのロキシニア・ドロフォノスに。全てがアイツの掌の上で、私たちはその上で踊る人形に過ぎなかった。……もう一度言うわ、お姉様。私は嘘なんか吐いていない。お母さんは、ゲイルとロキシニアに殺されたの。……そしてこの国には、私たちの想像を遥かに超える闇がある。『呪いの孤高』と呼ばれる王位継承儀式、罪人を国の名目と謳って殺し合わせる『ネザーコロシアム』。命の徴税を行う「エウロス」。他にも沢山の闇がある。私はそれら全てを撤廃して、必ず元凶を討つわ』
「信じるよ! 全部信じる! 私が悪かったから……! だからお願い、返事をしてレヴィ!」
『だからそれまで、この国を頼むわね。私が絶対にアイオリアを救ってみせる。……それと、これは私の勝手な願望なんだけれど、次会うことがあったらその時はーー』
「……お願いよ、レヴィっ」
『ーー仲直りをしましょう』
「……一人に、しないでーーッ」
子供みたいに。
本当に、大切な人と別れたことが心の底から悲しくて泣いている子供のように、シェイナはわんわんと泣き続けた。
誰もいない。
この国に、味方なんて誰もいない。
父は変わり、母は死んで、それでもなんとか生きてこれたのは、喧嘩をしてしまったけれど最愛の妹がいてくれたからだ。ミモザだって側にいてくれたけれど、やっぱり妹の存在がシェイナにとって大きかったから。
そんな妹までいなくなったら、この先シェイナは何を心の糧として生きていけばいいんだ。
くしゃりと、レヴィからの手紙を強く握った。
土で汚れた服と顔のまま、シェイナは静かな林の中で涙を流す。
「私は、レヴィみたいに強くないからッ。レヴィみたいに優しくないから。だから、一人にしないで欲しかったよ……っ」
どうして、一人にするの。
どうして、二人で変えようって言ってくれなかったの。
どうして、信用してあげられなかったの。
どうして、こんなにもシェイナは間抜けなの。
どうして、妹を信じてあげられなかったの。
信じてあげてれば、今頃はーー。
「……けて」
泣きながら、だ。
風で揺れる林の木々や葉の音を耳にしながら、シェイナは呟いた。
本当に、無意識の内に。
「助けてよ……ッ。雷神様、ローラ様ぁぁぁ……ッ」
世界の最後の砦にして、最初の英雄。
どうか、どうかお願いします。
本当にいるのなら、また優しい国に戻れるように、家族と笑い合えるようにしてください。
「会いたいよッ。レヴィ……!」
ーーそれから四ヶ月後、「アイオリア王国」の全てを知ったシェイナは、記憶を失ったレヴィと地下牢で再会したが、未だに『仲直り』をする兆しはなく。
それでも彼女はこの国に英雄を連れてきてきた。
雷神を。
だからシェイナがハル・ジークヴルムと出会った時の衝撃と感動を知る者は、ミモザ以外知らない。




