『三章』53 剣の姫になれなかった二人の王女の話②
――お姉様には確かに王の器があるとは思う。
それでも立派な王になれるかと問われたら、返答は濁すことしかできなかっただろう。
シェイナ・ペルセポネは、我が強すぎる。
それは王家の血筋なら仕方のないことかもしれないが、自分の目標を定めたらそれしか見えないのが彼女の欠点だ。
それは言うなれば、それ以外は蛇足でしかなく、理想を叶えるためなら手段を選ばず、またそれ以外の結果がどうなろうと知ったことではない。
王にとっては大切な取捨選択を確かに併せ持つシェイナだが、この世の全てがその思考回路で正しいとは限らない。
危険だと思った。
シェイナが王になったら、上っ面は幸せでも箱の中を覗けば灯りが点いていない世界が待っていると。
疲弊し、悲観し、憎悪する国が。
だから自分が王になれば問題ないと思った。
それすら傲慢な考えだと自負しているけれど、自分の失敗を糧にシェイナが次世代のリーダーになれば何も問題ない。
いわば、踏み台。
シェイナが真の王になるための捨て駒。
それこそが、レヴィ・ペルセポネの役目なのだ。
優しい王様になる。
カイ・リオテスという、たった一人の親友との約束だ。
彼の生き様、環境、そして彼の人間性が、レヴィに気づかせてくれたのだ。
この世界は、一人でも優しい王様がいれば良くなる可能性を秘めていると。
「私は間違っていない」
「――間違ってるかどうか。正しいのかどうか。それは今のレヴィが決めることではないよ」
「アイオリア王国」の首都であるアネモイが一望できる王城のバルコニーで、国王である父がそう言った。
夕暮れ時だった。
そよ風が涼やかで気持ちがいい時間帯。
「もしいつか。レヴィが王になった時に、民が決めることだ」
「……お姉様を騙して良かったのかどうかを?」
「それだと言い方が悪いな。レヴィがお姉ちゃんを助けてよかったかどうか、だ」
父は人聞きが良いように言葉を変えるけれど、レヴィがシェイナの気持ちを裏切って自分の心境を優先した事実は変わらない。
だから自分が納得する理由は自分で作るしかなくて、噛み砕くしかなくて。
「……嫌われたくない」
それは王を目指す者の言葉ではなかった。
一人の妹として。
姉に嫌われたくないと。
泣きたくなる気持ちを必死に堪えているレヴィに苦笑して、王である父は彼女の頭を撫でた。
「嫌うわけないじゃないか。シェイナはレヴィのお姉ちゃんなんだから。姉妹は仲良くあるべきだ。互いに支え合い、競い合い、高め合っていける。それがレヴィとシェイナなんだよ。だから大丈夫。嫌い嫌われることなんて、世界が滅んでもありえない」
「ほんとう?」
「もちろん」
父が笑顔でそう言うから、そうなのだろう。
だから父の言葉をレヴィは信じた。
嫌われたくないし、嫌うこともなく。
だから、レヴィは愚直に王を目指す。
ーーそれが正しいのだと、自分に言い聞かせながら。
♢♦︎♢♦︎♢
ーー妹に嫌われてなくて安心している自分が心底醜くて、シェイナは一人自室に閉じこもっていた。
王になるとあれだけ豪語しておいて、偉そうなことを言っておいて、妹の意思表示に、妹の覚悟に返す刃も見当たらなかった。
結局、シェイナ自身も分かっていたのだ。不安になっていたのだ。自信がなかったのだ。自分に王が務まるのか。本当に自分なんかでいいのか。そういった、他者には分からない懸念が渦巻いて、足を取られて溺れてしまっていた。
息ができない。
空気が欲しい。
自信がない。
自信がほしい。
「……私はお姉ちゃんも、王様も失格だ」
妹に諭された。
いいや。
妹に救われた、と言った方がいいのか。
レヴィの言う通り、自尊心に塗れたまま王位を継承していたら、愛するこの国はどうなっていたのだろう。
自覚はない。
ただ、妹は一番近くにいた存在だ。だから嘘なんて吐くはずもない。だから信憑性は確かにあって、だから無自覚に信用できた。
共民と呼べない自分が王様になっていたら、きっと優しく在れなかっただろう。
そうしたら、後悔に打ちのめされて、卑下して、苛んで、自責の念に押し潰されていた。
そんなのは嫌だ。
だから何も言えなかった。
言い返せなかった。
「……それでも。王様になりたかった」
自分のためなんかじゃない。
みんなのために。
誰もが笑って、幸せに暮らせる素敵な国にしたかった。隣国である「サフィアナ王国」のように清廉で、綺麗で、魔法が美しい国に。
あのお伽話に出てくる英雄たちがいるような国に。
「……諦めない」
俯いていた顔を上げた。
「私だって……」
王様になりたい。
それだけは、絶対に。
♢♦︎♢♦︎♢
ーー事件が起きたのは、八月二日。
夏の日差しが肌に痛く、しかし夜になると微かに風が吹いて過ごしやすい月。「アイオリア王国」に吹く風は、他の国よりも優雅で穏やかで、誰もが和む一夜。
そんな月夜に、激震が走る。
「アイオリア王国」に存在する、特異体質の一族、「クレタの民」が住む村が襲撃に遭った。
襲撃者は「サフィアナ王国」のS級罪人と呼ばれる極悪人。「クレタの民」の異能を狙って不法入国を果たし、殲滅した男。
「アイオリア王国」、その王家直属の魔導士部隊が編成されて討伐に向かうも敗れ、計り知れる強さを誇示した、〈四重奏〉。
誰もが絶望し、国家滅亡が危ぶまれたその時、とある男が台頭して〈四重奏〉の撃破に成功した。
名を、ロキシニア・ドロフォノス。
「ーー本当に助かりました。どんな言葉を尽くしても、この感謝を伝えきれません」
玉座、ではなく。
高位な客人をもてなす応接室で、国王であるゲイル・ペルセポネが、異質な雰囲気を醸し出す男に礼を述べていた。
その様子を、その背中を、シェイナとレヴィはそれぞれ見つめていた。父の隣には妃である母がいて、母も頭を下げていた。
「礼には及びません。たまたま通っただけに過ぎないのですから。それに、この国の剣である〈鴉〉が先に出動し、〈四重奏〉を消耗させていなければ、おそらく殺されていたのは私の方だったでしょう」
謙虚な口ぶりに父も母も寛大だと驚嘆して表情を柔らかくする。
ロキシニアが起こした結果は実に褒め称えられるべきものだ。実際、王家だけでなく、貴族や民衆にまでその名と功績が広まり、そして賞賛されている。
それでも、なぜだろう。
シェイナもレヴィも、どこかこの男が信用ならなかった。
不気味なまでの空気感、目つき、顔。それから隠そうともしない溢れに溢れた魔力量。本当に同じ人間なのかと疑いたくなるほどの、その実力。
「そう言ってもらえて、こちらとしては頭が上がりません。……それで、ロキシニアさんは何故この「アイオリア王国」に?」
「少し旅をしていましてね。自らの夢を叶えるために必要な物を収集しているのですよ」
「夢、ですか? 失礼でなければ、お伺いしても?」
「もちろん。ーー私の夢はただ一つ、私がこの世界で、誰よりも自由に生きていけることです」
友人や、それこそ近しい人間に見せるような笑顔でそう言ったロキシニア。
彼が語る夢は壮大すぎて幼い姉妹にはあまり理解できなかったが、自由になるために必要な物を集めているのだと、それだけはわかった。
父は「その夢が叶う助力をしましょう」と言って、母は少し不安気になりながらも「……そうですね」と頷いていた。
そして〈四重奏〉襲来から時を待たずして、「アイオリア王国」を魔獣が襲う。まるで演出したかのように、見計らっていたかのように、ロキシニアは魔獣を倒して更に地位と名誉を上げた。
誰もが感謝した。
流石に、レヴィもシェイナも感謝した。
母は微かにロキシニアを危険視していたけれど、それでも国が救われたことに変わりはないから、感謝した。
感謝したのだ。
誰もがロキシニア・ドロフォノスという男に。
「ーーそれでも。私はあの人が怖くて」
シェイナとレヴィが父と母の部屋に遊びに行こうとした夜だ。
部屋の前まで来ると、二人の話し声が聞こえてきて、耳を澄ました。
「ロキシニア・ドロフォノス。私も彼を調べた。どうやら彼は「サフィアナ王国」でS級指定罪人にされている男らしい」
「……道理で、あの鋭い魔力を放っていたのね。それじゃあ、どうしてアナタはあの人の味方をするの?」
「味方、というわけではない。ただ、私はこの国を救ってくれた結果に対しての褒賞として、彼に優待遇を与えいるだけだ。事実、彼がいなければこの国は二度滅んでいる」
「……そうだけれど、もしその二度があの人自身が演出した舞台装置だったとしたら、この国に何が起こるか予測がつかないわ」
「考えすぎだ。それに大丈夫。もし彼がこの国に牙を向けたならば、私が命を賭してこの国をーーお前たち家族を守るよ」
「アナタ……」
カッコいい言葉をいいながら、父は扉の隙間からレヴィとシェイナを優しく見つめていた。
覗いていたことはバレていたようだった。
安心した。
ほっとした。
父がそう言うなら大丈夫だと。だって、一度も嘘を吐いたことがない父だから。
ーーそれなのに。
♢♦︎♢♦︎♢
ーー母が死んだ。
その訃報は、シェイナの心をズタズタにするには十分すぎる威力があった。
母は殺されたのだと、父からそう言われた。
罪人に殺されたのだ。その罪人は父によって討伐されたという。
皆が悲しんだ。
国が悲しみに暮れ、涙を流し、国葬が執り行われ、別れを惜しんだ。
未来が暗闇に染まっていく感覚だけが、足が重くなるような感覚だけが、心が死んでいく感覚だけが、シェイナをどこまでも蝕んでいった。沈殿された無感情に等しい絶望が濾過されることはなく、ただひたすらに枯れることのない涙だけが、彼女の感情を表していた。
一年後。
シェイナはその長い月日を、ただ部屋の中で過ごした。
何もする気が起きなかった。
何もしたくなかった。
母が死んでから、何もかもが変わったからだ。
父は冷酷になり、無感情になり、ロキシニアが実質この「アイオリア王国」の権威を振るって。
優しかった、穏やかだった「アイオリア王国」は身を潜めつつあった。
しかし、そんなとある日だ。
「ーーお母さんは罪人に殺されたんじゃない!」
レヴィが扉を勢い良く開けてそう言ってきた。
「レヴィ? 何を言ってるの?」
「私は見たんだ。お母さんは罪人に殺されたんじゃなくてーーお父さんとロキシニアに殺されたんだ!」
「え?」
何を言っているのかさっぱり分からなかった。まさか、いくら嫌いとはいえロキシニア、いいやそもそも父を犯人扱いするなんて。
「そんなわけないでしょ、レヴィ。誰かのせいにしたい気持ちは分かるけれど、お父様が罪人に殺されたと言っていたじゃない。……それに」
何があっても守ると約束してくれた父が、母を殺し、シェイナとレヴィを悲しませるはずがない。
「お父様はお母様を心から愛してたわ。殺すはずがない」
「……なんでッ」
目の前でレヴィが膝から崩れ落ちた。力なく声を出し、そして俯いた顔をバッと上げるとシェイナを睨みつけた。
それは、そう。
控えめに言っても姉に向ける目ではなかった。
「なんで信じてくれないの! 私は確かに見たんだから! 逃げようお姉ちゃん! ここにいたらダメだ! みんな殺されちゃう!」
「……レヴィ」
お姉ちゃん、だなんて。
そんな風に、甘えたように呼ばれたことなんてなかったから。嬉しい反面、けれどやっぱりどこか信じれなくて。
「いい加減にしなさい! そんな妄言を、誰が信じられると言うの! 私だってお母さんが死んじゃって悲しいの! でも、だからってお父様を疑うなんて家族がすることじゃないでしょう!」
「……ッ! ーーどうして、信じてくれないのッ」
「……信じられるわけ、ないじゃない」
「分かった……。じゃあもういい。もう、私は貴女を姉とは慕わない」
突き放すように。
淡く揺れていたロウソクの火を消したかのように、レヴィの目からシェイナに対しての愛情と信頼がふっと消えたのがわかった。
冷えた視線。闇を孕んだ目。
射抜かれて、たじろんで、しかし引くことは出来なくて、シェイナはまっすぐレヴィを見る。
どんな顔をしているのだろう。
鏡を見て見なきゃ分からないけれど。
「さようなら。……大好きだったよ、貴女のこと」
一度聞いた質問の答えが、変わる。
おそらく、もう変わることがないような気がして。
「……私は。大好きよ」
きっと今、どうしようもなくみっともない顔をしているのだと、そう思った。
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