『三章』52 剣の姫になれなかった二人の王女の話。
――ペルセポネ家に生まれた第一子は女の子だった。
「アイオリア王国」の長い歴史の中で、歴代王位継承者に女性はいない。
その理由は単純で、女の権威では民の信頼性を確保できないからだ。女だから、という浅はかな理由だけではない。
古くから、「ペルセポネ家」の王位継承に伴って実施される儀式――『呪いの孤高』において女の精神性だと耐えられないのが要因の一つでもある。
いることにはいた。
王に相応しい人格を持ち合わせているカリスマ性のある女性が。
しかし結局、どれだけのカリスマ性を持ち合わせていようとも、精神性が『呪いの孤高』の凶悪さに耐えられることはなかった。
結果、「アイオリア王国」の歴代国王は男性に統一されることになった。
それでも、王位に興味がない王族などいない。いたとしても、それは少数だろう。大多数は王位に興味を持ち、己が国家を導くことに飢えている。
それは、とある姉妹の長女も変わらなかった。
「――ワタシは絶対に王様になるわ」
幼いながらにして威厳と誇らしさを併せ持つ雰囲気の女の子――シェイナ・ペルセポネは王城・薫風の大庭で堂々とそう言ってのけた。
小鳥が囀り、長閑な風が吹き、木漏れ日が穏やかな日中のこと。
シェイナは絵本に出てくるようなふわふわなドレスを身に纏いながら腰に手を当てて王になることを高らかに告げて、それから隣に座って退屈そうに花を摘んでいる妹――レヴィを見た。
「レヴィ。貴女は私を支えなさい。私が王になるために」
「……別にいいけど、退屈そうだね」
レヴィの興味のなさそうな反応にシェイナは嘆息した。妹であるレヴィは、どこか向上心に欠けている節がある。本当に王族の、シェイナの妹なのかと疑いたくなるほどに。
しかし、そんな彼女を責めたり咎めたりしないのは、やはりペルセポネ家の人柄がある意味露骨に出ているからと言っていいだろう。
先代の王は過激派で有名だったが、今代の王であるシェイナたちの父――ゲイル・ペルセポネは実に聡明な男だ。
民を下民とは呼ばずに、共存する民――「共民」と呼称するほど優しく寛容な王だ。
だから自分の娘に向上心がなくても、王という立場に興味を示さなくても、それ自体をとやかく言うことはない。
「ま。退屈かどうかは私が決めることだわ。でも、一つ言うとするのであれば」
「?」
「私が王になったら、退屈なんかさせないわ、レヴィ」
その上を目指す向上心が剥き出しの刃物のように危ないと感じたレヴィの心中を、この時シェイナは知らなかった。
♢♦︎♢♦︎♢
シェイナとレヴィの母親は、とても温厚で、春の花々のように穏やかな、美しい妃だった。
滅多に起こることはなく、いつも笑って頭を優しく撫でてくれる人だった。民からの信頼は、下手をすれば国王よりもあったかもしれない。支持率だけを見れば間違いなく同等の力を持つ存在。
それでも自らの力を誇示することなく、またその権威を主張し傲慢に振る舞うこともなかった。
そんな王妃だったからこそ、誰もが彼女が放つ光に目を眩ましながらも見上げることに苦を感じていなかったのだ。
「お母様は、お父様のどういう所が好きになったの?」
とある日。
妃である母が宮廷料理人に頼んで国王である父の誕生日にケーキを作って渡すと知って、シェイナはその手伝いをしていた。
顔に生クリームをつけながら、甘いチョコを湯煎して溶かしているシェイナが母に問うた。
馴れ初め、というやつを。
「そうねぇ。優しいところかしら」
母はシェイナの顔についた生クリームを指で取ってそれを自分の口に運びながら実にありきたりな返答をした。
それにシェイナは少し頬を膨らませて、
「なんかつまらない。もっとなんか、特別な理由があるのかと思ってた」
「あら。優しいところも立派な特別よ」
「そんなの。私だって優しいもん」
「ふふ、そうね。シェイナはレヴィに優しいものね」
家族に好意は優愛を向けるのは至極当然のことで、それを特別だと思ったことは一度も思ったことがない。だからそれを特別だと認識している母の言葉の真意を、シェイナは分からなかった。
「それも特別なものよ。誰かに優しく出来ることは、誰にでも出来ることじゃない。だから誰かに優しい人は、誰かにとって特別な人なのよ」
「優しいなんて、当たり前だよ。特別でもないわ」
「それが当たり前だと思ってる時点で、シェイナはとても立派な女の子よ。お母さんは誇らしいわ」
春の木漏れ日のような笑顔を向けてきた母に頭を撫でられて嬉しいシェイナは、しかし結局母が何を言いたいのかわからなかった。
とにかく、母は父の優しさに惚れた、ということなのだろう。
確かに父は優しい。自慢の父だ。いつか父を超える立派な王になりたいと思っている。
だからこそ、母が父のどいうところを好きになったのか知りたかった。母が想いを寄せる父の全てを知って、将来の自分の成長の種にして発芽させるために。
「レヴィは、本当に王様になりたくないのかな」
ぼそりとシェイナは言った。
母はシェイナが仕上げたチョコをケーキに塗りながら、
「あの子はそういう地位に興味がないのよ。……というより、レヴィはシェイナを信用しているから、自分が王様にならなくても大丈夫だと思ってるのかもね」
「レヴィが私を? まさか、そんなことないわ。だってあの子、私の夢を退屈だって言ったんだから」
「あの子にとって、シェイナが王様になることは当然だと思ってるから。だから今更シェイナが王様になるって言っても退屈って感じるのかもね」
「……レヴィは、私をそんな風に思ってくれてるの?」
そんな兆しなんてなかったし、そう思っている雰囲気なんてまるでなかった。むしろ、姉だと認識されているのか、はたまた見下されているのかさえ。
しかしそんなことはないと母は告げ、それから母は完成したチョコケーキを見て満足気に頷いてから、
「だってシェイナはレヴィのお姉ちゃんなんだから。妹が姉を信じてるのは当然のことでしょう? シェイナが誰かに優しくすることが当たり前だと言うみたいに」
「……」
レヴィのとっての当たり前が、シェイナにとっての当たり前と同義なのであれば。
その誠意に応えなければ姉として失格だと思った。レヴィの、妹の期待を裏切るようなら、王の器ではないと。
嬉しかった。
レヴィから直接言われたわけではないけれど、素直じゃない妹が、自分のことをそこまで慕っているという事実が。
「私。絶対に優しい王様になるよ、お母様」
母は素敵な夢を見ている娘が心底微笑ましそうに、
「未来が楽しみね」
――それから数日後、レヴィが行方不明になった。
♢♦︎♢♦︎
一週間後、レヴィは城に帰ってきた。
どうやら妹は両親との遠征中に逸れた結果、最寄りの小さな町でお世話になっていたという。
心配して損をした、と言ったら流石に口が悪いかと思われるが、レヴィはこちらの不安なんて知らないとばかりに普通に暮らしていた。
しかし、一週間前とはどこか違った。
垢が取れたような。
もしくは、棘が折れたような。
ともかく、レヴィは人が変わったように明るくなった。
「お姉ちゃん。強くなるためにはどうすればいいの?」
親愛なる妹が神妙な面持ちで相談があると言ってきたから何事かと思えば、まさか自分が常に感じている焦燥感を話題に茶菓子をつまむなど想像できなかった。
強くなる。
一見、国を統治する者には必要なさそうに思える武力の向上心だが、とても重要なことだ。
王は王だが、王だからこそ誰よりも強く在らねばならない。
「そんなのこっちが知りたいくらいだけれど……。そういえばレヴィ、貴女って確か固有魔法が発現したのよね?」
レヴィはシェイナの部屋の中央に鎮座されている高級ソファに腰掛けながら瀟洒なテーブルの上に置かれたチョコクッキーを手に取って、
「うん。風袋魔法。魔力で作った自分専用の亜空間に風を閉じ込めて自由に使える魔法」
「良い力ね。じゃあその風を閉じ込めれる上限は?」
「今はまだ突風くらいだよ」
「じゃあ嵐くらい閉じ込められるくらいになれば、少しは強くなるんじゃない?」
腑に落ちたような顔をしたレヴィを見て、シェイナは微笑んだ。
レヴィが王の座を狙っているとは思っていないけれど、手強い相手を生んでしまったか。
「じゃあ少しだけ。頑張ってみようかな」
「私も。レヴィに負けないように頑張るわ」
互いに競争し合う仲。
それは姉妹という関係性において実に理想的な形であった。高め合い、認め合い、信頼し合って。そうやって家族は団結し成長していくのだろう。
でもそれは。
同じ目標がないことが大前提で。
だから、レヴィが王を目指していると知った時、裏切られた気分になった。
だって、レヴィは王に興味がないって。シェイナが王になることが当然だって、そう言ったのに。
「私を騙したのね、レヴィ!」
パン! と。
頬を打ち抜く平手の音が、王城・薫風の長い廊下で響いた。外は曇天に覆われていて暗く、ゴーゴーと風が強く吹いていて、嵐がやってくる前兆の荒々しさがあった。
「……騙してなんかない」
赤く腫れた頬を気にせず、垂れた前髪の隙間から覗くのは冷たく鋭い視線。
妹が姉に向けるとは思えない、冷徹な。
シェイナは心中穏やかではない様子でレヴィに畳み掛けるように言葉を吐く。
「玉座に座るのはこの私よ。それを支えてほしいと言ったじゃない。王に興味ないって言ったじゃない!」
「気が変わったの。私も王を目指すことにした。だからお姉様には負けない」
「その反抗的な目! 態度! イライラするわ! 貴女はあの小さな村に行ってから変わってしまった。あんな下民たちが住む汚らしい村に何があったって言うのよ!」
「……お姉様に、王の資格はない」
バッサリと、突き放すようにそう言われ、シェイナは瞠目し数歩下がった。まるで妹に臆したかのようで、自分自身に嫌気が差した。
唇を噛んで、微かに躊躇って、それから小さく息を漏らすように言った。
「どんな権利があって。理由があって、そんなことを言うの」
「民を下民って呼んでるお姉様じゃ、優しい王様にはなれないよ」
「――!」
否定できない、確かに腑に落ちる説得力がレヴィの言い分にはあって、シェイナは言葉を失った。
優しい王様を目指すなら、より良い王様を目標にするのなら、父親のような偉大な王様を越えたいなら、国民を下に見るような表現方法は、言われてみれば確かに間違っている。
「……レヴィも下民って言ってたじゃない」
「言ってたわ。でもそれは間違ってるって気づいたの。――私は、共に歩む民と込めて、共民と呼ぶわ。私はこの国を、お姉様が掲げている思想よりも良い国にしたい」
「……」
何も言い返せなかった。
その通りだと思ったから。
四歳も離れてるのに、四歳しか離れていないのに、妹のレヴィの方がよっぽど先の事と国のことを考えていた。
何がレヴィを変えたのか。
何がレヴィの心境を変えたのか。
明確な敗北感が、シェイナの心を芯から襲っていた。
まだ十歳の妹に、十四歳の姉がみっともなく言い返せない。
「私のこと、嫌いになったの?」
涙声だと自覚していたけれど。
悔しいけれど。
聞いておきたかった。
「なってないわ。お姉様のことは今もずっと大好きよ。……でもね、私はお姉様よりこの国を良くできる自信があるの。――ただ、それだけなの」
大好きだとレヴィに言われて安心している自分。
自分よりも良い王様になれると言われて落ち込む自分。
どちらが本当の自分か分からなくて、レヴィが目の前からいなくなっていたことにさえ気づいていなくて。
外は雨が降っていた。
雷もなっている。
窓を激しく雨が打つ。
その濡れた窓に映っている自分の顔が情けなくて、頬を伝う雫が涙なのか雨なのか、分からなかった。




