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最後の異世界物語ー剣の姫と雷の英雄ー  作者: 天沢壱成
風都決戦篇
170/193

『三章』49 開幕戦ー終


 なにがどうなっている。

 突然の出来事に頭が追いつかない。

 落ち着け。冷静になれ。状況を把握しろ。

 

「のー、ざん……ッ」


 意識が途切れそうになるのを堪えて、ベロニカは血に濡れた手を必死に伸ばす。前方、力無く横たわるノーザンがいる。見た限りだと傷はないが、意識不明なのが心配だった。

 それにしても、だ。

 何が起こった?

 雷神の叫び声が聞こえた刹那、目の前が爆ぜた。それも黒い魔力の奔流が。

 その余波が、名残がまだ眼前に広がってる中、そこでゆらりと蠢く影が一つ。


「――失態だな、ベロニカ」


「……ッ」


 その声は、心臓を鷲掴みにして握り潰してくるような圧力を孕んでいた。

 ゾッと身震いしてしまうほどの恐怖が、声を伝ってベロニカを縛りつける。

 誰だ、と。

 そんな定番通りの疑問を抱くことはなかった。

 声を聞いただけで、この恐怖を抱き締めているだけで、正体が誰なのかすぐに理解した。


 黒い魔力の奔流の余波が消える。

 いつのまにか静止している好愛空間の中、影が明確な形となって姿を現した。


「お前もノーザンも、テレサも。どうやら躾が必要なようだ」


 パーマがかった真っ黒な髪に、光を孕まず、夜の闇を凝縮したような双眸。顔立ちは三十代後半の男のソレだが、滲み出る威圧感と覇気、それから凶気は長年生きてきた者だけが出せるオーラだった。

 紫色のマントを羽織り、赤と黒のを基調とした服は、王族に負けず劣らない優雅さと品を醸し出している。が、どこか不気味な雰囲気を感じるのは、やはり色合いが血と闇を連想させるからか。


 いいや。

 きっと着ている張本人が、あまりにも……。


「……おと、うさま」


 ロキシニア・ドロフォノス。

 「ドロフォノス」の頂点にして、ここに至るまでの全ての悲劇の元凶が、好愛空間に突如として現れたのだ。

 突然の介入に、さしものベロニカも瞠目する。

 この展開は予定にはなかった。

 本来ならここでベロニカはノーザンに殺されて、テレサの好愛空間の恩恵で雷神は全快して、全員が手を繋いで未来に進めるはずだった。

 

 なのに。

 これはどういうことだ。


「予定外、と。そう言いたそうな顔だな、ベロニカ」


「――ッ」


 心の内をロキシニアに読まれ、ベロニカはビクついた。


「どうしたベロニカ、その体たらくは。お前は〈死乱アッカド〉第三席のはずだ。私はそんなお前に無様な姿を晒してほしくはないのだが?」


「も、申し訳、ありません……っ」


 立たなければ今殺す。言葉は違うがまるでそう言われているようだった。魂にまで刻まれた恐怖が、歯向かうことなど生まれる前から許されないという概念が、ベロニカの足を動かす。

 破けた腹から大量の血が溢れてくる。臓物が出ることはなさそうだが、それも時間の問題だろう。無理に動けば文字通り張り裂ける。


「それでいい。……あそこで倒れてるのがノーザンだな。回収するとしよう」


 命を削るような行為にも等しい、ベロニカの起立を軽く見た後、すぐにロキシニアはノーザンに目をやった。

 立って当然。

 だから特に褒めることもない。ロキシニアのオーラがそう告げていた。


 その、冷酷にして無慈悲な男がノーザンに向かって歩み出そうとした瞬間だ。


「お前がロキシニアかァァァ!」


 と。

 怒号を上げながら全身に雷を纏って突進してくるものが一人。

 ハルだ。

 雷神の様相をした彼が、ロキシニアに向かって殴りかかる。

 息も絶え絶えのベロニカは、その瞬間に思った。

 傷が癒えていない。

 私が与えたダメージは、確実に彼を蝕んでいる。

 にも拘らず、どうしてそこまで動けるの?


「雷天磁玉!」


 猛スピードで駆けているハルがロキシニアに腕を伸ばして掌を向けた。直後、人間大の雷の球体が顕現し、磁場を歪ませながら奔った。

 向かう先はロキシニアだ。


「こざかしい」


 パン! と。

 雷天磁玉をまるで羽虫を払うような軽い動作で霧散させたロキシニア。しかしその結果に驚く様な無様なリアクションを取るハルではない。

 ワンアクションを挟んだその僅かな時間の間に、ハルはロキシニアの懐深くに潜り込んでいる。

 握れ。

 拳を。

 ようやく会えた、愛しささえ覚える憎き相手が目の前にいるのだ。

 ノーザンと、その家族。

 レヴィにカイ。

 そして泥犁島で起きたアカネとの一戦を思い出せ。

 容赦をするな。

 

 全力全開の一撃を、ほくそ笑むクソ野郎の顔面に叩き込む!


「雷拳ッッッ‼︎‼︎‼︎」


 まさに落雷の激音が、拳の着弾点で爆発する。四方八方に飛散する雷帯とその粒子。ビリビリと震え上がる好愛空間。余波だけでも死人が出てもおかしくない絶大な一撃が、見紛うことなくロキシニアの顔面を捉えていた。

 時間が止まる。

 ひしひしと緊張が伝わってくる。

 

 そして。


「羽音が五月蝿いな」


 ジロリと。

 ハルの拳が顔面にめり込んだまま、ロキシニアが見た。


「ブンブンと。甘い匂いに釣られて小蝿が湧いたか」


 直後。


「その薄汚く光る羽を引き千切ってやろう」


 ズドン! と。

 ハルの腹部ど真ん中に得体の知れない一撃が直撃し、体がくの字に折れた。派手に吹っ飛ぶことはない。ただ、純粋な暴力がハルの上半身を貫いたのだ。

 不意打ち。

 いいや、理解できない、許容できない攻撃にハルの目が白く剥いた。


(な、なんだ……! 何が起きた! わからねぇ。……わからねぇけど、やべぇ!)


「まだ息があるな、羽虫」


「……ッ」


 殺意が直射日光の様に眩しい。意識が途絶しかけているにも拘らず、ロキシニアの殺意が赤と黒に彩られて輝いているのがよく分かった。

 だからこそ。

 遮断されかけた意識を表に持ってくることに成功できた。歯を食いしばり、改めてロキシニアを視界に収め、何か仕掛けてくる雰囲気を醸し出している罪人の王に向かって再度雷を纏った打撃を繰り出した。


「おォア!」


 まさに文字通り血反吐を吐きながら鋭く吠えた。戦意喪失はしていない。そんなものとは縁のない関係だ。

 何をされたか分からないなら、今は分からないままでいい。とにかく、この一撃を入れてダメージを……、


「羽虫はやはり、払うのではなく『潰す』に限る」


 そっとため息を吐く様に、ロキシニアが呟いたその瞬間、殴り掛かろうとしたハルの全身を、見えない何かが左右から包み込む様に挟み込んだ。

 ズチュン! と。

 まるで巨人の両手に挟まれたような衝撃が、容赦なくハルを襲う。

 激痛も激痛。

 白目を剥いたハルが血を吐いた。


「が……ッ」


「形が残っていては、意味がないか」


「――ジークヴルム!」


 力なく倒れるハルにトドメを刺そうとするロキシニア。だが、その直前に気を失っていたはずのノーザンが目覚めた。

 ロキシニアが何かをしようとした刹那、ノーザンが目にも止まらぬ速さでハルを抱いて回避に成功する。

 崩壊が止まっている好愛空間のクッキーで出来た地面を削りながら失速するノーザン。

 彼女は視線を下げてハルの生死を確認する。

 息はしているが、完全に気を失っている。


「ジークヴルム……ッ」


「何の真似だ、ノーザン」


 冷めたく。

 ロキシニアが問うてきた。

 ノーザンは頬を伝う冷や汗を拭わずに、


「守ったのよ。アナタの殺意から。お祖父様」


「……随分な賭けに出たものだ。よもや、私の目の前で雷神を庇うとは。光に照らされ希望を見出したか、出来損ない」


「光ならずっとあった。ただ、私が見ようとしていなかっただけよ。……アナタの悪意は、もう終わる。この子が必ずそれを成し遂げる。……この子こそが。私の希望」


「……言ったはずだぞ、ノーザン。夢は醒めたら夢ではないと」


「ならきっと。まだ夢から醒めていないのよ。まだここは、夢の途中」


 ノリアナが目の前で殺された時、ノーザンはロキシニアと〈死乱〉に対して『いつか真六属性が倒しにきてくれる』と豪語した。

 それが今だと悟ったのだ。

 そのことを、その淡い幻想を、夢物語を、ロキシニアも覚えていた。

 心底バカにして、嘲弄して、蔑んで、惨めだと表現しているその声色。


 理解して、それでもノーザンは腕の中にいるハルを見る。

 

「雷神は、絵本通りだった。紛うことなく、英雄だった。……勝つわ、必ず」


 言いながら、ノーザンはロキシニアを睨む。

 確証があるわけではない。ロキシニアの強さは身をもって知っている。

 その上で。

 勝てると言っているのだ。


「……おもしろい。ならば、私のところまで来い」


 顔では笑わず、しかし言葉では愉快そうにロキシニアは言うと、そのままノーザンたちに背を向けた。

 戦闘中ではあるまじき行為。

 あるいわ、強者故の余裕なのか。


薫風ヴァンシュタインで貴様らを待とう。私のもとへ到達したならば、直々に相手をしてやる。せいぜい足掻いてみせろ。雷神、ノーザン」


 グニャん、と。

 ロキシニアの目の前の空間が歪んだ。罪人の王はそのままとぷんと中へ歩いていく。

 その背中を見ながら、ノーザンは言う。

 去る前に。

 これだけはどうしても訊いておきたかった。


「――お母さんのことを愛してた?」


「……」


 ロキシニアは答えない。


「お母さんが死んで、涙一つもなかったの」


「……」


 ロキシニアは答えない。


「お母さんは、アナタにとって「ドロフォノス」の歯車のひとつでしかなかったの?」


「……」


 ロキシニアは言葉を吐かない。

 ノリアナの実父にしてノーザンの実祖父であるロキシニア・ドロフォノスは、好愛空間の歪みの中へと溶けるように消えていく。

 そして。

 姿が完全に消える直前に、こう残した。


「――愛など。数百年前に置いてきた」


 瞬間。

 ロキシニアは姿を消して、同時に好愛空間もガラスが弾ける音と共に霧散し、ハルとノーザンは結局テレサを見つけ出すことが出来ずにこの世界から消失することになる。

 落下。

 暗闇に落ちる。

 転送先がどこなのか、検討もつかない。

 けれど、ノーザンはしっかりとハルを抱きしめながらこう思う。


 ……悲しい。

 憎しみはあれど、ほんの少しでもロキシニアに『愛』があれば、ノリアナは死ななかったかもしれないのに。

 それすら、そんな淡い期待すら、あの男は。


 涙が出た。

 悔しくて堪らなかった。

 じゃあ、なにか。

 最初から『愛』なんてなくて、生まれた時から歯車の役割しかなくて、ロキシニアにとって「ドロフォノス」の人間は『本当の意味でただの道具』に過ぎないと。


「……ノーザン。ノーザン」


 声がした。

 落下中、横を見る。

 ノーザンが傷を負わせた敵、母の仇である女、ベロニカ・オックスフォードブルーがいた。

 そうだ。

 まだコイツがいたのだ。

 だがマズイ。

 今ここで攻撃されたら雷神を庇いきれ――、


「ごめんなさい」


「……え?」

 

 余りにも予想外。

 不意に、不測にベロニカがそう言ってきて、ノーザンは唖然とした。

 ごめんなさい?

 あのベロニカが? ノーザンに?


「……なんのつもり」


「深い意味はないわ。ただ、謝るわ。これまで貴女にしてきて言動と行動の数々に、心からの謝罪を」


「……」


 訥々と紡がれる彼女の罪悪感に、ノーザンはどう受け応えすればいいか分からなかった。ただ、瞠目して、血を流しながら落下するベロニカから目を離せない。


「今更都合がいいのは分かっているけれど。私が貴女たちにしてきたことが赦されるわけではないけれど。……ずっと貴女に謝りたくて、酷いことをしてきたと自覚していたから」


「……遅いわよ」


 ぼそりとノーザンが呟く。

 ハルを抱き寄せながら。

 英雄に焦がれる少女が大好きな絵本を抱きしめるように。


「謝罪なんかされても絶対許さない。許すわけがない。赦されるわけがない。アナタはお母さんを殺した事実は変わらないし、私を拷問したことも不変だし、テレサを道具として使っていることも揺るがない。……それなのに! 今更泣いて謝ってきても許すわけがないでしょう! そんな都合よくないのよ、この世界は!」


 叫ぶ。

 吐露。

 ノーザンは息を切らしながら、胸に詰まっていたモノを吐き出すようにベロニカに怒鳴りつけた。

 甘くない、甘くないのだ。

 そもそも、被害者が加害者を赦す世界線など、そうあるわけではない。銀髪のお姫様ならきっとその選択をすることもあるだろうけれど、少なくともノーザンには出来なかった。

 母を殺し、娘を雑に使い、自分を拷問した相手を、赦せるはずもなかった。


「……アナタがたとえ、お母さんと仲がよかったとしても――ッ!」


「……! ノーザン、貴女気づいて――」


 ベロニカは心底驚いていたが、ノーザンからすれば不思議な話だ。どうして気づかれていないと思ったのだ。まさか、ノーザンが本当に母に叱られたあの日以降地下牢獄に足を向けていないと本気で思っていたのか?

 会えなくても。

 会う勇気がなくても。

 母の温もりを、匂いを、気配を感じていたかったから、あの頃のノーザンは毎日ノリアナのもとへと赴いていたのだ。

 

 だから知っている。

 ノーザンは知っているのだ。

 ノリアナが、母が、ベロニカ・オックスフォードという、自分の地位を奪った人間と友人だったことを。


 だから。

 いいや。

 だからこそ、赦せないのだ。


「……どうして」


 泣きながら。

 鼻水と涙で顔をくしゃくしゃにしながら、ノーザンは言った。


「どうしてあの時お母さんを、助けてくれなかったの……ッ」


「……ッ」


 友人なら。

 笑い合っていた仲なら。

 助けてくれてもよかったのに。

 都合がいいのはわかってる。それがとても難しいことも。あの状況でそんなことが出来る人間は、きっと「ドロフォノス」の中にはいないことも理解している。

 でも。

 想わずにはいられない。

 もし、もしだ。

 もしあの時、ベロニカがノリアナを助けてくれていたら、今とは違う未来があったかもしれない。


 ――夢は醒めたら夢ではない。


 ロキシニアの言葉が脳裏を過る。

 そう、これは夢物語だ。絶対に叶わない夢だ。夢想に過ぎないことを今更言ったところで意味はなく、建設的でも合理的でもない。


「ベロニカがお母さんを助けてくれたら……ッ」


「……後悔してる。助けてあげられなかったことを。ノリアナを助けなかったことが、私にとって永劫の後悔。だから、次は絶対に後悔しない。失敗しない。私が貴女を、貴女たちを――必ず守ってみせる」


 強い意志と覚悟を感じるベロニカの声が崩壊した好愛空間に響く。

 終わりの見えない暗闇の底へと落下していく三人。

 その中で、ノーザンは確かに見た。

 ベロニカが、自分の心臓に騎士の短剣を突き刺している瞬間を。


「……!」


「この意味がきっとわかる。せめて、私の死が幸運である事を、切に願うわ」


 微笑みを浮かべていた。

 垢が取れたような、罪を背負って地獄に落ちれることを嬉しく思うような、そんな微笑み。

 腹の傷と貫かれた心臓。

 助かる見込みは、ゼロに等しい。

 しかしここで偽善に善意に走るノーザンではない。

 落下が終わる。

 暗闇にうっすらと歪みが見える。

 そこに落ちれば、どこかへ転送されるだろう。


 助けることはしない。

 母の仇だ。

 だから絶対に、助けてなんかやらない。


 ――ノーザン。


 その瞬間。

 ノリアナの声が聞こえたような気がした。

 だから気づけば体は動いていて、ノーザンは合成魔法を発動し、蛸のキメラを顕現させて蠢く触手でベロニカを掴んで引き寄せた。

 

「どうして……」


「お母さんに礼を言うのね」


「……」


 正しい選択をしたのか、いつか分かることを願いながら。

 戦いはまだ終わっていない。

 テレサを救出し、ロキシニアを倒し、「ドロフォノス」を撃破するまでは。

 ベロニカはノーザンの言葉を最後に意識を完全に失った。

 死んではいない。 

 だが、放置していれば確実に死ぬだろう。

 

「必ず助けるわ。テレサ。――待っていなさい、ロキシニア・ドロフォノス」


 宣戦布告を静かにしながら。

 ノーザンはハルとベロニカを抱き締めて好愛空間から抜け出した。

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