『三章』48 開幕戦ー漆
『三章』14 と繋がっています。興味があれば是非そちらを読んでからどうぞ。
――同年代に生まれた時から特別な少女がいると知った時、凄いと思った。
彼女は「ドロフォノス」で一番偉い、「お父様」の血縁者で、唯一の娘だと知った時は、腑に落ちた。
……やっぱり凄いんだ、直系の血筋は。
彼女と比べられることはなかった。そもそもの実力が違うし、同じ土俵にも立っていないから、たとえ少女が弱くても、誰にも咎められることはなかった。
それを嫌だと思ったことはなかったし、プライドなんてモノが爆発することも突然ありはしなかった。
だから言っちゃえば、ある意味眼中になかったのだ。将来を期待され、未来の〈死乱〉と謳われている彼女なんて。
△▼△▼ △▼△▼
――年を重ねるにつれて、彼女の実力には箔がついていった。
何人も何人も殺して、何人も何人も殺し続けて、彼女は「ドロフォノス」の中心に立っていた。〈死乱〉も「お父様」も彼女に注目して、期待して、褒めて、まさに彼女は闇の中で一際輝く一輪の花ようだった。
一方で、少女は影の中にいた。
誰にも知られず、多くいる「ドロフォノス」の中の一人。普通に殺して、普通に生きて、普通に血に濡れている、なんら特別じゃない存在。
それでよかった。
別に目立ちたくないから、それでよかったんだ。
なのに、いつだったか。
母が言ってきた。
――『オマエがノリアナなら良かったのに。』
どうしてそんなことを言うの。
どうしてみんなノリアナを特別視するの。
どうしてそんな悲しいことを言うの。
確かに彼女――ノリアナ・ドロフォノスは逸材だ。天才だ。狂才だ。二百余年も一席に座り続けているクロヴィス・ボタンフルールに匹敵するかもしれないと言われている最凶だ。
だから、比べないでほしい。
だって、自分は特別じゃないし、「お父様」の直系じゃないんだから。
別に普通の「ドロフォノス」だっていいじゃないか。
家の役目で人を殺して、金銭を稼いで、名を上げて、家の名に恥じない行動をしているのだから。
だからこれ以上、何かを求めないでほしい。
だって、私は――ベロニカ・ドロフォノスは、ノリアナ・ドロフォノスとは住む世界が違うのだから。
△▼△▼ △▼△▼
――ベロニカ・ドロフォノスが十四才になった年、ノリアナが『ダリア』の名を与えられて〈死乱〉になった。
位は第三席。
いきなり上位三席になったのは、クロヴィス・ボタンフルール以来の快挙だという。
「ドロフォノス」の中でも、ノリアナは七光だとか、コネを使ったんだとか色々言われていたけれど、それら全てを黙らせるほどの力が彼女にはあった。
文字通り、そういう人間をノリアナは血祭りにあげて、「ドロフォノス」で彼女の陰口を叩く者はいなくなった。
ノリアナの激進は止まらなかった。
他のS級罪人を圧倒し、第一席に初めて傷を負わせたり、第二席に勝ったのに三席のままその座に居続けたり、「お父様」に唯一口答えしたりと……まさに「ドロフォノス」の中心的人物に成り上がっていた。
そんな頃だった。
ベロニカが何気なく、いつも通りに、日課だから魔法の鍛錬をしていた時。
ノリアナと初めて喋った。
彼女がベロニカの魔法を見て、こう言ったのだ。
「――素敵な魔法ね」
「……は?」
思わず、ベロニカは訝しんだ。
素敵な魔法、なんて初めて言われたからだ。そもそも、今ベロニカが発動したのは騎士狂想曲という、相手を物量で殺す野蛮な技だ。何も素敵なんかじゃない。
なのに。
「――まるで貴女を護るためだけにある、特別な魔法のように思えるわ。騎士狂想曲……ううん。騎士協奏曲は、きっといつまでも貴女を守ってくれることでしょうね」
〈死乱〉とは思えない穏やかな顔でベロニカにそう言った後、ノリアナはその場を去っていった。
どういう神経をしているんだ。
こっちの気も知らないで。
ふざけるな。
オマエのせいで私は日陰者扱いだ。特段強いわけじゃなかったけれど、オマエさえいなければもっと活躍の場を与えられていたかもしれないのに。それなのに、よくもまぁ呑気に褒めてくるモノだ。何様のつもりだ。
屈辱だった。
同年代で〈死乱〉になった女にあんな顔をされて。
けれど。
心のどこかで。
――見てくれていたんだと、嬉しさを覚えていた。
△▼△▼ △▼△▼
二十歳を過ぎた頃、ノリアナが子を孕んだと噂になった。
それは「ドロフォノス」内で大きな話題になり、そして衝撃を与えた。ノリアナの子とはつまり、「お父様」の孫にあたる。
将来は産まれる前から決まっているようなものだと。
しかし同時に、ノリアナを孕ませた男に対しての風当たりは酷いモノだった。ノリアナは〈死乱〉とはいえ浮世離れした絶世の美女だ。中には彼女を狙っていた輩もいただろう。ノリアナと夫婦になれば、「お父様」とも近しい間柄になれると企てるのは必定。
だが、ノリアナが選んだのは「ドロフォノス」の人間ではなかった。
罪人だけど、罪人しか殺していない罪人。名も知れていない、どこぞの馬の骨。
すぐに「お父様」はその男を連れて来させ、そして実力を見極めようとした。……が、男は認められずに「ドロフォノス」の館から姿を消した。
ノリアナは男を追いかけたが、孕っていたこともあり途中で断念することになる。
一人で育てていくことが決まった瞬間でもあった。
その姿を見て、ベロニカは哀れんだ。
敵対心もある。
嫉妬心もある。
けれど一人の女として、この環境下で女手一つで子を育てるのは苦労を強いるだろうと同情した。
何か力になれることがあれば、面倒だし癪だが手を貸してやらないこともないと。
けれどそれをノリアナ本人に言うのはもっと嫌だから、ベロニカは彼女にバレないように手を貸し続けた。
階段で転びそうになったら小さい騎士を這わせて足元を調整させて守ったり、寝ている時に毛布がズレていたら騎士を遣わせて掛けてあげたり。他にも沢山、小さいことから大きいことまでベロニカはノリアナを支えた。
気づかれなくていい。
感謝なんてされたくもない。
だけど、元気で立派な子を産んでほしいから。
こんな家系で血筋だけれど、せめて月並みの親子の幸せを享受してほしいから。
ベロニカの母のように、誰かを羨んで自分の子に憧れを重ねるような最低な人間になってほしくないから。
――だから。
ノリアナの子、ノーザンが産まれた時、ベロニカは誰よりも心の底から安堵した。
△▼△▼ △▼△▼
――ノーザンが魔力成長遅延病だと知った時、ベロニカはショックを受けた。「ドロフォノス」でそれは致命的。魔法を発現出来ず、魔力さえ練れず、実力を示せないのは己の存在価値を証明出来ないに等しい。
どうすればノーザンの魔力成長遅延病が治るのか。ベロニカは様々な書物を読み、医者に話を聞いた。が、結果は芳しくなく、結局罹患者次第ということだった。
しかし、そうも言ってられないのが現実の冷たいところだったのだ。
「ドロフォノス」には、「二人三殺」というモノがある。新生児が生まれた六年後に開催される、適正試験。
殺しの才能、あるいは策略と謀略の才能を見極める儀式。
このままいけば、確実にノーザンは落第し、それどころか出先の罪人に殺されておしまいだ。
それだけはなんとしても止めなくてはいけない。
しかし方法がない。
ここで出しゃばってノーザンを止めれば、ベロニカにまで被害を被ることになり、ノリアナもただでは済まない。
……いいや。
敢えて、ここは強制的に参加させるのはどうだ?
参加させて、弱者であることを証明させて、さらにその様に仕向けたとノリアナが知れば、彼女はベロニカのところに来るはずだ。
その結果、ノーザンとノリアナは「ドロフォノス」から必要ないと判断されて、追放されるという形になるのではないのか?
そうなったら、二人は外の世界で幸せに暮らせるんじゃないのか?
けれど、それを実行するということはベロニカを悪役に設定しなければならない。二人から一生恨まれることになるかもしれない。
――それでもいい。
自分が悪役になって、二人が幸せになれるのならば。喜んでベロニカ・ドロフォノスは悪役になろう。泥を被ってピエロを演じよう。
……だから。
「――それなら三席の座を降りればいいじゃない。貴女がその椅子から降りれば、私が「お父様」にノーザンへの「二人三殺」の実施を中断するよう話をしてあげるわ」
そう言った時、ノリアナは心底ベロニカを嫌悪する顔と目をしていた。
――悲しかった。
「お父様」には何も言っていない。
それをすることでノリアナは自ら三席の座から降りて「ドロフォノス」の看板を捨てることになるから。
ノーザンを「二人三殺」に参加させないと意味がないから、ベロニカはノリアナを騙した。
結果。
「――かっは……っ。ど、どうして裏切ったですって? クッふふ。笑わせるんじゃ、ないわよ。一体いつから、私が貴女と手を組んだと思い込んでいたの? ……私は貴女が絶望する様を見たかっただけ。第三席に座り込んで、あの方に気に入られて自惚れている貴女を、苦しめたかっただけよ。だから利用したのよ、あの忌まわしいガキを。あっはは。今ごろ大変、かもしれないわねぇ? 怖い罪人が、魔法もロクに使えない女の子を狙っているかも知れないんだから」
――悲しかった。
こんなやり方をしなければ、ノリアナとノーザンを救えない自分が、心底嫌だった。
結局。
ノリアナは部屋を飛び出してノーザンを助けに行った。それは成功するが、ベロニカの予定とは大きく違った結果になってしまう。
ノリアナは拷問部屋に連れて行かれ、ノーザンと離れ離れになってしまったのだ。
後悔した。
何が間違っていたんだ。
使えない娘に、家の掟に逆らう元〈死乱〉なら、拷問なんてされるまでもなく追放という形になるんじゃないのか。
――そこまでして、自らの直系を鎖で縛り付けておきたいのか、「お父様」は。
ならば、と。
後悔をして、嘆いていても時間は待ってくれないとベロニカは切り替えて、拷問をする役目を自ら申し出た。
他の奴ら……特に拷問好きのベルクなんかには任せるわけにはいかない。本当にノリアナが殺されてしまうからだ。
暗い地下の拷問部屋なら誰もいないから、盗聴される心配もない。
ベロニカはノリアナに頭を下げようと考えた。
ベロニカが悪いんだから、いっそのこと拘束具を外して殺されようとまで考えたのだ。
……なのに。
「――貴女は何も悪くないわ。私とノーザンのために、尽力してくれた結果なら、仕方ないと思う。……ありがとうね、ベロニカ」
涙が出そうになった。
そんなことを言ってほしかったわけじゃないのに。
お礼なんて、言われる資格なんてないのに。
「……どうして。貴女はそうなの。罵ればいいじゃない。手を出せばいいじゃない。殺せばいいじゃない。貴女をそんな目に合わせて、結局ノーザンを傷つけたんだから。……私を殺したって、誰も文句は言わないわよ……ッ!」
「じゃあ、約束して。ベロニカ」
ノリアナは疲れ切った様子で、けれど微笑んで言った。
「ノーザンを守って。一生守ってあげて。〈死乱〉の三席のまま、ずっとノーザンを支えてあげて。貴女のやり方でいいから。……ノーザンと、これからもしかしたら産まれてくるかもしれない私の孫――ノーザンの娘も一緒に、守ってあげて」
「……貴女はどうなるのよ」
「私はここで、貴女に拷問を受けて、「ドロフォノス」の家訓に従って、やがて死ぬわ」
「……なら。私が貴女たち親子をずっと……!」
「それはダメ」
暗い地下で、ノリアナはベロニカの優しさを拒んだ。
「馴れ合いなんて、この家じゃ許されない。それに分かっているでしょう? 「お父様」……あのクソジジィは絶対に私とノーザンを一生道具として使い続ける。そんな道具を〈死乱〉の貴女が庇っていたら、貴女の護憲に関わるわ。貴女の尊厳と矜持が守られないわ。……だから貴女は非情に振舞って、ノーザンを守ってあげて」
ノリアナの言う通りだ。
「ドロフォノス」に、優愛という文字は存在しない。
あるのは実力至上主義。
殺されるか殺されないか、それだけだ。
ベロニカは唇を噛んで、自分の無力さに打ちひしがれて、俯いて、血が滴るくらい拳を握って、口を開いた。
「……私は貴女より弱いわ。〈死乱〉の三席なんて、すぐに誰かに奪われちゃうかもしれない」
ノリアナは唇を緩めた。
「大丈夫よ。貴女は強い。だって、自分の未来を顧みず、私たちを救おうと尽力してくれたんだから。……それに、貴女の騎士夢想魔法は、とても素敵だもの」
「……死んでほしくない。私は、ノリアナ・ダリアに死んでほしくない。ずっと憧れだった。ずっと嫉妬していた。ずっと凄いって思ってた。ずっと仲良くなりたいって思ってた。……だって、唯一同い年の女の子だったから。……本当は、ずっと、貴女と友達になりたかった……ッ」
「ありがとう、ベロニカ。その言葉で、十分よ。……私もね、貴女とずっと友達になりたいって思ってたわ」
「……ッ!」
顔を上げた。
自分の顔が涙と鼻水でくしゃくしゃになっていることなんて気にせずに。
すると、ノリアナも少しだけ泣いていて、まるで友達同士が互いの悲しみを共有しているような感覚が、二人の中に走った。
――そして。
「……ごめんなさい、ノリアナ」
「……いいの。ノーザンをよろしくね、ベロニカ」
――直後。
友になったはずのベロニカが、涙を流しながらノリアナの拷問を開始した。
――血と涙の種類は、一つじゃなかった。
△▼△▼ △▼△▼
「――嫌われたかもしれないわ」
「そんなことない」
地下の拷問部屋。
牢屋の前に立つベロニカが、両手足を鎖手錠で拘束されているノリアナと束の間の会話をしていた。
拷問前だ。
この夢のような時間が終われば、地獄のような時間を始めなくちゃいけない。
だからこれはその前の、ほんの泡沫。
ノーザンがノリアナの元へ来て、これ以上娘に危険が及ばないように強く当たってしまったノリアナが後悔しているところに、ベロニカが来たのだ。
「ノーザンの為だもの。あの子もいずれ分かる」
「そうだといいけど……。ねぇ、ノーザン。「二人三殺」はどうなったの?」
「……再試験を行うことになったわ。けど大丈夫。何があっても私がノーザンを守るから」
それが友との約束だ。
死んでも守ってみせる。
「ありがとう。なら安心できるわね」
傷だらけの顔で。
疲弊しきった顔で、ノリアナは確かにベロニカを見ながら微笑んだ。
△▼△▼ △▼△▼
――ノーザンが十才を迎えた頃、事態は急変した。
「――どうしてあの人が今更狙われるのよ!」
「落ち着きなさい、ノリアナ!」
「落ち着け? ……落ち着けるわけないじゃない!」
ノーザンが十才の誕生日を迎えたこの日、ノリアナの拷問部屋を訪れた彼女がこう言ったのだ。
罪人・ハリヤーの殺害任務。
その名を聞いた瞬間、ノリアナは血の気が引いたと同時に耳を疑った。
ハリヤー。
それは、ノリアナの元夫にしてノーザンの父親だ。
ノリアナはベロニカに頼んで拘束具を外してもらおうとした。
が、それは出来ない。
それをすれば、真っ先に疑われるのはベロニカだからだ。
「私が行く。ノーザンに父親は殺させないわ。だから貴女は大人しくここにいて」
「ダメよ! ノーザンを止められるのは、あの人との戦闘を回避できるのは私しかいない! ……だからお願い、ベロニカ。私はどうなってもいいから、拘束を解いて。……お願いッ」
「……ッ。でも、でも……ッ」
ノーザンを助けるか。
ノリアナを見捨てるか。
二つに一つだった。
ここでノリアナを自由にすれば、ベロニカもノリアナもタダでは済まない。しかしノリアナかベロニカが動かなければ、守ると違ったノーザンを見殺しにしてしまう可能性もあるし、実の親を殺させてしまうかもしれない。
究極の二者択一だった。
そして。
「――ありがとう、ベロニカ」
ベロニカはノリアナを解放し、彼女はすぐにノーザンの元へと向かって。
――ノリアナが「お父様」に刃突きつけたと報告を受けるのに、そう時間はかからなかった。
△▼△▼ △▼△▼
「――ノリアナを殺せば、全てのことに目を瞑る」
ノリアナが拷問部屋から飛び出してすぐ、そこに「お父様」がやってきた。
どうやら、ベロニカとノリアナの関係を、そのすべての企てを「お父様」は勘付いていたらしい。
ベロニカは「お父様」に首を掴まれて壁に押し付けられ、呼吸がままならない中、最悪な条件を付けつけられた。
「か、は……ッ」
「お前たちがノーザンを守ろうとしていたこと。お前とノリアナが友になっていたこと。お前が二人を守ろうと策略をしていたこと。その全てに目を瞑る代わりに、ハリヤーとノーザンを止めに行ったノリアナを殺せ」
「こ、ろさなかったら……ッ?」
「お前もノリアナも、ノーザンも。私自らが殺すだけだ」
「……ッ」
どちらを選んでも、不幸しか待っていなかった。先刻の取捨選択が、究極の二択ではなかったらしい。
約束をした。
ノーザンを守ると。
だから……。
「わかり、ました……ッ。ノリアナを、殺します」
「それでいい」
「げほ、ごほ! がは……!」
首を離され、荒い呼吸を繰り返して酸素を体の中に入れる。顔を上げた。「お父様」は既にいない。
これからノリアナを殺さなくていけない。
それがとても恐ろしくて、怖くて震える。
殺せない。
殺したくない。
けど殺さないとノーザンを守れない。
どうすればいいどうすればいいどうすればいい。
「――大変だ! ノリアナが「お父様」に謀反を起こしたぞ!」
「――」
……そうか、と。
この緊急事態にベロニカは納得した。
ノリアナが攻めてくることを分かった上で、「お父様」は殺せと命じたんだ。
「……ちくしょう」
歯を食いしばった。
そして、また泣いた。
「ちくしょう……ッ!」
△▼△▼ △▼△▼
――ノリアナを剣で貫いた時、自分の中で何かが壊れる音がした。
友を刺した感触が、友を殺した感覚が、剣から腕に、腕から胸に、胸から魂に伝わって、吐き気を催した。
その瞬間、ノーザンが扉から飛び出してきて、見せたくない光景を見せてしまう。
耐えろ。
ここで泣いたら、吐いたら、謝ったら、全てが台無しだ。
だから笑った。
精一杯、悪役を演じるために。
――ごめんね、ノーザン。
「――「お父様」! お母さんを、お母さんを助けてください! お母さんの血が止まらないんです! このままだとお母さんが死んじゃう! 私の、ノーザンのお母さんが死んじゃうよ!」
――助けたいよ。
今すぐにでも止血して、助けたい。
でもごめんなさい。
それは出来ないの。
だって、アナタを守るためだから。
――ノリアナと目が合った。
彼女はまた、微笑んだ。
こう言っているように見えた。
『――それでいいのよ、ベロニカ』
――ごめんなさい、ノリアナ。
「――……っあ。な、なら〈死乱アッカド〉の皆さんでもいいです! お母さんは仲間でしょ! 同じ家族でしょ! 助けて、お母さんを助けて! 喧嘩なら仲直りして! ノーザンがお母さんの分まで頑張るから! だから仲直りして、お母さんを治してください!」
――ごめんなさい、ノーザン。
笑って、悪役を演じて、アナタの母を殺した私を一生恨んでいいから。
だから、今だけは。
貴女を守らせて。
「――雷神様は、困ってる人がいたら絶対に助けに来てくれるんだ。だって、本にはそう書いてあったから! きっとお母さんを助けに来てくれる!」
「――そ……うね。じゃあ、それまでは、頑張らなきゃ、ね……」
そうだ。
早く来てくれ。
お願いだから、来てよ。アーサソール。
今すぐノリアナとノーザンを助けてあげて。ここにいる悪い奴らを全員倒して、ハッピーエンドにしてください。
「――夢は醒めたら夢ではないぞ」
「お父様」の言葉が、どこまでも冷酷だった。
「――お前たちなんかただの悪魔だ! 人の心なんてないただの魔神だ! いつか、いつか必ず雷神様がお前たちを懲らしめにきてくれる! お前たちなんか、お前たちなんか真六属性様が許さない!」
わかってる。
いつかきっと、〈死乱〉も「お父様」も雷神が倒してくれる。
だからそれまでは、強く生きて。
だからそれまでは、私が守るから。
だけどもし、その時が来なかったら。
――ノーザンが私を殺してね。
ノーザンが泣きながらノリアナを抱えて部屋を出ていく。
その小さな背中を見ることしか出来なくて、ベロニカは誰にもバレないように囁いた。
「……生きて」
――ノリアナの死亡が確認されたのは、それから三十分後のことだった。
△▼△▼ △▼△▼
――ノーザンが「ドロフォノス」から抜け出し、子を孕んで帰ってきたと知った時は驚いた。
まるでノリアナと同じ道を辿っているように思えたから。
そして当然、それを許す「お父様」ではない。
ベロニカがノーザンの拷問を担当されることはもちろんなかった。
ベルク・ドロフォノスという拷問好きが任命されたのだ。
地下から響くノーザンの絶叫、悲鳴。
ベルクを惨殺してやりたい気持ちを必死に堪えて、ベロニカは歯を食いしばる。
――ノーザンもお腹の子も。私が必ず守る。これから先、何があっても。ノリアナと同じ道は歩ませない。
今度こそ絶対に守り切ってみせる。
ノーザンとお腹の子を、誰よりも利用すれば、自然とベロニカの手中に収めることができる。そうすれば「お父様」も無理に引き剥がそうとはしないはずだ。「ドロフォノス」に有益なら、「お父様」は何もしない。
「……任せて、ノリアナ」
△▼△▼ △▼△▼
――そして、泥犁島から始まって「アイオリア王国」での騒動で、ベロニカは確信した。
「ドロフォノス」の時代が、ようやく終わる。
雷神もいる。
ノーザンと一緒に。
『英雄』レベルの魔導士がゴロゴロといる。
あのアレス・バーミリオンまでもが。
死ぬならここだ。
ここで最後まで悪役を演じて、ノーザンに殺されたら役目はおしまい。
――雷神は強かった。
テレサがいなかったらやられていた。
この強さなら、大丈夫。
……お願いね、ハル・ジークヴルム。
勝手なのは分かるけど、ここで死ぬ私の代わりに、ノーザンを「ドロフォノス」の呪縛から解放してあげて。
――強くなったね、ノーザン。
私よりも、ノリアナよりもずっと。
……あぁ。
これで、ようやく――、ようやくだ。
「――やっと会えるわね、ノリアナ」
――腹を裂いた感覚が、今まで忘れたことがなかったノリアナを貫いた感触をより鮮明にさせた。
△▼△▼ △▼△▼
――ハル・ジークヴルムが目を開けた。
「――……」
誰かの過去を見た。
とても悲しい過去だった。
――ハル・ジークヴルムが立ち上がった。
「……――」
一人が腹を裂いて、一人が勝ち誇った笑みを浮かべている光景を見た。
こんなのが、許されていいはずがないと、本気で思った。
――ハル・ジークヴルムが拳を握った。
「――」
やることは一つしかない。
ここまでやったら、後には引けない。
多分、いいやおそらく。
『これで終わりじゃない』。
まだ奥に、何か潜んでる気配がある。
だからきっと。
ハル・ジークヴルムの戦いは、これからだ。
――ハル・ジークヴルムが走った。
そして、
そして、
そして。
△▼△▼ △▼△▼
「――逃げろォ! ノーザン、ベロニカァァァ!」
△▼△▼ △▼△▼
直後。
ノーザンとベロニカの間にどす黒い魔力の奔流が発生し、二人を消し飛ばした。
救いがあるのかないのか。
異世界王道ファンタジーの悲劇に勧善懲悪は通用するのでしょうか。




