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最後の異世界物語ー剣の姫と雷の英雄ー  作者: 天沢壱成
風都決戦篇
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『三章』47 開幕戦ー陸


「――私の娘を返しなさい。ベロニカ・オックスフォードブルー。……忠誠心の螺旋に囚われた魔女!」


 その声に。

 その言葉に。

 崩壊中の好愛空間の隅で膝を抱えて丸くなっている少女が反応した。

 ゆっくりと顔を上げて、ぬいぐるみたちと視覚共有をして、その人を見る。

 久しぶりだった。

 もう何年も会っていない感覚だった。

 母が、そこにはいた。

 自分を助けるために来てくれたのだ。

 嬉しかった。

 今すぐにでも飛び出して抱きしめてもらいたい。その温もりに包まれて、匂いを嗅いで安心したい。


 ……でも。

 そんなことはできない。

 許されないのだ。


 テレサ・ドロフォノスという女の子は、呪われた血統の飼い犬で、死ぬまで利用される運命にある。この息苦しい牢獄から抜け出すことなど、一生叶わない。


 雷神でも倒せなかったベロニカオックスフォードブルーに、母が勝てるとは思えない。

 

 来てくれたことは素直に嬉しい。久しぶりに声も聞けて、顔も見れて、心がほっとした。

 だけど、今の自分を見られたくないし、もしかしたらなんていう希望を見せないでほしい。


 こんな薄汚れた自分を娘と呼ばないで欲しいんだ。

 勝てないのに、淡い期待を抱かせないで。


 もうすぐ好愛空間の解除が終わる。

 そうしたら、母も雷神も最初とは違う座標に転送されるから、ベロニカにもテレサにも会えない。

 敗北したまま、二度と会えない。


 でもそれでいい。

 それが一番の正解だ。


 ――だから。


「光なんて。もう見たくない」


 テレサ・ドロフォノスは膝に顔をうずめて、目の前に差し込んでいた一筋の淡い光を完全に遮断した。



△▼△▼ △▼△▼



「私に血を流させたことがそんなに嬉しい? ……舞い上がってるんじゃないわよ、格下が」


 ゆらりと体を横に揺らして、悪意と敵意に満ちた声色でベロニカがノーザンを睨む。

 血涙と吐血、体の節々に走る痛みを感じながらも、それを上回る屈辱感に支配されている。

 『病の刻参り』。

 その性能は予想外ではあった。

 だが。


「そもそものポテンシャルが違うのよ。たとえアナタが「お父様」の直系だったとしても、合成魔法なんていうハズレ枠の力で、騎士夢想魔法を持つ私に本気で勝てると思うなんて、六百年早いのよ! ノーザン!」


 矜持が爆発する。

 六百年という、この世界において大きな意味を持つ年数を例えに出すほどに。

 そしてベロニカの叫びに呼応して、騎士たちが濁流のようにノーザンに押し寄せた。まるで貶された女王の仇を討つかのように、騎士たちが鋼色の剣を唸らせる。

 それに歯向かって。

 ノーザンは細い指をパチンと鳴らした。

 彼女の猛攻は『病の刻参り』だけでは終わらない。


「成熟期・共食いの双――飢餓魂混きがこんこん


 グニュに二二二二二二二に、と。

 虚空を歪めながら表出したのは、八才児のような身長に、肌色と赤色が混ざった肉体。長く伸びた黒髪に獰猛な肉食獣を連想させる牙が並ぶ口を持つ二体の合成獣が、ノーザンを死守するために顕現した。

 ベロニカが知る由もないが。

 共食いの双は、〈共食メデア〉を取り込んで作ったキメラだ。

 

「そんなゲテモノをいくら出そうと、騎士狂想曲は止まらないわよ!」


 ベロニカの戦意が加速する。

 直後。

 二体のキメラから拍子抜けするような音が鳴り響いた。

 腹の虫。

 それもかなり大きな。

 ベロニカが目を見開く。そして怪訝になる。

 ノーザンが不敵に笑った。


「腹が減っては戦はできぬ」


「……な」


 ガクン! と。

 唐突にベロニカが膝を着いた。それだけじゃない。ノーザンを狙っていた騎士たちも動きを止めてその場に頽れた。しかも鎧が全て解けるように瓦解して、完全に機能を停止する。

 なんだこれは。

 どうなっている?

 ベロニカは騎士にそんな命令なんて出していないし、攻撃も喰らっていないのに、何故膝をつく?


「倭国には飢饉の時代がいくつかあった。その中で、餓鬼と呼ばれる鬼の魔獣が出たそうなの。鬼童丸ではなく、餓鬼ね。常に飢えていた餓鬼は、食べ物を貪り尽くす凶悪な鬼だったそうよ。肉も魚も穀物も、人でさえも餓鬼は食べ尽くした。しかし腹は満たされることなく、結局餓鬼は討伐された。……その伝承を、私はこのキメラに与えたのよ。先日、〈共食メデア〉っていう罪人を素材にした時にね。相性がいいと思ったから」


「メデア……。九泉牢獄パノプティコンの時に……。なら、私に今起きてるこれは――」


「飢えよ。それも立っていられなくなるほどの飢え。倭国には、腹が減っては戦はできぬっていう言葉があるの。これはその体現。しかもこの飢餓魂混きがこんこんは無機物にも効くわ。だから騎士も崩れたのよ」


「……でもそれは、我慢をすればいいだけの話でしょ。確かにこんな飢えを体験したことはないけれど、飢えとわかっていればいくらでも……!」


「誰がこれでおしまいと?」


「……な」


飢餓魂混きがこんこん――「朝餉・茶腹も一時」」


 我慢をすればどうとでもなる。

 そう意気込んだ直後に訪れたのは、先刻の飢えを上回る上位の飢えだった。ぎゅるるるるるるるる! というベロニカには似合わない品の無い音が好愛空間に響き渡る。

 そして共食いの双と呼ばれた二体のキメラの手の中には、いつのまにか湯呑みが握られていた。

 いいや、それだけではない。

 ベロニカの腹部に、淡く光る紋様が……湯気が立っている湯呑みのマークが浮かんでいる。

 もはや冷や汗が出るほどの空腹に、ベロニカは苦しんだ。


「な、んなのよ、これは……ァ」


「茶腹も一時。茶を飲んだだけでもしばらくの間は空腹を凌ぐ事ができる、という意味よ。それを、私は相手が『空腹を我慢をする』という選択をした瞬間に発動することにしたのよ。これにより、ベロニカ。アナタの空腹は加速する」


 鳴り続ける腹の虫。

 収まらない空腹にベロニカは悶える。こんなの第三席のプライドが許さない。絶対にあってはならない現場だ。ベロニカ・オックスフォードブルーが、腹を空かして戦えないなど。

 倭国に行っただけで、こうも強くなるのか。ハズレ枠と称したが、匡制一つでここまで変わると侮れない。

 だが、だからと言って敗北する謂れもないし理由にもならない。結局は空腹なのだ。満たすことが出来ればどうとでもなるし、打開策がない魔法など存在しない。


 単純な話。

 術者を殺せばそれまでだ。


 ベロニカは空腹に悶えながらもひっそりと騎士夢想魔法を発動する。それも掌サイズの騎士を。この騎士をノーザンまで接近させ、攻撃の直前の巨大化させて喉元を掻っ切る。

 奴の飢餓魂混は無機物にも有効らしいが、このサイズと一瞬の巨大化なら今の状態のベロニカでもなんとか出来る。


 ……そう、心の中で企んだ刹那だった。


「飢餓魂混――「昼餉・腹に一物」」


「ぐが⁉︎」


 吐き気を催すほどの腹の減りが、ベロニカを襲った。もはや腹痛になっている空腹が、満腹中枢を刺激しないようにと駆け巡る。蠢かせていた小さな騎士も、結局何も出来ずに瓦解してしまう。

 両膝をついて、両手でお腹を抱えるように触って、汗をダラダラとかきながらノーザンを睨む。

 紋様が湯呑みから悪巧みを考えているような小太りの人間の笑顔に変わっていた。


「これ、は……っ!」


「腹の中に企みがある対象者に発動する技よ。これにより、対象者は企てを行えるほどの余裕がなくなる空腹と腹痛に襲われて、やがて身動きが取れなくなる」


「こ、こんなモノで私を……ッ! 私は、第三席なのよ。私のこの地位は、すべての罪人の頂点に君臨する意味を持っている……ッ。アナタ如きに、こんな有様なんて。私の〈死乱〉としてのプライドが許さない。アナタの絶望が、アナタの悲壮が、すべての悲劇が私を満たすの。羽虫以下のアナタなんかに、こんな惨めな姿を晒すなんて断じて認めないッ!」


「そんなこと知ったこっちゃないわ。あなたのその傲慢が、腹黒い感情が。アナタ自身を苦しめるのよ。――飢餓魂混。「私腹を肥やす」」


「あぐぁ⁉︎」


 腹を内側から針で刺すような鋭い痛みがベロニカを襲った。悪い笑みを浮かべる男の不気味な顔が紋様として腹部に刻まれた。

 共食いの双の手には、ナイフとフォークが一本ずつ握られている。


「自分の立場を利用して、自分の欲を満たそうとするなんて――「片腹痛い」わね」


「おごぁ⁉︎」


 最早容赦無く。

 流れが途切れることなくノーザンの魔法がベロニカの腹を集中的に狙った。ナイフを持った女性に紋様が変化し、共食いの双が手に持っていた二本のナイフをベロニカの目の前に落とした。

 カラン、という軽やかな音が響く。

 ぼたぼたと汗をかいてクッキーの床に垂らすベロニカは、苦悶に顔を歪めながら共食いの双を睨んだ。


「な、んのつもりよ。これは……ァ!」


 ノーザンが微笑む。


「それは晩餐用のナイフよ。――ベロニカ。アナタに最後のチャンスをあげる」


 ベロニカは訝しむ。


「最後の、チャンス、ですって……?」


「そうよ。このチャンスを掴むか掴まないかで、アナタの命運は決まる。慎重に言葉を選びなさい」


 そこまで言うと、ノーザンは短く息を吐いて、


「――テレサを解放し、アナタが騙して殺したお母さんに謝罪をしなさい」


「――」


 ベロニカは口を閉じた。

 そのことを、ノーザンが言ってくることは予想していた。彼女の目の前で、母であるノリアナを殺したのは他でもないベロニカだ。ノリアナを騙し、〈死乱〉の席から退場させ、二人三殺でノーザンを殺せるように仕向け、最終的にダリアを葬った。

 それはすべて事実で、ベロニカが「オックスフォードブルー」の名を貰うために行った。


 故に。

 後悔はなく、現状を打破する上で重要な謝罪を口にすることは、ない。


「断る。ノリアナから受け継がれる子々孫々は、この私が使い殺すわ」


 心底嘲弄し。

 腹の調子なんて気にせずに、いま目の前にいる女を心の底から嘲笑うように、口元を三日月のように引き裂いてそう言った。


 その直後。

 ノーザンは息を吐き、底冷える目でベロニカを睨んで。


「飢餓魂混――「自腹を切る」」


 そっと。

 流れ作業のように。

 ベロニカは目の前に落ちていたナイフを拾い上げ、そのまま自らの華奢な腹部を横に切り裂いた。

日本語っておもろいですよね

ノーザンとアスナの関係は如何に…?

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