『一章』⑬ アカネ色
「……ハル」
信じられないとばかりに呟いて、アカネはその衝撃に呑まれる。
バカなことをやってセイラに怒られていた無邪気な雰囲気は一切なく、あれだけ悩んでたのにそれすら吹き飛ばして『魂』が頼れると叫ぶ勇ましい立姿。
手を握った時にも感じた、ハルにだけ感じる無条件の不思議な力強さ。
それが。
「わりぃ。遅くなーーってなんで服脱いでんだエマ!?ドジっ子のレベル超えてんぞ!?」
「見ないで変態!!」
「理不尽!?」
いつもの感じに戻るとすぐに霧散した。
エマのほぼ上裸を見た不届き者は見事に殴られてノックダウン。
よかったいつものハルだ、と緊張感を解くには少し早かった。
服を着たエマとハルの許へ行こうとして、しかし激怒している巨漢に阻まれて道はない。
エマとハル。
二人の子供に舐められた大人のプライドは限界のようだ。金魚のフン男は怪訝な様子で倒れているハルを見ていて止めてくれそうにはない。もちろん周囲の人たちも。
巨人が。
「あー!もううぜぇぇええええええ!!」
吠えて。
「それはこっちのセリフだムダ筋団子」
一体いつからいたのだろう。
低い声と共に巨漢の暴力を再度否定したハルが、アカネたちの前に立っていた。
目を剥いた巨漢はハルから離れようとするが、掴まれた拳がピクリとも動かないようだ。
(こいつ、なんて握力してやがる……!)
「さっきのは、ただの喧嘩として受け止めた」
「あぁ!?」
「でもこれは。明らかに喧嘩の域を超えている」
空気が、一変する。
異世界素人のアカネでも、戦闘経験皆無のアカネでも明確に分かるくらいの優劣の変化だ。
いいや、最初から変わってはいなくて分かり易くなっただけというべきか。
目を瞠るアカネの前で、紫電が踊る。青白い、猛々しい雷が姿を小さくして少年の体を走り始めた。
静電気の音をあるいは増幅すればこんな音になるかもしれない。
バチ、バチバチ、バチバチチ!!!と、雷が喝采する。
雷を、天の怒りを纏うその姿はまるでーー。
「あ、あああ!ああああ思い出したぁぁ!」
震え上がるような大声を上げて金魚のフンがハルを指差した。
「"アリア"にいると言われていた、青い髪に雷魔法を使う男……。真六属性、雷神のハル!!!!!!」
「んなっ!?!?」
知ったところで、もう遅かった。驚愕した巨漢の三秒後の未来は確定していた。
ハルの右拳に青白い電気が凝縮し、乱舞して。
「俺の仲間に手ェ出すなら、お前は俺の敵だ。容赦しねぇぞぉぉぉおおおおおおおお!!!!」
ドンッッッッッ!!!!と。
雷を纏った一撃が、巨漢を盛大に石畳の地面にめり込ませ、『敗北』の未来を実現させた。
紫電を帯びて、雷の寵愛を誇示する一人の少年、ハル・ジークヴルム。
彼こそが。
「真六属性……」
雷神に相応しい男だ。
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顔面にハルの拳の跡がくっきりと痛々しく刻み込まれた巨漢は白目を剥いて気絶したまま、金魚のフンに引きずられて酒場区域を出て行った。
そしてアカネとエマはただただ呆然となる。
「……ハルが、真六属性」
「しかも、雷の……」
「言ったなかったっけ?」
「「知らんわ!!」」
キョトンとしているハルが信じられなかった。
エマの話しによれば、真六属性とは〈光是の六柱〉の魔法を使う魔道士で、いるかどうかも分からない、本当に御伽噺の中の登場人物みたいな存在だったはず。
若干エマと手下Aの言い分が噛み合わない気もするが、それでもあの驚き様から考えればどれだけ衝撃的なのかが十二分に分かる。
でもそういえば、だ。
確か『桜王』の下でハルはこう言っていた。
ーー神に育てられた、と。
「……ハルの育ての親って、雷神なの?」
「さぁなぁ。よく覚えてねぇ」
「覚えてないって……」
適当なハルにアカネは呆れる。
すると、いきなりハルが視界から消えた。
いや違う。潰れたカエルみたいに地面で死んでいる。
どういう状況!?と仰天して顔を上げれば、周囲にいた大人全員が姿勢を正し、そして目の前にはメチャクチャ静かに怒っている赤髪美女のセイラさんが仁王立ちしていた。
「アカネ」
「はいっ」
姿勢を正した。殴られる覚悟をした。
しかし、次の瞬間には柔らかい感触に包まれ、花の香りの中にいた。
セイラに抱き締められたのだ。
優しく、大切にするように。
「心配したぞ。一人で動くなとは言わない。だがせめて一言掛けてくれ。ギンと酒場の連中がいなかったら取り返しのつかないことになっていたかもしれないんだぞ。私たちは仲間だろう。もっと甘えてもいいんだ。〈ノア〉は人を助ける方舟。私たちは、アカネも助けるよ。全部、受け止められるよ」
「…………っ」
周りを見れば、ずっと傍観していたと思っていた人たちはそれぞれ武器を持ちながらアカネに笑って手を振っていた。
呆れた息ーーあれはこの場にいる全員がお前の敵だぞと、あの男に伝えようとして……。
住民全員友達と言ったのはハルだったか。
そしてそのハルがここに来れたのは、倒れているハルを蹴って起こすユウマの
頭の上にいるギンがアカネの匂いを辿ってくれたから。
エマも、ハルも、セイラも、ユウマも、ギンも。
みんな、心配してくれて。
「……どうして、そんなに優しくしてくれるの」
声は、少し震えていた。
「看病してくれて。笑いかけてくれて。助けてくれて。優しくしてくれて。……あたしは、みんなのことなんて見ようともしなかった。これっぽっちも考えようとしなかった。自分のことばっかりで、誰かのために何かをするような、良い人間じゃないのに。……それなのにどうして……」
「……私たちはアカネが大好きなんだ。アカネは私たちのことを知らないだろうけど、私たちはアカネを知っているよ。人が人に優しくするのは当たり前だ。優しさが、人の強さなんだから。……焦らなくていいと言ったろう?大丈夫。私たちは、アカネの前からいなくならないし、裏切らない。一人になんてしない」
「でも……っ」
あたしは。
「ゆっくり歩いていこう。自分のペースで進んでいこう。私たちも、隣で一緒に歩くから」
何も知らないはずだ。
セイラたちは元の世界の凶悪が牙を剥いた本性の餌食なったアカネの絶望なんて一頁、一行足りとも知らないはずだ。訳知り顔でよくもまぁ歯の浮くようなことを。
冷たい思考がそう笑っているのに、何故突き離すことができないのか。
どうしてこんなに、温かいのか。
「何かあったらさ、いつでも俺を呼べよ。お前を泣かすヤツは、俺が全員まとめてぶっ飛ばしてやるから。にしししし!」
セイラの腕の中から名残り惜しく出るとすぐ隣にはハルがいた。
「ハルより俺の方がつぇーから俺に任せとけ。更に言うならセイラもいるし、ギンもいる。オレたちが味方なんだ。世界で一番安全なところだぜ、ここはよ」
自信ありげにそう言ったのはユウマ。
「おれは鼻がいいんだ。アカネの匂い、俺一番好きだよ」
ギンもいてくれて。
「やめてって言ってくれて、嬉しかった。もっと好きになった」
エマもいる。
みんなが、歩み寄ってくれている。身勝手で誰も彼も信用しようとしていなかった歪んだアカネに。
コレに答えなかったら、本当に人間としておわりだろう。
芽は出ている。エマに報いたいと思えたあの瞬間から微かに変化の兆しの芽は生えている。後は成長させて花を咲かせるだけだ。
ここは異世界。
もうあの世界じゃない。
ならば、『手』をとるだけじゃなくて共に歩み、こちらから近づいていくのは絶対に間違いじゃないはすだ。
信じようと努力するのは、誰にも否定は出来ないはずだ。
〈ノア〉もエマも。
あの化物たちとは違うって、少しは分かったから。
「………必ず、必ずネックレスを見つけよう。エマちゃんと、エマちゃんのおばあちゃんのために……ッ」
泣くのを必死に堪えたからひどく表情はみっともなくて声は震えていた。
涙は見せない。
次泣く時は、嬉しい時だって決めてるから。
そしてアカネのそっとみっともなさを笑う愚者はここにはいない。
仕方なく、から、必ずへの変化。他者のためにという大きな変化。自分を変えたいという、心の変化。
嗤う者など、いるわけがない。
警戒、不信、疑念の話は終了だ。
ーーここから先は、心を許していく物語だ。
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世界のどこかで、誰かが言った。
「ーーあら。そろそろかしらね」
妖艶な声で。
「剣が姫を喰らうのは」




