『三章』28 ネザーコロシアム③
――ネザーコロシアム開催まで、残り二日。
「アネモイ」のシンボルである東西南北にそれぞれ立つ風車塔が風に揺らされて回っている。
天気は快晴。
人々は今日も楽しそうに過ごし、街の喧騒が肌を撫でる。
「前に来た時は、もっとどんよりしてたと思うんだけどな」
灰色髪の青年が身軽な格好で賑わう街中を歩きながらそう言った。彼は周囲を行き交う人々を見て、過去の滞在記録を思い出す。
アレス・バーミリオンが前回来国したのは、〈四重奏〉が馬鹿をした時だ。だがその際、カルテットを撃破したのはアレスではない。まして、騎士団の団員でもない。
「ロキシニア、っていったか」
初めて聞く名だった。
〈四重奏〉を倒す程の実力者が、あの時まで無名だったのが驚きだ。年は五十代かそこら。「サフィアナ」の失態をアレスの代わりに拭ってくれたことは今でも感謝している。
……だが。
「まさかソイツが、「ドロフォノス」の親玉だったとはな」
「アネモイ」に悠々と聳える王城「薫風」がアレスの瞳に映る。
城には「サフィアナ」の王族、「アルテミス家」と並ぶほどの歴史を持つ「ペルセポネ家」が住んでいる。当代の王には何度か会ったことはあるが、最近は病にかかりどこに伏しているという。
ロキシニア・ドロフォノス。
「お父様」と呼ばれる罪人の王を、快く受け入れた王。
「国民のことは知らないが、少なくともロキシニアが罪人だと認知していた人間には良く思われていないだろう」
いくら国を二度救ってくれたとはいえ。
悪名高い罪人をなぜ、国を挙げて英雄と讃えたのか。知らぬ存ぜぬは一国を肩に背負う王には通用しない。
しかしそんなこと、当の本人が誰よりも理解しているだろう。
では何故、今に至るのか。
「……探ってみる価値はあるみたいだ」
そう呟くと、わずかな砂煙だけを残してアレスは姿を消した。
△▼△▼ △▼△▼
ネザーコロシアムの開催は戴冠式の前日だろうと予想しているバルドルを信じて、ハルとレイスは地下牢でその日を待っていた。
昨日はカードゲームをしたり筋トレ勝負をしたり、とにかく暇を潰すことに特化した時間を過ごした。
しかし二日連続もそれが出来るわけもなく。
バルドルがいびきをかいて寝てる中、ハルとレイスは牢屋の両隅で黙って座っている。
特に仲がいいわけでもないし、友達ってわけでもないから、やることがないと喋ることもない。
「おい」
ふと、ハルが口を開いた。
沈黙が気まずかったから、とかではない。
「……なンだよ」
冷たい態度でレイスは返答する。
やっぱり互いが互いを友人や仲間だと認識しているわけではないようだ。だから当然、冷めた態度を取られても気にすることはない。
「お前はなんで「アイオリア」に来たんだ。泥犁島を出た後、お前がやりたかったことはここにあるのかよ?」
「……」
泥犁島で戦った時、レイスが外に出たら何をしたいのか問うたことがあった。「ドロフォノス」の策略に乗っかって、また無闇に人を殺す日々に戻るレイスが気に食わなかったから。
だけどあの時、拳の迫り合いをしていた時、レイスは何かを思い出したかのように、ほんの一瞬力を緩めたのだ。
「……テメェに話しところで、何かあンのかよ」
それはこの前と同じセリフだった。
レイスは膝を立てて座り、ハルを睨む。
「同じ部屋で同じ時間を過ごしたくらいで調子に乗ってンじゃねェ。オレァお前の仲間になったつもりはねェんだよ。オレのことを話す義理も、お前にゃねェ」
「……なら質問を変えるぞ。お前、まさかまた「ドロフォノス」に手を貸そうとしてるんじゃないだろうな?」
「……だったらなンだよ?」
「もう一回ぶっ飛ばす」
二人の視線が激しく火花を散らした。
一触即発だった。火種を切る何かがあれば、魔法が使えないというハンディなんて気にせずに殴り合いが始まりそうな雰囲気だった。
こんな所でハルとレイスがぶつかれば、バルドルは当然として牢屋なんて壊れるだろう。そんなことをすれば、ネザーコロシアムを待つことなく処刑されて外の空気を吸うことは一生ない。
それでも関係ないと、二人は思っているから喧嘩の空気が漂っているのだが。
「……ちっ」
と、舌を打ったのはレイスだ。
同時に、殺伐としていた空気感が溶けて、両者の間に火花はなくなった。
「こンな所でお前を殺しても意味はねェか」
「殺されねーけどな」
「ぬかせ、クソ野郎が……。妹だ」
レイスがボソリと言った。
「妹を殺した奴がここにいる。だからオレはそいつを殺すために「アイオリア」へきた」
「……妹を、殺されたのか」
話してくれたのは驚いたし嬉しいが、まさかそんな辛い過去があったなんて予想できなかった。
そうか、だからあの時戦意がなくなったんだと、ハルは合点がいく。妹を思い出して、罪人であることを忘れて、一人の兄としての心を取り戻したから。
そんな妹を殺した犯人が「アイオリア」に。
それが、レイスがやりたかったこと。
「テメェには関係ねェことだ。ここから出たら好きにさせてもらう。首突っ込むンじゃねェぞ」
「……突っ込まないさ」
「……あン? 意外だな」
片眉を上げたレイス。
ハルは苦笑する。
「そうか?」
「お人好しのテメェなら、止めてくると思ってたンだがな」
「アカネなら止めてたかもな。……いや、違うか。俺でも止める。だけど……」
一拍あけて、ハルは言う。
「殺さなくちゃ前に進めないっていう気持ちは、俺にも分かるんだ……」
感傷に浸るような声と表情でハルが呟いてレイスは眉をひそめていた。
セイラ以外、誰も知らないハルの過去。
ジーナ。
今では〈神魔〉と名乗り罪人として外を闊歩している女。
ハルが倒したが、九泉牢獄から脱獄して現在行方不明となっている。ハルはそんなジーナを殺さなくちゃいけない。
「……お前も、そうなのか」
僅かに目を見開くレイス。
ハルは苦笑するだけだった。
これ以上言う必要はないし、きっとレイスも訊いてくることはないだろう。
ハルがジーナを殺さなくちゃいけない理由は、ハルだけが知っていればいい。他を巻き込む必要は、どこにもないのだ。
「……何も言うつもりはねェし、詮索する気もねェが」
軽く息を吐いてからレイスが言った。
「テメェは雷神だ。不幸のどん底に落ちた奴ほど、テメェに助けを乞う。テメェを夢想して心の拠り所にする。そんなテメェが、『殺人』っていう道を肯定するンじゃねェぞ。自己的な『殺人』だけは、すンじゃねェ。……それはオレの、オレたち罪人のモンだ。テメェにゃ荷が重すぎる」
「…………」
自己的な殺人。
言い得て妙だ。
殺人という行為自体、自己的なモノだと思っているが、レイスが語っている「自己的」とは、きっと暴力的で救いようがない「殺戮」のことだろう。
独りよがりで、傲慢で、強情で。
「……お前。いい奴だな。爆発するしか能のない馬鹿なのかと思ってたぞ」
「……殺されてェのかテメェは」
殺されたくないし殺されるつもりもないが、本当のことを言ったまでだった。
ハルは笑うと牢屋の天井を仰ぎ見て、
「大丈夫だ。間違えるつもりはないから。……もう、あんな顔みたくないからな」
「?」
とある光景が、ある少女の辛そうな顔が、ハルの目に浮かんだ。
アカネ。
泥犁島で、ジーナが生きていることが分かってセイラと喧嘩をした時にみた彼女の顔は、今でもはっきり覚えている。あんな辛そうな顔を、あんな悲しそうな顔をさせてしまったのだ。
ハルがジーナを「自己的」な欲で殺してアカネにあんな顔をさせるなら、そんな道は捨てる。そんなものに、チリクズほどの価値もないのだから。
だけど、だけどだ。
「自己的」な殺人ではなく、「理知的」な殺人だったなら、きっとハルはジーナを殺す。
それだけは、間違えることがない。
「――ねぇ。ねぇちょっと。なんか空気が重たいわよ。重力に負けちゃってるわよ、この部屋」
と、真剣な空気感をぶち壊すような軽い声がハルたちの牢屋に入ってきた。寝ているバルドルは放っておくとして、ハルとレイスは前を向く。
眼前、鉄格子の向こう側にいたのは翡翠色の髪の毛を長く伸ばして、軽く後ろで束ねている女の子。
レヴィだ。
「れ、レヴィ⁉︎」
「よ。久しぶりね、ジークヴルム」
そんな家に遊びきたかのような軽い感覚で挨拶をされてもこちらとしては驚く他ないのだが。ハルは鎖で繋がれた足で鉄格子の前まで行き、
「お前、なんで外に出れてんだ⁉︎ 確かお前も牢屋にいたよな?」
「ご近所さんだったとは驚きね。引越しの挨拶で菓子折りとかないわけ?」
「そんなのあるか! なんでわざわざ牢屋にまできてお隣さんに菓子折り渡さなきゃなんだよ! バカだろ、お前バカだろ!」
そもそも捕まった時点でお隣さんとよろしくしたくないのである。なんなら挨拶する前に外に出たい。会うことなく釈放されたい願望が強すぎてせっかく買った菓子折りも潰れてしまう。希望という重力に。
「違うわ。私はバカじゃない、天才よ。世界中の人間が跪くくらいの天才よ。だからほら、持ってきたわ。……これ、つまらないモノですが」
言いながら、レヴィはとある物をハルへ渡した。違和感のない流れだったのでハルは気にすることなく受け取った。それこそお隣さんから余った夜飯を頂くように。
「あ、これはご丁寧にどうも……って誰が「作りすぎたのでよかったらどうぞ」みたいな感じで物を渡せって言ったわけ⁉︎」
どんだけ仲の良いご近所さん付き合いを演出したいんだこの子は……と、続けて言おうとしたところでハルは口を開けたまま固まった。
原因。
それはたった今レヴィから受け取った物だ。
ハルの反応を見て、レヴィは得意気に笑った。
「どうよ、凄いでしょ」
「……おいレヴィ。これってまさか」
ニッと、レヴィは笑った。
「そ。牢屋の鍵よ」
驚愕も驚愕だった。
一体どこの誰が、捕まっていたはずの友達が解放の鍵を持ってくると予想できた? ハルは地下牢とか関係なく声を大きくして、
「うぉおおお! レヴィさん! お前、いや貴女は天才ですよ!」
レヴィは髪の毛を軽く払って、
「ふふん。そうでしょう、そうでしょう」
ハルは手に持った鍵をレイスに見せて、
「おいレイス! みろこれ! ドキドキ、罪人だらけの牢屋生活♡ から抜け出せる魔法の切符だぞ!」
「鍵っていいやがれ! あと、ギャーギャー騒ぐな!」
とか言うレイスの声も興奮しきってめちゃくちゃ大きかったりする。それもそうだろう。無理もない。だってこんな窮屈な牢屋から抜け出せる機会が思わぬ形で浮上したのだから。
ネザーコロシアムなんて待つ必要はない。
レヴィが持ってきてくれたこの鍵で今すぐ牢屋から出てみんなと合流すれば万事解決だ。
「でもレヴィ。お前これどうやって手に入れたんだ?」
興奮しても疑問なところは疑問として確実に残る。鍵を持ってきてくれたのは有難いが、直前までのレヴィの状況はハルたちと何も変わらない。牢屋の中で監禁されていた以上、鍵を看守から奪うのは不可能だ。
魔法も使えない中で、レヴィはどうやって鍵の入手を可能にしたのだろうか。
「え。普通に看守から奪ったのよ。なんか私ってこの国の王女みたいだし? ちょっと記憶が戻ったフリして看守に近づいてもらってさ。話してる最中に隙を突いてグーパンして鍵を奪ったのよ」
「……レヴィさん。それはちょっとやりすぎなんじゃ……」
「そう? だって私王女よ? 下民共に命令するのは当たり前でしょ?」
「……おい雷神。この女、頭イカれてンのか?」
「何も言うなレイス。レヴィはこういうタイプの女の子なんだ。……アカネとは正反対だな」
「何か言ったかしら?」
「「いえ何も」」
変なことを言ったらボコボコにされる。強者と立ち会った際に反射的に感じる威圧をレヴィから感じて、ハルもレイスも急いで口を閉じた。牢屋から出る前に死にたくないのである。
ともあれ、こんな状況なのにまだ寝ているバルドルは後で起こすとして、ハルはレヴィの手足に目をやった。
ちなみに小声である。
「ところでレヴィ。お前、外には出れたけど手錠とかは取れてねーのか」
レヴィは自分の手足についている鎖に目をやって、
「あぁ、これね。そうなのよ。鍵を持ってた看守は牢屋の鍵は持ってたけど、手錠の鍵は持ってなかった。だから私もまだ魔法は使えないわ」
それは惜しい、とハルは思った。
牢屋から出れるだけでも大きいが、魔法が使えないなら出れたとしても見つかった瞬間拘束される確率は高い。
だから、欲を言えば「牢屋の鍵」と「手錠の鍵」、この二つが欲しかった。
「……多分だが、「手錠の鍵」は一番上の人間が持ってンじゃねェか?」
そう言ったのはレイスだ。
二人に見られているレイスは、手足の手錠をじゃらじゃら鳴らして、
「「牢屋の鍵」は囚人の出入りを管理している看守が持つのが当たり前だ。だが、「手錠の鍵」は魔法の使用を禁止する特別なモンだ。もし仮に看守が「手錠の鍵」を奪われた場合、囚人が魔法を使えるようになっちまう。そうなればネザーコロシアムの情報やその他諸々の情報が外部に漏れる。その懸念を消すために、「手錠の鍵」は絶対に奪われない場所にあるはずだ。それがこの留置場を管理している人間だ。実際、そこの女が看守から鍵を奪ったのがいい例だろ。外には出れるが、魔法は使えねェ」
「「なるほどなあ」」
「……チッ。バカ共が」
何も考えていない二人の反応にレイスは苛立ちに舌を打った。
レイスの考えはおそらく当たっている。囚人を管理する以上、最悪の懸念は考慮すべきだ。こちら側でも考えられることは、向こう側も考えて対策を打っていることだろう。
「まぁ、とりあえず外に出よう。「手錠の鍵」はまた後で考えりゃいい」
言いながら、ハルはレヴィに「牢屋の鍵」を返した。するとレヴィは鍵を牢屋の錠に差して回す。ガチャ、と錆びて古びた音が解錠を表してくれた。
牢屋が開いたのだ。
レイスが先に外へ出て、ハルは寝ているバルドルに近寄った。
「おい、おいオッサン。起きろ。牢屋が開いたぞ。ここから出るぞ」
「んー……んー。むにゃむにゃ。もう覗きはできないぜぇ……」
「どんな夢⁉︎」
夢の中でも女湯を覗きたいのか。全くここまでくるとその覗き根性も立派である。
しかしそんなクソ野郎に感心してる暇もない。ハルは未だ起きないバルドルを引きずる形で牢屋を出ることに。
牢屋の外、つまり地下牢の廊下に足を踏み入れると、そこはもう冷たい牢獄ではなかった。
狭く、細く、寒く、冷たい、地獄まで続く道のようだった。
息遣い、心音、足音、衣擦れ。全ての音が反響しそうな場所だった。
「出れたのはいいけど、出口はどこなんだ」
小声でハルが言う。
レヴィも小声で返して、
「とりあえずここは王城の地下なんでしょ。看守たちが出入りしていた階段が向こうにあったわ。まずはその階段を目指して、城から出る手段を考えるわよ」
「つーかテメェ、この国の王女なンだろ? 王女サマ特権でどうにかなンねェのか?」
「無理ね。だって私、今絶賛記憶喪失中だし、オネエサマとも喧嘩中だし、父親らしい王サマとの面会もバックれたもの。さぁここで問題です。……そんな女に権限とかあると思う?」
「「……」」
答える気にもなれない二人であった。ハルの場合はレヴィが記憶喪失だと知っていたから、王城での立ち振る舞いを期待してはいなかった。
だが、それでもレヴィが今言ったことは頭を抱えるレベルで大問題だ。なんでこう、重要人物っぽい人たちと仲違いをするようなことしちゃうんだろう、この子。
「……ま、まぁ何にせよ。とにかく階段を目指そう。「手錠の鍵」も見つけなきゃいけないんだからな」
「そうね」
「あァ」
「んー……。そんな巨乳だらけの温泉を覗くなんて良いんですかぁ?」
「「「お前はさっきからどんな夢みてんだ‼︎」」」
と、バカ野郎にツッコんだ三人の声は地下の廊下に響き渡ったのだった。
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ゲイル・ペルセポネは優愛の王として知られていた。
「アイオリア王国」前国王、ゲイルの父は武力にモノを言わせる横柄な男で、故に「サフィアナ王国」とはあまり良い関係を築くことはなかった。
しかしゲイルが玉座についてからは、「サフィアナ王国」とも良好な関係を徐々にではあるが築けるようになってきたのだ。
ゲイル・ペルセポネの信念は、『皆同じ人』。
立場や境遇の違いはあれど、同じ世界に同じ人として生まれた以上、互いに隔てるモノは存在しない。
故に皆平等。
故に皆人間。
ゲイルが王になり、「アイオリア王国」は豊かになった。平民、貴族、王族。元々あった立場は消えないが、人間的な関係に壁などなかった。皆が協力しあい、皆が共に笑い合い、幸せという味を皆で楽しんだ。
これこそが国の在るべき形だと、ゲイルもその娘たちも、国民も疑わなかったのだ。
だが。
そんな甘美な世界を、「神」は許さない。
「クレタ」襲撃事件。
その事件が、ゲイル・ペルセポネと「アイオリア王国」を決定的に変えることになるとは、その時はまだ誰も知らなかった。
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「ゲイル様」
玉座の間だった。
王たる資格を持つ人間にしか座ることが許可されていない椅子に堂々と腰掛けるゲイル・ペルセポネに、側近のマルシィが言う。
「地下に収監していた囚人三名と……レヴィ様が脱獄をしたと一般看守から報告がございました。申し訳ありません」
「……逃げたか」
実の娘と不法入国者たちが一緒に脱獄したのは予想外だが、それ以外は特に驚いた様子はなかった。自分の娘が牢屋にいたというのに、だ。
本来なら、明日はレヴィと会う予定だった。カイがレヴィを確保した時もその日に接見するはずだったが、その予定はなくなり現在に至る。
失踪し、記憶をなくした娘とは、まだ一度会っていない。
――にも拘らず、ゲイルの表情は至って冷静だ。
王たる威厳か、それとも……。
「私が動こう」
「と、もうしますと」
側近であるマルシィが聞き返すと、ゲイルは王の腰を上げた。
見据えるのは、娘の居場所か。
「私自ら、レヴィを捕える」
△▼△▼ △▼△▼
地下牢の階段を登りきったところで、レヴィが背筋を震わせた。
「うぅ……! な、何今の寒気」
自身の細い両肩を抱いて震えたレヴィに、後ろにいたハルが何の気無しに、
「どうした? うんこか?」
「女の子にそーゆーこと訊くな! あと違う!」
「ごはぁ⁉︎」
当然の結果であった。レヴィのアッパーをキレイにもらってハルは階段を転げ落ちた。結局最初からやり直しである。
ゼーゼーと息を切らしながら帰ってきたハルがレヴィの隣から顔を覗かせて、
「そ、それでなんだ。どっち行くんだ」
地下牢の階段を登った先、辿り着いたのは長い廊下だった。赤い絨毯が敷かれ、壁や天井の作りや装飾、模様は瀟酒で鮮やかだ。
まさに王城と呼ぶに相応しい立派な廊下だった。こんな場所の地下に牢屋があるなんて誰が信じるのか。全く違和感でしかない。
「そうね……。今のところ看守とか王城関係者の姿は見えないし……。右か左か、どっちかしら」
首を左右に振ってレヴィはどちらに行くのか考える。こんな状況なのにまだ寝てるバルドルをもう置いていこうかとハルは思ったが、流石に善良な心が邪魔をした。
ハルは軽く息を吐いて、
「こーゆー時は右だ」
レヴィはハルを見て首を傾げる。
「その心は?」
「俺が右利きだからだ」
「どんな理由よ。アンタはどっちだと思うの?」
レヴィに問われたレイスは目つきの悪い目で左右を確認して、
「左じゃねェか」
「……その心は?」
「雷神が右を選ンだから」
「どいつもこいつも役に立たないわね!」
結局、誰もどっちが正解なのか分からないのだ。ハルたちは初見と初見だ。王城の内部構成なんて知るわけがない。それこそ、「手錠の鍵」を持っているであろう地下牢の管理者の居場所なんて皆目見当がつかない。
二人のポンコツ具合に呻いたレヴィは他人の意見を聞くことをやめたらしい。翡翠色の髪の毛を軽く束ねた美少女は右方向を指差した。
「右よ」
「ほう。……ちなみに理由を聞いても?」
「なんとなく」
「結局お前も同類じゃねーかっ!」
とか言いつつもハルたちは右を選択してそちらへ歩いていく。足音をなるべく立てず、気配を殺して、巡回中の騎士に出くわしそうになったら物陰に隠れて。
そうやって進んでいくと、ハルたちはとある部屋の前まで辿り着いた。
そこは、扉の装飾が他の扉とは違った。
まるで地位の高い者の部屋のようだ。
「なんか怪しいな」
「……そうね。もしかしたら管理者の部屋かも」
「入ってみる価値はあンじゃねェか?」
「……んー。入る価値はあるなぁ、女湯」
「「「死ね」」」
ツッコミが段々手厳しくなっていく三人は、ノックをせずにゆっくりと扉を開けていく。中に人がいたら終わりだが、そこはもう賭けだ。
ギィィイイイ……っと、開門音が静かな廊下に響く。この音でも居場所がバレてしまう可能性もあるのだから気をつけなくてはいけない。
扉が開き、中を確認したら人影はない。気配もない。どうやらタイミング良く外出らしい。
部屋の中は執務室のようだった。
重厚な机に高級そうな椅子。整理整頓された本棚に、清潔にされた部屋の模様。
ハルたちが入っていい場所じゃないのがすぐに分かる良い部屋だ。
「……誰もいないな」
言いながら、ハルはゆっくり扉を閉めると引きずっていたバルドルから手を離して床に投げた。邪魔なのである。
レヴィもレイスも部屋の中を見回して、
「都合がいいじゃない。今の内に鍵を探しましょう。無かったら無かったよ」
「痕跡は残すなよ。あとなるべく荒らすな」
「「了解!」」
「ホントにわかってンのかテメェら……」
若干ワクワクしてるハルとレヴィに不安しか抱いていないレイスは頭痛の種を見つけたみたいな顔をしている。
机の中、棚の中。
とにかく鍵がありそうな場所はくまなく探した。
だが、結果は芳しくはなかった。
ハルとレヴィは分かりやすく肩を落としているし、レイスは豪華な椅子に腰掛けながら軽く息を吐いた。
「ここじゃねェみたいだな」
「違う部屋行くか」
「まって。部屋っていうよりは人を探した方がいいんじゃない? なんかこう、偉そうな奴をさ」
「偉そうってお前……こんな奴とか?」
言いながら、ハルは本棚の空いているスペースに立て掛けられていた写真をレヴィに見せた。
一枚の写真。
そこには、仲の良さそうな三人の女の子と、大人の女性と男性が笑顔で映っている。両親だろうか?
三人の女の子も大人の女性と男性も、高価そうな服を着ていた。
その中でも、男性の方は格式がさらに高そうに見える。
「そうそうこんな感じの奴……――」
と、その写真を見た瞬間レヴィが口を閉じた。
ハルは首を傾げる。
「レヴィ?」
レヴィはハッとして、
「こ、こんな奴を探した方が早いと思うわ」
「……なんかあったのか? 知り合いか? この写真に映ってる人たち」
レヴィは首を横に振った。
「ううん。……全然知らない人たちよ」
「……そうか。でもお前、なんか顔色悪くなってんぞ。大丈夫か?」
「平気よ。ありがと」
「……ならいいけど」
とてもじゃないが平気そうには見えなかった。写真を見る前と見た後じゃ、明らかにレヴィの様子が違うように思える。
ハルは手に持つ写真を見た。
ここは「アイオリア王国」の王城内。しかも位の高い人物のであろう部屋の中だ。
レヴィは「アイオリア王国」出身で、王族。
この写真、本当に彼女とは無関係なのか?
「……なぁ、レヴィ」
「なによ?」
ハルは何かに気づいたような顔をしてレヴィを呼んだ。
この写真。
この、写真に映っている女の子。
正確には、真ん中で笑顔でピースをしている女の子。
この子がレヴィに似ている気が――、
「この写真の子、お前に似て――」
「――似ている、か? 雷神」
「――な」
ズドンッ! と。
予期せぬ事態がハルを襲った。
第三者の声がしたと思ったら、次の瞬間にはハルの腹部ど真ん中に強烈な一撃が叩き込まれていたのだ。
派手に吹っ飛ぶことはなかった。
壁をぶち抜く勢いでなかったが、めり込む程度の威力はあった。
「ジークヴルム⁉︎」
目の前でぶっ飛ばされたハルを心配するレヴィだが、そんな暇はなかった。
ハルを吹き飛ばした闖入者は、続けてレヴィを――、
「チッ! 伏せてろ緑女!」
「――っ!」
刹那、レイスの声がレヴィを伏せさせた。頭を守るように押さえたレヴィが咄嗟に伏せた瞬間、レイスが投げた高級な椅子が重さを感じさせない速さで闖入者まで飛んでった。
「おぉ。魔法なしでここまでやるか」
軽い声だった。
そんな声と共に、レイスが投げた椅子が粉々に砕かれた。パラパラと破片が舞い散って、レイスは舌打ちする。ハルは咳き込みながら前を向く。レヴィは驚きながら顔を上げる。
そして闖入者を視界に入れて全員が瞠目した。
「やれやれ。まさかこんなことになるとはな」
「……嘘だろ、オッサン」
「嘘じゃないさ、坊主。これはちゃんとした現実だよ」
髭が生えた面に、雑に伸ばした長い髪の毛の男だ。ボロい服を着ていて、手足は鎖錠で繋がれている。目つきは良くはないが、敵意も悪意も感じない、至って普通の目のはずだった。
バルドル。
牢屋で共に寝食を共にした男が、寝ていたはずの男が笑みを浮かべながらハルたちの前に敵として立ちはだかっていた。
バルドルは前髪をかき上げて、ポケットから鍵を取り出した。
ガチャ……っと、開錠の音が鳴る。
手足の錠が外れたのだ。
錠が床に落ちた。
「あー疲れた」
「オッサン。なんで……」
信じられないモノをみているような表情と声でハルは言う。
裏切り。
そんなあっさりとした三文字が頭から離れない。あっさりしているけど、決して認め難い言葉が。
良い奴だと思っていた。
脱獄を計画してくれて、一緒に外に出たら美味い飯でも食べようと……。
「なんでだよ、オッサン!」
「ギャーギャー騒ぐな、坊主。お前の話は後で聞いてやる」
「そ、そんなこと許せるわけ――!」
キン、と。
甲高い音が部屋に響いた。
ハルの胴体に裂傷が刻まれた。
「あぐぁあああああ⁉︎」
「ジ……ハル!」
何なんだ。
一体何が起こっているんだ!
次から次へと襲いかかる攻撃に、レヴィはどうしていいか分からなかった。とにかくハルのもとへ駆け寄った。
血が止まらない。
裂傷。
まるで剣で斬られたような跡だ。
傷を押さえながらうずくまるハルの背中にレヴィは手を添えながらバルドルを睨んだ。
「なんでこんなことすんのよ! コイツが一体、アンタに何をしたっていうのよ!」
半泣きで怒鳴るレヴィを煩わしいと言わんばかりの顔でバルドルは頭をかきながら、
「今のはオレじゃねぇって。うるせーなぁ」
「アンタじゃないなら誰が……!」
「私です、レヴィ様」
と、またしても新しい声が入ってきた。
キッと、レヴィは声の主を睨んだ。扉の方だ。
睨んでいた目が、わずかに悲しく歪んだ。
「……ふざけんじゃないわよ」
「……」
「ふざけんじゃないわよ! カイ・リオテス!」
桜色髪の少年だった。黒い衣装で身を纏うカイが、ハルを攻撃したことをまるで後悔していない様子でそこにいた。
彼はバルドルの隣に立つと、話しかけた。
「予定とはだいぶ違うようだな、ゲッケイジュ」
ゲッケイジュと呼ばれたバルドルは肩をすくめて、
「まさか脱獄するとは思わないだろ。ま、遅かれ早かれだったんだから細かいことは気にすんなよ」
二人にしかわからないことを話していた。こんなに巻き込まれて、ここまでされて蚊帳の外ときた。
レヴィが再び怒鳴ろうとしたところで、ハルが彼女の肩に手を置いた。
「ジークヴルム………」
「オッサン……っ。アンタも〈鴉〉なのか……?」
〈鴉〉。
それはカイを筆頭に「アイオリア王国」を守る鳥の盾として作られた護衛部隊の名称である。
ハルたちを裏切り、攻撃し、捕えようと動き、カイと同じ立場で話しているのだから、〈鴉〉である確率はかなり高い。
ハルの疑念は正しい。
だが。
バルドルは笑って否定した。
「いやぁ、違う違う。オレぁ〈鴉〉なんて高尚なモンじゃねぇよ」
「ちが、う……?」
ニッとバルドルが笑った。
〈鴉〉じゃないとなると、なんだ? この国には他にも武装組織があるとでもいうのか?
疑念が疑念を呼んで、正解がまるで見えない底の底。
もう何が何だかわからない状況で、畳み掛けるようにとある男がこの舞台に登場してしまう。
「――久しいな。レヴィ」
厳格で重たい声が全員の耳を打ち、注目を奪った。
一声で人の視線をかっさらう存在感は、ただの強者とはどこか違った。
格式、人権、位。
全てが上だと分からせる者の声だった。
その男が現れた瞬間、カイは跪き、バルドルは目を伏せて道を譲る。
白髪が混じり色が微かに落ちた緑の髪の男だ。王冠を頭につけ、紫と緑を基調とした宮廷服を完璧に着こなすその姿。「アイオリア」の国紋になっている風と鳥をモチーフにして縫われた由緒ある王の衣。
――ゲイル・ペルセポネ。
「……ゲイル・ペルセポネ」
レヴィが呟く。
ゲイルが嘆息した。
「実の父を呼び捨てにするような子に育てた覚えはないぞ」
瞬間。
ゲイルが目の前に――「な」現れたと思ったら――「跪け。頭が高いぞ」勢いよく床に叩きつけられて、レヴィは咳き込んだ。
「かはぁ⁉︎」
「れ、レヴィ!」
「貴様もだ、国賊めが」
「あがぁ⁉︎」
冷徹な視線を向けられた瞬間、ハルも床に叩き伏せられた。息が詰まる。視界が明滅する。目の前でレヴィが苦しそうに呻いている。
「れ、レヴィ……っ」
手を伸ばし、レヴィを助けようとするが、届かない。いや違う。ゲイルに手首を持たれたのだ。掴まれ、持ち上げられ、同じ目線の高さになった直後に腹部に強烈な拳を入れられた。
くの字に折れ曲がり、吐血する。
床に落ちる。
「ごっ……っ!」
「不敬ぞ」
容赦がないなんてレベルじゃなかった。
あまりにも、あまりにも理不尽。
ハルとレヴィ。二人がダウンした状況下、レイスが冷静な態度で声を発した。
「最初からこうなることを狙っていやがったな、テメェら」
バルドルが答える。
「そういうことだ。騙されてくれてありがとうな、爆殺坊主」
「……テメェ」
怒りを露わにするレイスだが、今動いても魔法が使えない以上勝てる見込みはゼロに近い。だからその場の怒りは拳を握るだけに抑え込んでいた。
涙を浮かべるレヴィは、気絶寸前のハルに視線を投げた。
「ジーク、ヴルム……」
ゲイルがレヴィの頭を掴んで持ち上げた。
「っあ……!」
「レヴィ。言ったはずだぞ、私は」
ゲイルは顔をぐいっとレヴィに近づけた。
「逆らうべき相手を見誤るな、と」
親が子に言い聞かせるようなものではなかった。強者が弱者に強制させるような、強引な音だった。
レヴィは苦悶しながらも、強がるように笑った。
「か、加齢臭のする口で喋ってんじゃ、ないわよ、クソジジィ。臭いから、黙っときなさい」
「……お前には失望したぞ、レヴィ」
「――う」
親として子に抱く感情を一切孕んでいない瞳でレヴィを射抜いた瞬間、冷酷な拳が彼女の華奢な体を捉えた。
派手な音はしない。
レヴィは腹を打ち抜かれて気を失い、ゲイルは彼女をカイに抱きかかえさせた。
そのまま、レイスとハルを残して部屋を後にしようとする。
ハルは途切れそうになっていた意識をなんとか繋ぎ止めて、背中しか見えないゲイルとカイに声を飛ばした。
「……ま、て」
掠れた声だ。
「お前らは……。お前らはレヴィに何をさせたいんだ……っ。どうしてソイツばっかり、そんな目に遭わなきゃいけねぇんだよっ」
「……」
「レヴィは、道具じゃねぇぞ。お前らの思惑に必要な、道具なんかじゃねぇぞ……っ!」
記憶をなくして。
無理矢理、牢屋に入れられて。
親に殴られて。
どうしてこんなに酷い目に遭わなきゃいけないんだ。
レヴィが一体、何をしたっていうんだ。
「ふざけんなよ、「アイオリア王国」……っ! レヴィが幸せに笑えない国なんかに、意味なんかねぇんだ。そんな国に、価値なんてねぇんだよ。……そうだろ、なぁ! カイ!」
「……」
カイは答えない。
誰も答えない。
それが悔しくて、許せなくて、ハルは膝を着いて立ちあがろうとしながら怒鳴った。
「絶対に許さねぇからな! レヴィは俺がもらう! お前らなんかにソイツは渡さねぇ! レヴィはオレたち「サフィアナ王国」の仲間だ! 「アイオリア王国」なんかに奪われてたまるかってんだよ!」
許せるはずがない。
ここまでされて、ここまでしてくる国に、友達をいさせるわけがないじゃないか!
「待ってろよ……。必ずお前を連れ戻して、俺がこの国を終わらせてやるから! だから信じて待ってろよ! レヴィ‼︎」
カイとゲイルが部屋を去る瞬間、抱えられていたレヴィの閉じられた目から涙が溢れたのを、ハル・ジークヴルムは確かに見たのだった。
△▼△▼ △▼△▼
――そして。
未解決の問題が一つある。
レヴィが連れて行かれ、ハルとレイスが騎士たちに連行される間際だ。
一連の流れを全て傍観していたバルドルがハルに話しかけた。
「自己紹介しておこうか、坊主」
ハルはバルドルを睨む。
「なんだよ今更。お前も覚えとけよ、オッサン」
「まぁまぁ。聞いといて損はないぜ」
損得なんて関係ない。
コイツが裏切らなければレヴィが連れて行かれることはなかったのだから。
聞くつもりなんてなかったが、バルドルはそんなハルとレイスの意見なんてどこ吹く風とばかりに無視して口を開いた。
自己紹介。
彼は言った。
「――〈死乱〉。第二席」
その、悪意の坩堝の中心にいる名を。
「バルドル・ゲッケイジュだ。――これから短い間よろしくな、雷神と爆神」




