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最後の異世界物語ー剣の姫と雷の英雄ー  作者: 天沢壱成
風都決戦篇
130/192

『三章』⑭ ノーザン・ドロフォノス


 ノーザン・ドロフォノスが誕生したのは九月の冷え込んだ日の夜だった。

 彼女を産んだのは、ノリアナ・ドロフォノス。『本家』直系の、混ざり血なんて一切ない純粋な血統のドロフォノスだ。

 ノリアナは『本家』の中でも特に優れた人材で、「お父様」に認められた者にのみ与えられる称号––––〈死乱アッカド〉の第三席だった。

 〈死乱アッカド〉は「ドロフォノス家」の先鋭。「お父様」を除いた、最凶の部隊。

 だから「ドロフォノス」家の人間その全てが、ノリアナの出産に期待した。

 彼女に継ぐ狂人。

 もしかしたら超えるかもしれない逸材。


 ……だが。


「ノーザン様は、先天性の魔力成長遅延病まりょくせいちょうちえんびょうです」


 「ドロフォノス」のかかりつけ医が、「ドロフォノス」全ての人間の期待を裏切る形で言葉にした。

 よわい一才の時だった。

 まだ首も据わっていない、言葉すら話せない、言語を理解することすら出来ない産まれたての時から、ノーザンは「ドロフォノス」から蔑みの目を向けられることになった。

 

 しかし、本来ならそれだけで『廃家』の烙印を押され、『本家』から追放されていたであろうノーザンはそうならなかった。

 何故か。

 母の力が絶大だったのだ。

 〈死乱アッカド〉の第三席は伊達じゃない。今までの功績や実力を考慮され、『廃家』追放だけは免れたのだ。

 不幸中の幸い、だったと言えるだろう。


「ママー! 見て見て、キレイなチョウチョさん!」


 四才。

 魔力成長遅延病が原因で魔力の総量は二才児と同等か、あるいわそれ以下だっだが、それでもノーザンはすくすく元気に成長した。

 ノーザンの成長を喜ぶ者もおれば、その逆で忌む者もおり、はたまた興味を持たない者もいた。

 しかしそんな中でも、誰よりノーザンの成長を喜んだのは母であるノリアナだった。彼女は産まれながらに欠点がある娘を、心から愛して慈しみ、罪人の身でありながら神の加護がこの子を守ってくれますようにと毎夜祈っていた。


 彼女の姿は、まさに理想の母親像だったろう。

 しかし、そんな幸せも永くは持たない。

 ノーザンが六才の時だ。

 「ドロフォノス」家の伝統が、彼女に降りかかった。

 それが「二人三殺ににんさんさつ」である。

 「二人三殺」は「ドロフォノス」家で新生児が誕生した六年後に行われる適正試験。

 殺しの才能。

 あるいは謀略と計略、詐欺の才能。

 ありとあらゆる悪業の才能を見極める、「ドロフォノス」家特有の儀式。

 ノーザンは六才になり、「二人三殺」を受けることになったが、魔力成長遅延病により彼女の魔力は四才児かそれ以下の総量しかない。しかも本来なら発現してもおかしくはない固有魔法も未だに顔を出さず、「二人三殺」など受けられる状態でもなかった。


 だから母であるノリアナは、「お父様」に直談判をした。この子にはまだ早いと。時期を考え直してほしいと。

 しかし、〈死乱アッカド〉の第三席の声は「お父様」には届かなかった。

 理由は明白。

 この六年で、ノリアナは弱くなったのだ。

 罪人としてはS級。

 「ドロフォノス」としても最凶。

 しかし六年前ほどの強さも狂気も、今の彼女からは感じなかった。だから周囲では「落ちた凶人」と囁かれるようになり、その衰退した恐怖の圧力をこれみよがしに利用して自分の地位を上げようとした者もいた。

 その者がノーザンに試験を実施するように「お父様」に提案したと知ったノリアナは、当然ソイツに食いかかる。

 だが。


「それなら三席の座を降りればいいじゃない。貴女がその椅子から降りれば、私が「お父様」にノーザンへの「二人三殺」の実施を中断するよう話をしてあげるわ」

 

 ノリアナはソイツが提示した条件を呑んだ。

 三席なんていう称号には、もう微塵も興味なんてなかったからだ。 

 

 ––––なのに。


「A級罪人、もしくは同等級の魔導士を二人で三人殺してこい。それで「二人三殺」は終了だ」


 ノーザンは「二人三殺」に参加した。

 参加、させられたのだ。

 発狂しそうになった。

 怒りでどうにかなりそうだった。

 ノリアナは「二人三殺」の概要、その難易度を知っている。

 ノーザンが「二人三殺」で生き残れるわけがない。

 「二人三殺」は、ペアで三人の魔導士を殺すこと。だが等級は罪人に置き換えたらA級。『本家』生粋の子供でも生き残れる確率が低いのに、ノーザンが試験をクリアして生き残れるはずがない。

 言っていることが滅茶苦茶だった。

 意味なんて分かりたくもなかった。

 ただ、分かるとすれば騙されたことだけ。

 試験はもう止められない。始まったら最後、クリアするまで安息はない。

 ノリアナは試験開始会場にいる全員を皆殺しにしたい殺人欲求を抑えて、目的地へと足を向けた。

 ソイツは呑気に屋敷で酒を嗜んでいた。

 ノリアナは本気で殺そうとソイツに接近し、首根っこを掴んで吊るし上げた。

 ギュッと首を掴む手に力を入れて、ぐちゃぐちゃにしようとする。

 だがその前に、訊くことがあった。


「かっは……っ。ど、どうして裏切ったですって? クッふふ。笑わせるんじゃ、ないわよ。一体いつから、私が貴女と手を組んだと思い込んでいたの? ……私は貴女が絶望する様を見たかっただけ。第三席に座り込んで、あの方に気に入られて自惚れている貴女を、苦しめたかっただけよ。だから利用したのよ、あの忌まわしいガキを。あっはは。今ごろ大変、かもしれないわねぇ? 怖い罪人が、魔法もロクに使えない女の子を狙っているかも知れないんだから」


 嫌気がさした。

 こんな人間と同じ血が、自分の体の中にも通っていると思うと、心底嫌気がさした。殺すことすら不快になりそうだった。

 ノリアナはソイツの首から手を離すと、部屋の壁を盛大にぶち壊して外へと出る。急いでノーザンのもとへと向かう。

 「二人三殺」に大人の、それも〈死乱アッカド〉の元第三席が介入するなど前代未聞。「お父様」に粛清されるかもしれない。

 でも、それでも娘だけは助けたかった。

 そして、森を疾走する中ノリアナはようやく気づいた。


 ––––あぁ、そうか。

 私はあの子に、普通に生きてほしかったんだ。


 闇の中ではなく、光の中を。

 殺しではなく、救いの手を持って。

 こんな血みどろの世界じゃなくて、優しさに溢れたキレイな世界で、幸せに。

 名を口の中でつぶやいた。

 間に合え。

 早くしないと罪人に殺される。

 絶対に守ってみせる。


 十分後。

 ノリアナは罪人に襲われているノーザンを見つけ出し、助けることに成功する。

 だがそれは御法度だ。

 なんの罰もないなんてことはありえない。


 両手を血に染めながら、ノリアナは屋敷へ帰還する。直後に取り押さえられ、ノーザンとは引き剥がされた。

 ノーザンが泣きながらノリアナを呼んでいるのが聞こえるが、どうすることもできなかった。

 そのままノリアナは屋敷の奥へと連れて行かれた。


 自分の手が血で汚れていることが、こんなにも嫌だったなんて初めて知った。

 殺ししかない人生を、初めて悔いた。



♢♢♢♢♢♢



 母親が屋敷の地下で拷問を受けていることを知ったのは、「二人三殺」から四日後だった。

 ノーザンは結局「二人三殺」を1週間後に再試験することになったが、その事実はノリアナには伝わっていない。

 当然、そんな難しいことなんて六才のノーザンには分からないが、とにかく彼女の中では「早くお母さんを返してほしい」という思いしかなかった。


 自分の家系は人殺しをする血統。

 人を殺すことで存在意義を見出し、世界から爪弾きにされても何も思わないような人間の集まり。


 そんな家に生まれたことを、ノーザンは失敗だったとは思った。

 だけど、生まれてこなかったら大好きな母親には出会えなかったから。だから失敗だったとは思うけど、後悔なんてしていない。そもそも生まれてくる場所なんて子には選べない。

 ノーザンは何も悪くない。

 ノリアナだって悪くない。


 だからノーザンは「お父様」に会いに行った。

 まだ一度も会ったことがない、「ドロフォノス」当主。みんなが恐れて、みんなが尊敬するおとなの人。「お父様」ならママを助けてくれるかもしれない。痛いことをするのやめてって、言ってくれるかもしれない。


「下がれ」


 それだけだった。

 見向きもされなかった。

 立ち尽くすしかなかった。

 どうして誰も、ママを助けてくれないの?

 家族なんじゃ、ないの?


 ノーザンはその日、警備の人間の目を盗んで地下に投獄された母親に会いに行った。

 暗くて寒い地下道を抜けて、階段を降りて、牢屋が並ぶ回廊に辿り着く。

 母を呼んだ。

 声が響く。

 もう一度母を呼んだ。

 声が響く。


 そして、ノーザンは目撃した。

 

 母親が、手足を鎖手錠で拘束された状態で血まみれになっている姿を。


「ま、ま……?」


「……………………の、ざん」


「ママ……っ!」


 やっと会えた。

 傷だらけだけどやっと会えた。

 ノーザンは牢屋の鉄格子に飛びついて、母を呼んだ。ノリアナは精気の薄い瞳でノーザンを見た。

 四日ぶりの再会。

 ノーザンは必死に母を助けようとした。


「まま、ままっ! 一緒に帰ろ、帰ろう……っ!」


「……な、んで」


「まま……? 何、どうしたの?」


「なんでここに来たのバカ娘!」


「………え」


 ノリアナの怒声が冷たい地下の牢屋に響き渡った。

 初めて怒られた。

 あまりの衝撃に、ノーザンは言葉を失った。

 そしてその衝撃も止まぬ内に、ノリアナは怒声を連続でノーザンに浴びさせた。


「誰がここに来ていいって言ったの! 誰が私に会いに来てと頼んだの! 勝手なことをして許されると思っているの⁉︎」


「ま、ま……。だって、だって、わたし、ままに会いたくて……」


「私はあなたなんかに会いたくなかったわよ! あなたがここに来たことがバレたら、私が痛い目に遭うのよ! そもそも私がこんなことになっているのは全部あなたのせいでしょ!」


 視界がくらりと揺れた。

 頭が真っ白になった。

 わたしの、せいなの……?


「あなたがちゃんと「生まれてきていれば」、私が三席を降りることも拷問を受けることもなかったのに! 全部全部、あなたが原因でこんなことになってることがまだわからないの!」


「……まま、まま。やめて、やめてよ。そんなこと言わないでよ……っ」


 涙が溢れる。

 胸が張り裂ける。

 心がズキズキ痛む。


 そして、トドメの一言があった。


「あなたなんか、産まなきゃよかった!」


 鉄格子から、ゆっくりと離れていく。

 つまずいて転ぶ。立ち上がる。母から目を離せない。怖い顔をしている。見たことない顔をしている。

 涙が視界をボヤけさせる。

 声が出ない。

 悲しい。 

 寂しい。

 ようやく会えたのに。

 せっかく会えたのに。


「ま、ま……。わたし、だって、わたし……ママに会いたかったんだもんッ。ままと一緒に寝たくて、頭を撫でてほしかったんだもん……ッ」


 夜は怖くて寂しいから。

 誰も優しくしてくれないし、遊んでくれないから。

 だから一緒に毛布に包まれて、大好きな「雷神のお伽話」を読み聞かせてもらいたくて。

 ……それ、なのに。


「ギューってしてほしかったんだもん……っ!」


「今すぐここから消えなさい! でないとその喉笛を噛み切って殺すわよ、ノーザン・ドロフォノス‼︎」


「……っ!」


 違う。

 この人はお母さんじゃない。 

 この人はお母さんの姿を真似た悪魔だ。だって、ノーザンにこんな酷いことを言うわけない。

 こんなに、怖いはずない。

 ノーザンは泣き叫びながら地下を出て行った。

 その悲痛な声は、どこまでも地下に響き続けて。


「……ごめんね、ノーザンッ。……ごめんねッ」


 冷たい石畳の上に涙が落ちた音は、響かなかった。



♢♢♢♢♢♢



 「二人三殺」再試験、当日。

 満月が怪しく光る夜に、ノーザンは一人で森の中を走っていた。

 試験内容は前回と同じだが、今回は一人で行う。

 つまり、一人で三人殺さなければならない。

 支給されたナイフ一本で、三人の殺害。

 魔法すら目覚めていない、魔力も乏しいノーザンが達成できるとは誰もが思っていない。当然、それはノーザン本人でさえも思っていることだ。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」


 それでもやらなくては自分が殺される。

 無様に逃げ帰ったところで、待っているのは「死」だけだ。

 魔法も使えない、魔力もない、ナイフだけが殺人手段のノーザンは、屋敷から一番近い小さな町に辿り着く。

 その街は、罪人が多く滞在している。ガヤガヤとしている街並みを眺めて、ノーザンは息を吐く。

 覚悟を決めなければならない。

 人なんて殺したことはないが、殺さなきゃ自分が殺されるのだから。

 

 そうして、ノーザンは自分でも簡単に殺せそうな人間を探し、見つけ出して、ナイフを振りかざし、失敗し、半殺しにされ――――覚醒した。


 合成魔法。


 多種族間を合成させることで全く新しい獣を作りだす魔法。

 ノーザンは自分を殺そうとした人間の皮膚を噛みちぎり、近くを歩いていた猫と合成させ、人の形をした猫の魔獣を生成。

 一瞬にして相手を殺害。

 血の海が、臓物の装飾が完成する。

 

「……あは、は。これが魔法……!」


 体に満ちる全能感。

 魂を満たす快楽感。

 人を殺して溢れてくる満足感。

 ノーザンはこの日、人を殺すと「自分のストレスが解消」されるという間違った快感を知った。


 「二人三殺」をクリアするのに、時間はかからなかった。

 

 そして、ノーザンは無事に「ドロフォノス」の『本家』へと正式に迎えられることになった。

 魔力成長遅延病は、歳を重ねるにつれて症状は緩和していき、十才を迎える頃には殆ど完治していた。

 

「ノーザン様。お仕事です」


「分かった」


 次期〈死乱アッカド〉。

 まさに期待の新星としてノーザンは「ドロフォノス」として生きていた。

 今日もまた、人を殺す仕事。

 そして十回目の誕生日だった。

 「ドロフォノス」家に誕生日を祝うという行事は存在しない。そんな暇があるなら腕を磨けと言われる。

 だからノーザン自体も、そこまで自分の誕生日に頓着しない。

 

 だが、それでも誕生日になるとノーザンは決まって足を運ぶ場所があった。

 誕生日にしか、そこを訪れることを許されていない。


 仕事の前に、ノーザンはそこに行った。


「……お母さん。今日で十才になったよ」


「……………………」


 暗い地下。

 異臭が漂う、地下牢。

 その中には、ノリアナが精気も何も感じない、まさに無の人形と化したまま鎖に繋がれていた。

 ノーザンは罵られて以来、母の声を聞いたことがない。


「今日はね、最近「ドロフォノス」の土地で好き勝手暴れている罪人を殺しに行くの。この仕事が終わったら、私はまた一歩、お母さんに近づくことができる」


「……………」


「名前は確か、ハリヤーって罪人だったかな?」


「……………」


「じゃあ、そろそろいくね。また来るよ」


 反応はなかった。

 もう慣れた。

 でも、やっぱり寂しい。

 また、昔みたいに仲良く笑い合いたかったから。

 あの日の母の言葉を忘れたことはない。

 だけど嫌いになったわけじゃないから。

 母の言うことは正しかった。だから強くなった。自分が強くなることで、母は正しかったんだと証明出来るから。


 今回の仕事は、絶対に失敗出来ない。

 この仕事を成功させれば、『本家』の拠点がある「風の都」に配属される。

 母が通った道だ。

 必ず、私がお母さんの絶対性を証明してやる。


 ――――数時間後。


「あぐぁ……っ!」


 ノーザンの合成獣キメラが、夜の空気に溶けて消えていく。

 「アイオリア王国」領土内の、更には「ドロフォノス」の領地である中規模の街の、その裏路地。ノーザンは腹部に裂傷を喰らい、身動きを封じられていた。

 罪人・ハリヤー。

 闇討ちを図ったが、直前に気取られて失敗。カウンターが直撃した。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ。痛……っ!」


「まだこんなことをさせているのか、あの「家」は……」


 黒い髪の、細い身体をした男――――ハリヤーがそう呟いた。まるで「ドロフォノス」のことを知っているような口振り。

 ノーザンは腰に備えていたナイフを抜き取り、フラフラと立ち上がる。

 ナイフを構える。

 ハリヤーが眉間に皺を寄せて目を細めた。


「まだ戦うのか。その傷じゃ、もうろくに力も入らないだろうに」


「あなたを、殺さないと……。お母さんが……」


「母親のために、か。キミ、名前は?」


「……ノーザン・ドロフォノス」


 瞬間。

 ハリヤーが大きく目を見開いて固まった。

 まるで信じられないものを見たような様子だ。完全に隙だらけだった。

 今なら殺せると思った。

 ノーザンは動く。

 手負でも、ナイフ一本あれば……。


「そうか。キミがノリアナの……」


「……?」

 

 どうしてコイツが母の名前を知っている?

 いきなりそこら辺にいるような、いいやそれよりもよっぽど平凡的な顔をしている罪人の男から母の名前が口に出されて、ノーザンの思考と行動が一瞬止まる。


 その、刹那だ。

 

 ズバン……ッ‼︎と。

 付近にある建築物と地面が抉れるほどの斬撃が、ノーザンとハリヤーの間に刻まれた。大地が歪み、地割れ、破片が舞う中、ハリヤーは後退しノーザンは目を瞑る。

 開くと、誰かの腕の中。

 

 ノリアナだ。


「お母、さん……?」


 ノリアナは地面に着地するとハリヤーを睨んで、


「失せろ! この子に危害を加えたら、魂まで殺し尽くすぞ!」


「……そうか。ならば、僕が出る幕はなさそうだ」


 その言葉を最後に、ハリヤーはノーザンたちの目の前から姿を消した。

 突然の街の破壊現象に、周囲がザワつき始めていた。このままだと色々厄介なことになりそうだ。仕事は失敗して傷だらけ。最悪だ。

 でも。


「お母さん……」


 久しぶりに、母の温もりを感じた。

 顔を見上げた。

 こっちは見ていなかった。

 ノリアナは、怒りの形相でとある方向に目を向けていた。

 ノーザンたちが住んでいる屋敷だ。

 すると、突然ノリアナはノーザンをその場に置くと一瞬にして姿を消した。

 目にも留まらぬ速さ。

 ノーザンは驚愕も醒めないまま、しかしノリアナがどこに向かったのか理解する。

 屋敷だ。

 怪我は服を乱雑に破って縛り止血して、母を追いかける。


 屋敷に着いて、息を呑んだ。

 屋敷の門番や、中にいた人たちが全員血の海に沈んでいるのだ。

 息が荒くなる。

 嗅ぎ慣れた血の匂いが気持ち悪い。


 そしてノーザンが辿り着いたのは、会合の間。

 「お父様」や〈死乱アッカド〉、重役や客人を招くための部屋。

 本来なら中には入っちゃいけない。

 だが、微かに感じるのだ。

 母の気配を。

 ノーザンは唾を飲んで、扉の取っ手に指をかける。


「――――約束が違うじゃない‼︎」


「……っ!」


 ビクッと、ノーザンの肩が揺れた。

 母の怒声が、部屋の中から聞こえたのだ。何が起きている? どうしてノリアナは怒っている? ノーザンはそっと扉に耳をつけて、中の様子を盗み聞きする。


「…‥違う、とは?」


「とぼけないで! どうしてあの子に実の「父親」を殺させようとしたの! 父親のことに関しては何もしない! そういう誓約だったはずでしょ!」


「そうだ。だが、誓約を先に破棄したのはノリアナ、貴様のはずだ。貴様は「二人三殺」でノーザンを助けた。それは「ドロフォノス」を裏切る行為だ」


「だからそれは私が拷問を受けることと、〈死乱アッカド〉の辞任で終わった話でしょ! あの子に父親を殺させることはないでしょうが!」


「拷問と〈死乱アッカド〉の辞任如きで、貴様の行為が帳消しになると思っていたのか? 貴様は私の、強いては「ドロフォノス」の期待を完膚なきまでに裏切った。本来なら万死に値する。分かっていないようだな、貴様の『血統』の重要性を。貴様は他の「ドロフォノス」とは違い、真の意味での『私』の血を受け継いでいる。故に貴様も、子であるノーザンも、潜在能力は高く、魔法も貴重。……だが、貴様はその貴重性を理解せずに浅はかな行動をした。親の責任は子の責任だ。その逆もな。だからその罰則として、己の父親を殺させようとした。あの裏切り者の制裁にもちょうど良いしな」


「浅はかな行動? 自分の子供を守る行為のどこが浅はかなのよ! 自分の子供、家族を道具としてしか見てないアンタなんかに、親の気持ちを知ったような口振りで語られたくないわよ! 説教の真似事はやめなさい、クソジジィ!」


「もう問答は良い。下がれ。貴様にもう興味も用もない。好きなところで好きなように生きて無様に死に去らせ、出来損ない」


「……っ! クソジジィが調子乗るんじゃ――――」


「「お父様」に対しての無礼、見てられないわね」


 中での激しい声のぶつかり合いが、途端に途絶えた。もう一つの声の介入。女の声だ。それが聞こえた瞬間、ノリアナの声がしなくなったのだ。

 嫌な予感。

 ノーザンは感情に身を任せて扉を勢いよく開けて部屋の中へ入った。

 直後。

 ノーザンの視界に血飛沫が飛び込んできた。

 

 剣が、ノリアナの胸を穿っていた。


「凶人と恐れられた貴女も、所詮は子の親ね。十年前の貴女だったら、こんな剣くらい躱すのは容易かったはずなのに。……無様だわ、貴女って女は」


「……か、っはっ」


「…………お、お母さん‼︎」


 ノリアナを穿った女は、ノーザンが入ってきたところを見ると面白そうに笑い、剣を抜いた。

 ノリアナが床に落ちる。魔力が乗せられた斬撃が、空間を奔る。

 避けられない。

 殺されると察した。

 しかしその直後、その斬撃が獲物に選んだのはノーザンではなくノリアナだった。

 ノリアナは一瞬にしてノーザンの前に飛び込んでくると、背中で彼女を守ったのだ。

 血が舞い、ノリアナの口から吐き出された血がノーザンの顔に微かに着いた。

 目を見開いた。


「お母さん……⁉︎」


「……まっ、たく。来ちゃいけないところに、来るのが上手いんだから……。手のかかる娘だわ……」


 ノリアナはガクッと前に倒れた。

 ノーザンはそれを小さい体で受け止める。背中の傷から溢れてくる血を止めようと手で止める。止まらない。

 「ドロフォノス」の当主、「お父様」を見た。


「「お父様」! お母さんを、お母さんを助けてください! お母さんの血が止まらないんです! このままだとお母さんが死んじゃう! 私の、ノーザンのお母さんが死んじゃうよ!」


 無視。

 冷たい目。


「……っあ。な、なら〈死乱アッカド〉の皆さんでもいいです! お母さんは仲間でしょ! 同じ家族でしょ! 助けて、お母さんを助けて! 喧嘩なら仲直りして! ノーザンがお母さんの分まで頑張るから! だから仲直りして、お母さんを治してください!」


 無視。

 部屋にいる六人の笑い声と、冷たい目。


「……なんで、なんで誰もノーザンのお母さんを助けてくれないんですか……っ‼︎‼︎」


「……もう。いいのよ、ノーザン」


 誰も助けてくれない絶望的な状況の中、腕の中にいるノリアナがか細い声でそう言った。ノーザンはノリアナの口元に耳を近づけた。


「お母さん、お母さん! 大丈夫だよ、大丈夫! ノーザンがお母さんを助けてあげるから! あ、あんな人たちになんかもう絶対に頼らない。私が絶対に助けてあげるから!」


「……あり、がとうね。でも、もう本当に、いいのよ、ノーザン」


 ノーザンは泣きながら首を横に振った。


「よくない、何もよくないよっ。わたし、私、まだお母さんと一緒にいたいもんっ! ……そ、そうだ。雷神様、雷神様がきっと助けにきてくれるよ!」


 伝説の英雄。

 魔神を倒して姫を救い出した、本物の英雄。


「雷神様は、困ってる人がいたら絶対に助けに来てくれるんだ。だって、本にはそう書いてあったから! きっとお母さんを助けに来てくれる!」


「そ……うね。じゃあ、それまでは、頑張らなきゃ、ね……」


 ノーザンはノリアナがそう言うと、小さい背中でおんぶして、部屋から出ようとする。

 「お父様」や他の人なんて今は気にしてられない。無礼もクソもない。今は母を助けることだけに全てを注ぐ。

 扉から外へ。

 化け物たちとは違う世界へ。


「夢は醒めたら夢ではないぞ」


 「お父様」の声。

 六人の笑い声。

 五月蝿い。

 カッとなった。

 力を振り絞って、振り返って、涙と怒りでくしゃくしゃになった顔で叫んだ。


「お前たちなんかただの悪魔だ! 人の心なんてないただの魔神だ! いつか、いつか必ず雷神様がお前たちを懲らしめにきてくれる! お前たちなんか、お前たちなんか真六属性アラ・セスタ様が許さない!」


「それは楽しみだ。伝説の英雄様に会える日を楽しみにしていよう」


 怒りと憎悪を置いて、ノーザンは部屋から出て行った。

 夜の森を歩いていた。

 一刻も早く母を医者に診せて治してもらわないと。

 荒い息。

 疲労困憊の体。

 痛む傷。

 涙と汗が伝う顔。

 血跡が出来てしまう森の道。

 冷酷な月の光。


「大丈夫、大丈夫だよお母さん。もうすぐ近くの街に着くから。そしたら、すぐにお医者さんに診てもらおう」


「あり、がとうね、ノーザン」


「ううん、ううん。いいんだよ本当に。私、またお母さんとこうしてお話しできて嬉しいよ」


「ふ、ふ。私も、嬉しいわ……。ごめんね、沢山、たくさん酷いことを言って。嫌だったわよね、傷ついた、わよね……」


「大丈夫だよお母さん。最初は悲しかったけど、もういいんだ。だって今、こうしてお母さんと昔みたいに話せてるんだから」


「……優しい、ね。いい子に育って、お母さん嬉しいわ。……ごめんね、ノーザン。こんな家に産んでしまって。こんな私が、母親で……」


 なんでそんなことを言うの。

 そんなことを言わないで。

 

「私、お母さんの子供で良かったよ。お母さん以外の子供なんて嫌だよ。前世でも今世でも来世でも、私はずっとお母さんの子供がいい。……だから、産んでくれてありがとう。ノーザンのお母さんになってくれて、ありがとう」


「……ずっと、殺すだけの日々だったけど。私は、あなたからその言葉をもらうために、今まで生きてきて、生まれてきたのかもしれないわね」


 耳元で、ノリアナが深く息を吸って吐いた。

 優しく強く、抱きしめられた。

 

「ノーザン。あなたを世界で一番愛してる」


 親愛と、真愛と、信愛と、深愛が。

 この世界に満ちる温かいすべての愛が詰まったような言葉と声だった。

 嬉しかった。

 だって、久しぶりに抱きしめられながら、愛の告白を受けたのだから。

 ノーザンは歩く足に力をいれた。

 早く、はやく、ハヤク。


「私もね、お母さんを世界で一番愛してるよ」


「…………り、がとう」


「街に着いたら、傷を治してさ。それで遠くへ行って、二人で静かに暮らそうよ。きっと楽しいよ」


「そ、……ね」


「一緒にご飯を作って、ケーキなんかも作って、お買い物して。私、そーゆーことお母さんとしたかったんだ。だから絶対しようね、約束」


「……え、え」


 街の光が見えてきた。

 森の闇が終わる。


「まってて、お母さん。もー着くからね」


「……――――」


「お母さん? 寝ちゃったの?」


「――――――……」


「……疲れちゃったんだよね。今は休んでて。ゆっくり寝てていいからね」


「―――――」


 街に入る手前。

 森を抜ける寸前。

 ノーザンは足を止めて、座り込んだ。

 最初は静かに。

 やがて大きくなって。

 誰にも止められなくて。


 わんわんと、わんわんと。

 泣き続けた。



♢♢♢♢♢♢



 ノーザンは母の遺体を誰も知らない場所に埋葬した。

 そしてあることを決意する。

 

 ――――「ドロフォノス」の壊滅。


 母をこんな目に遭わせた奴らに地獄の苦しみを。

 癒えない傷を。

 

 従順に従うフリをした。

 『廃家』に堕とされたノーザンは、好機を待つまで「ドロフォノス」に従った。殺して殺して、殺し尽くした。

 いつか必ず。

 「ドロフォノス」を、「お父様」を殺すために。

 母の仇を、討つために。


 しかし長すぎた。

 時間が経ち過ぎたのだ。

 無理かもしれないと、思い始めたのだ。

 一向にこない好機。

 強くなっていく「ドロフォノス」。

 衰えない「お父様」の恐怖。


 ノーザンは逃げた。

 自分の使命を放棄したのだ。

 母にたくさん謝った。一人じゃ無理だった、ごめんねと。

 きっと母なら許してくれる。

 だから大丈夫。

 そう言い聞かせて、そこら辺の男に抱かれて、子を孕った。

 

 その後は、まさに母と同じ運命だ。

 捕まって、拷問を受けた。


「なっはは。楽しいなあ、楽しいなぁノーザン! 「純血」の「ドロフォノス」を痛ぶるのは悦だなぁノーザン! なっははははははははは! もっと痛がれ、もっと泣け、もっと絶望しろ! なっはははぁ!」


 違うとすれば、まだ子は生まれてない。

 産まないと決めてたけど、母の気持ちがわかってしまったのだ。

 守りたい。

 会いたい。

 この子に世界の優しさを見せてあげたい。

 抱きしめたい。

 愛を送りたい。


 テレサ。

 優しい女神の名前を、この子につけた。

 元気に育ってくれた。

 だけど、「ドロフォノス」だから。

 「純血」の「ドロフォノス」だから。

 

 それでもこの子には人殺しなんて道を歩んでほしくなかったんだ。

 だから逃げて、ほんの少しだけど幸せな時間を過ごして、だけどまた捕まって。

 拷問されて。

 引き剥がされて。


「なっはは。お前に幸せは来ないよ。夢ばかり見ていたら、目覚めた時が辛いよ、ノーザン」


「……ちくしょう」


「君はボクが丁寧に痛ぶるから。娘もね?」


「ベルクぅうううううう‼︎ 娘に手を出したら、絶対に殺してやるぞぉおおおおおおおおお‼︎」


「なっははは! それは楽しみだ、ノーザン‼︎」


「ちくしょおおおおおおおお――――‼︎‼︎」


 そこからは、下るだけだった。

 下るだけだから、時間はかからなかった。

 もう、登るための勇気も足もなかった。

 心はズタズタで、希望はない。

 誰も「ドロフォノス」には勝てない。

 誰もあの魔神たちには、勝てないんだ。


 

 ――――世界で一番愛してる。



 助けて、お母さん。

 助けて、雷神様。


 誰でもいいから、この絶望から救い出して。


 その願いが、叶うことはなかった。

 

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