『三章』⑪ 記憶が人を繋ぐのか否か
よろしくお願いします。
よければ評価の方もしてくださると嬉しいです。
––––すまない、レヴィ。
……だれ?
––––君にしか頼めない、ことなんだ。
……何を、頼むの?
––––私を、殺してくれ。
……あなたは、いったい誰なの?
♢♢♢♢♢♢
「……ん」
懐かしい響きのある、けれどその正体が分からない声を聴いて、緑髪の少女……レヴィは目を覚ました。
微かに痛む頭を抑えながら、レヴィは上体を起こす。どうやら自分は路上で倒れていたようだと気づいて、不思議がる。
確か、あの青髪アホ面男と一緒に行動していて、何かを質問されてたような……。
「……っ。頭いった。なんなのよ、全く。ていうか、さっきからヤケに風が強いわ……ね」
髪の毛が邪魔だと思えるくらいに靡き、服がはためく。まるで風の腹の中にいるような感覚に、レヴィは苛立ちながら眉を顰めた。鬱陶しい、と顔に書いてある。
髪の毛を押さえ、起き上がり、周囲を見回して。
「……は?」
一瞬。
本当に一瞬、状況を理解するのに躊躇った。この現状を理解するためには、あまりにも情報が少ないし、そもそも分かりたいとも思わなかった。
……それが、見知った顔の人間じゃなかったらの話ではあるが。
強風の正体。
それはとある桃色髪の少年が、右手を空に掲げて風の大剣を生み出していることが原因で発生しているモノだった。
この少年については『全然知らない』が、そんな彼と対峙しているもう一方の奴は見覚えがあった。
というより、さっきまで一緒にいた少年だ。
ハル・ジークヴルム、といったか。青髪の少年が、風の大剣を生み出している桃色髪の少年と睨み合っているのだ。
「……なによ、この状況」
「レヴィちゃん! 伏せて!」
「え?」
途端、背後から別の声。
思わず振り返れば、これまた見覚えのある「黒髪」の美少女が血相をかいてこちらに走ってきていた。
サクラ・アカネ。
彼女は後ろから走ってくるとレヴィに抱きついて、そのまま地面に倒れ込む。
「ちょ、何すんのよこのバカ! 離しなさい!」
「バカはそっちだよ! アレが見えないの⁉︎」
「アレって……」
叫んで叫び返されて、更に怒鳴ってやろうとしたレヴィはすぐにその口を閉じた。言葉を忘れた。
少し離れた頭上、風の大剣が躊躇なく振り下ろされて、ハル・ジークヴルムに襲いかかったのだ。
瞬間、周囲の風が大剣に吸い寄せられて暴れ出し、突発的な豪風がレヴィとアカネを襲う。
「……っ! 何考えてんのよあの桃男は! あんな魔法をこんな所で使ったら、どれだけの被害が出ると……!」
「そうだけど、そんなことも今は言ってられない! このままじゃあたしたちまで巻き添いを喰らう羽目になる!」
「分かってるわよそんなことくらい! 退きなさい、私がなんとかす、る……」
上に乗っかるアカネを無理矢理どかし、立ち上がろうとした時だった。視界がくらりと揺れ、明滅し、足に力が入らずに、その場に膝をついてしまった。
「レヴィちゃん⁉︎」
「う、うるさいわよ。頭に響くでしょ……」
何故ここまで頭痛が酷いんだ? ついさっきまでは何もなかったのに。こんな状況で、こんな状態で、こんな有り様で、とてもじゃないが魔法を使って正確に風の操作を実行できるとは思えない。
舌を打ち、霞む視界の中レヴィは顔を上げる。
すでに風の大剣は振り下ろされていて、今にもハル・ジークヴルムを一刀両断しそうな勢いだ。
このままじゃ、確実に彼は死ぬ。
死ぬ。
死ぬ。
死ぬ。
––––やだよ、■■■■。
「……っ!」
声が、した。
幼い頃の、自分の声だろうか?
––––殺したくない、殺したくない! 死なないで!
ひどく辛そうで、悲しい声だ。
でも、どうしてそんな声を出しているのか、分からない。
––––死んじゃヤダよ。誰にも死んでほしくない!
「……っ!」
幼い自分の、切な願い。
どうしてこんな悲しい声の記憶の、その原因を思い出せないのかは分からない。どうして今、この状況で頭の中に流れるのかさえ。
でも、誰にも死んでほしくないと、そう思える過去の自分は、とても美しくて、同時に正しいと思った。
人は皆、誰かが死ぬことを嫌う。それは全く関わりのない、会ったことすらない他者の他者でも同じだ。当然、社会の中には「どうでもいい」と考える人間もいるだろう。
だが、少なくともレヴィはそう思わない側の人間だった。
今日会ったばかりで、距離感がヤケに近くてムカついて、ろくに知らない少年少女だけど。
それでも死んでほしくないと願うのは、悪だろうか?
断じて、否である。
「やめて……」
大剣が、ハル・ジークヴルムに迫る。
「……お願いだから、もうやめてっ」
大剣が、ハル・ジークヴルムに直撃する––––、
「もう誰も! 私の周りから奪わないで‼︎」
––––刹那だ。
レヴィの悲鳴じみた声が桃色髪の少年の耳に届き、彼は剣を振り下ろしながらこちらに視線を移した。
そして、驚愕していた。
「姫様……⁉︎」
レヴィに一瞬意識が向いたカイを、ハルは見逃さなかった。風剣を取り巻く風の圧力が微かに乱れて薄くなり、目測が逸れる。
避けようと思えば避けられるが、しかしそれをしたら街に甚大な被害が及ぶ。
ならばどうするか。
決まっていた。
ハルは鋭い呼気を吐き、頭上に迫り来る風剣を真正面から撃破する構えを取る。
その攻撃的な姿勢にレヴィから意識をハルに戻したカイが驚愕する。……まさか、こんな高密度の魔力を纏った一撃を何の対策もなしに、力業だけでねじ伏せようとしているのか、と。
バチバチバチバチ……ッッッ‼︎‼︎‼︎ と。青色の雷が、紫電がハルの身体を駆け走り、喝采する。
撃ち落とすだけじゃダメだ。威力も同等に、それでいて相殺しなくては意味がない。
ハルは両手に絶大な魔力、雷を集める。凝縮し、圧縮し、密度を高めて迎え撃つ。
その構えは、真剣白刃取り。
そんなハルを見て、アカネは察する。彼が相殺しようとしていると。だから咄嗟にレヴィに抱きついて、四方に三メートル大の刀剣を展開、壁の様に囲わせて余波から身を守ろうとする。
「サクラ! アンタこんな壁なんていいから、早くあの青髪を……!」
「ハルなら大丈夫! それよりも自分の身を守ることだけに専念して!」
「大丈夫って……! あんな大技喰らったら、タダじゃ済まないでしょ! それに、アイツはアンタの仲間なんじゃないの⁉︎ どうしてそんなに冷静でいられるのよ!」
「冷静なんかじゃないよバカ! でも、それでもあたしはハルを信じてるから! 大丈夫だって、ハルならなんとかしてくれるって、信じてるから!」
「……信じる」
まだ見ぬ幸福な世界。あるいは想像したことのない世界を呆然と眺めるような、掠れた呟きをレヴィは残す。風に流れて消えてしまいそうなほどの、頼りない声だった。
アカネが何を言っているのかサッパリ分からないようだけれど、アカネにはそうとしか言えなかった。
ハルを信じてる。
それだけで、アカネは自分の命くらいハルに預けることが出来る。
アカネの言葉に圧されてレヴィは黙り、剣の壁の向こう側に目をやった。瞳に映るのは剣の刃に反射して映る自分の頼りない姿。
「……ジークヴルム」
その声は、果たしてハルに届いただろうか。
ともあれその瞬間、ハルとカイの衝突が終わりを迎えようとしていた。
真剣白刃取りの構えを取ったハルの両手が、風剣を挟もうと内側に閉じられる。
「場所を弁えやがれ! 桃野郎‼︎‼︎」
「……なっ!」
パン‼︎‼︎‼︎ と。
雷を纏ったハルの両手が風剣を挟むことに成功し、相殺が完了する。火花のように散る青白い紫電に桃色の魔力粒子。美しさすらある風剣の終わりにカイは目を見開き立ち尽くしている。
街に被害はなく、多少の余波は生まれたがアカネたちにも危害は及んでいない。
……だが、かと言ってめでたしめでたしというワケにもいかなかった。
ハルは銃弾のように一瞬にしてカイの懐深くまで走って潜り込み、拳を握り締めた。
「これでチャラだ」
「………っ!」
「俺たちの喧嘩に、周りを巻き込むんじゃねぇ‼︎」
グゴキィッッッ‼︎‼︎‼︎ と。
おそろしく鈍い音が響き渡る。
岩のように握り締められたハルの右拳が、盛大に絶大に、カイの顔面にめり込んで。
そのまま、超火力をぶっ放した桃色髪の少年が、後ろに吹っ飛んでいった。
♢♢♢♢♢♢
「––––姫様!」
そう言って、カイ・リオテスはベットの上で飛び起きた。
「あ! やっと起きやがったなこの野郎!」
と、カイの覚醒にいち早く反応したのは窓際の椅子に座って肉を食っていたハルだった。彼は肉を食い切るとズカズカ歩きながらカイに近づいていく。ハルの雰囲気的にすごく怒ってそうだ。カイはカイでそんなハルを無視して自分が寝ていたベット、それから部屋に視線を回している。
キレイ、とは言えないがボロくはない、どこか年季の入った狭い部屋だった。簡易的なベットに机と椅子しかない小さな部屋。
そして、当然ハルだけが部屋にいるワケはない。カイとハルを密室に二人きりにするなどありえない。
だから、ハルが近づいてきているのにカイはそちらに目もくれないで別方向を見ている。
壁側の椅子に腰掛ける、緑髪の少女だ。
レヴィ。
「……姫様」
ボソリとカイは呟く。同時にハルがカイの胸ぐらを掴もうとするが、それはアカネに羽交締めにされて阻まれてしまった。「離せアカネ! コイツはもう一回殴っとかねぇとダメな気がする!」「はいはい。落ち着いてハル。ほら、お肉あげるから」「いや俺はペットか何かなのか⁉︎ 貰うけども!」
などと言い合っているハルとアカネは再度窓際まで下り、カイとレヴィが見つめ合う絵面が完成する。
カイはベットから出て、一歩だけレヴィに近づいた。レヴィは怪訝な表情を浮かべながら、カイの瞳を見返す。
「……姫様」
「……?」
姫様。
何度かカイの口から出ているその名前。アカネとハルは目を合わせながら首を傾げている。
カイは更に一歩、近づく。
「姫様。私です。カイ・リオテス、あなたの従者にして騎士。あなたをお守りする盾にございます」
出会えた感動と幸福。それから微かな愁哀を宿す表情と声色に、アカネは察した。
レヴィだ。
カイがずっと探していたと言っていた人物は、間違いなくレヴィだ。
だが、「姫様」とは一体どういう意味なのだろう? そして気になることはもう一つ。それはレヴィの反応。少なくともカイの様子を見るに、二人はどうみても古くからの知り合いで、カイからしてみれば「命を投げ打ってでも助けたい存在」なのがレヴィである。
つまり、それはお互いがお互いを「友人か、あるいはそれ以上」の関係だと認めていないと成立しない。
しかし、レヴィからはカイほどの感動を、幸せを、哀しさを感じない。
「……アンタ」
レヴィがボソリと呟いて、カイは微かに顔を明るくする。一歩ではなく二歩、近づいた。
「はい! 私です! 覚えておられますか、レヴィ様!」
レヴィに呼ばれた? カイは感極まって更に近づいた。そうして二人の距離はほぼゼロになり、手を伸ばせば届くほど。
感動の再会、とはどこか違う。
二人の反応には多少のズレが、差異が、チグハグさがある。
カイは冷静さを取り戻すみたいに大きく息を吐いてから、
「レヴィ様。お迎えに上がりました。さぁ、共に帰りましょう。私たちの国––––「アイオリア王国」。「アネモイ」へ」
「「え⁉︎」」
カイの何気ない一言にアカネとハルは思わず声を上げてしまった。二人ともヤケに「アイオリア」やこの街のことに詳しいと思っていたら、まさかの国民だった。予想しなかったワケではないが、いざ本人の口から聞くと衝撃は隠せない。
……では、その、何か?
カイの言っていることがもし仮に正しかったら、レヴィは「アイオリア王国」の王女ということになるのか?
「……アンタ。さっきから馴れ馴れしいけど、誰?」
「「あ。やっぱそーなります?」」
これもこれで想定内の反応だったので、アカネとハルは声を揃えてそう言った。宝石鳥の中にいる時から、レヴィには記憶障害の可能性があった。自身の名前は覚えていたが、それだけ。出身国や名前以外の自分の情報、その他多くの記憶が欠落している。
だから、カイが言う「姫様」が事実だったとしても、レヴィに「姫様」だった頃の記憶はない。
「……そうですか。やはり、記憶を失っておられるんですね」
泣くでも、怒るでも、落胆するでもなかった。
微笑んでいた。
それも、楽しさをまるで感じない、ひどく痛くて悲しそうな、辛い微笑み。その顔をみる第三者までも胸を締め付けられそうな、小さい微笑み。
それでもレヴィは顔を顰めながら首を傾げているだけで、ハルは気まづそうにそっとアカネの耳元で囁く。
「……おいアカネ。なんだよこれ。なんだよこの空気。帰りてーよ。すごく帰りてーよ。なんで何も悪いことなんてしてないのに、なんかすごい悪いことした気分にならなきゃいけないの?」
「こっちが聞きたいよそんなの。何かすごく訳ありな関係なのは分かるけど、取り残されてるあたしたちにどうしろと? 踊ればいいの? この空気を壊すために敢えて空気を読まない「エアクラッシュダンス」をすればいいの?」
「エアクラッシュダンスってなんだ」
「知らない」
「知らねーのかよ」
と、アカネとハルが軽口を叩き合ってる時だ。
レヴィが言った。
「……アンタは。私のこと知ってるの?」
「……」
その言葉は、レヴィ自身が己の記憶喪失を認めるようなモノだった。アカネも、ハルも、本人に直接記憶障害があるのではないかと訊いたことはない。訊こうと思えば訊けたただろうが、初対面の人間にいきなり「もしかして記憶喪失なんですか?」と訊くのも失礼な話だ。
だから、今まで確証なんてなかった。
だから、今確証が生まれた。
やはり、レヴィは記憶を失っている。
それも、かなり多く。そして断片的に。
「癪だけど、私はどうやら所々記憶を失ってる。その原因が何なのかは知らないけど……アンタはそれを知ってるの? アンタは私の、何を知ってるの」
当然気になることだった。
同時に、自身を知る人間に対しては酷な質問だった。それも、カイのように自身を慕っている人間なら尚更だ。自分はあなたのことを想っているのに、あなたは私のことをひとつも覚えていない。
それはあまりにも、悲しい。
「……先程も申し上げましたが」
カイは呟いた。
「私は貴方様の騎士でございます。貴方様の命をお守りするためなら、私は魔神だろうと地獄の神であろうと、必ず葬ります」
「………」
大きい例えだと、アカネはそう思う。
けれど、それだけ本気で、レヴィのことを大切に思っている証拠だとも。
アカネはカイが、「命よりも大切な人を探していた」ことを知っている。恥ずかしげもなくそう言い切っているカッコ良さを、知っている。
だから、今の言葉が決して冗談なんかじゃないことも、分かるのだ。
なのに。
「……悪いけど。私にとって初対面のアンタに、いきなり私の騎士とか言われても頷けないわ。まだあそこにいる青髪の方が信用できる」
言いながら、レヴィはハルを指差した。
ハルは数秒ポカンとしてから、驚いて自分を指差す。
「……え、俺⁉︎」
「……キサマ」
「いやおかしい! 色々おかしい! 誰が好んでレヴィの騎士なんてやるかよ! やりたくねーよ!」
「それはそれで酷くない?」
カイからの険悪な視線、レヴィの少し落ち込んだ反応に、ハルはどうしていいか分からない。
結局アカネに助けを求めて、何故か苦笑しながら頭を撫でられた。
「まぁ、つまり。何一つ知らない人間に守られるより、少しだけ人間性と性格を知っている人間に守られる方が、私は安心するってことよ。……そうでしょう?」
いっそのこと冷たいと思われても仕方ない言葉をレヴィは吐いて、それをカイは真正面から受け止める。
いや。
受け止めるしか、ない。
しばしの沈黙から、カイは息を吐いた。
「……そうですね。姫様の言う通りです」
こんな、悲しいことがあっていいのかと、アカネは眉尻を下げてしまう。これにはハルも、カイに強く出れない。
だって、カイがレヴィに抱く感情は、家族や友達よりも大きい、「何か」だ。あれだけボロボロになって、あれだけ必死になって探していて、ようやく再会出来た相手に忘れられているなんて。
そんなのは、もう悲劇と何も変わらない。
そんなのは、残酷以外の何物でもない。
「申し訳ありません。少しだけ席を外させていただきます」
「私に許可なんて取る必要ないわ。だって、私はアンタの「お姫様」なんかじゃないんだから」
これに対して、カイは何も言わなかった。ただ、静かに頭を下げて、彼は部屋を出て行った。扉の開閉音がどこまでも寂しそうに響き渡り、その音はまるでカイの心の泣き声のようだった。
そうして、カイがいなくなって数分。
気まずい沈黙が流れる部屋で、レヴィが口を開いた。
「……私ってお姫様だったの‼︎⁉︎」
「「知るかぁ‼︎」」
と、今までの空気をぶち壊す勢いで、レヴィは驚愕を隠さずに叫んで。
そんなレヴィに心底腹立ったアカネとハルは、少しだけキレ気味に返答したのだった。
♢♢♢♢♢♢
そしてアカネたちがいる部屋の外。
「……何か、入り辛くね?」
桃色髪の少年とすれ違ったユウマが、一緒にいるセイラとノーザンにそう同意を求めていた。




