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最後の異世界物語ー剣の姫と雷の英雄ー  作者: 天沢壱成
風都決戦篇
124/192

『三章』⑧ 心は距離を保ち自惚れる

大変お待たせ致しました。

楽しんで頂ければ幸いです。


 ––––兄さん。


「…………」


 明かりが点いていない、昼下がりの穏やかな暗さに落ちる部屋。カーテンは閉められているがその材質は薄く柔らかく、外に広がる青空は見えて陽光が微かに差し込んでいる。


 宝石鳥スフェラバードの体内にあるその一室のベットに腰掛けて、茶髪に和服の少年––––ユウマ・ルークは神妙な面持ちで黙り込んでいた。

 今朝の騒がしい、いつも通りのノリをしていた彼の面影は、今はない。


「…………」


 ––––兄さん。


 脳裏を過ぎるのは、かつて殺したはずだった弟の声。

 泥犁島ないりとうで想定外の邂逅を果たし、取り逃した相手。

 ひずみ・ゆうま。

 またの名を、第S級指定罪人・月詠ツクヨミ

 とある島をたった一人で悲劇と惨劇の海に沈めた正真正銘の怪物。

 それが、ユウマの弟。


「…………」


 ぎゅ……っと拳を握り、目を瞑る。

 瞼の裏に映るのは幼い頃のゆうま。

 耳に幻聴されるのは現在のゆうまの声。


 どちらも大切な弟だ。かけがえのない人間だ。

 だから殺した。

 いや、殺そうとした。

 弟の罪は兄の責任で、弟の後始末は兄が付けなくてはならない。

 そう、思っていた。間違っていないと確信していた。


 ……でも。


『––––罪人を殺しても殺人にはならない』


 それは。


『––––出来たとしたら、罪人以上に罪人で、化け物だよ』


 正しいことなのかもしれないと、そう思ってしまった。


「…………オレは」


 どうすればいいのだろう。

 どうすればよかったのだろう。

 ユウマはハルとは違い、「殺人」を許容している部分がある。

 大前提として、人は殺しちゃいけない。

 世界においての絶対的なルールで、犯してはならないのが「殺人」である。これを平気な顔して破り、人間社会に害悪をもたらすのが罪人ではあるが、彼らの倫理観と価値観をユウマの「精神理論」に当てはめてはならない。


 罪人は善悪好悪関係なく人を殺す。

 だが、ユウマは「正しい力で正しい悪」を罰する場合のみ「殺人」を認めている。

 セイラはおそらくユウマの考えをわかってくれると思うが、ハルとアカネは否定側の人間だろう。

 それはそれで別にいい。

 悪を殺し仲間を守れるなら、ユウマは喜んで自らの手を汚す。

 

 ––––そう、守ろうとした。守りたかった。助けたかったんだ。


 だからゆうとを殺そうとして、でもユウマの考えは実のところ本質的には罪人と何も変わらなくて。

 いいや、むしろ罪人より性質が悪い怪物じみた思考性で……。


「……なら、オレはどうすればよかったんだ」


 ボソリと、乾いた唇を動かして、掠れた声で呟いた。

 当然ながら、ユウマの疑問に答えてくれる人はどこにもいない。

 ひずみ兄弟を導いて、心の在り方を教えてくれた、親愛を注ぐに値する『師匠』はもう、いないのだから。


 ––––だから。


「……ユーくん。入ってもいい?」


 その時。

 ドアのノックと共に聞こえたその声に、ユウマは微かに驚きながら顔を上げた。

 そしてこちらが何かを言う前に、扉はギィ……っと音を立てながら静かに開かれて。


「……ナギ」


「メイレスさんにみんなをリビングルームに集めろって言われたの。多分、そろそろ「エウロス」に着くんじゃないかな」


「分かった。すぐ行く」


 微笑んでユウマは頷いた。

 無理してると自分でもわかるくらいに、不器用で、それでいて痛々しい笑みだった。

 自分の中の問題が解決していないのに、何が「分かった」と言うのか。

 

「……ねぇ、ユーくん」


 と、ベットから重い腰を上げて部屋を出ようとした時だった。

 ふと、後ろにいるナギから声をかけられた。

 背中に当たった彼女の声は、ユウマを慮る音を優しく宿している。

 ユウマは努めて平静さを取り繕い振り返る。


「どうした、ナギ。そんなキャラじゃねぇ声なんか出してよ」


 ナギは豊満な胸の前で華奢な両手を微かに強く握って、


「無理、してる……?」


「何をだよ。オレは何も無理なんかしてない。すこぶる好調だぜ、ほらこの通り!」


 言いながら、ユウマとはその場で軽く数回虚空をリズミカルに殴りつける。

 どこも心配をする必要はないと。

 決して無理なんかしていないと、「無理矢理」証明するみたいに。


「……私たちは、まだ出会って日が浅いけど。互いに命を預け合った戦友だよね?」


 訥々と、ナギが麗しい唇でそう紡ぎ始めて、ユウマは眉間に皺を寄せた。

 急に何を言い出すんだ、この女は。


「別に全部を話してなんて大それたことは言わない。人間、誰にだって話したくないことはあるだろうし、『心の距離』もあると思う」


「……そう、だな」


「でも。仲間がから元気を「いつも通り」だと嘯いて、心の距離を理由に『心を開いてくれない』のは……少しだけ、悲しい」


「……」


 寂しげな微笑みを浮かべながら、ナギはユウマを真っ直ぐ見ながらそう言った。

 数秒、ユウマは言葉を失い立ち尽くす。

 そんな風に考えてるなんて思ってもいなかった。

 だってこれはユウマの問題で、ハルやアカネ、セイラとギンにだって関係のないことだ。

 出会った時期、関わった時間を理由に友達じゃないと言うのは違う。そんなのは分かっている。

 だから、ナギの言う『心の距離』なんて実のところユウマはないと思っているのだ。でも、彼女がそう感じたのなら、多分、そうなんだろう。

 だけど、だ。

 ユウマは息を吐き、口を開く。


「お前を信頼してないとか、仲間じゃないとか。そんなくだらない理由でオレが『何か』を話さないんじゃない。……これはオレの問題なんだ。だからこそ、お前ら仲間を巻き込むわけにはいかないんだよ」


 それはユウマなりの優しさで、ケジメでもあって、筋を通す理由でもあった。

 仲間は大切だ。それこそ自分の命よりもかけがえのない存在だ。己の命一つで仲間を助けられるというのなら、ユウマは喜んでその身を捧げる。

 だから分かってほしいと。

 ユウマは仲間を、自分の問題に巻き込んで、失いたくないと、そう思うのだ。


 ––––なのに。


「仲間なら、仲間の問題に首を突っ込むのが普通だよ」


「……ナギ?」


「話してくれなきゃ、何も分からないよ。……仲間だから、力になりたいんじゃない……ッ」


「………………………」


 今にも泣き出しそうな顔で、ナギ・クラリスという一人の女騎士はそう言った。まるで親友に信頼されてないと知った女の子のような、寂しそうな顔だった。

 ユウマはほんの少しだけ、唇を噛んだ。

 力になりたい。

 そう言ってもらえることが、どれだけ嬉しいことか。ナギの気持ちは素直に、本当に嬉しい。

 そして同時に、自分の愚かさが憎たらしい。

 心の距離なんてものはない。

 だけど、それを無意識のうちに作ろうとしていたのは、きっとユウマだった。

 ナギはもうゆうとを見ている、知っている。過去を知らないだけで、あいつを認識している。


 そしておそらく、あいつは風の都にいるはずだ。

 これはドロフォノスとか関係なしに、あいつは必ずユウマを殺しに来る。

 今のユウマでは、ゆうとには勝てないかもしれない。こんな中途半端な覚悟しかなくて、殺しを肯定して罪人以下の正当性を主張して、仲間に辛そうな顔をさせるユウマでは、誰にも勝てないかもしれない。


 でも。

 そんな彼でも。

 力になりたいと言ってくれる人がいる。

 それは、なんて、奇跡なのだろう。


「……前も言ったけど。アイツはオレの弟なんだ」


 しばらくして、だ。

 気づいたら、ユウマは口を開いていた。

 ナギは静かに頷いて、彼の話を聞く。


「話すよ。どうしてアイツが罪人になったのか。どうしてアイツを殺さなくちゃいけないのか」


 過去の扉を、開く。

 胸の内にしまい込んだ、大切だけど思い出したくない、辛くて苦い、甘い過去の記憶を。

 覚悟を決めるかのように息を吐き、言った。


「全ては七年前。オレたちの師匠……アスナ・ルークに会った時から、悲劇は始まっていたんだ」



♢♢♢♢♢♢



 コンコン、と軽い音が響いた。


「レヴィ? 入ってもいい?」


 銀髪に蒼い瞳、夏仕様の制服を着ているサクラ・アカネはレヴィの部屋の扉をノックした。

 ……反応がない。

 隣にいるハルと目を合わせ、首を傾げる。

 コンコン、と。もう一度ノックをする。


「……レヴィ?」


 やはり反応はない。


「腹でも壊してうんこしてんじゃね?」


「……ハル。今更だけどデリカシーを神様から貰ってきて、今すぐに。多分今なら無料配布してると思うから」


「ご、ごめんなさい……」


 女の子は怖いのである。

 アカネから感じる圧を十分理解したハルは素直に謝り口を閉ざした。

 しかし反応がないのは気になる。トイレの可能性は確かにあるが……出来ればそれだけはやめてほしいとアカネは思う。単純に気まずい。


「……戻ろうか」


「いいのか?」


 諦めるように息を吐いて、アカネはハルにそう言った。ハルは首を傾げるが、アカネは「うん、いいよ」と頷く。

 元々、レヴィに会おうとしていた理由はそこまで深いモノじゃない。純粋に体のどこかに不調がないか、そして「本当に何も覚えてないのか」を確認したかっただけだ。

 ハルは一度レヴィの部屋の扉を見てからアカネに視線を移して、


「……まぁ。アカネがいいって言うならいいんだけどさ。でも、会いたいんだったらこの扉ぶち破って無理矢理会わせることもできるぞ?」


「ノーサンキュー。そんなことしたら、どんどん印象が悪くなっちゃうよ」


「あいつの印象も悪くなる一方だけどな」


 アカネがわざわざ来てやったのに顔も出さないなんて生意気だ、くらいのことを思っていそうなハルの表情に銀髪の少女はクスリと笑う。

 それから、二人は元来た道を戻ろうと振り返り––––、


「ちょっと。全部聞こえてるっつーの」


 そう、重たい声色で言ったのは扉を開けてこちらの様子を伺ってきた緑髪の少女だった。

 言い方は悪いが少しだけ汚かった少女は、見る影もなく綺麗な素肌をさらしている。頬が紅潮し、微かに緑色の髪が濡れている。着ているのも泥が目立った襤褸ぼろではなく、バスローブに似た洋服だ。

 つまりこれは。

 どうしてノックをしても反応がなかったのか。


「なるほど! お風呂に入ってたから気づかなかったんだね!」


「ちっがーう。アンタらと話すことなんて何もないから応答しなかったのよ。お風呂なんて随分前にあがってるわ」


 そんなこと言っても結局は反応してくれた、と中身の良さには敢えて触れなかったアカネは苦笑して、そらから口を開いた。


「じゃあ、もし今時間が空いてるなら……少しいい?」


 レヴィは呆れた息を吐いて、


「……はぁ。ねぇアンタ、人の話聞いてた? 私はアンタらと話すことなんて何もないって言ってるんだけど?」


「でもあたしはレヴィに話があるから。だからお願い、部屋入れて?」


「……意外と精神図太いのね、アンタ」


 呆れたような、意外だったかのような、そんな顔をしたレヴィはアカネから食い下がる気配を感じなかったのだろう。お風呂上がりの緑髪美少女は半開きだった扉を完全に開けると、


「お茶なんて贅沢なモノはないわよ」


 アカネはクスリと笑った。


「ありがとう、レヴィ」


 そんな二人……というよりアカネを見てハルは頭の後ろで両腕を組みながら、どこか嬉しそうに笑う。


「にっししし。流石アカネだ」


 レヴィに貸し与えられた部屋は実に簡素だった。

 必要最低限の家具が備え付けられた、白を基調とした部屋。

 襤褸ぼろを着て、スス汚れていたレヴィはシャワーを浴びたおかげで小綺麗になっており、部屋の色がよく似合っている。

 彼女は部屋の中央にある椅子にアカネとハルを座らせると、ベットに腰掛けた。


「……で。話ってなに」


 どこか不満そうに呟いたレヴィにアカネは苦笑する。話す気はないと言っておいて、こちらを無下にするわけにもいかないから聴く体勢を取っているのだろう。

 やっぱり悪い子じゃないんだ、と少しほっとしたアカネは口を開いた。


「話って言っても、難しいことを訊くんじゃないの。ただ、具合はどうなのかなと思って」


 レヴィ自身、超高空をどうして落下していたのか覚えてないという。だが、その経緯はどうあれ人間が生身の状態であんな大空にいれば外傷や内傷のどちらかを負っていても不思議ではない。

 酸素濃度や気温は地上とは比べ物にならないほど人間にとって生きにくいもののはずだ。


「身体に不調なんてないわよ。見ての通りピンピンしてるわ」


 アカネの心配を余所に、レヴィは自分の胸を自信満々気に張ってそう言った。……無理をしている訳ではなさそうだ。本当にどこも異常はないのだろう。

 アカネはそっと胸を撫で下ろして、


「そっか。よかった」


「……」


 人の良さが滲み出る雰囲気を出しながら、アカネは優しく笑う。それを隣で見ているハルもどこか嬉しそうだ。

 一方で、レヴィは微かに目を細めた。

 水色の瞳が、アカネを映す。


「……アンタ、歪んでるわね」


「……え?」


 歪んでいる。

 その言葉をつい最近誰かにも言われた。

 「お父様」。

 「ドロフォノス」の親玉で、悲劇の根源。

 奴はアカネが『真髄』を強引に解放し、自身が受けるダメージを気にしなかった時、確かに言った。


 ––––歪んでいるな、貴様。


 そして今レヴィがアカネに言った「歪み」という言葉の響きは、「お父様」が口にしたモノと同じ音をしていた。

 緊張か、それとも恐れか。

 唾をゴクリと飲み込んだアカネを見て、レヴィはそっと息を吐く。


「自分で言うのもどうかと思うけど、アンタらから見たら私は正体不明の美少女よ? そんな得体の知れない人間の体調を、普通心配する?」


 レヴィからすれば、警察でもない人間が他者を助けて心配するのはおかしい、ということなのだろう。

 例えば『町人A』が路上で寝ているホームレスを気遣って心配する、という心の働きがレヴィにとっては理解できないのかも知れない。

 アカネは「お父様」の言葉を忘れるためかのように息を吐くと、


「誰かを心配することが、そんなに変とは思わないよ。少なくともあたしは、レヴィだけじゃなくて……みんなを心配すると思う」


「それがたとえ、罪人だとしても?」


「罪人だとしても。その人が本当に困っていたら助けてあげたいし、力になりたい。名前しか知らなくて、それ以外のことが何もわからないなんていう状況とか関係ないよ。その人が生きていて、何かを抱えているのなら……あたしは心配するよ」


 そっと胸に手を当てながらアカネはそう言った。

 レヴィは信じられないモノを目撃したかのように、微かに目を見開いてる。

 偽善。

 綺麗ごと。

 ともすれば笑われる理想論。

 だけどアカネは口だけじゃ終わらない。

 実際に、彼女は助けている。

 ノーザン・ドロフォノス。

 罪人の中の罪人である血統の女性を、一人の母親として見てその手で救いの手綱を掴み、引っ張り上げている。

 そして何より。

 第S級指定罪人、復讐者ティーシポネ

 エマ・ブルーウィンドという親友がいた。

 だからこそ、サクラ・アカネの言葉には確かな重みと信憑性が滲んで見えた。


「……苦労するわよ。その生き方は」


 どこか憐れむように、だ。

 そして哀しむようでもあった。

 雨色の瞳でアカネを真っ直ぐ見ながら、レヴィは言う。


「とてもじゃないけど、アンタのその生き方は万人に受け入れてもらえるとは思えない。それはよっぽどのお人好しか馬鹿でもない限り、ね。……きっと、その道は……苦しい」


 ギュ、と。

 ベットに腰掛けるレヴィは己の拳を膝の上で力弱く握り締めていた。

 自分も同じ経験をしたことがあるのだろうか?

 まるで忠告されているかのようだった。

 その道はもう通ってきた。とんでもなく険しくて、一人じゃ到底歩けない。気づけば足はボロボロで、振り返っても血の跡しかない。だからやめておけ。その先には光なんて存在しない、と。


「一人じゃな?」


 そこで、だった。

 ずっとアカネとレヴィの会話を黙って聴いてたハルが口を開いた。

 彼に視線が集まる。

 

「お前が言っていることは分かるよ。他人を助けて心配する生き方じゃ幸せにはなれない。ただでさえ人間は自分の幸せを作り上げることに手一杯になるから。だから知らねえやつの幸せなんか救い上げなくたって構わない……」


「そうよ」


「でもそれは『お前の考え』だ。『俺たちの考え』はそうじゃない」


「……おれ、『たち』?」


 ハルは頷いた。

 笑って。


「ああ! アカネの生き方は『俺たち』の生き方だ。コイツの行動は全部俺たちが肯定する。そりゃあ間違ってたら止めるけどさ、でも間違わないって信じてるんだ。万人がアカネを否定しても、『俺たち』はアカネの隣にずっといる。血だらけの道を歩いているのは、アカネだけじゃねぇ。『俺たち』もなんだよ」


「……アンタはそれで、いいの?」


「いい! だって『俺たち』は仲間なんだから」


「……仲間」


 まるで夢を見ているかのような呟きを、レヴィは薄く濡れた唇からこぼした。

 仲間だから仲間の考えは許容する。文字だけ見れば誰もが笑い飛ばして夢物語だと馬鹿にすることだろう。だけどアカネもハルも口だけじゃない。

 彼らは〈ノア〉。

 人助けを軸に動き、困っているなら万人平等にその手を握る善人の船だ。

 そしてハルは気づいているのだろうか?

 アカネが何故そう思えるようになったのかを。その起因が自分たちだと。


「……お人好しでも馬鹿でもない。アンタらは大馬鹿野郎よ」


 決して小さくも、そして大きくもない声だった。しかしその音は風が吹けば飛んでいきそうなほどに頼りなかった。

 アカネは首を傾げ、レヴィから目を離さない。

 けれど、お風呂上がりの緑髪の美少女はベットに横になり、アカネとハルから目を逸らす。

 まだ二人がいるのに、この姿勢。

 話すことはもう何もない、と言いたいのだろうか。


「……レヴィ。あたしは本当にあなたのことを心配してここにきたの。別にあなたの機嫌を損なうためにきたわけじゃ……」


「見て分からない? 話は終わりよ。それに私は怒ってもいない。アンタらに何を言われようが知ったこっちゃないんだから」


 他人行儀とはまさにことのか。

 確かに他者から見ればアカネたちの態度は異常と捉えられてもおかしくはないほど『友好的』だ。そういう態度が気に入らない人間からしてみれば不快になるのも無理はないだろう。

 レヴィは最初から、何枚も何枚も壁を作っていて、アカネたちとはかなりの距離がある。仲良くなりたくない、と言えば嘘になるが、『心の距離』を詰めるには少しばかり時間がかかりそうだった。


 アカネは部屋から去るかどうか逡巡し、機嫌を損なわせたことを謝罪しようと口を開きかけて、


「レヴィ––––」


「行こう、アカネ」


 ぽん、と。

 アカネの細い肩に手を置いて、ハルがそう言った。

 銀髪の少女は振り返り、少年を見る。


「ハル……」


「お前が俺たちに心を開くまで時間がかかったようにさ。あいつにもあいつの時間とやり方があるんだよ。……だから今は一人にしよう」


「……うん。そう、だね」


 ハルの言う通りだ。

 アカネも最初はこうだった。壁を作って、誰も彼も信用しないで、疑心暗鬼に囚われて、孤独の袋小路に追いやられていた。

 人は人だ。

 みんなが必ずしも同じとは限らない。

 逆に言えば、レヴィとアカネは少しだけ似ているのかもしれないが。

 『心の距離を置く』という、面だけを言えば。


「行こう、ハル」


「おう」


 何も言わない方がいいと思ったから、アカネはもうレヴィに話しかけることなく、静かに部屋を後にした。

 そうして一人、扉の開閉音が終わるとベットに横になったレヴィは人知れずに目を閉じる。外から聞こえる風の音を耳にしながら、こう言ったのだった。


「……大馬鹿野郎よ」


 その声を。

 聞いている人は誰もいない。



♢♢♢♢♢♢



 「集まったの」


 そう言って、メイレス・セブンウォーはリビングルームに集まった泥犂島ないりとうメンバーを見回して頷いた。レヴィはまだ寝室で寝ていることだろう。

 ナギとユウマがここに来るのに少しだけ遅かったが、それを深く追求しようとはアカネは思えなかった。

 普段通りの二人には見えるのだが、何となく触れてほしくないと空気感が語っている。


「もう間も無く「エウロス」に到着する。分かっておると思うが、あくまで儂らの目的はドロフォノスの討伐じゃ。それ以外の面倒事は避けたい」


 ドロフォノスの討伐。

 メイレスの口からその言葉が出ると、改めてとんでもないことを今から達成しにいくのだなと、アカネは緊張してしまう。

 この世界にきて早一ヶ月。

 見たくないものも沢山見たし、楽しいことも体験した。その中で、やはり罪人という存在はとにかく大きい。この世界の悪玉にして害敵。そんな常識外の連中の中でも飛び抜けてイカれてるのが「ドロフォノス」。


 異世界生活一ヶ月で、更には魔法も会得したばかりの高校一年生が究極殺人一家に戦いを挑むというのだから、人生何が起こるか分からない。

 ……とか一人で思っていると、メイレスに凝視されているハルが口を開いた。


「……なんだよ。なんで俺を見ながら『面倒事』は避けたいとか言うんだよばぁちゃん。何もしねーぞ」


「何かをしそうなのがハル坊と……」


 言いながら、メイレスはアレスに視線を移して、


「アレ坊だからじゃ」


「「心外だ!」」

  

 息ピッタリなところがもう怖い。正直メイレスの懸念は一理あると全員が無言で頷いていて、ハルとアレスに味方はいないようだ。

 二人を見ながら苦笑してから、アカネは言う。


「その、「エウロス」でしたっけ? 具体的にはその街に着いた後どうするんですか?」


 直接「風の都」に行けない以上、中間地点である「エウロス」に寄らなければいけないのは理解した。

 だが、最終目標地点が「風の都」ならば一刻も早く向かうのが道理だろう。


「まずは足を確保する。そして変装じゃな」


「「「変装?」」」


 メイレスの言葉にアカネとハル、ギンが首を傾げた。足を確保する。これは「風の都」までの道のりを踏破するためだろう。だが変装とは? 果たしてそれには意味があるのか?


「意味なら大ありなのよ」


 と、アカネの疑念を読んだかのように答えたのはノーザンだ。

 彼女は腕を組み、壁に背を預けながら、


「私たちがこれからどこに向かうと思っているの? ……罪人の中でもクソ野郎の「ドロフォノス」、それも『本家』が住まう魔窟よ。ただでさえあなたたちは顔が割れてるんだから、外部ではなく内部の人間だと思わせた方がいいに決まっているでしょう」


「……た、確かに」

 

 最もな正論にアカネは反論する気も起きなかった。まぁ元々そんなつもりはないが、更にその思いが押された感じだった。

 ノーザンが言う外部とは、おそらく「アイオリア王国」の『外』のこと。つまり『サフィアナ王国』や他の国の住人ということだろう。

 では内部とは? 

 それも簡単。

 「アイオリア王国」の国民かどうか。

 「ドロフォノス」討伐にこぎつける前の最低条件は、まず何事もなく「アイオリア王国」の首都、『アネモイ』に入ることだ。

 それを成すために、変装は必要不可欠だとメイレスやノーザンは判断したのかもしれない。

 しかしそこでふと、アカネは首を傾げた。

 

「そういえば、「ドロフォノス」は「アイオリア」国民なの?」


 風の都に住んでいるということは、そうなのだろうか? 

 だが、だとしたら分からない。

 アレス騎士団の話によれば、「ドロフォノス」は長年その全貌が謎に包まれており、家族構成や本拠地など、一切が何も掴めていないという。

 〈六大国家〉と称されるほどの大国に腰を落ち着かせているのなら、それこそ「ドロフォノス」の居場所など明らかだったはずだ。


「いいえ」


 これについては一言だった。

 いいえ。

 淀みもなく否定したのはもちろんノーザンだ。

 彼女は腕を組みながらそっと息を吐いて、


「「ドロフォノス」は元々「サフィアナ」の人間よ。だけど今の『お父様』が当主になってから「アイオリア」に移動した……と私は聞いたことがある。まぁ、それは『本家』の話で、実際はあちこちに「ドロフォノス」の拠点はあったのよ。『廃家』の家系、ではね」


「……そもそもよ。『本家』とか『廃家』ってなんだ? みんな同じ血を引いた家族なんだろ?」


 何の気なしにハルがそう言って、アカネは何度か頷いた。確かにそれはずっと気になっていたことだ。たびたび『本家』や『廃家』とノーザンが口にしていたのは耳にしているが、実際にそれらの深い意味をアカネたちは知らない。

 ノーザンは少しだけ説明するのがイヤそうに眉を顰めた後、アカネを見て息を吐いた。

 銀髪の少女は首を傾げるが、おそらくノーザンはアカネとの戦いを思い出し、「ドロフォノス」とは縁を切ったようなモノだと再認識したのだろう。


「「ドロフォノス」は罪人一家であることから、殺しの実力を重きに置いてきた。それ故に殺人の実力が伴わない一族の人間を「劣等種」として迫害し、いわゆる『廃した血』を持つ『はい』として扱うようになったのよ」


「……じゃあ、『本家』っていうのは」


「殺人の実力が桁外れな人外共のことよ」


 『本家』と『廃家』。

 その差を知るにはノーザンの説明一つで十分だった。それは海路や泥犁島ないりとうでの一戦で十分身に染みている。

 一方で、その差別社会のような家族構成にアカネは嫌悪を抱かざるを得なかった。まるでタチの悪い貴族のようだ。

 殺人という行為は決して許されることではないし、その実力如何によって扱いが変化するのは異常な話ではあるが、得手不得手の問題で家族を差別するのは何か違う。


「あなたが気にするようなことじゃないわ」


 自然と俯いていたアカネにノーザンがそう声をかけた。顔を上げると、彼女は苦笑している。


「元々「ドロフォノス」はイカれてる連中の集まりよ。それは今に始まったことじゃないんだし、もうみんな慣れてるわ」


「……でも。それでノーザンは」


 子供と離れ離れになって。

 一緒に寝ることもできなくて。

 愛してると、伝えることも出来なくて。


「だからあなたが、変えてくれるんでしょう?」


「ノーザンさん……」


「約束したのなら。それは守ってちょうだい。私はあなたなら信じられるから」


「……はいっ」


 なんてもったいない言葉で、信頼なのか。

 一度は殺し合った関係だ。憎悪と悪意を向けられた相手だ。

 それでも彼女はアカネを信じてると言ってくれた。

 剣と拳じゃない。

 言葉という『心』で分かり合えたから。

 ならば、アカネはそれに応えるだけだ。

 

「話は少し逸れたけれど、とにかく変装は必須よ。どこに相手が潜んでいるか分からない以上、用心することに越したことはないわ」


 ノーザンが話を戻して、全員が納得の意を表明するように頷いた。変装の重要性は理解した。その道具を集め、陸路の足を手に入れるためにも「エウロス」への寄り道は必須だ。

 だがそこで、ふとアカネは疑問に思う。

 宝石鳥スフェラバードで直接風の都に行くと目立ってしまうのは分かるが、では「エウロス」にはどうやって行くのだ?

 正確に言えば、どうやって着陸するのだろうか?

 アカネはメイレスを見て、


「メイさん。「エウロス」にはどうやって降りるんですか?」


 メイレスはアカネの問いに対して笑った。

 まるでイタズラを明かす子供みたいに。


「降りるんじゃない。落ちるんじゃよ」


「「「落ちる?」」」


 これについてはメイレス以外の全員が首を傾げた。

 落ちる。

 この表現は少しばかり引っかかる。着陸でも降りるでもなく、落ちる?

 そして最初に気づいたのはセイラだった。 

 赤髪の美女は顔を引きらせながらメイレスに言う。


「……メイさん。もしかして、私たちは……」


「その「もしかして」じゃよ、セイラ」


「何だ? 何がどうなるんだ?」


「よく分からんが、嫌な予感はビンビンするな」


 ハルとユウマが緊張感もなく喋り、アレスとナギ、それからノーザンがメイレスの言葉の意味を理解したみたいに頭を押さえ、ギンとアカネだけが首を傾げていたが……ようやく気づいた。

 落ちる。

 それは隠語でも何でもなく、真っ直ぐな意味。

 つまり、だ。

 アカネは顔を真っ青にし、ギンはブルブルと震え始めて、


「……まさか」


「……う、嘘だよね?」


「ホント☆」


 白髪の美幼女? メイレス・セブンウォーが可愛らしい声で目の横でピースポーズを決めた直後だった。

 一体どういう仕組みなのだろう。

 『排泄』という二文字が頭をよぎったのは、きっとアカネだけではないはずだ。

 途端に強風が吹き始め、八人全員が宝石鳥スフェラバード臀部でんぶがある後方に吸い込まれて行く。


「うぉわぁぁああああああああああああ⁉︎ なんじゃこりゃああああああああああああ‼︎‼︎」


「嫌な予感が見事に的中しちまったぁああああ‼︎」


「わぁぁぁああああああ! 助けてアカネぇえ!」


「千切れるちぎれる、髪の毛が千切れるよギン!」


 とか言いながらも飛ばされないように必死に近くにある家具などに摑まっているが、長くは保たない。

 空気砲みたいな「風の塊」が大きく吹いて、アカネたちを一気に押し出したのだ。

 ぽん、と。

 いっそのこと間抜けな音が聞こえていたかもしれない。言葉を濁すようで大変心苦しいが、いわゆるお腹が痛い時にその原因を取り除くために必要な「穴」から、アカネたちは飛び出したのだ。

 高度千メートルは軽く超えていた。

 全員が目を飛び出させ、半泣きだった。

 もちろんメイレス以外。

 そしてもう一人、リビングルームにいなかった人物が少し離れた場所で半泣きだった。


「何故⁉︎」


「こっちが聞きてぇぇぇぇぇえええええええ‼︎」


 ハルが叫んでいるのが聞こえたが、もうそんなことを思っていても時間は戻らないのである。

 流れるように、であった。

 アカネたちを排泄した宝石鳥スフェラバードは役目を終えたみたいに颯爽と飛び去っていき。


「では皆の衆。無事を祈る。下でまた会おう」


「「「ふざけんなァァァァァァァァア‼︎‼︎」」」


 と、やっぱり叫びながらアカネたちは地上千メートル以上を墜落していった。



♢♢♢♢♢♢



 奇跡。

 とにかくその二文字に尽きた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ。し、死ぬかと思った。本当に死ぬかと思った……!」


 薄暗い空間で、サクラ・アカネは自分の命を噛み締めていた。『元の世界』にいた時は違い、今は全然死にたいと思わないから生きていて心底ホッとする。

 地上千メートル以上からの墜落で、どうしてアカネが五体満足で生きているのか。

 墜落中、失いかけた意識を強引に保ちながら、アカネは魔法ではなく魔力のみを解放。地面に直撃する寸前で、威力を相殺することだけに集中し解放した魔力を一気に真下へ押し出しのだ。

 結果、墜落の威力は相殺されてどこかの家屋へ落ちたわけだ。


「とは言っても、これがなかったら正直傷だらけだったかもね……」


 モフモフとした柔らかい感触をお尻に感じて、アカネは下を向く。優しく撫でるように触っているのは、シーツの山だ。もし仮にこの大量のシーツがなければ、今頃アカネは床に叩きつけられて傷を負っていたことだろう。


「それにしても、ここはどこ?」


 自分が落ちてきたことが原因で空いた天井の穴を見ながら、アカネは言った。穴から覗く青空と、差し込む陽光。

 天気は快晴……とか思ってる場合ではない。

 まずは現状の把握とハルたちの安否確認が第一優先事項だ。

 

「……とりあえず、外に出ないと」


 室内では状況が判断できない。しかもここが家屋なら普通に器物損害と不法侵入をぶちかましている。まぁ『元の世界』のような法律がこの世界にあるのかはイマイチ謎だが、こんな所でボーッとして面倒ごとに巻き込まれるなら早く立ち退いた方がいい。

 アカネはシーツの山に足を取られないようにゆっくりと立ち上がり、降りて、床に足をつく。

 改めて薄暗い室内を見回せば、シーツだけでなく服飾用品が所狭しと棚やらハンガーに掛けられている。

 イメージとしては大量の洋服をしまっている物置部屋だろうか?

 基本的にドレスや際どい洋服ばかりで、アカネは絶対に着たくないと思う。


「ひぇえ……ナニコレどうなってるの? こんなに足も腕もお腹も出すなんて……。バニーガールってやつなのかな? あたしは絶対に着れないや……」


 などと言いながらも十六歳の乙女は顔を赤くしつつ興味津々にバニーガールの衣装に触れてみる。

 フィクションの中だけの話じゃなかった。本当に存在したんだ、バニーガールさん。


「い、いけないいけない。確かにちょっとカワイイとか思うけどダメだよサクラ・アカネ。バニーガールを着たら男の人に食べられるってお父さんが言ってたし」


 バニーガールから放たれる謎のオーラを振り切るように首を横に振り、アカネは扉の方に視線を移す。

 ひとまず落ち着け。ハルたちと合流するためにもとにかく外に出るんだ。

 と、扉の方に近づいている時だ。


「なんだなんだ、なんの音だ騒々しい! ただでさえ今日は人が足りないって時に……!」


「……え?」


 バン‼︎ と、勢い良く扉が開いた。

 扉を開けたのは、ポッチャリとした男だった。SNSなどで見たことがある、いわゆる『ボーイ』と呼ばれる男性が着ている黒スーツを身に纏っていた。

 数秒、アカネは固まり男と視線が合う。


「……誰だ、お嬢ちゃん?」


「……こ、こんにちわ」


 汗が止まらなかった。

 焦りが顔に出まくっていた。

 見つかった、という表現はおかしいが、とにかく見つかってしまった。おそらくこの家屋の関係者であろう男性に。

 アカネは冷静になろうと大きく深呼吸を繰り返して、目をパッと見開く。

 そして、走り出した。


「お邪魔しましたぁぁぁあああ!」


「待ってくれお嬢ちゃん!」


「え⁉︎」


 まさかの引き留められた。黒服男の横を通り過ぎようとした瞬間、腕を思いっきり掴まれたのだ。

 何気に魔力強化をして疾走速度を上げていたので、急に止まるとその反動は大きい。アカネは躓きそうになるのを必死に耐えた。

 それから、アカネは振り返って男を見た。


「な、なんですか……?」


 男はアカネの全身を、頭から爪先まで見回して、


「お嬢ちゃん、年はいくつだい?」


「……じゅ、十六です、けど」


「……ギリセーフ、かな?」


「な、なんの話ですか……?」


 嫌な予感がビンビンした。

 そしてそれは的中してしまった。

 黒服男はアカネの細い両肩をガシッと掴むと、顔を近づけてこう言ってきたのだ。


「人が足りない! 今日だけでいいからウチで働いてくれ‼︎」


「絶対にイヤ!」


「バニーガールを着てくれ!」


「ホントにイヤ‼︎」


 そもそもどんな店で働くのか分からないし、バニーガールを着てくれと頼まれたということは、いわゆる『そういうお店』の確率は非常に高い。

 健全な十六才の乙女がそんな卑猥なお店で働くなんて日本的にダメだ。

 そこでふと、アカネはアレスが言っていたことを思い出す。酒と娼婦。子供には刺激が強い場所。つまり居酒屋と風俗店が軒を連ねるとんでも街が「エウロス」ということなのか?

 

(……もしそうなら、早くみんなと合流しないと!)


 個人的に一人でいたくない。みんなと一緒に行動して安心安全を身に纏いたいのだ、バニーガールなどではなく。

 だがこの世界はどこまでも理不尽だった。

 アカネが意を決して黒服男の手を振り解き、急いで扉から出ようとした瞬間だ。

 目にも止まらぬ速さとはこのことか。

 男の目がキランと輝き、一瞬の突風が吹くといつの間にかアカネは制服ではなくバニーガール姿になってしまった。

 アカネは顔を真っ赤にして、


「な、ななななな……なぁ⁉︎」


「見よ! コレがオラが開発した速着替え、ソニックチェンジ! 女の子の柔肌を見ないことを前提に開発した究極奥義である! さぁ準備はできた、共に『区長』をおもてなししよう、バニーちゃん!」


「どんな技だ! っていうか誰がバニーちゃん⁉︎ あたしは絶対に働かないよ!」


 バニーガール姿の自分に心底恥ずかしさを感じながら、アカネは床に落ちていた制服を拾い上げて扉の奥へと急いで駆け出した。後ろからは黒服男が待ってくれと声を飛ばしてくるが、もちろん待たない。

 扉の外は白い灯りが怪しく光る廊下で、一本道。細かいことは何も考えずにひたすら走って前に進み、新しい扉を発見。勢いよく開ける。


「……………うそぉ」


 思わず力のない声が出てしまった。

 扉を開けた先、目の前に広がっていたのは薄暗い空間にいくつものテーブルと椅子、ソファが並べられた光景だった。そこには際どいドレスを着た女性、酒に酔ってるであろう男性が数十人いる。

 テーブルの上には氷を入れたグラスや酒瓶がいくつもあり、皆がポカンとしながらこちらを見ている。

 気まずい。

 そして予想は的中。

 ここはキャバクラ的なお店だったらしい。


「お嬢ちゃーん! 待ってくれー!」


「お、お邪魔しましたー!」


 後ろから変態が追いかけてくるのを察知して、アカネは顔を赤くしながらも大人の空間から脱出する。出口であろう大扉を開けて外に出る。

 直後、目を見開いた。 

 頭上は青空……のはずなのに明るくない。よく見ると、青空が覗いているのはキャバクラ的なお店の真上……正確にはアカネが落ちてきたであろう穴だけだ。

 どうやら「ここ」全体が「内部」で、頭上には広々とした天井が貼られているらしかった。灯りは街灯と、天井に設置された「光球石」。辺りを見回せば、ネオンに包まれた街並みに、行き交う人々。

 まるで新宿歌舞伎町のようだと、アカネは思う。


「ここが「エウロス」……?」


 呆然と呟くアカネはハッとなる。周りの視線が自分に集まっている。バニーガールだからだ。

 

「お嬢ちゃーん!」


「……っ! しつこい!」


 遠く、というより出てきた店の奥から黒服男の声が響いてくる。

 もう考えてる暇はなかった。

 恥ずかしい格好とか、今の状況とか、とにかく四方八方する思考を一つにまとめる。

 走って逃げる。

 コレに尽きた。

 だから。


「待ってくれそこのお嬢ちゃーん! オラの店で娼婦をやっておくれよー!」


「いやァァァァァァ! なんでこーなったのよぉおおおおおおおお‼︎⁉︎」


 別名・夜の街。

 新宿歌舞伎町のような街並みの、ネオンの光に包まれた繁華街を、バニーガール姿の銀髪蒼眼の美少女、サクラ・アカネは泣き叫びながら全力疾走した。

 

 

♢♢♢♢♢♢



 時は同じくして「エウロス」のどこかだった。


「……姫様」


 淡い桃色の髪をした青年が、そう呟いていた。

次回は再来週投稿になります。

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