『三章』② 宝石の中は謎だらけ
九泉牢獄が崩壊した事件は瞬く間に世界に轟いた。
人々を脅かし、社会に悪影響を及ぼす罪人を唯一監視下に置き、管理し、収容することが出来る強大な檻が地に堕ちたのだ。
その衝撃は計り知れず、当然その騒動は然るべき場所に報告され、耳に届く。
「なんですって⁉︎」
「サフィアナ王国」王都、クォーツの中心に聳え立つ、王が坐す城––––月花。
その瀟酒な内装の、赤い絨毯が敷かれた長い廊下で、騎士団の一兵が険しい表情で上司に問題の報告を口にしていた。
ソフィア・コーロス。
アレス騎士団、副団長の隻眼の女傑。
彼女は片方しかない目を見開き、驚愕の色に顔を染めている。
そんな副団長に、一兵は再度言った。
事態の深刻さを物語る表情で。
「第参部隊隊長、アレス・バーミリオン隊長からの報告です! 『罪人選別』の任に当たっていた第参部隊は泥犁島にて「ドロフォノス」と会敵。多くの死傷者を出しながらも事態は沈静化されましたがその反動として九泉牢獄が崩壊したとのことです!」
「そんなの一度聞けば分かるわよ! 私が驚いてるのは九泉牢獄が堕ちたのもそうだけど、何で罪人一家である「ドロフォノス」が泥犁島の座標を知ることが出来たのかってことよ!」
一兵はソフィアの剣幕に当てられると姿勢を正して、
「アレス隊長によりますと、海路時に「ドロフォノス」の奇襲に遭い、羅針石を奪われたとのことです!」
ソフィアは眉根を寄せて、
「あの馬鹿…‥いったい何やってんのよ」
羅針石は泥犁島までの海路を、その道順を辿るために必要な唯一の魔石だ。「サフィアナ王国」の〈術式魔法開発局〉が作り出した傑作。
三年に一度行われる『罪人選別』には必ず必要な物で、一日に一回は泥犁島までの海路は変わり、複雑怪奇な術式が施されたルートを辿るにはどうあっても必需品なのだ。
それをよもやその罪人に奪われるとは痛恨のミスにも程がある。帰ってきたら懲罰どころじゃ済まないな、とソフィアはため息混じりに考えて、ふと思った。
そもそも。
(……何でバレた?)
『罪人選別』の日程は予め世間にも知らされる。
だが、どこの港を経由して向かい、尚且つ騎士団の誰が行くのかは機密も機密だ。そう簡単に情報漏洩するとは思えないし、一般市民が、それも罪人が知る由なんて皆無である。
しかし、その大前提が崩れて現状があるわけなのだから、考えたくはないが……。
(内部に罪人と、「ドロフォノス」と通じている奴がいる)
もはや確定事項のようにソフィアは細い顎に指を添えて結論づけた。
内通者。
それも、よりにもよって国を守る立場である「アレス騎士団」からの裏切り者。
(こんなの、タダじゃ済まないわよ……)
処罰云々の話ではない。
もしこのことが外部に広まれば、「アレス騎士団」の地位や信頼は地に落ちると言ってもいい。
「誰」が内通者で「誰」が味方なのか。
難しい判断を迫られる状況に陥ったが、焦って選択を誤るわけにもいかないのが現実だった。
九泉牢獄の崩壊。
それだけで「アレス騎士団」の印象はかなり下がったと言えるのだから、もうこれ以上下り階段にハマるわけにはいかない。
そしてもう一つ、向き合わなければならない現実がある。
––––それは。
「で。被害状況は」
「現在調査中ですが、C級からS級の収容罪人およそ一万人中、その殆どが『死亡』したと思われます」
「……『殆ど』、ね」
それ自体に驚きはなかった。
九泉牢獄が崩壊した以上、中にいる人間はほぼ助からない。魔法が使えるならともかく、中では魔法は使えない。
だが、懸念が一つ。
ソフィアは目を細めながら一兵を見て、
「……その逆は?」
一兵は険しい表情の眉根を更に寄せて、
「……『无魔六天』の生存、及び脱獄が確認されています……」
「……よりにもよって」
『无魔六天』。
それは九泉牢獄の最下層に収容されていた第S級指定罪人。
神魔を始めとする、たった一人で『薨魔の祭礼』が実現可能と言われる正真正銘の怪物共。
捉えることが出来たのがほぼ奇跡、いいや偶然に等しかったことをソフィアは昨日のように覚えている。
神魔は瀕死の状態で。他の『无魔六天』は自ら檻の中に足を運んだ。
彼ら曰く––––世界に飽きたという。
故に自分達にとって都合が良く、楽しいことがない限り『无魔六天』が再び外の世界の空気を吸うことはなかった。
だが、「ドロフォノス」の介入や九泉牢獄の崩壊、他にも様々な理由が重なりあの怪物共に『脱獄してもいい』という感情を与えてしまったのだろう。
「冗談じゃないわ……」
焦るというより血の気が失せた顔でソフィアはボソリと呟く。
今回の『罪人選別』の対象者には神魔が含まれていた。それは他の『无魔六天』に牽制を与え、そして真の脅威を取り除くという意味が大きかった。
だが一兵の報告からするとそれは失敗に終わり、むしろその逆で奴は生存、外の世界を鼻歌でも歌いながら堂々と歩いていることだろう。
ソフィアは眉間を揉んだあと、
「『无魔六天』が脱獄してると分かっただけでもまだ救いがあったわね。とりあえず奴らの捜索が第一優先事項として……アレスたちはもうこっちに帰ってきてるんでしょ? いつ頃到着予定なの?」
『无魔六天』の捕縛にはアレスたちの力が必要不可欠だ。休む暇を与えたいのは山々だが、そんな優しいことも言ってられない。
そう思って、しかし一兵の口から出た言葉は予想外のものだった。
「……それが、アレス隊長は––––」
ソフィアは目を丸くして、
「……はぁ⁉︎」
♢♢♢♢♢♢
上空千メートルの空の上。
曇天だった空模様から打って変わって、頭上に広がるのはどこまでも澄み渡る青い色の空だ。
頭上、とは言っても直接的なものではない。
「––––やれやれ。最近の若い者は堪えることを知らんからいつまで経ってもガキのままなんじゃ」
ゴォォォ……と、空気を殴るような重たい音が上空に轟く。
上空千メートル超。
大空の圏内に大きな影があった。
鳥。
それも巨大な鳥だ。
頭部は猛禽類を連想させ、胴体は青と緑の毛に覆われている。翼は一度羽ばたかせれば町一つ吹き飛びそうなほどに大きく、しかしどこか宝石のようにキラキラとして美しい。
名を宝石鳥。
魔獣族には分類されない、精霊族に近い神聖な鳥だ。生域分布は不明で、ただ『魂の輝き』に淀みのない人間にしか従わないと言われる高貴な神鳥。
その宝石鳥の体内だった。宝石の鳥の体内は、まるで大きなホテルの一室のようになっている。
そんな宝石鳥の丁度腹部に当たる部分には窓もついており、そこから外に広がる空の海を眺めていたサクラ・アカネは視線を中へと戻した。
それは、とある人物が言葉を発したからだ。
「口より先に手が出てるようではまだまだ大人とは呼べないのぉ。なぁ、ハル坊?」
「……ぐぬぬ」
そう言って、宝石鳥の中にある一室の椅子に腰掛けて、正座しているハルを「坊や」呼ばわりしたのは白い髪の幼女だった。
床まで伸びた雪のように儚く綺麗な白色をした髪の毛と、透き通る青い色の瞳。珠の肌は瑞々しく、幼いながらも顔貌は整っている。
着ているのは白色のワンピースで、素足。姿形はどこからどう見ても子供なのに、何故か威厳と品格を感じさせる不思議な幼女だった。
アカネは知っている。
一度だけ、会ったことがある。
メイレス・セブンウォー。
「アリア」の街長にして、守り神である。
「メイさん。何故あなたが……」
かしこまった様子で、心から尊敬する声色で、赤髪の美女であるセイラ・ハートリクスが口を開いた。
彼女の質問に、メイレスは整った幼い顔で薄く笑い、
「何故も何もなかろうよ、セイラ。あのまま儂が介入しなければ、文字通り皆死んでおったのだからのお。感謝こそすれ、疑念を抱くのは筋違いじゃ」
幼女なのに寛大に、そしてどこか傲慢にそう言ったメイレスは、セイラから別の人物に視線を移す。
「さて。お主は儂に一言もないのかの? アレ坊」
「アレ坊って……。オレはもうアンタが知ってるガキじゃねぇんだけどな。アンタとクソジジィくらいだよ、オレのことを『坊や』呼ばわりするのは」
そう言って、部屋の壁に背中を預けながら腕を組み苦笑しているのは灰色髪に騎士服を身に纏う青年だ。
アレス・ヴァーミリオン。
「アレス騎士団」第参部隊隊長の男。
「儂からしてみれば『マル坊』もまだまだ子供じゃよ」
「全く……、恐れ入るよアンタには」
「年寄りは恐れ入るんじゃなく、「敬う」ものさ」
「へいへい」
「アリア」の守り神であるメイレスと随分と親しげに言葉を交わすアレスに、アカネは少し驚いた。
アレスは騎士団団員の、それも隊長格。それなりの地位で、ましてや力もあるとなると人脈はアカネが想像している倍以上はあると見ていいだろう。
だが、それを差し引いたとしてもアレスがメイレスと知り合いなのは予想の外だった。
二人の関係に嫉妬しているのではなく、単純に驚いたのだ。
常に自分が上だと疑わないあの「アレス」が、雑談にせよ「恐れ入る」と他者に向かって言ったから。
まるで、自分は下だと認めているようで––––。
「事態は深刻のようじゃの」
メイレスが部屋全体を見回してそう言った。
そんな彼女と目があって、僅かにアカネは緊張した。
アカネ、ハル、セイラ、ユウマ、ギン、アレス、ナギ。
七人が集まる宝石鳥の一室で、メイレスの声が場を支配した。
「九泉牢獄の崩壊に『无魔六天』の脱獄。更には「ドロフォノス」の策略。……やれやれ。面倒ごとを呼び込むくせは相変わらずのようだのぉ」
苦笑しながらメイレスは〈ノア〉を見てそう言った。ハルたちはアハハと笑いながら誤魔化そうとするが、どうやら「アリア」の守り神には通じないらしい。
白雪の魔女は一喝するようにハルたちを見た後、そっと息をついて、
「こうなっているのはほぼ奇跡に近いことじゃ。『罪人選別』の失敗に「ドロフォノス」の襲撃は殊の外被害は甚大じゃぞ。外面的にも、内面的にもの」
こうなっている。
それは「全員が無事で」次の行動に移ろうとしていることを差す。
アカネは部屋を見回し、改めて生き残った事実を噛み締めるように息を吐いた。
泥犁島での騒動。
あれは、冗談もなく死んでいてもおかしくはなかった。
S級指定罪人に「お父様」。
仲間の助けがなければ今のアカネはなかっただろう。
しかしここで一つの疑問が生まれる。
何故、アカネたちは宝石鳥の中にいるのか。
何故、メイレスがいるのか。
では、時系列を戻して眺めてみよう。
話を進めるのは、それをしてからでも遅くはない。
––––物語は、三時間前に戻る。




