『三章』① 皇は静かに踊る
「––––いいかい、レヴィ」
そよ風が涼やかで気持ちがいい、夕暮れ時の話だったことを、今でも覚えてる。
「アイオリア王国」の首都である『アネモイ』が一望出来る王城のバルコニーで、父は優しい顔の、けれど威厳と責任を宿す強い瞳で私を真っ直ぐ見ながら言った。
「民衆の上に立ち、皆を導くということはそう簡単なことじゃあない。でもね、それすら出来ない人間に国のトップに立つ資格なんてどこにもないんだよ」
「……どうゆうこと? 『お父様』」
父は白髪が混じって色素が抜け始めた薄い緑色の髪を風に揺らしながら、淡く唇を緩めた。
「優しくありなさいということさ。裸の王様、小さな王様にならないように。皆の声を聞くんだ。その声を聞き取れることが出来る人間だけが、「王様」になれる資格を持っているんだよ」
「……下民の声も聞かなきゃいけないの?」
「下民じゃない。『共民』だ。下民なんて卑劣な言い方をしちゃあいけないよ。同じ「アイオリア」の土を踏み、『アネモイ』に吹く風を感じてる皆を下に見ちゃいけない。彼らは私たちと「共」に生きる「民」なんだからね?」
私が富も魔力も殆どない民たちを「下民」と呼ぶと、父は決まってそう言った。
父は根っからの平等主義者で、自分よりも他人のことを先に考えるどうしようもないくらいに善人だった。
全く知らない人が風邪を引けば医者を呼んで薬を用意させて、無くしものがある人がいれば見つかるまで一緒に探し、悩んでいたら一緒に悩んで、泣いていたら一緒に泣いて、怒っていたらその人の怒りを受け止める。
それが、そういう人が、父だった。
だから小さい時の私は、父が私に何を伝えたいのか理解できていなかった。
だって、私は父とは正反対だったから。
「……私は、下民が好きじゃない」
「どうしてだい?」
「……それは」
父は首を傾げ、そして私は言葉に詰まった。
理由は、わかっている。
原因は、知っている。
でも、いざそれを口にしたら二度と「終わらない」ような気がして、怖くなった。
「自分に優しく出来る人は、他人にも優しく出来る人だよ」
笑って、父は言った。
「それは痛みを知っている証だ。それは涙を知っている心を持っているからだ。だからね、レヴィ」
「……」
そう言うと、父は私の頭の上に大きな手を置いて、
「お前はいい「王様」になれる。私なんかよりもずっといい「王様」にね。民を守り、そして導き、皆を、己を幸せにしてあげなさい。たとえ道の途中で誤ったとしても、必ず幸せになりなさい」
心底私の幸せを、民の幸せを、国の安寧を願っている微笑みで父はそう言った。
オレンジ色の夕焼けがバルコニーを照らし、『アネモイ』が炎の中に包まれてるみたいに、哀しくなるくらいに美しくて。
この美しい世界が、守るべきものなのだとこの時私は初めて知った。
柔らかい風が吹き、私と父の髪の毛を優しく靡かせた。それはまるで、草原に吹いた風のようにどこまでも気持ちよく、新時代の匂いを運んできてくれたかのようだった。
今はまだ難しいかもしれないけれど、いつか必ず父が願った通りに幸せが溢れる国にしてみせる。
たとえ自分という犠牲が必要でも、父がそうしてきたみたいに、私も立派な王様になる。
そう、思っていた。
––––––……だから。
「––––––誓約は、守るわ」
目を瞑り思い出していた過去の記憶から意識を切り離して、長い緑髪の少女はその瞼を開けた。
夕焼け色の世界から、夜色の世界へ。
星もちらばっていない、月明かりさえも雲に隠れて届かない暗い夜。
とある城の一室で、緑髪の少女は『ソイツ』に言った。
「役目も理解した。必要なことも覚えた。だから何も問題なんてない。全部上手くやれる」
「……」
「だからアンタも『誓約』は守りなさいよ」
「……」
「もし破ればアンタの寝首を狩ることになるから安心して枕に頭を預けないことね」
「……」
「……チッ」
心底挑発したつもりだが、予想通り『ソイツ』は反応をせず、ただ薄く笑った気配だけが闇に紛れた風に乗って伝わってきた。
それが気に食わなくて、緑髪の少女は振り返りその場所を後にしようと歩き出す。
「––––期待しているのか?」
「そんなもの、未来と一緒にとうの昔に捨てたわよ」
吐き捨てるようにだった。
長い緑髪の少女は『ソイツ』が唯一発した言葉に心底嫌悪を抱きながらそう言って、大きな扉の向こう側へと消えていった。
––––扉の開閉音が、風に紛れて失せていった。
––最後の異世界物語––
剣の姫と雷の英雄
『第三章』
「風都決戦篇」




