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最後の異世界物語ー剣の姫と雷の英雄ー  作者: 天沢壱成
ー泥犁暗殺篇ー
105/193

『二章』㊻ その少女、侮るなかれ

少し長いですが、どうぞよろしくお願いします!


 –––「生」と「死」、二つを兼ね備えたかのような、そしてどこか「自分」に似ていると感じた不思議な少女と出会ったあと、サクラ・アカネは無意識の内に九泉牢獄パノプティコンに足を向けていた。


「……、」


 彼女の言葉の真意は分からない。

 そもそも、今は深く「次のこと」を考えている余裕は今のアカネにはなかった。

 

「……、」


 足取りは不確かで、一際吹く強い風に押されて倒れそうなほどに、今のアカネからは力強さや覇気といったものを感じない。

 

 ––––人を殺してしまった。


 その拭いきれない残酷な現実が、容赦なくアカネの全てを破壊しにかかっているのだ。

 

 正直、正直、だ。


 願望を言えば、もちろん全員が生きて帰れる方がアカネとしては最高のハッピーエンドではある。

 しかし相手が凶悪犯罪者、つまりは息を吸って吐くように人を殺す罪人ともなれば、アカネの甘さが通じるわけはない。そんなことは百も承知だ。


 だけど。

 まさか。


「……あたしは、こんなのを望んだわけじゃない」


 殺したくて戦っていたわけじゃない。

 自分の勝利が敵を「殺す」ことなんて思ってもいない。

 

 なのに。


「あたしは、人を殺した……」


 どんな理由、どんな相手だろうと、殺すことは人の倫理に背き、道徳から外れる行いだ。

 たとえ、自分の意識がない内に「自分」が殺人を犯していたとしても、サクラ・アカネが犯人である事実は覆らない。

 それこそ、天と地がひっくり返ったとしてもないだろう。


「人を殺した現実が、なくなることはないんだ」


 なくなるどころか、己の魂に刻み込まれる。

 殺人という非道徳的な行為が、死んでも魂に絡みついて引き剥がせることはない。


 おそらく、罪を一生背負っていくとはそういうことなのだろう。

 

「……ハル」


 とぼとぼと、とぼとぼと歩いて、無意識に今一番会いたい人の名前をアカネは口にする。

 ハル。

 あの少年に会いたい。今すぐにでも会いたい。

 

 でもそこで、ふと思う。


「……でも、会う資格なんて、あるのかな」


 殺人者が、果たして〈ノア〉の一員として認められて、ハルたちに仲間だと思われる資格が、アカネにはあるのだろうか。

 今のアカネは自信を持って、「そう」だと言えない。

 それほどに、人を殺した事実は重く、大きい。


「セイラ、ユウマ、ギン……」


 みんななら、きっと「アカネは悪くない」と答えてくれるかもしれない。優しい言葉をかけてくれて、それに甘えて救われた気持ちにはなれると思う。

 けれど、それが正しい心の働きなのかは分からない。

 

 甘えるだけ甘えて、その甘さに酔いしれて、溺れて、自分の行いの良し悪しを、その決定を仲間に押し付けるのは、きっと違う。


 責任は自分が負うべきだ。

 殺人の鎖は自分が巻くべきだ。

 人殺しの汚名を着るのは自分であるべきだ。


 サクラ・アカネの罪を、仲間に背負わせるわけにはいかない。

 彼らは、アカネの罪過の外にいる人たちなのだから。


「……死ぬべきは、あたしだったんだ」


 過去は乗り越えた。

 あの時あの瞬間、ハルたちの行動と言葉に救われて、アカネは一歩踏み出すことが出来た。

 けれど、その後は?


 エマとの約束を果たす。

 それは揺るがない。

 だけど、その約束を貫き通すために殺人を犯さなければならなかったのか?

 ––––否である。


 殺人の先に正義はない。

 人殺しの向こう側に信念はない。

 罪の果てに平和は成り立たない。


 人を助ける仕事をしているのに、人を殺して生き永らえるなんて、そんなのは許されることじゃない。


「……間違っていたのは、あたしだ」


 過去を乗り越え、前を向いた途端に暗闇の底に落とされるのは、やはりアカネの人生だからか。

 考えてみれば、『元の世界』でもそうだった。


 幼少期からとおるに会うまで、そしてとおると出会い、父が死んだ後。

 幸せと不幸が、常にアカネの隣にあった。


 つまるところ、アカネの幸せは長続きした試しがなくて、神様は意地悪だから永遠の愛やら幸せを少女に与えるつもりはないらしい。


 だから。

 こうなる。

 いつもいつも、誰かを失う。

 いつもいつも、己が悪い。


「……第二、王女」


 自己嫌悪が止まらない中、ふとアカネは自分でも嫌うそのワードを思い出して口にした。

 

「レイシア・エル・アルテミス」


 それは「サフィアナ王国」を統べる王の血筋。

 かつて、神を友にした英雄の名残り。

 アカネであって、アカネではない「誰か」。

 

 けれど。

 もしも、本当にアカネが「第二王女」なのだとしたら。


「……どうして、民を守るはずの王が、民を殺すのよ……ッッ!」


 国のトップとはそこに生きる全ての民の命を背負い、安寧と安らぎを与える有識者で、真に強い人間でなければならない。

 正しいことは正しいと、悪は悪だと言い切れる人格者でなければ国の王は務まらない。


 もしも、もしもアカネが本当に王家の血筋なら、アカネはその前提に背かず正しくあるべきだった。


 唇を噛み、近くにあった大木を殴りつけて、拳に返ってきた痛みを確かに味わいながら、アカネは己の無力を心底呪った。


「……全部、全部、全部が無駄だった……!」


 毎朝早く起きて、剣を振るって。

 セイラに稽古をつけてもらって。

 ハルやユウマにも協力してもらって。

 刀剣とうけん舞踊ぶよう、その想像力のためにたくさんの本を読んで。


 全ては強くなりたかったから。

 エマとの約束を果たすための、果たすために必要な力を手に入れるために。

 決して、人殺しを達成するための力が欲しかったわけじゃない。


 ––––わけじゃ、ないのに。


「いつもあたしは失敗する……っ。欲しいものは手に入らなくて、叶えたい夢も叶えられないッ」


 そんな力に何の意味があるというのか。

 『異世界に帰ってきて』力を手に入れて、信頼できる仲間たちに出会えたのに。


 そんな人たちを、裏切るなんて。


「……あたしは、最低だ……ッ!」


 絶望と悲しみの底に落ちかけている少女の慟哭どうこくが、曇天の泥犁島ないりとうに木霊した。

 大木に打ちつけた拳からは血が滴り、地面が赤く染まっていく。

 それは、まるで少女が流す涙のようだった。

 泣きたいのに泣けない彼女の代わりに、痛みが「血」という形で涙を流してくれている。


 しばらくして、だ。

 一分か、十分か、それとも一時間か。


 アカネはぼそりとこう呟く。


「……行かなきゃ」


 自分に言い聞かせるようだった。

 じんじんと痛む拳を無視して、無表情で据わった青い目を前に向けて、少女は静かに歩き出す。


 やることは決まっている。

 今は脱獄した罪人を捉えることが先決だ。

 人を殺した後味の悪い最悪の気分を引きずったままでも、間違った方向性は正さなくてはならない。


「一人でも多く、罪人を捕まえなくちゃ……」


 それを使命のように呟いて、アカネは歩みを止めない。

 このまま罪人を放置していれば、「サフィアナ王国」は悪意の坩堝るつぼに堕とされて、優しさも正義もない世界になってしまう。

 だからそれを止めるためにアカネは行動しなければならいのだ。


 少なくとも、それが人殺しを犯してしまったアカネが出来る最大の償いだ。


 そうして自責と後悔にまみれながら重たい足を動かして九泉牢獄パノプティコンに向かっていたアカネの空色の瞳に、「それ」は映った。


「––––ぁ」


 それは……。



♢♢♢♢♢♢



 ––––グシャリと、肉が抉られるグロテスクな音がどこまでも響く。


「……な」


 しかし、それはシャルロット・ガーデンの死を意味する悲劇的な音ではなかった。

 

「「え?」」


 双子の狂人。

 正義の騎士。


 両者の中でハテナが渦巻く。

 血。

 血。

 血。


 それから事態が急変した驚愕が、遅れてやってくる。


「……素材」


 紫色の髪だった。

 黒に近い、まるで闇が鮮やかさを手に入れたような、どこか妖しい色の紫。

 その艶が失われた暗い紫の髪を伸ばす妙齢の美女はマタニティドレスを身に纏い、その細腕でもって双子の小さな胴体を容赦なく貫いていた。


 ––––いいや。


「素材……」


「が、ぁ、はぁ?」


「くろ、はぁ?」


 細腕、ではなかった。

 彼女の目の前の虚空から肉食獣に似た鋭い爪と筋肉を持つ強腕が、幼い罪人二人を抉っていた。


 時間が動く。


「ごろばぁ⁉︎ ぐぇおろぉあ⁉︎」


「あぐぅあ⁉︎ ぼろごぉあ⁉︎」


「……な」


 シャルロット・ガーデンは、その光景に半目の目を大きく見開いた。

 あれだけ苦戦した強敵、S級罪人の双子が盛大に吐血し、地面に振り落とされたのだ。

 ボールのように転がった双子の後を辿るように、地面には血で描かれた乱雑な道標が出来上がる。


 メル・カニバリー。

 メラ・カニバリー。


 二人は自分の体に空いた穴を押さえ、激痛に呑まれそうな顔をしながら敵対因子を睨む。

 シャルロット、ではない。


「……どう、いうこと、だ。ノーザン・ドロフォノス……!」


「私、たちは。あなたに協力すると、言ったはずですよ……! だけどその代わりに、私たちの邪魔は、しない、そういう約束、だったでしょう……⁉︎」


「……素材」


 シャルロットの前で、シャルロットが認知していない情報のやり取りが繰り広げられる。

 だがつまり、共喰メデアは脱獄する条件として今回の騒動の元凶たる『ドロフォノス』に協力する誓約を立てていたのだろう。

 しかしそれだと一方通行の条約になってしまうから、『ドロフォノス』にも誓約をし、「邪魔をしない」という縛りを設けていた。


 それが、崩れた。破られた。

 だからこそ、双子はあんなに動揺しているのか。


「話が、違う……。違うよ、ノーザン!」


「兄、さま。私たちの邪魔をする人、食べてもいいですか?」


「ああ、ああ、そうだね、姉さま。僕たちの食事を邪魔する人間は、誰であろうと喰らう。それが僕たちの食事のマナーだよ!」


 罪人と罪人。

 全く予期せぬ戦いが、シャルロットの前で起きようとして––––。


「素材」


 しかし、それはあっけなく。

 一瞬で。

 瞬きの間に、終わった。


 雰囲気も表情も暗く、この世の全てに絶望しているノーザン・ドロフォノスが、ただ一言そう呟いた瞬間にメル・カニバリー、双子の片割れ、少女の片腕が虚空から飛び出した骸鮫ガレオスの顎に喰われていた。


「え?」


 飛び散る血。

 咀嚼音。

 

「え、え? 兄さま、ねぇ兄さま。わた、わたわた、私の腕、どこですか……?」


「……め、ら」


「素材を。もっと、素材を」


「メラ⁉︎」


 無くなった腕を兄であるメルに見せながら、姉であるメラがきょとんとした顔で歩く。その度に血がボタボタと地面に落ち、命が失われていく。

 その光景に、兄のメルが目を見開いて、自分の体のことなんて気にせずに走り出そうとするが、その前にノーザンが無慈悲に動いた。


 グワァバ‼︎‼︎と。

 骸鮫ガレオスの食事が、再開して––––。


「兄、さま……。お兄ちゃん、死にたくな––––」


 バクン‼︎‼︎‼︎‼︎


「––––メラ‼︎ メラぁぁぁああああ⁉︎」


 双子の手が重なる寸前で、メルの腕がメラに届く直前に、骸鮫ガレオスの大顎が幼い少女を容赦なく喰い殺した。


 思わず目を逸らしたシャルロットだが、冷酷な時間はまだ終わらない。終わってくれない。

 何故なら全ては一瞬だったのだ。

 シャルロットが何をどうしようと、結末は最初から決まっていた。


「ノーザぁあああああああああああああン‼︎‼︎‼︎‼︎」


 絶叫。

 怒号。


 血と涙で汚れた顔が怒りに染まり、メルは我を忘れて魔法を行使しようと動き出す、が。

 

「–––––!」


 魔法が、使えなかった。

 しかし、何も驚くことではない。


 共喰メデアの魔法は、二人で一つ。

 片方が失われた今、魔法を行使できる資格も権限も、意味もない。

 お腹も、空かない。飢餓感なんて、ない。

 だって、もう一人だから。

 姉……妹のために食べなくて大丈夫だから。


「素材」


 だけど。


「たった一人の、家族だったんだ……!」


 涙で前が見えなかった。

 痛みなんてどっかに行っていた。

 ただ、心に空いた穴が、痛かっただけ。

 

 共喰メデアは貧民街で生まれ、育ち、親も友達もいない中、唯一生まれた時からずっと一緒にいる互いを大切にして、愛し、守ってきた。

 常にお腹が減っていた。

 妹がお腹を空かせていたから、食べ物をたくさん盗んだ。

 妹が寒そうにしていたから、洋服をたくさん盗んだ。

 妹がキラキラした目で店の中を覗いていたから、ぬいぐるみを盗んだ。


 そうやって生きてきた。

 そうやって、二人で生きてきた。


 妹のためならなんだってする。人でも食べる。メルが食べればメラの飢餓感は失われ、メラが食べればメルの飢餓感は消えていく。

 

 互いが互いを満たし、守る。


 それなのに、今はもう飢餓感がない。

 メラはいないのに。


 ただ、そう。

 ポッカリと、心に穴が空いた。


 ––––ずっと一緒にいたかった。


「返せよノーザン! 僕の妹を返せ!」


「素材になりなさい」


 冷言。

 骸鮫ガレオス


 「––––ぁ」

 

 走馬灯。過去の映像。笑うメラ。泣くメラ。楽しそうにするメラ。メラメラメラメラメラメラメラメラメラメラメラメラメラららららららら––––。

 

 捕食。

 大顎の開閉。

 咀嚼音。


「……」


 多分、初めてだった。

 シャルロットが、人が殺されそうになっているところで動かなかったのは。


 罪人だから?

 違う。

 怖かったのだ。

 

 あの双子を軽く凌駕して、悪魔みたいに喰らう怪物の女が。ノーザン・ドロフォノスが。


 「……」


 正義のヒーローになりたかったのに。

 自分の存在理由、生まれてきた意味、自分の価値は、人を助けることで実感できるはずなのに。


 それしか、シャルロットにはないのに。

 

「……」


 罪人であろうとも、まだ幼い子供を見殺しにするなんて。

 そんなのが、果たして正義だと言えるのか?

 そんなの、シャルロットが殺したのと何も変わらないじゃないか。


「あなたも、素材になりなさい」


「……」


 狙いが切り替わった。

 双子を喰らい尽くした怪物の目が、興味が、次の素材が、シャルロットに向く。


 だけど、動けない。

 ぺたりと地面に座り込んだまま、動けない。


「……私は、最低です」


 自然と涙が溢れた。

 あとからあとから、涙が溢れた。


「守れなかった。子供を、罪人だからと言って見捨てて、守ろうとしなかった。そんな人が、そんな冷酷が、正義のヒーローになれるわけ、なかったんです」


 やっぱり。

 正義のヒーローになれるのは、アレスやハルのような人間だけ。

 脇役で、端役で、恐怖に勝てない人間が、主人公になれるわけなかった。


「私の素材になって、私のために死になさい」


「……私なんて、アレス隊長のようになれるわけなかった……」


 あ、そうか。

 そこで、ようやく気づいた。


 私は、アレス隊長みたいになりたかったんですね。


『アレス騎士団にこい。正義のヒーローになってみせろよ』


 その言葉に、どれだけ救われただろう。

 その言葉に、私は––––。


「素材に」


「ごめんなさい、アレス隊長……っ」


 涙が、今も止まらなかった。



♢♢♢♢♢♢



 ––––「それ」は、決して許容できるものではなかった。


「……」


 動けなかった自分が、心底腹立たしかった。

 だけど、だからこそ。

 もうこれ以上、過ちを犯したくなくて、後悔なんてしたくはなくて。


 もう誰も、失いたくはなかったから。

 だから。


「あたしの友達に近づくなぁあああああああ‼︎」


 その時その瞬間、この世界の全てをたった一人の少女の声が支配した。


 サクラ・アカネ。


 彼女の覚悟と友を思う情熱が、迸る悪意を切り刻んだ。

 剣の奔流。

 それらが空気を切断し、ノーザンの魔の手からシャルロットを確実に守り抜いた。


 ノーザンとシャルロット。

 二人が目を見開き呆然となる中、アカネは剣を確かに握りしめてシャルロットの前に立ち、勇ましく在る。


「……あなたは」


「アカネ、さん?」


「もうこれ以上、なにも奪わせない。なにも失わない」


 奪いたくない。

 失いたくない。


「全部守る。悲劇なんて、あたしがぶった斬ってやる‼︎‼︎‼︎」


 涙は後だ。

 今は、そう。


 友を守るために戦え。


 それだけを考えて剣を握れば、結果は自ずとついてくるだろう。


 さぁ、失点を取り戻そう。


 ––––反撃開始だ。


♢♢♢♢♢♢



     強く在れ。

     それは友のために立つということだ。

 

      ––––『情の切愛』より

     

          カルナシス・エルシス。


 

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