『二章』㊹ 過ぎ去る流星
「ーー覚えて逝きなさい、殺人鬼」
自失したユウマがその声に反応してゆっくりと顔を上げた。
どこかで手に入れたのか、アレス騎士団の制服を身に纏う長い髪の女性騎士が勇ましくそこに立っている。
「……クラ、リス」
「お待たせ、ゆーくん」
振り向き、笑顔でそう言うナギに、しかしユウマはいつもみたいに返せない。
「……なんで、お前がここに。他の罪人は、どうしたんだ……?」
ナギはユウトに背を向ける形でユウマへ振り返る。自殺行為。S級罪人に隙を見せる愚行。けれど彼女には焦りも油断もなく、ただ顔色は愛する人を助けたいと思う女の色に染まっている。
「全員倒して縄で縛って拘束してるわ。ちょっと時間が掛かったけど問題なく終わった。だからゆーくんに会いに来たんだよ」
さらりと言ってのけるが、少なくともA級罪人以下が数百名いたはずだ。それをたったの数十分で片付けるのは簡単なことではない。
やはり、皆は命を賭けて戦っていた。
そして、ナギは今こう言った。
ーー全員倒して。
殺す、なんて発想をしていなかった。
けれど、ユウマは……。
「……帰れ、クラリス」
「ゆーくん?」
フラフラと立ち上がり、ユウマは言う。
怪訝になるナギを真っ直ぐ見ることは出来ず、俯きながら。
「お前は他のヤツらの所に行ってくれ。ここはオレ一人で十分だ」
「でもゆーくん、その傷じゃまともに……」
「心配すんな。こんな傷どうってことない。それに、あいつはオレが……」
ーー殺さなきゃいけない。
それを彼女の前で口にすることは憚られた。唇を噛んで、飲み込み、消化して無かったことにする。
でも本当のことだ。
ユウトの相手はユウマがしなくてはならない。
それは兄であり、家族であり、同じ師を持った関係でもあるから。
だから、何も関係のない他人を巻き込むわけにはいかない。
「殺す、だろ?兄さん」
「ーーっ」
ユウマが言えなかった言葉を、ユウトはあっさりと笑いながら口にする。今更ながらに、その言葉の重みを体感した。
簡単に言ってはならないものだと。
「兄さん?」
ナギが不思議そうに首を傾げた。
「ねぇゆーくん。今、あそこにいる軽薄そうな笑顔を自信満々に浮かべているクソ野郎、ゆーくんのこと「兄さん」って呼ばなかった?私の聞き間違い?」
「……あいつは、オレの弟だ」
家族が罪人だと告白するのは胸が苦しかった。言い辛いと気がついた。
しかし一方で、ナギはまだ理解が出来ないとばかりにキョトンとしている。
「おとうと……。あ、そうか。ゆーくん今眠いんだね。布団持ってこようか?」
「それは「うとうと」。弟な、弟」
「お豆腐食べたいの?じゃあ今から買ってくるからちょっと待ってて」
「弟だっつってんだろ。何だよお豆腐って。その聞き間違いは流石に無理があるだろ。つーかこんな状況で豆腐なんて食うか」
ナギはようやく理解したのか、ハッとなるとすぐさまユウマとユウトを見比べて、
「似てる!よく見たらすごい似てる!え、ゆーくんって兄弟いたの⁉︎ 」
「……あぁ。あいつはゆうーー」
「始めまして弟くん!近い将来あなたのお姉さんになるナギ・クラリスよ!さっきのアレは軽い挨拶みたいなものだったから全然気にしないでねよろしく!」
「人の話聞いてくんない⁉︎ つーか近い将来ってなに!」
「具体的には明日!」
「近すぎて息が詰まるわ!」
などと言い合っている二人に容赦なく、ユウトが『黒い奔流』を解放した。
まるで夜そのものが大波になって押し寄せてきたかのようだった。
転瞬。
ユウマよりも先に早くナギが行動に移る。
彼女は両手を前に突き出し、鋭い呼気を吐くと同時に立方体を形成、己とユウマを包み込んだ。
ズドドドトド‼︎と、荒れ狂う暴波が透明な立方体の外側を激しく打ちつけ、中にいる二人を飲み込もうと唸り続ける。
「……クラリス!」
「心配しないでゆーくん。あなたの私はこんなところで負けないわ!」
言いたいことは多々あるが、そんな余裕も暇もない。更に言うならそんな軽口を叩く時間すらなく、立方体がひび割れ、弾けた。
バリン‼︎という、ガラスを乱暴に叩き割ったかのような音が世界に響き、黒の大波が二人を襲う。
だが。
「封結」
キキン!と。
ナギが何事かを静かに呟いた刹那、ユウトから解き放たれた黒い大波が瞬く間に透明な長方形型の箱に閉じ込められ、身動きを封じられた。
さしものユウトも、これには感心したかのように目を細めた。
「へぇ。やるじゃないか」
「これは、夜魔法? あなた、夜怨なの?」
「正確に言えば、これは『夜影魔法』だよ。……まぁ、夜魔法の上位互換とでも思ってよ」
「どうゆう、意味?」
「くす。言ってもわからないと思うけど?」
自分より下だと断言するかのような薄い笑いにナギが不快げに眉を寄せた。
どうやら、愛しのユウマの弟でも罪人である以上は容赦はしないと決めたようだ。
決して、なんかイラついたから真面目に戦うとかではない。そんなことはない。
「姉の強さをその体に叩き込んであげるわよ!」
「ーー! まて、クラリス!」
ダン!と、ユウマの静止の声を振り切ってナギが地面を強く蹴った。
ナギの実力は十分知っている。合成獣やドロフォノスとの一戦で、彼女がどれだけ強いのか、ユウマは確かに見ている。
けれど、それでも、ユウトは違う。
今のユウトは二年前とは比べ物にならないくらいに『異質』で『強い』。
そもそも反則級の身体強化能力でほぼ無敵な防御力を誇るユウトには攻撃が効かない。
そんな盤の上で、ナギはどうユウトを攻略するというのか。
もしも無策なら、この突貫は無謀以外の何物でもない。
そもそも。
「ユウトに生半可な攻撃は効かないんだ!」
「そうなの⁉︎」
ナギはまだ知らないのだ。
ユウトの絶対的防な御力を。
結果。
ユウマの言葉に驚愕したナギの攻撃はーー具体的には魔力強化された拳の一撃は、ユウトの顔面に直撃するが、彼女の手に手応えが返ってくることはなかった。
「これは……っ!」
「基礎的な魔力操作だよ」
「レベルが化け物ね……!」
「お褒めに預かり光栄です、騎士様?」
刹那に交わされる言葉のやりとり。ナギは今の一合でユウトが強敵だと意識を切り替えて。逆にユウトはナギが敵じゃないと判断して余裕そうに笑う。
しかし忘れてはならない。
今この場において、戦闘に参加しているのが彼女だけではないことを。
「ユウトぉぉぉおおおお!」
「分かっているよ、兄さん」
ユウトが唇を緩めて頭上を見上げる。曇天から落ちてくるのは右拳を固く強く握り締めた栗色髪の少年ーーユウマ・ルークだ。
入れ替わりであった。
ナギが後退すると同時に、ユウマの拳がユウトに振り下ろされる。
星天魔法と魔力強化による二重膂力。轟音が炸裂し、大気が振動した。
しかし、やはりユウマの顔色に達成感などはない。
「チッ!」
「仲間が来て気分が上がったのかい?さっきまでの消沈具合が嘘のようじゃないか、兄さん」
「ーー! 黙れ!」
「怒鳴ればいいってものじゃないんだよ兄さん。そろそろ大人になろうよ」
嘆息混じりにそう言われ、ユウマの機嫌が悪くなる。しかし怒りに任せて攻撃を続けても意味はないと理性が訴えかけてくるのが分かった。
「クラリス!」
「ええ、任せて!」
「?」
地面に着地した瞬間、ユウトから放たれた黒い刃がムチのようにしなってユウマの首を狙う。
そこへ、ユウマに呼ばれたナギが魔法を行使して介入、黒刃は透明な立方体に弾かれて命を刈り取るのに失敗した。
火花が散り咲き、ナギとユウトの視線が交差する。
「……意外と面倒な魔法だね」
「空箱魔法って言うのよ弟くん!」
ーー空箱魔法。
それは、任意の空間に己で設定したサイズ、形の『箱』を作り出す魔法である。
拘束型魔法とでも呼ぶべきか。
対象を『箱』に閉じ込める「だけ」の魔法ではあるが、味方を守る上での防御壁となるためその力の利便性は極めて大きいだろう。
「でも守るだけじゃ僕には勝てない」
言いながら、ユウトが攻撃対象を変更する。
ユウマから、ナギへ意識を切り替える。
自分の防御力の絶対性を疑っていないユウトだからこそ、防御というのがどれだけ厄介なのか理解しているのだろう。
攻撃に特化したユウマより、防御に特化したナギを最初に殺すことにしたようだ。
「ーー!クラリス!」
そしてそれに気づいたユウマが焦って叫ぶが、刹那遅かった。
ナギはユウマを守るために『箱』を作り出している。その時に生じた僅かな隙、時間の空白、意識の方向性が、ユウマに向くのに一秒。
だが、その一秒がどこまでも遠い。
命を削り合う殺し合いの中で、一秒はとても貴重だ。生死を分ける時間の狭間だ。
その一秒の間で、ユウトは絶対に避けられないように四方八方から黒刃を使ってナギを殺しにかかった。
「ーーーー!」
選択を誤れば、待っているのは確実な死。
空気感で伝わる、先刻までとは切れ味が別次元の黒刃。
合成獣戦やマルロイ・ドロフォノスとの一戦を見れば、空箱魔法が絶対ではないことは分かる。
つまり直撃の寸前に自身を『箱』で守っても意味はない。『箱』ごと切り刻まれてあの世逝きだ。
当然、それはナギだけでなくユウマもユウトも考えていた。
誰がどう見ても詰んだ刹那の状況。
しかし、しかし、だ。
「ーー付与」
彼女だけが笑っていた。
そして意味深なことを呟いた直後、『箱』がナギを閉じ込めーーガギン!!!と、死を体現していたはずの黒刃がものの見事に弾かれて砕け散った。
「ーーな」
これには驚愕を隠しきれないユウト。
そこへ、更に彼の度肝を抜く現実が訪れる。
「膂力を付与」
瞬間、『箱』が消えると同時にナギは地面が抉れるほど強く蹴った。そしてそこから発生したナギの超加速は、いとも簡単にユウトの懐深くへと到達することに成功する。
ユウトはジロリとナギを見る。
「無駄だよ。キミたちの攻撃じゃ、僕の体に傷をつけることなんてーー」
「ーー四倍」
この時、時間の流れが遅くなったことをユウトは自覚した。
ナギが小さく、それでいて口の端を上げながら呟き、拳を振るってユウトの顔面に直撃する。
本来ならナギの攻撃が、そのパンチがユウトに効くことはない。星天魔法の大火力すら羽虫の如く受け流す脅威的な防御力だ、常人域を超えない魔力強化の打撃程度は擦り傷一つ付けることは出来ないのは明白だ。
しかしユウトは知らない。
そしてユウマは思い出す。
アレス騎士団第参部隊小隊長。
ナギ・クラリス。
彼女の得意とする、術式魔法の一種を。
時間の流れが元に戻る。
メキメキメキメキメキ‼︎と、ナギの拳が破壊的な膂力を手に入れて、ユウトの頬骨を軋ませてどこまでも唸る。
「ーーな」
ドゴァ‼︎‼︎と。
ユウトが冗談みたいに吹っ飛んだ。地面を抉りながら大砲のように果てしなく吹っ飛んでいき、場の主導権が入れ替わる。
あんぐりと、ユウマが口を開けていた。
「……マジで?」
対して、ユウトを殴り終えたナギはドヤるように髪の毛を靡かせて、
「忘れたの?私、付与術師なのよ。相手にどれだけ防御力があっても、それを破れるくらいに膂力を上げればいいだけの話」
「……いや、理屈はそうだけど誰にでも出来るわけじゃないんだけど……」
そもそも付与術師自体が極めて貴重な存在。
魔力強化とは異なる、純粋に潜在能力を底上げする魔法なのだ。膂力、防御力、速力を術師が可能なレベルまで上げることが出来る。
だからと言ってそれが分かっていても、付与術式が使えなければ意味はない。
だが今この時、その前提条件は崩れた。
「……やるじゃないか」
『頬を赤く腫れさせて』、ユウトは立ち上がりナギを睨む。
「久々に痛みを感じたよ。そうか、付与術師なんだね、ナギ・クラリス」
「言ったでしょ? 姉の強さを叩き込んであげるって」
「…….、」
堂々と、当然のように宣言するナギ。
そんな彼女に目を細めるユウトは、ナギの脅威度を更新したかのように見えた。
自分の防御力を上回る攻撃。
それを繰り出す正義の執行者。
ーー天敵。
「……今日はここまでにしておこうか」
興が醒めた、とは違う。日と場所を改めるかのようにユウトはそう呟くと、何もなかったはずの虚空に『扉』を作り出した。
ドアノブを掴み、回す。
いなくなる。
消える。
どこかへ行く。
瞬時にユウマの中で思考が働き、咄嗟に止めようと走り出した。
「まて、ユウト!まだ話は終わってねぇぞ!」
「ーー!ダメ、ゆーくん!」
「ーー⁉︎」
刹那、獣の爪を巨大化したかのような夜影魔法の圧力がユウマを串刺しにしようと噴き出した。
それに気づいたナギが紙一重でユウマを引き寄せ、彼から死の気配を遠避ける。
曇天の虚空が切り裂かれる乱雑な音が響き、砂浜と海が抉れた。
「今日のところはこれでおしまいだよ兄さん。大丈夫、心配しなくてもすぐに会えるさ」
不敵に笑んで、ユウトは扉に入っていく。
だが、それを許そうとしないのが「兄」だった。
ユウマは腕を掴んで止めてくるナギの手を必死に振り解こうとしながら、
「待て、待てよユウト!どこ行くんだ!お前にはまだ聞きたいことがあるんだ!」
「僕はないよ。今の兄さんと話をしていても得られるものはなにもないからね」
「ふざけんな!ユウト!……ごろぼぇ!」
「ゆーくん⁉︎」
叫んで、怒って、ユウトの体に限界が訪れる。普通なら気を失っていてもおかしくない傷の量だ。血を吐いて膝をつくのは当然のことだった。
ユウマはナギに支えられるように肩を貸してもらう「兄」を見て、
「その傷じゃ、どうせ兄さんはもう戦えない。付与術師がいても多分結果は変わらないよ。今日は大人しく家に帰ることだね」
「ま、て……ッ、ユウトッ。まだ、オレは聞いてねぇんだ……」
聞かなければならない。
どうしても、知っておかなければならない。
血の味がする歯を強く噛んで、痛む体も無視して、ユウマは叫んだ。
ーーずっと、知りたかったことを。
「『先生をどこへやった』んだ、ユウトォォオ‼︎」
ユウトはクスリと、ただ笑った。
「……またね、兄さん」
それだけだった。
その、不適すぎる笑みだけを残して、月詠命ーーひずみ・ゆうとは『扉』の向こう側へと消えていき。
「ユウトぉぉおおおおおおおーー‼︎」
ユウマの慟哭だけが、波の音に攫われず、世界の果てまで響いていた。
ーー響き、続けていた。
月詠命=夜影魔法。
=不可視の攻撃?
=扉?
ナギ・クラリス=空箱魔法
=付与術式
ーー天敵との遭遇。
次から第八章です!
泥犁暗殺篇は全九章予定!
お楽しみください!




