『二章』㊸ 決別した双子座
ーー人は、唯一無二の存在が「悪」に染まった時、何を選ぶのだろうか。
気づいてないフリをするのか。
気づいたら止めるのか。
大体の選択肢は主にこれら二つの前提から始まるだろう。
前者を選べば、いつも通りだけど『いつも通り』ではない日常を過ごし。
後者を選べば、楽しかった『あの日々』が戻ることはない。
どちらを選択しても互いの関係性は破綻して、正しい笑顔を浮かべることは出来ない。
だけど。
それでも。
『ーーお兄ちゃん』
止めるのが「兄」の役目だったから。
『ーー兄さん』
刺し違えてでも止めるのが「兄」だから。
きっと、この選択を悔いることがあったとしても、間違いではないと思うから。
だから、片翼をもがれた最悪の気分を、その罪を、地獄まで持っていって、そして閻魔の業火に焼かれて魂を滅却される覚悟は確かにあった。
なのに。
「………」
これは。
「……な、んで」
何だ?
「……ユウト……」
「久しいね、兄さん。二年振りかな?」
そう言って、ユウマと瓜二つの顔を持つ少年が爽快に笑った。
栗色の髪に金晶の瞳、端正な顔立ち。人が良さそうを絵に描いたような雰囲気と立ち姿で、それだけならユウマとは正反対。他にも髪型や目つきが柔らかい印象があるが、それでもやはり瓜二つ。
双子。
自らの手で殺害したはずの弟。
夢であったなら醒めてほしいと、心底からユウマは思う。
しかし現実とは時に容赦なく、人の願望を食い散らかして咀嚼するものだ。
そして、当然ながら「兄」であるユウマが、見間違えるはずもなかった。
声、顔、目、雰囲気。
それら全てがユウマの中で発生した最悪と同化して、牙を剥く。
『ひずみ・ゆうと』。
ユウマの双子の弟にして、「サフィアナ王国」領土内の『とある島』で多くの死者を量産した怪物。
第S級指定罪人、月詠命。
そんな彼が、笑う。
「それにしても、兄さん。まさか兄さんがこの島に来るなんてね。感動の再会にしては、ずいぶんと場所が悪い」
ユウマは頬を流れるイヤな汗と血を拭って、
「……お前、本当にユウトなのか?」
そう言われたユウトは虚をつかれたみたいな顔をすると悲しげに微笑んで、
「悲しいな。実の弟の顔を忘れるなんて。僕だよ、僕。ひずみ・ゆうとだよ。ひずみ・ゆうまの弟にして、あのアスナーー」
キュイン!と、ユウトの言葉途中で直線的な光が虚空を駆け抜け、彼の頬を掠めた。
もしユウトが微かに首を曲げなければ、額に穴が開いていたことだろう。
ユウマが放った星天魔法だ。
ユウトの口を強制的に閉ざすための一撃。
ユウトは目を細めて笑う。
「危ないじゃないか、兄さん」
「お前があの人の名前を口にするんじゃねぇ。そんな資格、どこにもないだろうが」
爆発寸前の怒りを何とか押し殺し、ユウマは歯の隙間から声を漏らす。
一方で、「兄」からの敵意を「弟」であるユウトは軽く受け流し肩を竦めた。
「まだ怒ってるのかい、兄さん?しつこい男は嫌われるって、あの人も言っていたじゃないか」
「ーーっ!」
『ーーしつこい男は嫌われるぞ、ユウマ。モテたいなら堂々としてろ』
脳内で再生される「師」の愛声。
視界で幻視される「師」の微笑。
それは。
「だから!お前が「アスナ」を語るんじゃねぇッッッ‼︎‼︎」
憤怒の火山が噴火するには十分すぎるトリガーだった。ユウマの逆鱗に触れた実弟の罪人は、しかしそれでも微笑みを絶やさない。
それがより一層、敬愛する「師」を汚された気分に陥ったユウマを逆撫でし、星天魔法が爆発する。
キュキュキュインッッッ‼︎と。
ユウマが右腕を前に突き出した瞬間、三本の光の線が、星の破片が虚空を奔り、一直線にユウトへと向かった。
だが。
「星天魔法。懐かしいね」
たった一言そう呟くだけのユウトは回避行動には一切移らず、もはや瞬きすらせずにユウマの怒りを一身に浴びて受け止めた。
パァン!と、空気が弾けるような音と共に小規模の流星群がユウトに直撃し、実力が伴わず霧散して灰色の虚空に消えていく。
「……っ!相変わらず、基礎的な魔力操作は一丁前だな!」
「褒めてるのかい?だったら嬉しいね」
魔力操作による身体強化が規格外なのは健在らしい。
そして今更だが、そもそもの話、だ。
何だが場面展開が激変しすぎて触れるタイミングがなかったが。
そもそも、本当にそもそも。
「つーかなんでお前が生きてんだ!」
根本的な疑問を叫んで、ユウマは右手に「星剣」を握ってユウトに斬りかかった。
その剣閃を、ユウトは躱さずに脅威的な身体強化のみ行った防御体制で受け入れる。
袈裟斬りが、彼の右肩から胴にかけて傷を作ることはなかった。
「生きてるんだ、か。そんなこと言わないでよ兄さん。死んでいたと思っていた実の弟と再会できたんだから」
「望んでねぇ再会なんだよバカ弟が!」
星剣を手放し、距離を取ってから流星群を叩き込んでユウマは吠える。
血の繋がった弟と二年ぶりの再会。
言葉通りに受け取るなら実に感動的な展開で、美しさすらある。
しかし、こと『ひずみ兄弟』になると話はそう単純ではないし、問題は変わってくる。
何しろ、その弟がS級罪人。
何しろ、その弟が仇敵。
それを、どうして喜べようか。
「お前はあの時、オレが殺したはずだ!」
確信を持って言える事実と共に惑星の塵屑とも呼ぶべき星の亡骸を情け容赦なく、悠々と立つ弟に解き放つ。
轟音、そして粉塵。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
火力重視の連続攻撃を終えて、ユウマは荒い息を吐きながら粉塵の向こう側に意識を向ける。
「ーー容赦ないね、兄さん」
「……っ!」
分かりきっていたことが現実として確立されると精神的にくるものがある。
イヤと言うほど聴き慣れた声と同時に粉塵のカーテンが破られ、何事もなかったかのように一人の少年が、罪人が、狂人が、悪人が、ゆっくりと歩いてくる。
「実の弟に向ける技、視線、敵意じゃないよ。ここまでされると正直僕は悲しいよ。折角の再会だっていうのにさ」
演技なのか。それとも本音なのか。表情だけでなく、雰囲気までも落ち込んだように振る舞うユウトに、さしものユウトも面食らう。
こいつは、何を言っている?
ここに至るまでの経緯を知っておきながら、そもそもの要因たる張本人が、何故そこまで平気な顔をしていられる?
意味がわからないという言葉さえ正確ではない。
本当に、実の弟ながら、理解ができない。
「……お前のそれがもしも本音なら、やっぱりオレはお前を許せない。寝言を言う暇があるんなら、さっさと「アスナ」に頭を下げにいけ」
沈黙。
沈黙。
沈黙。
痛いくらいの沈黙が流れ、波の音だけが世界にはあった。
やがて、こうあった。
「……はぁ。『ダメだね、兄さん』」
「ーー⁉︎」
長い嘆息と、呆れ果てた声が波の音を凌駕した瞬間、気づけばユウマは砂浜の上をうつ伏せで倒れていた。
付け加えるなら全身を裂傷に侵されて血まみれになり、自分が今なにをされたのか全くわからない状態で、うつ伏せになっている。
遅延された激痛が、思考の始発と共にユウマの全身を愛撫した。
「がぁぁぁぁぁああああ⁉︎」
「兄さんは口だけなんだよね」
吐き捨てるように言いながら、ユウトは倒れているユウマに近づいていく。
今、いったいなにをされた?
何も見えなかった。
何も感じなかった。
二年前、「サフィアナ」にある『あの島』でユウトと戦った時、殺した時はこんなこと起こらなかった。
規格外の防御力はあったが、視認不可の攻撃手段なんて持ち合わせていなかったはずだ。
それなのに、今。
現実はユウマの身体を蹂躙している。
「兄さんは昔から、言うことだけは一丁前なんだよね。言葉に実力が伴っていないんだ。僕を許さない?違う。僕が兄さんを許さないんだ」
「なに、を……」
「だって、兄さんは僕を本気で殺そうとしただろう?それは、どんな罪人より罪が重いよ。家族を殺すなんて、そんなのはただの鬼だ。殺人じゃない、『殺戮』と同じだよ」
平然と、本当に心底からそう思っている声色だった。
一瞬唖然としたユウマは、しかし奥歯を噛んで唸るように声を出す。
「ふざけたこと言ってんじゃねぇ。オレはお前と違って「罪のない人たち」を殺したわけじゃない。「罪のある人」を殺した……殺そうとしたんだ。その罪を一緒に背負ってやるために、だからオレは……」
「へぇ。じゃあ罪人を殺しても殺人にはならないんだ。ずいぶんと都合の良い考え方じゃあないか、兄さん」
「ーー!」
うつ伏せに倒れるユウマの目の前にユウトが立ち、見下ろしながらそう言った。
彼の言葉が正論、とは思わない。
事実、アカネが育った世界にも、罪人を処刑することで罪の精算を終える、また被害者遺族に心の一区切りをつけさせることが許容されていると聞いた。
だから、法的に見ればユウマの殺人に対しての倫理観や価値観は間違っていない。
では、人としてはどうだろう?
どんな理由があれ、どんな人間であれ、果たして人間を殺しても許されるのだろうか?
自信を持って、間違っていないと断言できるだろうか?
「出来たとしたら、兄さんは罪人以上に罪人で、化け物だよ」
「ーーっ」
どろどろの血がついた刃のような言葉がユウマの精神を容赦なく抉る。
肯定したわけではないけれど、全てを否定できる手札を持ち合わせてはいなかった。
自分を納得させて、これが正しいのだと嘯いて、全ての行動に理由と正義を押しつけて正当化し、「殺人」を許容する。
それは、歪んでいるんじゃないのか?
夜怨に訳知り顔で語ったユウマの理念と考えは、どこまでも歪んでいて誰にも理解できない恐ろしいものだったんじゃないのか?
それは、まるでアカネが人を信じられなかった時のように。
「あの時も、兄さんはそうだった」
「……っ」
追憶の瞳が、腹の底が知れない金色の双眸が、憐れむように地に伏すユウマを見下ろす。
その視線に居心地の悪さと罪悪感を与えられ、ユウマは唇を噛んで黙り込む。
弟が、ユウトが、何を言っているのか、そして何を言いたいのかわかってしまう。
この世界で唯一、ユウマだけが分かる。
「あの日、兄さんは僕のことを平気で殺そうとした。兄さんは、家族より「先生」を選んだんだ。それを理由に、兄さんは弟である僕を殺そうとした。どんな理由があっても人を殺しちゃいけない?……それは自分に言っていたのかい、兄さん?いいかい、兄さん」
区切って、屈んで、ユウマの目線に合わせて、ユウトは言った。
彼の瞳に映る「兄」の姿はとても、弱々しかった。
「兄さんは僕と何も変わらない、自分のためなら平気で人を殺せる人間なんだ。罪を背負う覚悟?そんなのはない。兄さんは、自分が犯した殺人という行為に意味と理由を欲していただけで、だからそれっぽい理屈を並べていただけだ」
「オレは、そんなこと……」
ーー違う。
「でもそれは悪いことじゃない。人間なら誰もがすることだよ。だけどね兄さん。それっぽい理屈を上から目線で語る前に、兄さんは認めるべきなんだ」
「……なに、を」
「自分が「人殺し」だってことをだよ」
「ーーっ!」
それは決定的な一言だった。
オブラートに包まれていないが故に、それは容赦なくユウマの心を喰い千切りにかかった。
人殺し。
夜怨やザクスに散々偉そうなことを言っておいて、実はユウマにはそんなことを言う資格なんてどこにもなかった。
むしろ、もっと性質が悪い。
だって、それっぽい理由を剣にして、ユウマは実の弟を殺そうとしたのだから。
「星は、夜がなければ輝かない」
まるで星空を見下す夜のように、ユウトは薄く笑って沈んでいるユウマへ言う。
「ずっと言っていたじゃないか。兄さんは一人じゃ輝けない。兄さんの魔法じゃ誰も照らせない。ーーその星天魔法は、兄さんには相応しくない」
「………、」
自失。
ユウマの目に先刻までの強さはなく、抵抗する意思なんて皆無だった。
散々偉そうな御託を並べて自分の殺人を肯定していたけれど、そうじゃない、そうじゃないんだ、そうじゃなかったんだ。
「アスナ」のためとか「兄」だからとか。
どんなに善性が目立つ理由があったとしても、その正義を殺しの道具に使った時点でユウマはーー『ひずみ・ゆうま』は罪人だった。
もう、無理だった。
何故、弟が生きているのか。
何故、夜怨が弟に変わったのか。
根本的な疑問は尽きないけれど、それをメインに思考を働かせる気力が、今のユウマにはどこにもなかった。
(……オレは、間違ってたのか)
「そうだよ」
(……オレは、罪人より、罪人)
「あぁそうさ」
(……アスナ、オレは……)
「大丈夫。僕は兄さんを赦す。アスナ先生も、きっと赦してくれるさ。ーーだから、兄さんを僕にちょうだい」
さて、この瞬間にユウトが浮かべた笑みが自己的な欲に支配された悪辣なものだったと、兄であるユウマ・ルークは気づけたか。
これこそが罪人である特徴で、自分とは正反対で、全くもって異なるものだと。
「これからはずっと一緒だよ、兄さん」
ユウトの手が、その指が、ユウマに届く。
触れられた瞬間、決定的な何かが終わる予感がした。
だけど、抗うことはしなかった。出来なかった。
そんな力、どこにもなかった。
「さぁ、僕といこう、兄さん」
指が、届く。
♢♢♢♢♢♢
「ーー世話のかかる旦那だわ」
♢♢♢♢♢♢
「ーー⁉︎」
キキン!と、ユウマの全身を透明な立方体が閉じ込めて、ユウトとの接触を遮断した。
第三者の介入にユウトは微かに驚愕し、声の主を見ようとするがーー、
「離れなさい、外道」
間髪入れずに敵意の連撃。透明な立方体がいくつも顕現し、ユウトを捉えようと虚空を閉じ込める。
それら全てを危なげなく躱すユウトであったが、まんまとユウマと離された事実に目を細める。
そうしてある程度の距離を取った上で改めてそちらに目をやれば、一人の女性が立っていた。
明るい紺色の、毛先が夕陽色に染まる長い髪をサラリと伸ばす女性騎士。
凛とした顔立ちに佇まい、意志の強さが溢れ出ているオーラを纏う正義の執行者。
「……まるで正義のヒーローみたいじゃないか」
「『みたい』じゃないわよ。そしてそれだけじゃないわ」
皮肉めいたユウトの言葉に、しかしその女性騎士は怯まず、胸を張って堂々と宣言した。
ザッ、と。
自失したユウマを守るように、上を向けない国民を守る騎士のように彼女は「旦那」の前に立ち、長い髪を靡かせた。
剣のように光る双眸が、睨む。
「アレス騎士団第参部隊小隊長にして、ユウマ・ルークの「妻」。ナギ・クラリスよ。覚えて逝きなさい、殺人鬼」
夜怨=夜魔法
月詠命=???
↑↑↑
生存理由=???
アスナ・ルーク=???
↑↑↑
生死=???
次の「篇」で明らかになります!




