04-03 巫女の出迎え(3)
フィオネとレオンが与えられた使用人用の小部屋に下がる頃には、夜はもうとっぷりと暮れていた。ヘイスとは隣室だ。
「魔族相手に気を許しすぎではないのか、フィオネ」
小部屋に下がってすぐ、レオンがフィオネの手を掴んだ。少し怒ったようなその目を受け止めながら、フィオネは表情を曇らせる。
「でもお兄様、ディアドラ様もジュリアス様も、とても良い方々です。話に聞いていた魔族とは全然違って――」
「演技かもしれないだろう。何かあった時、真っ先に危険が及ぶのはお前なんだぞ」
フィオネにはわかっている、兄はただ心配してくれているだけなのだと。
本来なら王子か王女が出迎えるべきであるにも関わらずフィオネに白羽の矢が立ったのは、王子らが臥せっているからではない。ただ彼らが魔族を恐れたからだ。盾の巫女とはいえ、平民に過ぎないフィオネならば、殺されてもいくらでも代わりがいる。心配した兄が、強く志願して護衛という形でついてきてくれた。
ディアドラたちにこの屋敷に寝泊まりしてもらうことになったのも、ここなら屋敷を破壊されたとしても王都への影響はないからだ。
馬車のカーテンを全て閉めるよう指示があったのも、国民に魔族の姿を見せないためだった。今回の会談は女王と一部の臣下にしか知らされていない。外交員を一人つけるとしても、まだ子供の域を出ないフィオネに客人の対応をさせることに異を唱える声はあったが、他に誰も来たがらなかった。巫女になら任せても良かろうという女王の鶴の一声で決まったようなものだ。
ジュリアスがそれらの意図に気付いていないとはフィオネには思えなかった。けれど何も言わずにいてくれている。ディアドラだって、罪人に着けさせるような魔力封じの腕輪を不満も言わずに腕に通し、緊張してうまく話せなかったフィオネに笑顔でたくさんの話題を振ってくれた。
二人はフィオネが思い描いていた魔族とは全く違った。見た目がほんの少し違うくらいで、それ以外は人間と同じように思えた。
彼らは不戦協定を結びに来ただけのはずだ。それならば、むしろ彼らと親交を深めることは、国益に繋がるのではないのだろうか? 彼らが話してくれた魔王のことだって、立派な王だとしか思えなかった。
王宮から二人の様子について報告を求められたので、フィオネは感じたままに答えたが、報告を受けた官僚たちは信じられないというようなことを言っていた。信じてくれればいいのに。
フィオネはジュリアスから渡されたリストに目を落とした。魔法陣に関する専門書、政治学の本などが記載されていて、そこからはただ純粋に学びたいという意欲を感じる。
彼はまだ若いにも関わらず今回の交渉の全権を委任されているというし、きっと優秀な人なのだろう。それは彼の佇まいからもわかる。レオンにお辞儀を教わっていたが、もともと十分身についていたし、レオンの指摘はすぐにものにしていた。
「お兄様も、もう少し二人とお話してみませんか?」
「フィオネ、頼むからお前はもう少し警戒してくれ」
レオンは首を振って己のベッドに向かうと、話は終わったとばかりにフィオネに背を向けて着替え始めてしまった。
フィオネは窓の外に目を向け、青白い月を見上げてため息をついた。
◇
案内された謁見の間は、想像以上に荘厳な空気をまとう部屋だった。
床に敷かれた赤い絨毯は一歩踏み出すたびやわらかく沈むし、高い天井にも壁にも美しく細やかな絵が描かれている。数段の階段の先に置かれた玉座は、赤い座面と金の装飾がきらびやかに見えた。
私は慣れないドレスに身を包み、昨日教わり直したばかりのお辞儀を辛うじて維持しながら、女王陛下の訪れを待った。一人で着られないからという理由でコルセットだけは回避したが、それでも絞られたウエストがきつい。
慣れない体勢を維持するのも辛いが、周りの刺すような視線がかなり辛かった。
国の重鎮らしきおじ様たちと、ずらりと並ぶ兵士たち。全員壁際まで下がっているので距離があるけれど、こちらに向けてくる目は正直友好的とは感じがたく、視線が痛い。
女王陛下が言葉をかけるまでお辞儀を崩さず一言も発しないように、とフィオネに言われているので、周囲の視線にも黙って耐えるしかない。うう、早く終わってほしい。
私の位置からジュリアスは見えないけれど、どうせジュリアスのことだから、いつもどおり涼しい顔で優雅なお辞儀をしているのだろう。
早く女王陛下が来てくれないかと念じていたら、ようやく誰かが姿を見せた。頭を下げているので気配しか感じられないけれど、一人の人物が歩いてきて、玉座に腰を下ろしたのがわかる。
「よく参られた、お客人。私がキルナス王国第三十一代女王、アドレイドである」
女性にしては低めのアルトボイスからは、威厳と力強さを感じる。どんな人なのか気になったけれど、事前にフィオネから言われていたとおりにまだ顔を上げずに礼を保つ。
が、我慢だ。もうちょっと。
すうと息を吸ってから、覚えてきた挨拶を口にした。
「お初にお目にかかります、アドレイド女王陛下。第二百六十三代魔王グリードが娘、ディアドラと申します。後ろに控えておりますのは当代の五天魔将が一人、ジュリアスです。この度はこちらの要請に応えてお招き頂き、まことにありがとうございます」
途端に周囲がわずかにざわついたのを感じる。小声ながらも五天魔将だのまだ子供だのと聞こえてきて、返した方がいいのだろうかと迷っていたら、正面から「面を上げられよ、お客人」と声が降ってきた。
顔を上げて真っ直ぐに立つと、ようやく玉座に座っていた女性と目が合った。
金色の髪を一つに結い上げたその女性は、切れ長の薄緑色の瞳をまっすぐ私に向けていた。背筋を伸ばして凛と座る姿は素直に格好いい。金色が散りばめられた豪奢な赤いドレスも彼女の威厳を高めるのに一役買っているように見えた。
女王陛下はざわつく周囲にちらりと目を移してから、彼らを代弁するようにジュリアスを見た。
「五天魔将とは皆そのように若いのか?」
「そうではありませんが、その、ナターシアにおいては王も将も実力のみで決まります。この者は若くはありますが、ナターシアで執務の一切を取り仕切っています」
なんとかアドリブでそう答えながら、私は早く謁見が終わらないかと願っていた。暗唱できるよう事前に覚えていた最初の台詞以外は正直受け答えに自信がない。特に敬語が厳しい。
「そうか。互いにとって有益な協定が結ばれることを願っている」
女王陛下はそれだけを口にしてから立ち上がる。私は再びお辞儀の体勢になって頭を下げた。よし、あとは女王陛下が退室したら私たちも下がるだけだ。
終われ終われさっさと終われと念じ続けた私は、謁見の間を出たところで大きな長い息を吐いてしまい、馬車に乗るまで我慢なさいとジュリアスに小声で叱られたのだった。















