08-01 カリュディヒトスの目的についての一考察(3)
寝ていたはずなのに、寝返りをうった拍子に夢から覚めてしまった。まだ馬車の中は暗く、月明りが影を落としている。
「一つ聞いてもいいですか?」
「んー?」
ニコルとカルラの声だ。目をこすってから声のしたほうに視線を向けると、カルラが御者席に横向きに座っていて、そのすぐそばにニコルが腰を下ろしていた。ヤマトは御者席で俯き、腕を組んで座っている。たぶん寝てるんだろう。
「朝まで暇やし、ええよ。何?」
ちょっと気になったけれど、それ以上に眠い。二人に背を向けるように寝返りをうって目を閉じたけれど、
「サフィリアとは誰ですか?」
突然お母様の名前が聞こえてきて、ぱち、ともう一度目を開けた。どうしてニコルはそんなことを聞くんだろう。
さぁ、と風の音が聞こえるほどに静かになった。カルラがすぐには答えなかったから。
「サフィリアはお嬢のおかん。お嬢を産んですぐに死んだよ。……なんでそんなこと聞くん」
「昼間、サフィリアという方の話が出た時のあなたの様子が気になったので。どうしたのかな、と」
それは私もちょっと引っかかった。カルラは一度だけ通信機から手を放して、床に目を落としていたから。前にカルラとお母様の話をしたときも、カルラはちょっと変だった。
「別に、なんでもあらへん」
「なんでもないって顔じゃないでしょう」
カルラはまた黙ってしまう。二人に背を向けている私からカルラの表情は見えない。
「今更どうにもならんことや。そんな話聞いてどうすんの」
「聞いたからどうというのはありませんし、誰にも言いませんよ。話せと無理強いまではしませんが……話すという行為に意味はあります。誰かに話すだけでも、それは前を向く力になる。僕はそう信じています」
ニコルの声は穏やかだけれど、どこか力強さを感じさせた。本気で信じてるのだと思わせるような。物語の中の教会にはよく懺悔室という部屋があったけれど、この世界にもそういうものはあるんだろうか。ニコルは司祭として、人々の悩みを聞いてきたんだろうか。
ほんの少し間があって、カルラがため息をつく。
「他人の信じてるもんを否定したらいかんな……」
何か話してくれそうな口ぶりだったけれど、また静かになった。ニコルも何も言わなかったから、外の風の音がやけに大きく感じる。
「グリードはんが先代魔王を倒した時に、一緒に戦ってたサフィリアは先代魔王から呪いを受けたって聞いてる。少しずつ死に至る呪いやって」
ようやく話し始めたカルラの口調はゆっくりだ。言葉を探しながら話しているような。
「ジュリアスの話を聞いてさ、シリクスはサフィリアの呪いを解こうと頑張っとったんやなって思ったんや。解呪の魔法は人間のほうが進んでるって知っとったのに、フィオデルフィアにおったのに、呪いを解く方法なんて探してやれんかったうちと違て」
「見つけられなかったことを気にしているのですか?」
「違う。うちは何もしとらん」
きっぱり言い切ったカルラの声は、どこか非難めいていた。話の流れからして、カルラが責めている相手はきっと自分なんだろう。
「ナターシアはさ、太陽も出んし、貧しい土地なんよ。魔王になったグリードはんが略奪行為を禁止したけど、そのぶん食料をフィオデルフィアから買い付けて来んと全然足らんってくらいには。人に化けられるうちがフィオデルフィアで買い出しすることになったけど、うちはあんまり他と交流しとらん小さな里で生きてきたし、商売とか言われても何も知らんかった。買い物って何? 欲しいものがあったら物々交換するか労働で返すんとちゃうの? ってくらい」
えっ、と思わず声を上げかけた。
関西弁で行商人なんていうから、得意な仕事を任されているんだと勝手に思っていた。関西、特に大阪は商人の町だって印象が強かったから。でも確かにカルラが長をやっていたという里は山の中にあると聞いたし、世間からズレていても不思議はない。そっか、この世界では関西弁を使う人たちが商売の盛んな町に住んでるわけじゃないんだな。
買い物すら知らなかったってことは、人間のことだってほとんど何も知らなかったんじゃないだろうか。そんな状態からよくナターシアの食料を安定的に確保できるようになったものだ。少なくとも私は食事に困ったことはない。
「サフィリアの呪いのことは気になっとったけど、手探りで商売を覚えながら同時に呪いの解き方を探すような余裕はうちにはなかった。うちが買い出しして帰らんと、飢える子が出るかもしれん。せやから、シリクスに相談しながら買い出しのルート作るのに必死やった」
お母様一人の呪いの解き方を探すより、ナターシア全体の食料の確保を優先したカルラは、きっと間違ってない。お母様のことは日記でしか知らないけれど、たぶんお母様も、そしてお父様も、カルラは間違ってないって言うと思う。
「でもさ、うちがもうちょっとうまくやれてたら、もっとうちの子たちに仕事任せてたら、呪いの解き方を探しに行けてたら、サフィリアはまだ生きとったんかな。サフィリアが生きとったら、〝親に大事に思われてたって知らなかった〟なんて、あんな寂しいことをお嬢に言わせんでもよかったんかな。グリードはんも、お嬢も、もっと笑っとったんかな。うちは……忙しさを言い訳にして、友達のこと見捨てたんやろか……」
徐々に小さくなっていくカルラの声は震えていた。鼻をすする音が何度かしたけれど、嗚咽は聞こえてこない。
カルラは泣いてるんだろうか。声も上げずに、何かに耐えるみたいに。
違うよって、そんなこと気にしなくていいよって、そんな余裕はなかったって自分で言ったんじゃないのって声をかけたかったけれど、振り向けなかった。振り向いちゃいけない気がした。
たぶんカルラは、私が聞いても今の話はしてくれない。私はお母様の娘だから。お父様にも、一緒に頑張ってくれたカルラの部下たちにも、きっと言わない。ニコル相手だから話したんだ。お母様のことも当時のことも、何も知らない部外者だから。
私は自分にかかった毛布をぎゅっと握ると、少しだけ背中を丸めた。
「……ありませんよ」
ニコルの声がする。
「僕の知る限り、死に至る呪いを解く方法なんてありません。できるとしたら、呪いが発動すると同時に蘇生を試みるくらいでしょうが……それだって、成功する確率は限りなく低いでしょう」
慰めるでもなく、静かに事実だけを告げるような声。フィオデルフィアにもお母様を助ける方法はなかったなんて、聖職者だったニコルだから言えることだ。私たち魔族には誰にも断言できないに違いない。
ニコルがいてくれてよかった。ニコルがどうしたのって聞いてくれなかったら、カルラはたぶんずっと、一人で後悔を抱え続けていただろうから。
そっか、と呟いたカルラの声はまだちょっと揺れていた。
「まあ、あの天才が見つけられへんかったもんを、うちが見つけられるわけないわな」
そう言ってから、カルラはもう一度鼻をすすった。