08-01 カリュディヒトスの目的についての一考察(1)
聖都を出てから次にどうするかは、ニコルが合流する前に決めていた。
このままトロノチア王国内で魔石の加工技術について調べたいとカルラが言ったので、トロノチア王国の王都に進路をとっている。王都なら大きな書店か図書館はあるだろう、という読みだ。王都に入れるかどうかは近くまで行ってみないとわからなさそうだけれど。
ジュリアスとの通信を切ったあと、カルラがニコルに、
「ニコルはそれでええ? 聖都に置いてきた兄ちゃんとか他の同僚とか、心配と違う? やっぱ別行動したいって言うならかまへんぞ」
と聞いたら、ニコルはため息混じりに頷いた。
「このまま同行させてください。僕は聖都への立ち入りを禁じられてしまいましたし、現時点でできることは何もなさそうなので。ラースは、認めたくないですがあれでもやる気さえ出せば優秀なので、何かあっても自分でどうにかするでしょう」
「あの兄ちゃんでもやる気出すことあんの?」
「まあ、美人の前でなら多少は」
ラースというのが〝兄ちゃん〟さんの名前らしい。時計塔から逃げるときに声は聞こえたけれど、暗くてどんな人なのかは見えなかった。
馬車に揺られていたある日、ニコルと話がしたいとジュリアスが連絡をしてきた。
『我々のことをさほどご存知ないニコルに説明しようとすると頭の中の情報を整理できますし、ニコルは我々の知らないことをご存知のようですので、話せば見えてくるものもあるかなと』
と、いうことらしい。私の話も聞きたいとジュリアスに言われ、ニコルの隣に腰を下ろす。カルラも寄ってきたので、三人で輪になった。
「それで、何の話を?」
通信機はニコルが持った。
『カリュディヒトスの目的についてです』
ジュリアスの言葉を受けて、私とカルラは顔を見合わせる。
「老人の魔族のほうですね。目的の見当はついているのですか?」
『いえ、正直わかっていません。ニコルはカリュディヒトスについて何か知っていることはありますか?』
「聖都での話以外は何も知らないと思ってください。これまで教団の報告にも一切上がってきていません」
「そうですか」
ジュリアスが、カリュディヒトスが先代魔王の頃から五天魔将の座についていた男だということを説明し始める。カリュディヒトスが先代魔王の時代から五天魔将だとは知らなかった。お父様が先代魔王を討ったときに当時の五天魔将も四人は倒したけれど、カリュディヒトスだけはお父様との戦いを避け、お父様に忠誠を誓うと言ったらしい。
「その時点で、主君を裏切るような人物だとわかっていたわけでしょう。どうしてそんな男を将に据えるのですか」
ニコルがあきれたように言って、ジュリアスは『グリード様は人がいいのでその言葉を信じたそうです。それにまあ、より強い者に服従するというのは、我々魔族にとって普通のことでもあるので』とため息混じりに答えた。
次にジュリアスが、カリュディヒトスの得意魔法がトラップ魔法とステータス異常を起こす魔法だと説明し、ニコルが頷いた。
「魔王のステータス異常もその老人の仕業ですか」
「あっ! ねえニコル、お父様のステータス異常の解き方、ニコルならわからない!?」
私がそう言いながら身を乗り出すと、ニコルはちょっと上体を後ろに下げる。そうだニコルに出会ったのは、ステータス異常に詳しい人を見つけたとルシアに言われて、教会に引っ張っていかれたからだった。
「結論から言うとわかりません。本来、ステータスダウンを維持するのは十五分程度が限界ですので、そのステータス異常を維持している何かをどうにかするしかありません」
「それは無理……」
しょんぼりしながら座り直すと、怪訝な顔をしたニコルにジュリアスが説明してくれた。お父様のステータス異常を維持する仕組みと、ナターシアの結界を維持する仕組みは同じものであることと、ナターシアの結界を再起動することを優先するつもりであることを。
「なら対症療法として、必要なときだけステータスを上げるしかないですね。全ステータスを上げる魔法は知りませんが、一部のステータスを一時的に上げることならできますよ」
「ステータスより魔法が使えへんのが困るんやけど、そっちはどうにかならへん?」
「確か、魔法を使おうとすると魔力が逃げるんでしたよね?」
私とカルラが頷くと、ニコルは少し考えてから、自分の鞄の中を探り始めた。鞄からニコルが取り出したのは黒い環だった。キルナス王国に行ったときに私もつけていた、魔力封じの腕輪だ。
「解呪の原則は反転です。魔力が出ていくというならそれを止めることを考えましょう。これは試しましたか?」
「だいぶ前にグリードはんが着けたことあるけど、ステータスを出そうとしただけで壊れてしもたわ」
「ステータスを出すだけでこれが壊れるって、どれだけ……」
ニコルは眉間に皺を作ったかと思うと、ため息をつきながら環を鞄に戻した。よくわからないけどすごいことらしい。さすがお父様だ。
「では、ちょうどトロノチア王国にいるのですから、最新の腕輪を試してみては? 以前僕が魔王に会ったあと、魔王の魔力の大きさを教団に報告しています。それを受けて、トロノチア王国ではもっと強力な腕輪が研究開発されたと聞きました。まだ一般に流通するまでには至っていませんが、トロノチア王国内なら購入できる可能性もゼロではないかと」
「へえ、そりゃええなあ」
「資金があるなら複数買うことを勧めます。一個でだめなら、二個でも十個でも百個でもまとめて装着すればいいんじゃないですかね」
ニコルの言い方はだいぶ投げやりだったけれど、気にならなかった。その腕輪があれば、お父様が魔法を使えるようになるかもしれない。もちろんまだ可能性でしかないけれど、初めて見えた光明に私の胸は高鳴った。
カルラが腕を組み、「聖都でもうちょっと節約せんといかんかったかなあ」と首をひねる。そういえば、聖都でいくら使ったのかは知らないけれど、聖都に入るためにお金を渡したりいい宿に泊まったりしたから、結構な出費だったはずだ。
カルラはうーんと唸ってから、組んでいた腕を解いた。
「まあ、値段がわからんのに心配してもしゃーないな。それを買うにはどこ行ったらええ?」
「一番可能性が高いのはトロノチアの王都でしょうね」
「それは何としても王都に入らなあかんなー。ユラ、先に出て様子見てきてくれるか」
カルラがユラを見てそう言うと、ユラは頷いて馬車を降りていった。馬車が静かになったところで、またジュリアスの声が聞こえてきた。
『いろいろと教えていただきありがとうございます。話を戻してもよろしいですか?』
「どうぞ。老人の目的の話でしたね」
おっとそうだった。
先代魔王の配下だったときにカリュディヒトスが何をしていたかは、お父様もジュリアスもよく知らないらしい。お父様に下った彼が担当していたのは罪人の処罰。汚れ仕事だけれど、彼は自らその仕事を願い出たのだそうだ。そしてリドーが魔王の座をかけてお父様に挑戦し、お父様に敗れたあと、リドーを説得して五天魔将に推したのもカリュディヒトスだったらしい。
「あの、自分を殺しに来た男を将に据えるってどういうことですか?」
深いしわを刻んだ眉間を押さえたニコルがそう聞いて、カルラが「うちは止めたぞ」と苦笑した。カルラがニコルに手の平を向け、ニコルはカルラに通信用の魔道具を渡した。
「まあ説明くらいはしたろ。人間の価値観とは合わんやろけど、うちら魔族は強い奴に従うんが基本や。勝負はついとるし、リドーは『負けたからには従うわ』とか言ってケロッとしとった。グリードはんに挑戦してくるくらいには強かったから、本人がやるって言うなら任せよかってことになってん」
「説明を聞いても理解できませんが……」
私もいまいち理解できない。忘れかけていたけれど、魔族の常識は人のそれとは違うのだ。
「一番の理由は人手不足やな。当時は五天魔将が三人しかおらんかったんや。グリードはんはシリクスの残した仕事に忙殺されとったし、グリードはんが動かれへんから、ナターシアの魔獣退治も罪人を捕まえんのもザークシードが一人で担当する羽目になって過労死しそうになっとった。うちも人間との交渉事はシリクスに頼りっぱなしやったから、シリクスが死んでから何年かはナターシアのこと手伝う余裕なんかなかった。リドーは強い魔獣の退治には喜んで行ってくれたから、正直助かったんや」
「はあ……」
納得いかない顔をしているニコルがカルラに向けて手を出したので、カルラは彼に通信機を返した。
「議論しても得るものがなさそうなのでここまでにしましょう。続きをお願いします」
『はい』
次にジュリアスが語った話は私も知っていた。
三年近く前、ナターシアの結界に魔力を注ごうとした日にカリュディヒトスとリドーが裏切ったこと。その際にカリュディヒトスが私を誘ったけれど、私は断ったこと。お父様を殺すことに失敗したカリュディヒトスとリドーは逃げた。お父様が動けない間に、カリュディヒトスは過去の罪人のステータスダウンを解いてフィオデルフィアに連れ出し、リドーにも他の魔族にも好きに暴れろと言ったらしい。
その後しばらくのカリュディヒトスの足取りはわからないけれど、キルナス王国で魔王宛の手紙を改ざんし、私がキルナス王国にいる間にキルナス王国を壊滅させようとした、と考えられる。その次はこの間の聖都での話だったので、ジュリアスは省略した。
『私の知るカリュディヒトスのこれまでの行動については話したとおりです。次に、カリュディヒトスの目的を考えるにあたり、過去の彼の言動にもヒントがないかを検討したいと思っています。そこでディアドラ様』
「え、私?」
突然話を振られ、目を瞬く。
『思い返してみると、昔からカリュディヒトスは時折ディアドラ様に話しかけていたように思うのです。カリュディヒトスが何を言っていたか、覚えていることはありませんか』
「えっ……と」
そんなこと言われてもなあ。私は腕を組んだ。
「魔王になる気はあるかって聞かれたことは前にお父様に話したけど、それ以外で?」
『はい。もっと昔のことで、何か覚えていませんか?』
あれより前ということは、私がこの体で目覚める前ってことだ。そう言われてみると、カリュディヒトスはたまに話しかけてきたような気がする。いつも一言二言話していなくなっていたと思うけど、何だっけ?
ニコルがカルラに視線を向ける。
「魔王の交代とはどのように起きるのですか?」
「その時の魔王を殺した奴が次の魔王やな。聖女とか勇者とかいう人間が魔王を倒したときだけは例外で、魔王になりたい奴らで戦り合って勝ったやつが魔王になる」
「つまりその老人は、ディアドラに父親を殺さないかと持ちかけたわけですか。外道ですね」
「それな」
ちょっと考えるように視線を別の方向に向けたニコルが、ちらと私を見る。
「これまでの話からすると、その老人は頭の切れる用意周到な人物のように思えます。ディアドラが父親を殺さないことくらい、その老人なら想像できそうなものですが、なぜディアドラを魔王にできると考えたのでしょう?」
「えっ!?」
それはそのう、と私はつい目をそらしてしまった。ゲームどおりならディアドラはお父様を殺して魔王になっていたはずだ。だからカリュディヒトスは本気で私を魔王にする気でいたはずだし、できるはずだった。
でも今の私しか知らないニコルからすれば疑問なんだろう。私は初対面の彼にお父様のステータス異常の解き方を聞いているし、お父様がいかに素晴らしい魔王かも語っている。私がお父様を大好きなのはバレバレだ。
「お嬢、あの頃はひっどい反抗期やったからなあ」
「反抗期程度で親は殺さないでしょう。魔族は違うのですか?」
『カリュディヒトスらが事を起こす少し前まで、グリード様とディアドラ様の関係は良いとは言い難いものでしたし、あの頃のディアドラ様ならそういうことも起こりえた……かもしれません』
ニコルが不可解そうな目を私に向けてきた。ど、ど、どうしよう。彼は私を見つめてじっと考えていたけれど、ぼそっと小声で「言葉の呪い……」と呟く。
「その老人は時折ディアドラに話しかけていたということですが、魔王を倒すよう誘導するような言動はありませんでしたか? その様子では核心的なことは言わなかったのでしょうが、少しずつ、心の中に淀みをためていくようなことは?」
「え……」
ニコルのその言葉を聞いていたらゾワッとした。じわじわと、そうとわからない程度に少しずつ毒を飲まされていくような、そんな想像をしてしまったからだ。
黙ってしまった私を見たニコルがハッとして、「すみません、変な先入観を与えてしまいますね。忘れてください」と首を横に振った。カルラとニコルに見つめられ、たじろぎながらディアドラの記憶を辿ってみる。ニコルが通信機を渡してくれた。















